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犬猫の仲

2011/10/08

 帰路の途中にすすきの生い茂る空き地がある。何年前だったか、確かほとんど廃墟だったアパートがついに取り壊された跡地で、しかし誰もこの土地を買う気がないのか地主が転がすだけにしたのか単純にいなくなったのか。真偽のほどは不明だが、更地にして以降全く次の建物が立つ気配もなくて放置された結果がこれ。
 繁殖力も生命力も抜群に強いよもぎを始めとする臭いの強い雑草が生えなかったのは一通行人でしかないが鼻の利く彼にとっては幸いと言うべきで、毎日外出する際にきつい臭いばかりを嗅がなくてもいいのは素晴らしいことだと、別のルートを通ってよもぎの茂みに出会した際、心底思ったものだ。――言い換えれば最も無臭に近く安全に利用できるのがこの道筋となった。
 そうしてこの空き地では、よく猫の、寝子猫族ではなく魔力のないあの哺乳類の四足動物の鳴き声を聞く。ここからでは見えないが空き地のどこかにまたたびでも生えているのか、野良猫がすすき畑の奥に入っていく姿を頻繁に目撃したし、春秋には盛りの声も耳にする。当然、雌を狙って取っ組み合う雄の威嚇の声もまた。
 だから今日、珍しく早めに仕事を終えられた人狼がこの時間帯ならのんびり帰るどころか一旦自宅に帰ってからでも最寄りのスーパーのタイムセールに間に合うだろうと思って件の空き地を通ったとき、一際目立つ猫の鳴き声が聞こえたときも、当初はあまり気にしていなかった。
 ただ猫にしては妙にはっきりとした発音で鳴いたそいつが、猫の鳴き声であるようで鳴き真似のような曖昧な声だったからふと違和感を感じ取ったのは確か。更にその鳴き声に足を止めた彼は、よしよしと、今度こそひとの、しかも女のものであろう声を耳にして振り返った。
 何故と言ってその女の声が、男にとっては不倶戴天の忌々しい天使――相手にとっての彼は同僚の一人にして、『約束のひと』の幼い頃からの僕くらいの認識なのだが――のそれそのものだったから。
 この機会を逃す人狼ではない。瞬時に携帯電話を取り出しタッチパネルでボイスレコーダー機能をいつでもオンにできるよう操作し終えると、もう一度鳴けと願いながらすすき畑にゆっくりと近付いていく。
 願いが通じた訳ではなかろうがまた件の女の猫の鳴き真似が聞こえて、よしと親指に力を込めようとした青年はしかしここではなくもっと近くでこの鳴き真似を録音すべきと思い立ち、その通り声の主が丁度背中を向けるくらいの位置から、とうとうすすき畑に足を踏み入れることとなった。
 一面にすすきが生い茂っているかと思いきや、案外そうでもなかったようだ。手探りで独特の柔らかさを持つ葦をかき分けた彼は、その壁が予想以上に厚みがないことに驚きつつもよっこら大きく一歩進んで、すすき畑の向こう側をすすきが茂って以降初めて目にした。
 予想通り、そこは猫の集会としては持ってこいの場所だったらしい。障害物が全くないため風通しの良い広々とした空間に、こちらも廃墟同然の隣の家のブロック塀にはまたたびが生い茂っていたがもうとっくに堪能したのかその前でだらんと寝転ぶ猫はいない。更地だったはずのそこはやんちゃな子どもだの反抗期のガキだのが秘密基地にしたり集会場にしたりの痕跡が色濃く残り、今は持ち込んだ未成年たちも秘密基地に飽きたのかたまたま持ち込んだ連中が不在なだけか、がらくたのあらゆるところに野良猫どもが鎮座していた。しかもここが自分たちの縄張りなのだからと不遜な態度でこの場では新参ものの人狼を見下ろし、警戒心を露わにしたり素知らぬ振りを装いながら髭をぴんと立てたり何気なく場所を移動したりと猫なりに緊張感を滲ませる。
 しかしそんな中でも、空気の変化に流されない一角とひとがいた。
 その人物はこの界隈ではとんと見ないはずの、小振りでもしっかり輝く純白の天使の羽を持っており、普段はその羽と羽との隙間を埋める桃色の太ましい三つ編みを土が付かないようにするためだろう手前のほうへと手繰り、屈み込んで野良猫の蚤を取ってやっているらしい。櫛で丁寧に梳いては、傍らに置いた洗剤と水を混ぜた瓶に抜け毛と一緒に放り込んでいく。毛を梳かれている猫は気持ちが良いらしく、ぐるぐると低い唸り声どころか時折ああ、そことでも言わんばかりに甘い鳴き声を漏らす。それに。
「なぁん」
 女はつられるように鳴いた。機嫌が良さそうな一声は、鳴き真似として聞けばなかなか上手い。まあ、彼にとってはそんなことどうでもいいが。
 野良猫たちは天使の女を少なくとも人狼の青年より慣れ親しんだひととして認識しているらしく、彼女に向かってまだ若いのがぴゃっと素早く足下に飛び、にゃあにゃあなごなご必死に喋りかける。自分のことを伝えようとしているのだろうと思うくらいに現状を把握した彼は、録音についてふと思い出す。
「にゃ~ん? どうしたの、あなたの番はもう少し後よ?」
 女は侵入者を知らせに来た野良猫の顎を撫でてやるが、そいつの意図にはまだ気付かない。違うそうじゃないとでも言いたげに、けれど顎が撫でられるのが気持ちいいのか甘くも苦しげな声を漏らす若いのに、彼女はおかしそうな笑みを転がしながらまたしても鳴く。
「んー? ふふ、ふなぁーお? まーお、なぁーご、あー……お?」
 と最後でようやく男のほうへと振り返り、それまでにや下がっていた頬を一気に強張らせた。彼の位置からでもひく、と口元が引きつるのがわかる。
 青年は何も言わない。言わないまま録音を切り、音量を最大にしてから再生し、女のほうへと携帯電話をかざす。聞こえてきたのは勿論ながら、若い野良猫が彼女のもとへと駆けつけて以降の甘ったるい猫撫で声で。つまり思惑はこれで成功したことになる。
「ではオレはこれで失礼する」
「っっっ! ちょっと、お待ちなさい!!」
 あっと言う間に耳まで真っ赤にして声に剣呑な響きを伴い叫んだ彼女に、ブラッシングをされていたのやら知らせに来たのやら、ともかく女の周りに屯っていた野良猫たちが飛び上がる。ほかの猫たちもまた同じく、そちらに耳をやったり視線を向けたりしたのだが、女は周囲に気を配る余裕もないようだ。汚れの少ない場所に置いていたらしいオフホワイトの皮の鞄から多少型の古い携帯電話を取り出し、とっ組みかかって何らかの操作をしたあと昂然と、憤懣の表情のままそれをこちらに掲げる。
 相手の眼光の鋭さにまだ何を聞かされるのかもわからない現時点で、不意に彼の豊かな毛髪が微かな予感を覚えて静かに逆立つ。予感、とは勿論いやな方向の。
 予想は正しかった。暫くして天使の女がかざした携帯電話から聞こえてきたのは、いつぞやか伏魔殿に押し入った際、主のために一芝居打ったときの言葉を更に編集したもの。低い男のもので気のない、にゃーにゃーと寝子猫族の鳴き真似をする声のみが聞こえてきて、しかし何度も繰り返し再生されると猛烈に恥ずかしくなる音声データに、声の主たる青年は派手に舌打ちしてから唸った。
「貴様ッッ、あの状態でそれを録音するかっ!?」
「わたくし、基本的に任務中の重要な出来事はこうして録音しておきますの。何かの拍子で裁判沙汰になってはいけませんからね?」
 任務のためとは言え業突張りが非常にさまになっていた冷たい天使の言葉は、成る程、単身で悪魔の住まう地域に足を踏み入れるだけの勇気と強かさと用意周到さが彼女の中にあることを何より明確に示していた。しかしそれで脳天気に感心するのは他人よろしく傍観者であって、今の今までその音声を密かに入手されていたが特に利用されず、今この場で切り札として提出された屈辱的な事実に人狼は大袈裟なほど歯軋りする。
「……くっ、そいつでこいつを帳消しにしろと言うことか?」
「そう受け取っていただいても構いません。ただわたくしもこうして……、あなたと対等な立場であることを認識していただこうと思っただけですわ」
「はん。もっとはっきり、弱味を握っているもの同士と言ったらどうだ? 貴様のその半端な善人気取りはいつ何時でも胸糞が悪くなるな!」
「ではそう申しましょう。けれど、これをあなたのそれで帳消しにするかどうかは、わたくしの胸先三寸ですわよ?」
「脅すつもりか? 今この場で消しても、よそにそいつの複製データを保管していると?」
「あら、妙案ですわね。考えておきましょう」
「そんなことを言っておいて、既に取ってあるんだろう。貴様はそう言う女だ」
「決めつけはよろしくなくてよ狼男さん? 嘘から出たまこと、藪から棒、身から出た錆、なんて諺もあることですし……」
「貴様……!!」
 ちなみにこの緊迫感漲る対立を見せつけられた猫どもは、もうとっくに興味を失ったらしく、既に二人をいないものとして取り扱い平時の空気に戻りつつあった。まあブラッシングの途中だったり特に女に懐いているのは、彼女の足下で話が早く終わらないかとばかりに待ちぼうけていたがそいつらだって会話に全く興味を持っていない。
 その中の一匹があまりにも退屈だったのか。ストッキングに包まれた細い脚に小さな頭を擦り寄せて頭を掻けと強請ったため、彼女は気合いを多いに殺がれて緊迫感たっぷりの視線を和らげる。無論、視線での戦いはこれにて一旦お預け、勝敗は付かないと二人は覚った。ついでに頭も冷めてきたらしく、女は落ち着いた声で一つ取り引きを掲げる。
「……もしあなたの言葉通りだとしても、この場であなたがそれを消して下さるのでしたらわたくしもそうしますわ。悪魔の方々の弱味を晒していつまでもそれを握っているなんて、天使としてあまり良い趣味だとは思えませんしね」
「勝手に悪魔の弱味を握っておいて、それをひた隠しにしていた天使はそもそも良い趣味とは言えんだろうが」
「保険と仰ってくださいな。あなたがそれをわたくしにわざわざ聞かさなければ、わたくしだってあなたにこれを聞かせませんでしたのよ?」
 どうやら天敵の弱味を握って浮かれてしまい、ついぞ相手に勝利の証を見せびらかしたのがこの場での失態らしいと知らされて青年は深々と嘆息する。後ろ髪を引かれる思いはいまだ強いが、ここは引き下がるのが得策のようだ。
 苦々しい顔を隠しもせず、猫の頭を掻いてやる女に近付いていくと、彼は手中に収められたメタリックな銀のケースに赤い狼の横顔が描かれた携帯電話を投下する。
 きちんと両手でそれを受け止め自分で消せと本体を寄越された彼女は、少し戸惑ったらしいものの小脇に抱えた白いケースにそれぞれ濃さの違う桃色のラインストーンが可愛らしい、天使が着用する帯模様のものや、紺の天鵞絨のリボンのストラップが着いた携帯電話を同じく彼のほうに掲げた。
 それを無言で奪い、音声データを一度一瞬だけ確認した青年は躊躇いもなく目的物を消す。そうして当然携帯電話をすぐさま返す――のではなく、別名で複製データが残っていないかとフォルダの中を漁り始めた。着信履歴やメールフォルダに直行しないだけ、本人としてはまだ最低限の礼儀を弁えているつもりだ。
「……お前。猫のくしゃみ寸前の顔ばかり撮ってどうするつもりだ」
「勝手に人のプライベートを見ないでください!」
 タッチパネルの操作に難儀していたもののこちらもどうにか消去し終わって、ファイルを一つ消すにしてはやたら操作が長い男に訝しげな視線を送っていた彼女は、合点が行ったと同時に悲鳴に近い声を上げて奪い返そうと立ち上がる。が、当然そんな反応を予期していた人狼は間合いを開けてそれに身構える。携帯電話のディスプレイにしっかりと視線を注ぎ、とあるファイルに眉をしかめる余裕まで見せつけて。
「あと鏡を使ってまで自分の背中を撮るな。他人の趣味にどうこう言う気はないが、ナルシズムの痕跡は流石に見ていて気分が悪い」
「それは背中の吹き出物の確認でっ……って、ああもう!」
 女の努力の痕跡まで見られてしまった彼女は一歩相手のほうへと足を伸ばすも、すぐさま開けられる間合いから相手が満足して渡しに来るまで奪い返すのは難しいと断念したらしい。自らもまた彼から預かった携帯電話のデータフォルダを四苦八苦しながら探り始め、そうして間もなく割合本気でこの男のプライベートに退く羽目になった。
「……あの、狼男さん」
「何だ。……駄菓子と草と花と石は何の暗喩だ」
「暗喩ではなく、それは単に伺った先の男の子と遊んだら帰り際その子がくれたもので……ってそうではなく。あの、さすがに吸血鬼さんの寝顔の写真があるのはどうかと思いますわよ?」
 彼ら二人に最も大切な人物として共通している黒髪の吸血鬼が、普段の凛々しい態度とは裏腹に涎を垂れ流して眠っている横顔の写真を真っ先に発見してしまった女に、しかし彼は何ともない顔でいまだ携帯電話を離さないまま言ってのけた。
「背景をよく見ろ、閣下が突っ伏しておられるのは卓だろうが。それは単に小娘が俺の携帯を使って勝手に撮ったものだ。消すのも面倒だから残っているだけで」
「なら消して差し上げましょうか?」
「好きにしろ。……お前ヒトはまったく撮ってない上に音楽までボーカルなしか。実は人間嫌いじゃないのか?」
 別途プレイヤーを用意しがちであるため昨今の携帯電話の中でもあまり使用されない機能である音楽プレイヤー用フォルダまで見られてしまい、ついに彼女は声を裏返す。
「そこまで見ます!? ……あなただって桜とか紅葉とか藤とか撮っておられてばかりでヒトは殆どないじゃないですかっ! あとクーシー!」
「うむ。クーシーはいい、心が洗われる」
「つまりそちらは吸血鬼さんの公認趣味ですのね……あら?」
 ここで天使の女が何を見つけてしまったのか、彼は知らない。以前、職場の飲み会であの生意気な元人間の小娘にいつの間にか携帯電話を奪われた経験から、他人に見られてまずいものは残さないよう心がけている青年にとって、後ろめたい思いをするものなんてないはずだからだ。
 しかしそれでも彼に消せない写真はあった。永らく世話役兼忠実な僕としてこの人狼が付き従っている吸血鬼が、眼前の天使の女と同じく最新鋭の機械の扱いに少々疎いあの悪魔の青年が、この携帯電話を使って撮ったもの。生まれたばかりのクーシーの仔の下の世話を、人相が変わるほどにや下がってやっていた己の姿の写真なぞ普段なら瞬時に消すのだが、小娘に見つからなかったこともあり悶絶するほど葛藤した結果、記念にとやはり残したのが一枚。
「……まあ、これは」
「返せ」
 すぐさま蓋を閉じ、間合いを詰めて本来の持ち主に携帯電話を突き出す。相手は大人だ。彼の態度に自分が見てはいけないものを見たと理解して、無言で男と同じ動作を取ってくれた。それでも注がれる生温かい視線に神経を逆撫でされ、これでまた自分から墓穴を掘ってしまった気もするがまあとにかく。
「……で、お前はここで何をしている。野良猫の蚤取りなんぞ、どこからも金が入って来ないはずだが?」
 自分でも無理やりの自覚があったが耐えきれずに携帯電話を仕舞って話題を変えると、女もまた自分が見たものに対して記憶に蓋をするつもりでいてくれるらしい。足下に絡みついてくる野良猫をうりうりと優しく掻いてやりながら、普段と変わらぬ柔和な笑みを浮かべた。
「一応わたくしだって慈善活動くらいはいたしますわ」
「ヒトではなく猫のか」
「ええ、ほとんど趣味ですけれどね。うちのマンションはペット禁止ですから、たまにこうしてこの子たちのご機嫌伺いをしております」
 間接的に彼のクーシー関連の趣味と相違ないと知らされて青年は納得する反面、半端な絡み方だと皮肉たっぷり含んで笑い飛ばす。
「なら去勢をしてやってはどうだ? 野良猫どもが無秩序に増えるのはどこのどいつも得をせんしな」
 春秋によくそんな鳴き声を聞くこともあり真っ先にその提案を思いついた彼は、自分の発言を受けて相手が動揺してからそんな可哀想です、なんて非難と偽善に満ちた言葉を返すのを僅かに期待していた。だが次に彼女がほろ苦く笑いながら漏らした言葉に、反対に小さく目を見開かされる羽目となった。
「していますわよ。わたくしの一存ではなく、この界隈の野良猫について把握されている先輩がたと相談し、手術費を出しあってですけれど」
「…………」
 趣味の範囲内だろうに地に足の着いた思考と相応の背景を伺わせる彼女の回答に、青年は何も言わず鼻白む。――やはりこの女は好きになれそうにない。ひとの神経を逆撫でする偽善者の癖に、現実的に物事を捉えて単なる甘っちょろいだけの娘ではないと暗に主張してくるのは、自分のどうせこんなものだろうとの予測を事前に先回りした挙げ句鮮やかに対応されたような感覚を味わわされるからだ。
「ひとの都合で、種としての本能を潰すのは申し訳ないと思います。けれどこうして関わっている以上、いたずらに命を増やさせ、そこから生じる問題を見て見ぬ振りをし、近隣の方に不快な思いをさせるのもどうかと思いますもの……」
 物言いは穏やかさを保ったまま、しかし野良猫たちにとっては厳しく覚めた言葉を選ぶ女の指先に甘えた猫の股がぱっかりと開いた。雌猫の可能性もあるのだろうが、今まで尻尾で隠れていたその猫の股間には、まん丸としたふぐりはない。
「勿論、子猫は好きですし、可愛いと思いますわ。ですけど生憎、わたくしは子猫を見つけては獣医さんに連れて行って予防接種をしてお手洗いの躾をして、新たな里親を探せるほどの人脈やお金や時間はありませんから」
「実に模範的な意見だな。面白みの欠片もない」
「ついでに可愛げもありませんでしょう? いただき慣れておりますから、そう言うご意見は」
 余裕たっぷり微笑でかんばせを輝かせる女に対し、そうだろうなと彼も遠慮なく嘲笑を飛ばす。それで話を終えるつもりでいた青年は、そう言えばと天使の側から会話を引き延ばされることに多少意外な気分になった。
「狼男さんがお飼いになられていらっしゃるクーシーたちは、そちらの選択肢は視野に入れておられますの?」
 彼の携帯電話に収められた数々の写真から推測したのだろうが、それは違うとここは正直に首を横に振る。
「オレも飼ってはいない。知り合いの魔物使いのツテで一定期間、世話や躾を任されているだけだ。去勢するかどうかは向こうが決める」
「成る程。だから日付と成長具合がばらばらでしたのね。随分と沢山飼っていらっしゃるみたいでしたけれど、どうやって小屋や生活スペース諸々を解消するのか疑問でしたの」
 合点したらしく深く頷く天使の女は、一定期間ですかとしみじみ呟いたあと、苦いような羨ましいような悲しいような、どうとも表現に難しい笑みを滲ませた。
「けれど、それは犬科だからこそできるお話ですわよねえ。猫もブリーダーはいらっしゃるのでしょうけど、野良の雑種となると……」
 軽く顔を伏せ語尾を濁す女の言いたいことは、彼としてもわからなくはない。もとより野良猫なんぞはヒトの身勝手が生み出した存在だ。愛着を持てば持つほど、ヒト側の責任の重さも思い知らされる。
 愛犬家と言われて否定できない程度に他の動物へ情を注ぐ男は、同じような情熱を猫に注ぐこの天使に、普段なら持たないはずの気持ちを少し、ほんの少しだけ持ってしまう。とは言え、真っ向から慰めようだなんて気は逆立ちしたって湧いてこない。代わりに口をついて出るのは、当人としては極めて現実的な、けれど珍しく冷たさも険もない言葉。
「お前は金と時間を割いてまで野良猫どもの世話を見ようと決めた。オレは労働としてクーシーの躾も含む世話をする機会を得たからそれに乗った。どちらも最終的にそう選んだのは自分の意思だ。そう言うものだと割り切るほかなかろうよ」
「ご尤もです。けれど狼男さんの場合は、運も相当によろしいと思いますけど?」
 そんなところで羨ましがられても、正直なところ彼はあまり、どころか全く嬉しくなかった。何せ彼女の悪運強さは、言葉通り神の寵愛だの先輩であろう天使どもの加護を一身に受けているのかと思わせるほど。実際に信心深さでその強運を手に入れたのだとしたら、悪魔であるにも関わらず男はかなり躊躇しただろうがどうせこの女の運気は生まれ持ってのものに違いあるまい。
 しかしこの惨めな心境を、忌々しい相手に吐き捨てられるほど人狼は彼女に気を許していない。だから次に男が取った行動は、幼稚な自覚あっての空威張り。
「当然だ、運も実力のうちと言うしな。貴様にその手の巡り合わせがなかった不運と実力を、せいぜい悔やむがいい」
「はいはい、そう致します」
 女は彼の自慢げな態度をやんわり受け流しまさしく面白みのない反応を寄越すが、ならどんな態度を取られれば嬉しいのかと第三者に訊かれたとしても彼は具体的な想像なぞ浮かばないだろう。そもそも隠し事をしていた時分と違って今の天使が、自分の言葉に劣等感を示したりしょげる姿がまず想像できない。そんな反応をされてしまえば、何かおかしなものでも食ったのかとこちらが身構える可能性のほうが高い。
 どうせこの女とのやり取りの果てなどそんなものなのだ。毎回無防備な隙を見せるから容赦なくそこを突いてやるも、結局のところそれは罠で相手は無傷な上にこちらがとっ捕まえられ、勝利の手応えなどろくに感じず、暖簾に腕押し糠に釘打ちとばかりに無駄な時間を作らされる。
 それを存分に学んでいるはずなのにやはり学習しない己に男は呆れ、ついでにそれにも慣れてしまいつつある自分に心底うんざりしながら踵を返す。腕時計に視線を落とすと、時計はスーパーの勝負の時間が近いと伝えてくれた。
「……家に帰る余裕はないな。貴様のせいだぞ」
「何のことです?」
 苦い顔で軽く振り返り言い放つと、いまだ猫と遊んだままの女がきょとんと見上げてくる。脳天気な反応に、ますます苛立ち彼は考えなしにも教えてしまう――そうも詰めが甘いから勝利の手応えを感じないのだろう、と思ってはいけない。
「タイムセールの品を吟味できる時間がなくなった。これで目当て品を取れなければ貴様のせいだ。賠償金でも請求してくれる」
「八つ当たりは止してくださいな。そもそも、あなたがここで時間を潰されたのはあなたの企みあってのものでしょう。ちなみに何を狙ってましたの?」
「トイレットペーパーと玉葱と新生姜、……っておい待て」
 ここではたと彼は気付いた。後の祭りと言えるくらい手遅れなのだが、それでも当人はまだ手遅れではないと判断してしまう辺り、往生際は実に悪い。
 対する女はちゃっかりしたもので、懐いてくれる猫たちに別れを告げるように一撫でしたあと蚤取り用の櫛や瓶を専用の密閉できるビニール袋に入れて防水加工が施された布袋に入れてそれを更に皮鞄に入れて、肩にかけるとそれでもうここから離れる準備が完了していた。
「なんです?」
「どうしてお前にそれを教えなければならん! ついでに何故ここから離れようとする!」
 毛が逆立つまでもなく悪い予感から犬歯を剥いて叫ぶ人狼に、しかし女と野良猫たちはしれっとした様子で驚きもしない。天使はともかく猫どもまで飛び上がることもなく欠伸さえ漏らす始末なのは、幼い頃から鉄火場に身を置いて長いはずの彼としても内心それなり傷付いた。
 眼前の相手はそんな繊細な男心を汲み取る気などさらさらないようだ。静かに瞳の奥に宿る炎を揺らめかせ、全身に少しずつ気迫を漲らせていく。タイムセールなる言葉はそれほど女を変貌させる魔法の呪文であるらしい。
「あらあら、せめてもお詫びにご一緒して差し上げようと思っただけですのに随分と酷い言われよう」
「どこが差し上げようだ! 貴様、思いっきり自分も行きたいだけだろうが!!」
「ええ、当然ですわ。ですけれど、あなたの獲物を横取りするほど野暮ではありませんからご安心を」
 言い切ると、急いでいるはずなのに相手を睨みつけたままここから一歩も動こうとしない男の腕をちゃっかり引いて、天使は青年と一緒にすすき畑から道路へ出た。
 不意を突かれて腕を引かれたことも含め、一連の仕草の流れるようななめらかさと柔軟性は猫めいており、きっとこの女の野良猫どもへの感情は愛玩と言うより同類の気安さなのだろうと半分以上呆れながら彼は白い手を振り払おうとしたところで、同時に彼女が身を離す。ますますもって憎たらしい。
「さて、立ち往生もなんですからとっとと参ることにしましょう」
「……貴様」
「なにを拗ねていらっしゃるんです。お目当てのものがなくなってもよろしいの?」
 最後の言葉に彼はようやく目的地に向かう気になって、この女に背中を押されるのは非常に不愉快ではあるものの、進行方向に歩を進めることにしたのだが。
 当然ながら、その後ろにはあの天使がついてきた。彼からつかず離れずの距離を取り鼻歌まで歌って、随分と機嫌良さそうだが生憎とそれを聞かされている側は逆にこの上なく神経に障る。
 勢いよくそちらを振り返り睨みつけるとあっさり鼻歌は止めたが、足取りは止まろうとしない辺りどうあっても同行する気なのだろう。――この結果を事前に知り得ていたのなら、鳴き声程度で足を止めなかったのにと人狼は心底悔いたものだが、それこそ今更遅い話である。

◇◆◇

「……で。そのあとあいつと買い物をして散々レジに何度も並ばされたと」
「はっ」
「そうして迷惑をかけた分、茶でも馳走すると言うあちらの誘いを蹴ってお前は帰ってきたと。……それでいいな?」
「全て閣下の仰る通りでございます」
 買い物袋を三つぶら下げて帰宅すると言う、異例の状態の人狼を出迎えた同居人よろしく一生の恩人である痩躯の吸血鬼は、僕の帰宅が遅れた事情を全て聞き終えると深く長く息を吐き出した。
 もう既にアパートに帰って背広まで脱いでいる主へ向かって、買い物袋さえ放り投げて平伏し謝った彼に、吸血鬼はまず荷物を片付けろついでに話は晩飯を食い終わってから聞くと非常に寛大な態度と指示をしてその通りにしたのだが。
 主より早く帰ったはずなのに出迎えるどころか夕食の用意さえまだだった青年に寛容に声をかけた吸血鬼と、今の食事を終えた吸血鬼の様子は明らかに違っていた。確実に、謎が解けたはずの後者の方が浮かない顔をしておいでだ。理由は、わからない――はずもない。あの天使が原因であると察して、男は苦い顔で呻く。
「……誠に申し訳ございません、閣下。わたくしめがあの天使の策略にはまっていなければ、早々に帰宅し、いたずらに主を待たせることもなかったのですが」
「あ、いや。あいつとのことを怒っている訳ではない……ない」
「いえ、でしたら閣下。どうしてそんな、挙動不審に……」
 顔を上げ、狼狽える主に訊ねた彼にはもとよりわかるまい。この痩身の吸血鬼が、僕に降りかかった一連の出来事に猛烈な羨ましさを抱いていることなど。
 端的に語られてもかの天使と偶然接触し、猫撫で声を耳にして、携帯電話の中身を漁る機会を得て、腕を引かれ、一緒に買い物。おまけに茶にまで誘われると言う――もうあれだ。自分なら茶に呼ばれた上に部屋に上がって成り行きのまま夕食を頂戴する可能性も高い流れに、実際のところ踏み込まなかった僕を彼は心底褒め称えたい気持ちになりつつそうしなかった相手に安堵して、やはり羨ましさからそれは止めておいた。
「……ま、まああれだ。あいつの猫撫で声と言うのがあまり想像できんのでな」
「それでしたらお聞きになりますか?」
 当人としては苦しい自覚があっても言い訳を捻りだしたつもりだったのだが、人狼は素直に応じて携帯電話を取り出す。彼が天使に対してそんな疑惑を持ったように、当然この男も件の音声データは別に保管していた。相手が最新鋭の機械に疎く、またあまり他人を深く疑う性質ではないのは幸運であった。
 しかし準備のいい僕に対し、主は褒めるより舌を噛んだような顔で弾くように顔を上げる。
「は?」
「一応、あの女が消したはずなのですがサブファイルに同じものがありまして。……どうもバックアップ用として自動的に複製されるようですな。いや、便利になったものです」
 対する青年は相手からただ驚愕の眼差しと肯定の仕草だけを読み取って、立て板に水と言い訳を口にしつつ幾つかタッチパネルで操作をしてからごく丁寧に吸血鬼に携帯電話を渡した。
 まだ動揺を引きずる黒髪の吸血鬼は、渋い顔を作ったまま恐る恐る操作して、それから耳にする。あの例の、人狼からすれば蜂蜜に練乳と砂糖とキャラメルソースでも混ぜ合わせたような、聞くだけでも胸焼けしかねない甘ったるい女の猫撫で声を。
「……そ、うか」
 聞き終えた主が何を思ったのか、男は知らない。その手が震えている理由も、その目が尋常でなく泳いでいる理由も、むず痒そうともどんよりしているとも怒りを堪えているとも、とりあえず言葉には表現し難い表情を張り付けている理由も。
 暫く無言で様子を伺っていた彼の視線に気付いたのか、ありとあらゆる考えを巡らせてついに結論を得たようだ。吸血鬼は顔を昂然と上げ背筋を伸ばすと、いつもの毅然とした悪魔の姿に戻って声を張り上げる。
「フェンリッヒ、頼みがある」
「はっ。何なりと」
 これを捨てろと言うのなら主の前でデータを捨てるし――当然、これもまた別に複製データを用意してある――、これを別所に保存しておけと言うならそれはもう喜んでそうする。どんな用命であろうと柔軟に従順に対応してこそこの吸血鬼の長らくの僕だと普段から周囲に語って憚らない男は、だが。
「これをくれ」
「はっ……は?」
 こればっかりはさすがに目を剥いた。
 以降繰り広げられた主従間の、聞き苦しいやり取りは割愛する。要約すると、データだけ欲しいのならばそちらに転送するとの一点張りを貫く人狼に、吸血鬼はいやそれだけでは件のデータはお前も持っていることになるだろうし、これでお前が消したとしても何かの拍子でまた複製物があったりしたらあいつに悪いからもうこの本体ごと寄越してくれと、独占したいのか秘密を守ってやりたいのか曖昧な理屈で突っぱねて、両者一歩も譲らず。
 茶を飲む暇もなく互いの喉が枯れるまで続けられた主張は結果として、己の携帯電話の着信音がこまめに鳴っていたがどうせ出る必要はあるまいと無視し続けたのに、なかなか諦めようとしない相手にとうとう舌打ちをした吸血鬼がそれに対応してようやくの終焉を迎えた。
 しつこい電話の相手は問題の天使の女で、彼女の話す内容――今日は狼男さんを遅くまで拘束してしまったようで申し訳ありませんでした。お詫びを色々と考えたのですけど、おじゃこの常備菜かお弁当を明日にでもお渡ししようかと思いまして。どちらがいいかお訊ねしようと思ったのですけど、なんだか立て込んでいらっしゃるみたいですわね?――に吸血鬼は大いに狼狽え、携帯電話片手にアパートの玄関を出て暫く。人狼の前に戻ってきた彼の足取りはまさしく浮き足立つの表現通りで、何故かいそいそと寝る準備に取りかかり、データの始末など頭の中からすっぽ抜けたらしいと伺い知れた。
 風呂に入る前に床に入ろうとする主を慌てて止めた人狼は、直後に風呂を沸かしに行って、風呂場で肺にある全ての呼気を吐き出す心持ちでため息をつく。そうして今更肩だの足だの頭だのに強くはびこる疲労感を自覚して、やはりあの女とは深く関わらないほうがいいと改めて思い知ったのだが。
 さてその判断は、翌日昼まで彼の頭に残っているのか。結果は言わずと知れていよう。





後書き
 現パロでフェさんとアルティナちゃんとか斜め上にもほどがあるけど書きたいものを書きますんで!
 お互いの携帯の中探りあうシーンとか予想以上にキャッキャウフフになっちゃってこれカップリングって思われない!? と変にはらはらしておりました。そりゃ閣下もギギギする。
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