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悋気を口にできるほど

2011/08/28

 笑った女を見た。笑った男を見た。ただそれだけなのに。
 どうにも浮かない気分を誘う黒い靄が心の中にどっかと居を構え、先程ちらと目にした光景から得た感覚をいまだ引きずる己の不可解さに、彼は重い吐息をつく。
 けれどそんなことで職務を放り出すのはどうかと思うから書類と格闘する気ではいるのだが、さっきから目で追っているはずの文面は何度読んでもちいとも頭に入ってこなくて、結果的に彼は書類とにらめっこしている『だけ』となっている。
 不可解だった。不愉快だった。あれしきの光景でこんな心境になっている自分が。そしてまた、こんな心境そのものが。
 基本的に彼は己の言動に誤りはなく、また矛盾もないものと考えている。吸血鬼としての矜持を重んじ、悪魔かくあるべしと生きてきた彼にとって遺恨や後悔は少ない。無論、己の内に矛盾を感じた経験もまた然り。
 そんな彼にとって数少ない後悔の一つであり、以降彼の生き方を大きく変えた切欠でもある過去は人間、今は天使の娘に抱く感情は――悪魔にとって最も馴染みのない、どころか嫌忌すべき感情である点はもうこの際認めてしまおう。それだけだ。決して頭にも声にも明確には表現すまい。したら最後、今はそんな気分ではないのにそれについて不毛ながら自分を相手に必死の言い訳を連ねる羽目になる。まあそれはともかく。
 その天使の娘と、長らく辛酸をともにした無二の友にして、悪魔にしては珍しくも言葉通り、忠実なる僕を体現してきた彼の執事たる人狼の関係は、良くも悪くも表現に難しい。剣呑でもなく、穏和でもない。仲良くしているとも、喧嘩ばかりとも言い切れない。極めて言葉にし難い関係だと思う。
 まず人狼は娘にいい感情を持っていない。かの娘との約束に固執した彼が、飢餓の辛酸を舐めた末に魔力を失い地獄に墜ちたのは誤魔化しようがない事実。青年は彼の強さに心酔した面も強いため、強さこそ正義の悪魔として弱りゆく主など見るのも苦痛だったろう。だからその原因たる娘を主の前でさえ罵り恨むのは、心苦しいが理解できる。しかし当人と対面して以降は命を救われた恩があるし、月の件で協力的だったこともあり、今はそれほど険悪には思っていないはずだ。反面いまだ彼が頑なに娘と交わした約束を守っているため、好感を持っていると言い切れるほど友好的ではない。
 悪いとは思う。ともに戦う仲間に険悪な感情を持たせる原因を作った自分の意固地を。しかし約束は必ず守るもの。四百年前から胸の激痛にかけて自らに誓いそれをいまだ守る彼は、娘に地獄に堕ちたことへの償いなり何なりを負わせるつもりはない。しかし人狼のほうも、いまだ守られる約束に納得している様子はない。一体誰の影響やら、向こうも向こうで頑固なものだ。
 とは言え、娘が人狼に険悪に思われていることで彼に泣きついてくるような性格かと訊ねられれば全く違う。
 波さえなくばたちまち水鏡に変貌する湖めいた清い精神を持った娘は、同時に彼が呆れる程度に粘り強くもしなやかな鋼の心の持ち主だった。皮肉陰口はさらりと往なし、真っ向からぶつかってくる相手には余裕を忘れぬ笑顔でもって反撃さえする。が、発言そのものは辛辣なくらいなのに言葉遣いは優雅なもので口汚い罵り言葉が出たことは一切ない。
 当然、人狼とのやり取りもまたそんな調子で。二回にも及ぶ大恩に礼さえも言わぬほど頑固な青年に、彼女は端からそんなものはあなたに期待していないと軽く笑って受け流し。それどころか、死神の少年に呆れながらも諭す男に、優しいところもあるものだと真っ先に指摘してからかうほど。
 地球から『恐怖の大王』を退けて以降、天使となった娘とふたりで会話をする機会はそれなりに生まれたからその手の話題も勿論触れた。看護師として働いていた際、人狼のように頑なな態度を取る患者は割合多く、そのためああ言う手合いには慣れているらしい。それどころか話し甲斐がありますと、娘は余裕たっぷり笑ってさえいた。天使だからと余所者扱いすることもなく他人行儀に振舞うでもなく、きのままの嫌悪を曝け出す人狼の吐く毒は、なり損ないプリニーの少女やその妹、死神の少年からは得られぬ刺激となって彼女の脳を活性化させているらしい。
 だから娘は多分に、人狼との舌戦を楽しんでいる。人心に賢い人狼も、楽しまれている自覚はあるだろう。そのため娘との会話を避けたい気持ちがあっても、守りの一手ばかりは癪に障る。ゆえに先制攻撃なり反撃なりでどうにか相手をやり込めようとする気概も強く、結局二人は殺伐とした言葉の応酬を交わし合うことが多い。それぞれの勝率がどんなものかは当事者間しか知らないが。
 彼もまた、二人の会話は今まで何度か耳にしたことはあった。二人もさして隠し立てする気はないらしく、よくもまあそれだけ頭と舌が回るものだと呆れんばかりに口八丁なやり取りを交わしていたか。
 悪いことではない、はずだ。仲間同士で殺し合うより余程健全で穏やかな関係だろう。同党員として無理にでも仲良くしろといつかの姉妹に命じたときほどではないが、二人ともその点はよくよく弁えているため物騒なことを起こしたことは一度だってないし、起こさないようにするだろう。
 彼とて二人が親しくなることを望んでいる。娘のほうはともかく、人狼の天使への態度が少しずつでも和らいでいくのは単純に喜ばしい。
 けれど。――けれど、親しくなりすぎるのは。いやだ。などと思うのは、党首として、また二人とそれぞれ強い絆を持つものとして、どうなのだろう。やはり独善に過ぎるのか。そう思うと、自然と丁寧かつそれだけ重いため息が漏れてしまう。本人は数えていないが、さっきからため息はこれで五度目だ。
 ついに彼はかたちだけでも仕事をする気さえ失せて、ペンを机に投げ捨て代わりに自分の頭に手を添えた。こめかみに白手袋の親指がぐ、と食い込む圧力は痛みに近く、思考を切り替える絶好の機会だったのかもしれないが、彼はいまだ黒い靄に捕らわれることを望んだ。否、望まされた自動的に。
 あの二人の仲が険悪なのは喜ばしくない。それは事実だ。だが同じくらい、あの二人が親密になるのも嬉しくない。そう思ってしまう自分に、彼は何より強い矛盾を感じていた。
 理由は。わからないわからない。わからないからこそ彼はこうして悩んでいる。形容し難い感情に思考の多くを絡め取られ、堂々巡りに陥るよう仕向けられている。しかしここは冷静に。まずは段階を踏まえて考えようではないか。
 無二の友と約束の娘。どちらも種類は違えど彼にとって親しみ深い相手だ。その二人が、友のように気安く、皮肉っぽくもないやり取りを交わすのが普通になったら。想像は難しいが、あの娘はどうにも人の調子をのんびりと狂わせる空気を放っているらしい。彼もご多分に漏れずその効力に負けた経験を持つ。だから人狼にとってはあまり良くないことかもしれぬが、いつしかそれなりに二人の間にも穏やかな空気が築かれるのだろう。例えば四百年前、彼女と彼が言葉を交わしたときのように――。
「いかん、それは……駄目だ」
 過去、人間だった娘とともにいた記憶の光景にある自分の位置を人狼に置き換えただけで、猛烈な何かがこみ上げそうになって彼は慌てて首を横に振るい、そんな想像を無理からに払い落とす。
 何故かはわからない。なのにそう考えただけで、尋常でないほどの圧迫感かそれに近いものが頭の中で濃くなった。それだけではなく、微かに動悸が激しくなったような感覚さえも覚えて彼は戸惑う。
 けれどおかしいではないか。あのときの自分と娘の関係は、約束を交わした悪魔と人間ただそれだけで恋愛譚めいた浮つきなどなかった。奇っ怪にも悪魔を怖がらない脳天気な人間の娘と、そんな娘を怖がらせようと会話を糸口にして手がかりを探す気高き悪魔の関係で。それでも娘の性格上、殺伐からは縁遠い空気に包まれていたから、あの頃の状態がきっと彼が二人の関係に求めるものに一番近いのだろうと判断したのに。
 いまだ彼の頭は、それらの想像を強く拒絶する。恐れている。理由は。わからない。考えたくない。
 ならば別の切り口だ。死神の少年のように、プリニーもどきの少女とラスボスを目指すその妹のように。後者は娘と同性なのもあってすり合わせに無理があるとして、前者はどうだろう。例えば娘が偶然に茶菓子が焼けたからと言って少年をほかの仲間と一緒に誘うように、人狼を茶会の席に呼んだりしたら。
 悪くはない関係のはずだ。甲斐甲斐しく客人たちをもてなす娘の笑顔に気を削がれ、人狼はいつもの険を引っ込め大人しく茶を飲みくつろぐ。
 けれどそれもまた彼にとっては予想以上に困難な仕事だった。くつろぐ人狼の姿を思い描く作業がまず難所なのだ。まあ青年は彼の僕である以上、主の前でだらけた姿を見せることが前提としてないからだろう。彼の眼前では誰かに凄む以外、直立が基本の男だ。椅子に腰を預ける姿さえ数えるほどしか見たことがないし、相手も自分の視線に気付けばすぐさま立ち上がり無礼を見せたとわざわざ頭を下げるほど。体を少し休める程度でそれなのだから、主以外の人物に心を許すこともあの男は避ける。仲間内では最も長い付き合い彼の目が届く範囲で、人狼がよその誰かを相手に親しげな会話をしていたことさえ見た記憶があるかどうかも怪しいところ。
 そこまで徹底した主従関係の中では、あの人狼が誰かにそう皮肉っぽくもない笑みを向けることも、険のない言葉を投げかけることも想像に難しい。だからあの二人の関係の軟化を求めていながら、それを具体的に思い描くことを避けてしまうのではないかと彼は自ら結論づける。
「……そう、かもな」
 少しの安堵と納得を覚え、彼は小さく頷いた。そうなのだろう。きっとそうだ。そうだとも。ああそうその通り。あの二人が、自分が間に割り込めないほどの関係になることを恐れているからなんてことではない――いや、それを言うならもうとっくに。あの二人は、あの二人の間でしか互いにあんな態度を見せないのではないか。一種独特の、あの二人だからこそ築かれた絆が二人の間にあるのではないか。なんて。
 油断した頭が明確な思考を生み出してしまった途端、黒い靄の正体が一挙に暴かれて、その衝撃と微かな痛みと自らへの失望に彼は知らず乾いた笑いを漏らす。聞くもののいない笑い声は随分と頼りなく、発言者が彼でなければ泣きそうだと表現しても構わなかったくらいだろう。
 しかしこれで、ここ暫く彼の胸中に立ち込めていた不安の正体は見えた。狭量で幼稚な己に嘆息し、彼はこめかみにやった手でくしゃりと自分の髪を掻く。当然気は晴れやしない。まあ、ある意味では晴れたが別の意味で気が重くなった。正直、こんな気持ちなど知りたくもなかった。
 けれど成る程、そんな自分の醜さに気付けば過去の自分と娘の姿を、今のあの二人に当てはめるのを避ける理由もよくわかる。
 今も昔もほっそりとしているものの柔らかさを帯びた線をあちらこちらに宿す娘は、彼にとって十分に女らしい肉体の持ち主だ。率直に女らしさを推し量る対象になりがちな胸や尻だけではなく、丸い肩や華奢な首、しっとりとした腿など全体的な印象を見た上で特にそう思う。
 人狼は悪魔ゆえ、ときの流れによる変化はない。出会った頃から容姿の変わらぬあの男は、狼の血を引くためかやや胴が長いものの、男性的な逞しい肉体となめし皮に似た色味の肌を持ち、魔力を失い退化した彼が視線を上げねばならぬ程度に上背がある。昔なら、彼も青年と同じくらいだったのに。
 つまり二人は、現在彼の仲間のなかでも見るからに男と女の特徴を持つ容姿であって。だから二人の距離が近付くことはそうではないのかと、安易にも下世話な想像をしてしまいそうになって、しかもそれはきっと今の自分がそれぞれ二人の横に立つよりも馴染むのではないかと思ってしまって、そこに彼は、何よりも危機感を抱かずにはいられない。
 二人が立ち並んだ光景を想像するだけでそこまで考えるのはいかにも杞憂。過剰に過ぎると彼とて理解している。それでも胸騒ぎが消えないのは、もう一つまた別の理由がある。
 二人は互いを相手にしたときしか、あんな顔をしないから。
 人狼は、忠誠を誓って以降はどんなときであれ彼には服従の姿勢を取る。常に穏やかなり澄まし気味なり自慢げなりと笑みを浮かべ、呆れも純粋な気持ちも含めた賞賛の声を浴びせ、明らかに反発したことなどあの約束に関わること以外なかった。しかしその約束への反発にしたって、痩せ衰えた主の身を慮った果ての行動だ。誇り高き意志を穢し、傷付け、出し抜いてやろうなどと言う気概はない。
 そんな青年に比べれば、娘は彼に多くの表情と姿勢を見せてきた。人間として初めて出会った頃は人懐こくも清楚さを忘れず。天使として転生し、正体を隠していたときは冷たく他人行儀に、しかし性根の清さと優しさを垣間見せ。正体が判明して以降は、少し申し訳なさそうに、それでものびのびと穏やかに。
 両者の今の態度を嫌っている訳ではない。不満はないことはないが概ね満足できている。けれどきっと人狼はこれから先、彼に歯を剥き出し獰猛に、油断がなくもこれぞ悪魔とばかりに笑うことはなかろうし、天使の娘はきっとこれから先、彼に獲物で遊ぶ猫のような、いたずらっぽく煌めく瞳を長々と向けまい。とは言え、彼は双方からそれらを向けられたいと願うほど被虐精神に溢れている訳ではない。だがそんな表情を宿して対峙した互いの顔は、執務室に戻る最中ちらと見ただけの彼の目に焼き付くくらいに輝いていたのだ。ゆえにそれらはきっと、二人の間にのみ交わされる特別な表情なのだろう。それが彼にとっては何より――。
「……そんなこと。我が儘に過ぎる」
 自覚はある。
 けれど二人の間には恐らく、彼であっても割り込めない何かがあるのは確実で、その何かが異性としての発展性を持つものではないことを今の彼は願うくらいしかできやしない。二人に近しく、二人をよく知っているはずの彼はしかし、二人の心までは操れないから。
 むしろ変に遠慮なぞされたくない。どうあっても彼との約束を貫く心根に、正しく優しく強く澄んだ心根に、感慨を受けた身の上として、二人には自由ながらも気高く生きていくことこそを願う。
 だから決して口にはすまい。つまらぬ独占欲から、それぞれの心に俺を忘れるなと喚き立てるなぞ浅ましくてならない。だがそう自分に言い聞かせると言うことは、裏を返せばそうしてしまいたいと内心望んでいる証。
 避けようもなく醜い己を突きつけられて、彼の胸に穿たれた杭の奥が毒を受けたかのような痛みを放つ。いっそこんな感情になど気付かねばよかったが、気付いてしまった今ではあとの祭り。後悔が全身に粘こくまとわりついて、頭痛さえ覚えた彼は眉をしかめた。
 それにしてもただ油断なく笑い合っている二人を見た今でさえこんな調子では、もし彼が最も厭い恐れる展開が現実になると一体どうなってしまうことやら。
 力なく息を吐きながら気軽に自分の頭に訊ねかけたつもりでも、やはり彼の脳はその想像を拒絶した。あの娘の肌に触れる人狼など描きたくないと。あの人狼の指を受け入れる娘など考えたくないと。もう一方の彼は、そんなふうに怖がる自分を受け入れる。今のあの二人はそんな関係を匂わせていないのだから、無理をせずとも構わない。想像だけでも自分を傷付け何の得になると冷静に。
 だが未来はどうなるのかわからない。彼の恐れる日が来てしまうのかもしれない。今から覚悟も決めずにそれを受け入れられるなんて、とてもではないが思えないのに。
「……情けない……」
 自らの死への覚悟など、生き物なればあって当然。不意に罵られ裏切られ暴によって意思を通される覚悟など、悪魔なればあって当然。そのはずなのに、二人の親しきものたちの未来を考えようとすることは極端なくらい恐れるなんて。いつの間に自分はこんなに弱く、狭量になったのか。
 あの人間の娘との約束のせいで変わってしまったといつだったか人狼に非難めいて言われたことがあったが、もしそうだとするなら今更娘と出会ってしまったことを僅かばかり後悔してしまう。そう自嘲気味に思った彼ではあるが、結局のところ芯から後悔する気なぞいくら待っても湧いてこなかった。
 娘と出会い約束を交わさなければ、その約束を四百年経った今でさえ守っていなければ今の彼はいないのだ。約束をしないまま、単なる犠牲者の一人としてあの清き人間の娘の血を吸い尽くすなど愚の骨頂。以降の彼は平穏を送れたかもしれないが、それだけ怠惰で物足りない時間ばかりをいたずらに過ごすことになろう。あの娘と交わした約束を破るのもまた同じか、それ以上に愚かしき真似。たった三日とは言え言葉を交わした彼女への気持ちも、自身が感じた胸の激痛も、また自らの誇りでさえも踏み躙った惨めな吸血鬼の末路など考えたくもない。
 だからきっと、これでいい。今まで信じてきたこの歩みこそが、彼にとっては正しく胸を張れる選択の結果で、現在進行形で醜い己に悩まされる彼のこの苦しみでさえも、いつか何かの糧にはなるのだろう。いずれ訪れる未来への覚悟か、そんな未来は認めないと躍起になる切欠なのかはわからないが。
 けれどできれば、この不安が杞憂であってほしい。後者を選び彼がひとり足掻いたところで、自分以外のもののの心はどうにもならないのだから一縷の望みくらいは持ちたい。そう、祈らんばかりに強く願っているのに――。
「申し訳ございません、ヴァル様。下らぬ小用に予想以上に手間取りまして……」
 いつも通り、にしてはややぎこちなく焦ったような笑みを浮かべながら扉を開けた人狼は、珍しくノックもしないまま執務室に入ってきて、彼は少し驚きつつもいやと首を横に振る。この青年はときと場合により、下手をすれば彼よりも多忙になりがちだ。そのためそんなことは今に始まったことでもなく、気にしてもいない。それに正確な時間を把握していないが先程、あの娘と話し込んでいたではないか。だから彼は先の頭を埋め尽くしていた不安を振り払うように、笑って己の寛容さを示す。
「アルティナに捉まったくらいで怒りはせん。あいつもお前が多忙なくらいはわかっているだろう」
 なのに人狼は、彼の言葉に何かの引っかかりを覚えたのか短く、瞬くような間でしかないけれど硬直して。次に微かに首を傾げてこう言った。
「……はて。何のことでございましょう」
「……いや、先程お前とアルティナが」
「閣下の気のせいではございませんか。今日のわたくしは、あの女と一切口を利いておりませんが」
「…………」
 完全にいつも通りの穏やかな表情で断言した人狼に、しかし彼は騙されない。見間違いなどではなかった。そうであってほしいくらい、あのときのあの二人は彼の眼に強烈な印象を残して笑いあっていたのに。どうしてあの会合を隠そうとするのか。あのとき、この二人はどんな言葉を交わしていたのか。自分に隠さねばならないような内容だったのか。例えば、どんな。
 胸のうちに立ち込めた靄の正体はわかっている。けれどそれが怒りに、見捨てられたような悲しみに変貌を遂げつつあるのは初めてで、彼は奥歯を噛み締めた。ここで感情を吐露するのは、きっと酷くみっともないことだろうから。
「……そうか。お前がそう言うのなら、そうなのだろう」
 必死の努力を要して人狼の話に合わせるつもりで吐いた言葉は、いつも通りの調子に聞こえたのだろうか。男はそ知らぬ顔ではいと鷹揚に頷いて、これからの予定を彼に告げた。


「いい加減、そんなに警戒しなくてもよろしいんじゃありませんの? どうしたってわたくしは、あの方にとって今のあなたの位置には納まれないんですから」
「納まられて溜まるか。オレがどれだけあの方のそばにいると思っている」
「少なくとも、この魔界にいる誰よりも長くおそばにいらっしゃるのだと思っていますけど」
「ふん」
「ですから、あなたにはもう少し余裕を持って頂きたいところです。あの方が大切なのはわかりますが、だからと言って自分の望むように誘導していいことにはなりませんわよ?」
「誘導してなどいない。オレは閣下をつまらぬことで思い煩わせぬよう、優先的に道を造っているだけだ」
「それを誘導と言いますのに……もう、その自信は一体どこから来るのかしら」
「決まっている。閣下への忠誠心からだ。閣下もオレの為すことを褒めこそすれ、貶されることなど絶対にない」
「あらあら、見事な信頼関係ですわね。少し妬けてしまいますわ」
「…………」
「どうかなさって?」
「何も……いや、せいぜいオレと閣下の絶対的な絆に妬くがいいと思ってな。貴様はどうせあの小娘や小僧よりも閣下と付き合いの短い身の上。オレにとっては歯牙にもかからん」
「ふふ、辛辣な事実の指摘をどうもありがとうございます。けれどそれにしてもおかしな話もありますのね。あの方と付き合いの浅い女に対して、どうしてあなたはそこまで喧嘩腰でいらっしゃるのかしら」
「決まっている。貴様が気に食わんからだ」
 ――決まっている。お前がときの長さなどまるで無視して、誰よりもあの方の心を縛っているからだ。





後書き
 オールキャラ連載のやつと似たような感じの閣下目線。大人組三人は三人ともそれぞれ残りの二人に対して嫉妬抱いてるといいなーと。ちなみに平気で言えるアルティナちゃんの悋気が一番浅いのはご愛嬌。あと実際のところ、一番4の男女間でバリエに富んだ関係を表現できるのはフェさんとアルティナちゃんだと思います。
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