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束縛するは我にあり

2014/03/08


 冴え冴えと輝く月を背負い、灼熱の溶岩を足元に轟かせ、見るものを不安に陥れるほど歪に佇む魔王城――の近隣、およそ徒歩にして二十分ほどの位置に平原がある。
 広大な魔界の主にして王が住む地の近隣である以上、極寒極暑だの毒霧を吐く沼だの大量の罠だの魔神どもの巣窟だのが跋扈してもいいはずだが、実際はそれらの予想を裏切って気候は通年穏やか明るい緑が萌え茂り、爽やかな風を有効活用するための風車小屋がぽつぽつあるほど牧歌的。当然ながらそんな土地で暮らすのは打たれ弱い魔翔族だの無害な部類のいたずらを好む妖霊族だの日向ぼっこを生活の一部とする寝子猫族だので、魔神など草の根かき分けたところで影さえなかろう。
 つまり『嘆きの平原』と称される魔王城近隣は、魔界でも五指に入る勢いで平穏平和。ともすれば争う気のない下級悪魔たちの楽園と化していて、殺意たっぷりの剣戟だの掠っただけでも身を滅ぼさんばかりの衝撃波などに縁がない、はずだったのだが。
「しッ!」
 紅き魔力の固まりが、巨大な刃となって草原を一閃。その中に不幸な悪魔が隠れ潜んでいれば、綺麗に二枚に卸されていただろうほどの威力で。
「おらッ!!」
 続いて殺気たっぷりの一撃が矢のように放たれ、その延長線上に遠く、雲を目指して競争していた魔翔族の兄弟の兄のほうに見事直撃。憐れ彼は太陽に蝋の翼を溶かされた少年の如く、儚く散って落下した。
 しかし末恐ろしい魔力の暴走は止まらない。花を焦がし、地面を抉り、木々を切り裂き、風車を砕き大地を揺るがし物騒な風さえ巻き起こしと辺りを破壊し続け――昼寝中だった寝子猫族は血相変えて丘一つ向こうの安全圏へ自主避難、妖霊族も原因にちょっかいをかける余裕さえなくとにかく遠くを目指して退避という、ここらを根城にしている悪魔たちにとっては大いなる災害を巻き起こしているのはさて一体誰なのか。
 上級悪魔同士による殺し合いか、悪魔貴族間による技の見せ合いか、はたまた魔神たちのじゃれ合いか。
 結果的にはどれも不正解。破壊をもたらす魔力の渦の中心には、人型悪魔がふたり。向かい合う赤毛の少女と青年は、実力としては魔神相応だろうが本人たちはその手の手続きに無頓着だったり不用意な権威を嫌ったりの、階級を持たないため一応『ただ』の悪魔同士であり、平たく表現するなら喧嘩の真っ最中が的確だろう。
「っし! ふッ、てや! ぁああッッ!」
「………………」
 しかし正確にふたりの行動を見届ければ、四肢は黒皮のロングブーツと長手袋で固めていながら、真っ平らな胴体は最小限しか隠せていない少女のほうが攻一線とわかるだろう。彼女と相対する側、真紅の槍を最小限の動きでかわしいなし、ときに受け止める黒いコートに身を包んだ痩躯の青年は、一度も相手に撃を放っていない。それどころか猛攻を受けても静かな目元に、敵意の一欠片でさえあるかどうか。
 だが少女はそんな男にやはり遠慮なく、紅い瞳に嘘偽らざる殺意さえ込めて、まずは柄側で顎に一撃。
「でぇえ!」
「…………」
 青年は両腕でそれを封じきるが、弾かれる前にと少女、続いて足で横腹と鳩尾に一撃ずつ叩き込む。
「だらッ!」
「…………」
 不意を打たれて男の重心がかすかに歪んだ。が、完全に膝をつかないと知っている少女は留めに頭に一撃。先まで片手で操っていた槍を、両手で構えありったけの魔力を込めて。
「おっりゃあああっっ!!」
「…………っ!」
 さすがにこれは効いたらしい。それまで細身ながら大樹のように揺るがなかった青年の姿勢が崩れ、そのまま後ろへ大の字で倒れ伏す。
 しかし倒れた場所が天然の絨毯よろしく瑞々しい芝が覆う草原のせいか。重量感のないとさりと軽い音を聞き、勝者は思わずの風情で鼻白んだ。
「……倒した気しねー」
「すまない」
 しかも盛大に倒れたはずの敗者に平然とした口を利かれ、少女の眉間の皺は更なる深度を増す。しかし死体蹴りに興じるほど不毛な考えに取り憑かれてはいないようで、男の近くの岩に仏頂面のまま腰を下ろした。
「あと何分くらいで起き上がれそう? できれば陽が沈む前にもう三回くらいはっ倒したいんだけど」
「短時間の自然治癒は無理だ。お前のプリニーの中に元僧侶はいないのか」
「あいつら連れてきてないっての。だからわざわざこんなところまであんたを呼んだんだけど、そんなことにも気がつかないの?」
 少女の物言いも内容も、ついで男へ向ける眼差しさえ刺々しいことこの上ないのに、青年は空を眺めたままあっさり告げる。
「すまん」
「…………」
 短気な銃魔神族あたりにそんな謝罪をすれば神経を逆撫でしかねないし、今までの少女の態度から同じく更に不機嫌になりかねないのだが。
 何を思ったものやら。むっつり噤んでいた口から大きなため息を吐き出した彼女は、ポシェットからカラフルな包装紙の固まりを一つ取り出すと、ほいと青年の胸に投げた。
「気休めくらいにはなんでしょ。そいつ食ったらとっとと起きてよ」
「……ああ」
 脳震盪の影響もあり、探るように自分の胸に転がったものを手にとった青年はゆっくり中身を確認する。飴玉かと思いきやケムシ団子だったが、悪魔にとってはそちらのほうが有り難い。
 少女の側も一旦休憩するつもりになったようだ。もう一つのポシェットから高級そうな箔押しがされた包装紙と銀紙を剥いて、ドライフルーツたっぷりのチョコレートバーにかじりつく。
「はぁ……。んあーもーむかつく! あたしの六万四千ヘル!!」
 しかし甘いものをもってしても、彼女の機嫌は直る見込みがないらしい。それとも腹のうちに溜まっていた不満を声に出して吐き出せるくらい怒りの度合いが薄れたと受け止めるべきなのか。器用にもチョコレートを貪りながら愚痴を吐き連ねる。
「っん、大体なんなのあのイワシバカ! 人がちょっと寝た隙に隠しカメラ全部回収するとか、あいつやっぱ中身把握してんじゃない!? つーかむっつりよ、むっつり! 真面目そーなツラしてるけど絶っ対女ったらしの種馬気質! ド助平! ド変態! 見境なし!」
 聞くに堪えない罵詈雑言だが、対象が自分ではないからか青年はケムシ団子の咀嚼に集中し、鼻から上はぴくりとも動かない。心の中においても凪いだままなのは、無表情を抜きにしても容易に想像できただろう。
「……しかもこの超絶美少女エトナ様をガキ扱いとか見る目ないにもほどがあるわ。ま、乳さえありゃ天使でもいいとか処女大好きとか吸血鬼らしいっちゃ吸血鬼らしいけどね!」
 酷い言い草ではあるがそもそもの話、少女は吸血鬼という種族そのものにいい印象を抱いていない。
 記憶を奪われ下僕よろしく魔王の息子用の間者として扱われた屈辱的な過去の影響も大きいが、そうでなくても彼らは生まれながらの上級悪魔。夜魔を男に変えて狡猾さと傲慢さを増した彼の連中は、何の後ろ盾もない彼女のような悪魔をあからさまに見下してくるのが常だった。
 とどめとばかりに昨今の事件だ。その出来事は彼女の吸血鬼に対する敵意をがっちり固定して、いまだ恨み辛みは晴らせていないし晴らそうにも晴らせないのがまた腹立たしいったら。
「プリニーどももプリニーどもよ! あいつらだってもとはと言えば罪人のくせしてなにが『約束』よ! テメエに都合いいほうにつきやがってあんのクソッたれども……一週間過ぎたら絶対ブッ殺す!!」
 広大な草原に響き渡るヒステリックで物々しい少女の喚きに、倒れていた男がようやく微かな反応を示す。否、咥内のものを嚥下しきっただけかもしれないが、それまでだんまりを決め込んでいた唇が薄く開いた。
「やめておけ」
「あ!?」
 木偶の坊が自分の意志に水を差す気か――と、プリニーたちが一目見れば直立不動で気絶しかねない眼光を宿す少女に、やはり青年は顔色一つ変えずに言い放つ。
「お前に『クソ』は似合わない。あまり使わないほうがいい」
「…………そっち?」
 気が削がれたどころではない。少女は思わず肩を脱力させ、あやうくチョコレートを落としかける。幸いそれはなんとか防げて、けれど気持ちに水を差されたのは間違いないので苛立ち紛れに一口齧った。
「今更言葉遣いを注意されるなんてね。あんたと一緒に暮らしてた時期は忘れたけど、あたしはあたしよ。あんたの命令なんか聞けるかっての」
「命令のつもりはない、俺はお前に頼んだだけだ。お前の言うとおり、今のお前はお前として生きている。聞くも聞かないもお前の好きにすればいい」
 淡々とした男の返答に、少女はますます面白くなさそうに鼻を鳴らす。それでも強く滲むのは不愉快さではなく、むしろどう受け止めるべきなのか答えを出せなさげな苦々しい貌でぼやいた。
「……頼みってなにそれ。聞いてほしいんなら命令でしょ」
「俺はお前に命令する資格などない」
 やはり男の口調は淡々としているのに、その言葉に異様な重さを感じ取ってしまったせいか。少女はふと瞼を伏せ、先までとは考えられないくらい小さな声で呟いた。
「……資格とか。相変わらず頭堅いのねバカ兄貴」
 それに応じる声はない。が、少なくとも彼にはきちんと届いたようだ。無気力なはずの紅い瞳がちらと少女のほうを探る。
 ついで二人の周囲の空気がなんとなく和らいだからか。慎重に上半身を起き上がらせた青年は、コートについた汚れを軽く払いつつ妹に訊ねた。
「それで。俺が呼ばれた理由は聞いていいのか」
「ん? 言ってなかったっけ?」
「ああ。何も言わずサンドバックになれとしか聞かされていない」
「あー……」
 横暴極まる、少なくとも血の繋がった兄弟相手にすべきではない命令だが、それに応じた男も男である。尤も、常日頃からプリニーを横暴に扱っている彼女にとっては命令を下す相手が兄に変わったくらい、さしたる罪悪感はない。ないが、それでも念のため事前に釘を刺しておく。
「全部聞いた上であたしを責めないなら話してやってもいいわよ」
「ああ。頼む」
「……あっさりしてるわね」
 だが無意味に返事を先延ばしにされたり、聞いてから判断するなんて曖昧に中立を気取られるよりは余程好ましい。そのため彼女も咳払い一つで気持ちを切り替えて、つい先日起こった出来事を語り始めた。
 それは少女――エトナが住む魔王城に、そこそこの期間をかけて建設中だった大浴場がついに完成した日のこと。城内のプリニーを使った増築工事のため、当然ながら現場監督も兼ねていた彼女は、事前に浴場内に幾つかの隠しカメラを仕掛けるようしもべたちに命じ、隠し撮り映像で小遣いを稼ごうと一計案じたのだ。
 カメラの最終チェックと隠し撮り映像を金に換えるルート確保の第一歩として、綺麗好きな知己の三人の女天使を最初の生け贄に決定。当日夜、三人はまんまと彼女の誘いに乗って、浴場中を裸のまま歩き回ってくれた。
 お陰で裸体図はきちんと撮れたし、更に幸運なことに被写体たちには最後までカメラの存在がばれずに済んで、これが安定した収入源になる予感さえしていたのに。映像の確認中、地獄のプリニー教育係、血を吸わない吸血鬼がそれらを破棄するよう説得しに現れたせいで彼女の計画は陰りを帯びる。
 プリニー経由で彼女の企みを知った吸血鬼は、欠片ほどの魔力もないくせに妙に強かった。力にものを言わせて返り討ちにしようとした彼女は、反対に手下のプリニーどもの前で惨敗を帰し、くだんの隠し撮り映像を全てその男に処分されてしまったのだ。
 加えて誰の仕込みかは知らないが、あのときの男は録音媒体を所持していたらしい。プリニー世話係との約束を破ればただちに昨夜の出来事を録音したテープを城内にばら撒くと記されたカードが翌朝、起床直後の彼女の枕元に届けられた。
「……まあそんくらいならまだ別にいいわよ――いやよくないけど。ただフロンちゃんたち巻き込まなきゃいいだけだし、カメラの場所まではわかってないはずだから元手は回収できるって思ってたんだけど……」
 翌日、誰もいなくなった隙を見計らい浴場に忍び込んだエトナは激しく舌を打った。カメラを隠した箇所は全てコンクリートを流し込まれ、通りがかったプリニーを脅して話を聞けばそこに水漏れが発生したので急遽工事が行われたとのこと。実際にはそんなはずはなく、隠しカメラを回収してその痕跡さえも隠滅するよう吸血鬼が事情を知るプリニーどもに命じたのだろうが、たった一晩で完全に計画を潰されるなんて思ってもいなかった彼女の憤りたるや。
「あぁあああああもうあんの変態吸血鬼……ッ! あのホモ狼にケツ掘られろっての!!」
 吸血鬼の忠実なしもべと抜かす割には胡散臭い人狼を思い出し、ついでにそいつが夢見るような目つきで主をこっそり見つめていたはずが唐突に我に返りしっしと自分を野良犬相手のように追い払おうとしたことも思い出し、エトナは自分を出し抜いた男の恋が潰えるよう本気で願う。
 物騒この上ない願いだが、そうなるよう実行に移さないのは彼女をよく知るものにとって奇跡に近かろう。勿論願いで済んでいるのは、カードに書かれていなかったものの吸血鬼に害が及ぶ場合でもテープをばら撒かれるのではないのかと危ぶんでいるせい――そんな脅しを考えついたのが誰であれ、悪魔なら都合のいいように割り切って他者を貶める機会は見逃さないものだし。
 そんな訳で小遣い稼ぎの計画を完全に潰され、おまけにその潰した相手への復讐の機会も潰され、手っとり早い八つ当たり先のプリニーを投げることさえできない状況を強いられたエトナは、だからこそ城の外部者でありながら彼女の味方であるはずの兄ゼノリスを呼び出したのだ。
 以上、事情をあらかた説明し終えた彼女はすぐさま聞き役をねめつけた。これでこの男が吸血鬼の肩を持つなら、またサンドバックになるよう命じねばならないからだ。
 物騒な期待を双肩に受けた青年はしかし気圧された様子などこれっぽっちもなく、それともやはり他人のことなどどうでもいいのか。平静な表情のまま妹を見返す。
「金に換える当てはあったのか」
「え……? ああ、まあ……殿下って言うか、クリチェフスコイ様の臣下にね。そいつんとこに持ち込んだらいい小遣い稼ぎになるだろうし、こっちの実力もわかってるだろうから出所もバラさないって信頼でき……」
 る、のだろうか本当に。
 吸血鬼とは正反対にプライドのない、いや金になるならプライドさえ売り払う金の亡者を思い出し、エトナは酢でも嗅いだような顔になった。
 もし吸血鬼に見つからず、隠し撮り映像をあの豚鼻に売るとしたら。当然、中身の確認も見積もりもあの悪魔貴族が直々に行うだろう。その流れでいけばこちら不愉快な助平面を前にひたすら待たされて、ようやく見積もりに入ると思えば天使の需要はないだとか肝心なところが見えないだとかみみっちい文句をつけられ、破格の買値を提示されられるのはまず間違いない。
 いくら食い下がったところで、まずその手の映像の相場に無知なエトナが適正価格をずばり言い当てることは不可能。追々本当の価格を知った際、それを根拠に豚鼻の居住を襲って有り金かっぱらうのも想像に難くない――と、ここまで考え彼女は悟った。そんな手間のかかることをするくらいなら、最初から力こそは正義とばかりにあの悪魔の有り金を強奪すればいいんじゃないかと。
 気付いた途端、なんとも馬鹿げたことをしていたと自覚させられ少女は空を仰ぐ。悔しいかな、外で暴れて稼げとの吸血鬼の言は正しかった訳だ。
「あんたも、これ狙ってた訳じゃないでしょうね……」
 こちらを眺める兄へじっとり視線を投げかけるも、やはり大したリアクションは得られない。表情が見えないなりに何度か目を瞬かれ、小さく首を傾けられるくらいなもの。
「すまん。何のことを言っているのかわからん」
「あーあーはいはい! そーねそーでしたわねッ!!」
 それが演技か本気なのか。心のうちまで把握させない表情の薄さが、今の彼女にとってはあの吸血鬼の澄まし顔より恨めしい。
 しかし吸血鬼と違って不幸な目に遭えと願えないのは、今現在彼女が直接手を下しているからか。ほかにも理由がなくもない気がしたが、居た堪れなさそうな予感から強制的に思考を打ち切ることにする。
「つか、あんた……」
「だが嬉しい」
 発言を遮られ、あんと疑問符を提じたエトナへ、いつも仏頂面のはずの男は珍しくも口元に淡い笑みを浮かべる。
「……お前にとっては不愉快かもしれないが、お前が友人を売らずに済んでほんとうに良かった」
「そ……っ!」
 そんなことを言われても。悪魔にとってそもそもが友情自体あり得ないはずだし、この自分がそんなものを築いた輩なんていないはずだし、そんなのが勝手にいると身内に思い込まれて、おまけに喜ばれるなんて。
 これまでのエトナの人生の中ではらしくないことだらけの発言に、すぐさま否定しようとするが、口は池の鯉さながらはくはくと虚しく開閉するばかり。動揺と衝撃が酷すぎて、否定の第一声さえすんなり出てこなかった。
「ばばば、ばっかじゃないの! 別にフロンちゃんは友だちじゃないし!」
「甘味巡りに行った仲でか?」
「それは偶然よ偶然! たまたま、チケットが二枚になっちゃっただけで……殿下連れてくとあーだこーだワガママばっかり言うから浮いちゃうし、プリニーどもなんか連れてったって面白くないし、ほかの連中で話合うヤツいないから……!」
「話が合うなら友人だろう」
「だから違うっての! ……その、そう! あの子なら別にいいかなって妥協できるって言うか……! フロンちゃんノーテンキにこっち褒めてくるから、あたしも変に裏読んだりせずに……」
「気負わずに付き合えるなら友人だ」
「だーかーらーっ!」
 いくらエトナが否定しても、彼の中では妹に友人がいるものとして確立したようだ。どう説得しようがこの調子なら覆りそうにないと判断した彼女は、渋々無言で肩を落とす。と、そのままでも十分だったのに男ときたら。
「『ちゃん』付けで他人を呼ぶのも珍しい」
「あんたねっっ!!」
 しっかり追い打ちで留めを刺してきて、思わずエトナの尻尾が逆立つ。もしやサンドバックにされた復讐なのかと訝しんだのに、青年は妹に構わず目元を和らげ呟く。
「……成長したな、お前は」
「………………」
 しみじみと、抑揚がなくてもありったけの感慨を込めているとわかる声音に、少女の怒りはまたしても唐突に鎮火。焼け石に水であればいいのに、巨大な湖へと放り込まれたような勢いで。
 しかしいくら年上の男性で実の兄だろうと、こうも簡単に振り回されるだなんてこのエトナ様らしくない――そう己を奮い立たせようとするも、今の彼女の頭では的確にこの男に一泡吹かせそうな言葉がなかなか思い浮かばなかった。
 敵意を持たない、命令する気がない。操ろうとも戒めようともしない。そんな悪魔は今までたったひとりしか知らないし、そのひととこの男は似ても似つかないはずなのになんだか遠慮してしまって。本当に、やりにくいことこの上ない。
「……あんたはどうなのよ。今まで頼れそうなのいなかったの」
 だから仕方なく、話題に半ば乗る形式で相手のほうへと水を向ければ、静かに首を横に振られる。
「秘宝と一体化していてはな……。そういう輩もいないことはなかったが、気を緩めれば相手の魔力を根こそぎ奪いかねない。親しくなる前に俺から距離を取った」
「…………ふぅん」
 この青年が『絶命の秘宝』と交換するかたちで妹と引き剥がされて以降、魔界各地を転々としていたことくらい彼女だって知っている。否、以前に命じて喋らせたが、それでも平素の口数の少なさもあって彼のことはほとんど知らない。
 それでもエトナがこの男を無碍にできないのは、朧げな記憶のせい。前魔王クリチェフスコイの導きにより、文字通りの伏魔殿たる魔王城に連れて来られた記憶は、彼女にとって最も大切で最も古い思い出のはずなのに。その更に奥、土台のように、明確なものは一つもないけれど温かな何かがあったから。
 それは例えば、誰かの腕に抱かれた温かさや頼もしさ。舌に覚えた果実の甘酸っぱさに川魚の香ばしさ。密林特有の湿っぽい青臭さの中に、落ち着けて、無性に甘えたくなる誰かのにおい。怒鳴り声なんて一度も聞いたことがない、おだやかなひとの声。筋張った手が頭を撫でてくれるその心地よさ。黒が好きだと、格好いいと思うようになったのは、そう思える誰かが身近にいたから。
 けれどそれを明確にしようとすれば、いいやそれよりもうんと前に出てくるのは、吐き気を催す苦痛の思い出。膨れ上がっていくばかりの魔力に泣くしかできない、憐れで無力な子どもの頃の。
 我が身が潰れかねないほどの苦痛に泣き喚き、大好きな誰かを困らせた罪悪感と、それでも魔力を制御できないどうしようもなさ。いつ終わるともしれぬ苦痛と孤独に我慢できず約束を破って、その末で見知らぬ悪魔に見つかったときの激しい恐怖と後悔。何度も何度も助けを求め、喉が枯れても泣き叫んだのに無駄だと思い知らされた絶望の深さを、好んで思い返す悪魔などどこにいよう。
 だからいつしかエトナは命の恩人に助けてもらう以前の記憶を自ら封じ、己を出自は不明のままの、放浪の孤児と認識するようになった。
 それは間違いないと妙な確信があったし、実際のところ雨露を凌ぐ方法にさえ難儀しながら暮らしていたのは紛れもない事実。ただし彼女ひとりで逞しく生きていたのではなく、たったひとりの血を分けた兄とともに、しかも彼の足を大いに引っ張りながらの生活だった訳だが。
「……見捨てりゃいいのに」
「何をだ」
「なんもないわよ」
 ――そんなふうに記憶を改竄してしまって申し訳ないだとか、後ろめたいだとか。勿論今のエトナにそんな感傷、欠片だってない。逆に男のこれまでの辛苦に満ちた境遇を聞けば、いくら嫌みな貴族どもと同じ屋根の下で暮らそうが、自分のほうがうんと満たされていたと実感できるくらい。
 そうともきっとそうだ。なんせこの男ときたらいまだ定住先を持たず川釣りで腹を満たしているらしいし、それに比べてこちらは魔王城の広い個室でしもべだって山のようにいて、スイーツに満たされた日々を送っているのだから。
「あんたはどういうのと親しくなりかけたの。やっぱ妖騎士の連中とか?」
 だからこうしてそう突っ込んだ質問をしたのも、悪魔らしい歪んだ優越感に浸りたいからに過ぎない。それ以外にないはずだと、誰にともなく言い聞かせる複雑な妹心に反してゼノリスずばり。
「夜魔」
「……は?」
「僧侶、妖花、魔法剣士、重騎士……」
「ちょ、ちょちょちょちょちょ……!」
 その口から淡々と並べ立てられた種族名やクラスは、いずれも見目麗しい女悪魔を連想させるものばかりでエトナは目を回した。
 確かに兄の容姿は悪くない、どころか彼女から見ても及第点をやっていいくらいに整っていたし、寡黙で強くて謎めいた雰囲気と気になる要素がずらり揃えば、女悪魔どもの天の邪鬼に似た好奇心がくすぐられるのも納得できる。それでもこの男が放浪先ごとに女を作るなんて、誰が予想するものか。
 そんな妹の困惑を知らぬまま、ゼノリスは更に過去を思い返して苦々しげに嘆息する。
「氷棲……は遠巻きに監視された程度か。俺が飢え死ぬと迷惑だったらしい、近隣の連中から毎日食い物を押しつけられた。猫娘どもは時期が悪かったのか集団で襲いかかられて酷い目に遭ったが……秘宝を奪われる前に通りがかったニルヴァームに助けられた。流れで獣の里にも暫く厄介になったが、あいつには今でも感謝している」
「……か、感謝って……」
 女格闘家たちの里はもともと花嫁修業を積むための場だからか、今でも男の出入りは難しいはずなのにそこで何不自由なく暮らしたのはつまり――。そもそも氷棲族の連中に食事を恵んでもらったのだって、猫娘族に襲われたのだって、彼女たちなりのアピールではないのか。だとしたら。だとすれば。
「……ちょ。ちょっと。おい。ク……、バカ兄貴」
「どうした」
 衝撃的過ぎる告白にいまだ眩暈は取れないが、どうにかエトナは兄を睨みつける。気合いが籠もりすぎて最早殺気の相を呈していたが、自覚がないまま彼女は続けた。
「そいつらと……その、変な約束しなかったでしょうね?」
 抱いたとか、対等な男女として心を交わしたとか。露骨な表現を避けてしまったことを、らしくないと冷やかすなかれ。彼女だって曲がりなりにも年頃の乙女だし、いくら他人にはどうこう言えても身内の話題には生理的嫌悪を示すものなのだ。
 果たしてゼノリスに妹の繊細な葛藤を汲み取れたのか。さして溜めを作ることなく、いつも通りの無表情であっさり頷いた。
「言ったはずだ。親しくなる前に距離を取ったと」
「…………そうだったわね」
 その親しい、の中にはその手の関係になることも含んでいると勝手に解釈したエトナは、大げさなくらい安堵している自分に気付いてまた居心地が悪くなる。いやしかしこれは身内の問題だからこそ。それに第三者の目から見ても、秘宝の影響で流離う宿命を背負わされた孤独な旅と、行く先々の女どもにちやほやされる独り旅では辛苦の重みが違うだろうし。
「それに俺にはお前がいる」
「――――っ!」
 低い、本人にとってはいつも通りだろうが、エトナにとって虚を突かれたに等しい囁きが耳朶に届いて、思わずそちらを振り返る。
 ふたりを隔てる距離は変わっていないはずなのに、まるでそっと撫でるような、やさしく真摯な想いを込めた男の声が続いていく。
「たったひとりの妹を忘れて、気ままに暮らすつもりはない。俺がそうなるときがあるとすれば、お前がそう命じたときだけだ」
「……命じる、ね……」
 自分から妹にはそんな権利がないと抜かすくせに、妹からの命令ならどんなものであれ聞くとこの男は抜かし、事実その通りに行動しているけれど。
 それに歪さを感じ取ったりしないのか。そんな贖罪で妹が手放しで喜ぶと、心底から信じて疑わないのか。だとしたらやはりこの男は。
「……馬鹿」
 膝を抱えながらぽつりと、しかしありったけの感慨を込めて吐き捨てるも、男は依然として無表情。
「そうか」
 そんな言葉程度では揺らがないのか。それが彼にとっての当然なのか。それくらいの覚悟を自分の許可なく勝手に決めてしまったのか。これでは一体どちらが振り回す側なのか、わかったものではない。
 自棄気味に口を尖らせた少女は、ふととあることを思いつく。
 もしやあのとき記憶を取り戻そうと必死になっていたのは、勿論初恋のひとに関する思い出が本命に違いないが、この男の記憶を失うことへの焦燥感もあったのだろうか、と。
「……ぃ、いや」
 さすがにそれはらしくない。ないったらない。
 我ながら馬鹿げた発想だと激しく頭を振り被ったエトナは、それでもなかなか抜けない恥ずかしさから岩から飛び降りる。そうだそうだ。相手はとっとくにケムシ団子を食べ終わっている。もう休憩は終わったのだ。
「ほら、とっとと立ちな! あんたにはあと三回ぶっ倒れてもらうんだからね!!」
 無理に荒々しい口調で命じて、自分は無論、相手の感傷さえも壊そうと目論んだつもりなのに。彼は相変わらず彼女に絶対服従で、いやな顔一つも見せず立ち上がるのがまた腹立たしい。
 どうやったらこいつが困るのか。なんと言えばこの景気の悪い顔を突き崩せるのか。槍を弄びながら考えを巡らせたところで、これぞと思う案はなかなか降って湧いてこない。
 ――だがなんとなく。そう、この男の大切なものはもうとっくにわかりきっているから、そこを突けばいいのではないか、と。つまり。
「……けど防御してるだけの奴なんてどれだけいたぶっても面白くないのよねー。ぶっちゃけすぐ飽きるっつーか」
 兄の視線がかすかに疑問符を浮かべるのを感じ取る。これは手応えありと見て、エトナは小悪魔らしくにんまり笑んだ。ああ、やはり自分はこうでなくては。
「てなワケで、次からはあんたも反撃していいわよ。言っとくけどあたしは全力出すから、あんたが手加減なんかしようもんなら怒るからね」
「……それは」
 今日、初めて。
 男の眼差しが揺れる。たった一度、瞬きの間だがそれでも確かにしっかりと。
 それを見止めた瞬間、背筋にえも言えぬ興奮と甘悪い快感が駆け上がり、少女の唇から吐息が漏れた。鼓動が高鳴り、頬が紅潮し、引き締めようとしても口元がだらしなく緩んでしまう。
 そうだこれだ。自分に服従する男はやはりこうでなくてはいけない。己にとっての譲れぬものと自分からの絶対的な命令を天秤にかけ、苦悩する姿にこそ価値がある。意志がある。たとえ秤の両方に自分が入っていようとも、いいやだからこそどちらを取るかで男の本性がわかる。
 兄は命令通り、自分を傷つけられるのか。それとも命令に背いて自分の機嫌を損ねさせるのか。大切なのはこの身体とこの心、一体どちらだろう。
 エトナにとってはどちらでもいい。兄に捨てられたほうを大いに惜しみ、困らせるだけだ。そうして覚悟を決めたはずの男の心に、またさざ波を立たせてやる。そうして晒してしまえばいい、自分の前だけでしか見せない、この男の本性をたっぷりと。
「んじゃっ、行くわよぉおおっ!!」
「……っ!?」
 かくして彼女は笑顔のまま、相手に思考の間さえ与えず一足跳びで襲いかかった。
 果たして男は、ゼノリスは。滅多にない、動揺を引きずったままのかんばせで妹と槍をしっかと視線で追い。




「…………ちょっと。おい。クソ兄貴」
「……すまない」
「すまないじゃないわよ……。あんた、この落とし前どう責任取るつもり?」
「……すまない……」
「だからすまないじゃなくて……」
「すまん……」
「……ああもういい」
「…………」
「とりあえず……あんた、次あたしが呼ぶときには手土産くらい持ってきなさいよ」
「わかった……」
「つっても下手なもん持ってきたら一生口利いてやんないからね。ゲヘナの海の限定超プリンくらいじゃないと許さないから」
「わかった」
「ほんとにわかってんの?」
「ああ、わかっているとも。エトナ」







後書き
 某所ではびっくりするほど反応薄かったゼノエト? エトゼノ?
 このあとゼノ兄が(無自覚に女誑し込みながら)わざわざ買ってきてくれたのがゲヘナの海プリンでそれを殿下に食べられたとかだったりしたらそりゃエトナさん激おこ家出するよねと思ったり思わなかったり。

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