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Paroniria

2013/11/20

 4Rが出たらアルティナちゃんはきっと笑顔になるよね!
 ということは今からアルティナちゃんがんがんに曇らせても問題ないってことよね!
 まあそんな私は予約特典のアルティナちゃんの掠りもしない現状に思いっきり曇ってますけどね! ってお話。


 月光も届かず、星の瞬きさえもなく。自然界でさえ有り得ざるほど深いぬばたまの闇の中に、淀んだ熱気が渦巻いている。
 そんな瘴気の留まり先の、天から響くのは金属の軋み。あまり手入れのされていない歯車がかち合い、鎖が重なり奏でられる音は、正直に言って生理的嫌悪を催す類のもの。
 しかしそこに集まる人々は賑やかに、むしろそんな駆動音に期待さえ抱きながら眼前の光景を見届けようとしている。
 着飾った彼らの眼下に広がる大多数の面積は、やはり人工的なまでに光を廃した暗闇。の中で、闇を切り裂くかのごとく点るスポットライトが二つ。
 一方の、真っ白な床に横たえていたのはただの襤褸きれ。否、襤褸きれをまとった誰か。
 それは男か女なのか、一概に判断は難しいくらい汚れていたし痩せていた。顔を覆い隠す勢いで伸び放題の艶のない髪は蚤どころか蛆さえ湧き、まとった襤褸は下水路に浸したようなどぶ鼠色で臭いも酷く、浮浪者のほうが服の形態に留まっているだけ余程いいものを着れている。
 襤褸から覗く肌は垢にまみれた赤褐色、なのに不自然に血色が悪いのは常日頃から暴力を受けているからだろう。青あざや蚯蚓腫れ、治っていない火傷の痕どころか、四肢の指には欠けがあったり、不自然に折れ曲がったまま鬱血した箇所がある始末。襤褸で隠された体のほうは更に酷く、血と汗と精の入り交じった悪臭が腹の奥から外へ漂ってくるほどだった。
 まさに文字通りの虫の息。身を焼きかねないほど強いスポットライトをこのまま浴びていれば、いつしか力尽きてしまいかねないのにそれでも人の命とは存外強いものなのか。襤褸から覗く肩はかすかに上下を繰り返し、どうにか生きているらしかった。
 もう一方のスポットライトに立っていたのは、金髪碧眼。眼鏡と鮮やかな紅色の外套を身に着けた、逞しい体格の中年男性。整った口髭の効果もあってか、世にあるすべてを面白がれるほどひょうきんな、妙に人好きのする笑みを浮かべ悠然と佇んでいる。
 こちらは当然、白銀の光に照らされた程度で死に絶えそうな気配はない。むしろこの上なく楽しげに、自分たちを見つめている人々へ声を張った。
「さて、もうそろそろ時間でございますよ皆様! 今宵の出し物、『神は子羊を救い給うか否か』! 不敬なりしわたくしと、美貌を失い家族を失い罪悪を重ね、ただ一つ信仰のみによって奇跡的に命を繋ぎ続けてきたこの憐れなる公爵家の長子! 裁かれるのは一体どちらなのか!?」
 男の口上に人々はお喋りを止め、より一層彼らに強い視線を注ぐ。身を乗り出し、手に汗握り、自分が賭けたほうが生き残るよう、自分の勘に祈りながら。
「先も申し上げました通り、わたくしは彼が生き残るほうに金貨十万枚を賭けました! 今回の出し物でわたくしが死ねば、我が曲馬団はこれっきりで終演と相成りましょう! しかしわたくしが生き残ればこの身一つの素寒貧! 皆様のご支援次第で次の目処がようやく立つほどの綱渡りっぷり!!」
 ああ、我らの道化師。希代のエンターティナー。彗星のごとく社交界に現れたこの男は、以来そのサービス精神と素晴らしい発想、独創的な出し物によってたちまちのうちに人気を博し、今や道化の頂点として揺るぎなき地位に君臨している。その知名度、影響力は帝王の如くと噂され、事実此度の催しとて、彼に取り入るべく名家のいくつかが国を跨いで協力したと伝え聞く。
 そんな世の中のあらゆる悲劇を喜劇に変える天才が、今宵はその貴重な命と小国一つを丸々買えるほどの財力の両方を張って、ひとしきりの放蕩に飽いた自分たちにまた胸高鳴る時間を与えてくれるのだ。
 だからあの襤褸切れが前座がてらに小一時間前、豚に嬲られながら悲鳴混じりに語った身の上話――本人は監禁されて以降の拷問も含めたその告白で同情を売り、観客たちに助けを求めたつもりだったらしい――が全て偽りであっても構わない。その生まれが公爵家ではなく、単なる孤児であっても気にしない。今この瞬間の熱狂に比べれば、真偽のほどなど些末なこと。
「さぁあ、後悔はございませんか! その上で後悔なさる覚悟はできておりますか!!」
 どちらが死んでも愉快痛快。懐は少々痛む可能性があるが、なにこのときの強烈な興奮に比べればさしたることでもない。むしろ放蕩に果ててもなお尽きぬ財は、こんな素晴らしい娯楽につぎ込んでこそ。
 だから死ね。どちらか。どちらでも。いっそどちらも。
 死ね。呆気なく。そうして自分たちがいかに幸運か、悪徳の享楽に浸れるこの身が選ばれしものであるとその命でもって教えるのだ。
 その感謝がどれだけ持つか。たった一晩でさえ持つまい。けれどそれでも我が心に抑揚が生まれるのならそれで十分、その日潰えた生命には価値がある。
 だからどうぞ。どうか。頼むから。
 死ぬがよい。無残に。呆気無く。ああ、どちらでもいい。どうでもいい。早く。早く。はやく!
「さあさあさあ! どうか我ら一大のお出しもの、皆々様、心よりご鑑賞いただけますよう!」
 いつ落ちるか、どちらに落ちるかも知れぬギロチンを待つ人々の熱気を受け、主催の声はいよいよもって高らかに響く。空気は更に粘つき、白銀のスポットライトの中でさえ黒く淀んでいくかのよう。
 そんな中。
 今まで息も絶え絶えだったあの襤褸切れが、だらしなく開かれていたはずの唇を、改めるようはっきり噛む。喉を動かす。それから、振り絞るように全身に力を溜めて。
「……が……、し……を……」
 動く。
 今まで死にかけだったはずの身体を起き上がらせるべく。その気高き意思を、自分を滅茶苦茶にした不遜な首謀者に伝えるべく。噂通り、どれほど痛めつけられても死なない、奇跡的な生命力を見せつけて。
「へーえ、あれだけ滅茶苦茶にされても君まだ喋れたのかい? 凄いモンだね~信者ってのは」
 瀕死に追い込んだはずの襤褸きれに復活されてしまった主催は、しかし気にしたふうでもなくへらりと笑う余裕さえ持つ。他人ごとめいたその態度に、彼はあらん限りの力で吠える。
「我が、信仰を……愚弄すッ……!」
 瞬間。
 その身を杭が貫いた。


「ぁ……!!」
 戦慄く。
 喉とは言わず、背とは言わず。全身が、あのとき受けた衝撃そのままに。
「あ、あ……ァあ……ぁ……」
 吹き出す汗。渋い咥内。ぶれる視界。激しい心音。頭のなかはぐちゃぐちゃの。
 けれど。ああ、わかっている。わかっているとも。あれがとっくに過ぎ去ってしまった出来事なのは、夢見た瞬間から理解していた。
 だが眼前で命が散った瞬間を思い出し、平然としていられるほど強くない。自分はたかが元は人間の、生前の未練をいまだ引きずる半端ものの天使なのだから。
「ぇっ、う……く。あ……ぁぅ……はっ、はぁっ、あ、ぁあっ、あ……あぁぁぁあ……!」
 吐き気を伴いながらも絞り出した嗚咽は人の声であることさえ疑わしいほど醜く、頭の片隅の冷静な部分がしみじみと思う。
 やはりこんな泣き声を放つ自分は天使らしからぬ。人ひとりを救えぬ自分は天使の資格など持たぬ。今すぐにでもこの翼がなくなってしまえばいいと。
「ぅ……めんな、さ……ごめんなさいっ……ごめんなさい……!」
 なのに指も手もその通りには動かない。みっともなく震える痩せた肩を強く抱きしめて、ひたすらに謝罪を繰り返すだけ。
 鼻が詰まった息苦しさが、溢れる涙の熱さが、がちがち鳴る歯、喉の奥からこみ上げる酸味さえもひたすらに憎い。こうして生の実感を得てしまう我が身は、今までどれほどの命を見殺しにしてきてしまったのか。
 そう、頭のなかが言葉を紡いだ瞬間。女の理性が決壊した。
「っく、ぁ……ァアあ、ごめんなさい、ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさぃ……!!」
 何千回何万回と謝っても意味はない。そう知っているのに謝るしかできない。我が身の無力さが恨めしい。この命一つを投げ出して、それで解決できれば今すぐにだってそうするのに。
 ひたすらに女は咽び泣く。自分が助けた命が、今度は多くを殺していく現実に。断罪と言いながら、無実の人々を苦しめていく姿に。
 ――女の名はアルティナ。かつて戦時中とある国境付近の町で看護師として働いていた無力な娘だったが、ある重傷人を発見したことで彼女の運命は破滅へと舵を大きく取る。
 その重傷人は隣国の軍人、しかも捕虜としてこちらの軍に捕らえられたが一度は脱走せしめた身の上だったらしい。彼を救ったことにより、彼女は疑心暗鬼を起こした町の人々に間者の容疑で私刑にかけられ殺された。
 だが話はそれだけで終わらない。
 彼女の治療により一命を取り留めた軍人は自分の命の恩人を殺した連中に復讐を誓うも、その方法が悪かったのか。復讐の前段階として、被疑者たちや私刑を止めなかった町の人々が彼女を悼み、悔いているのか。もしそうだとすれば自分は復讐を止めるかもしれないと、淡い期待を抱いたのがいけなかったのか。
 男は人々の心を探っていけばいくほどその醜さ狭さに傷つき、僅かな可能性にさえ裏切られ、長らくの葛藤を経てついに負の方向に振り切ってしまう。良心の戒めを失った怨嗟は洪水のごとく広がって、むしろ復讐対象か増えていけばいくだけ、その闇は深く粘りを帯びていくばかり。
 次第に彼は娘の死と大なり小なり関わりのある町の人々だけでなく、戦争を引き延ばしていた富裕層、争い合っていた国々、それをも超えて人間という種そのものを憎むようになる。更に罪深き彼らに罰を下さぬ神に怒り、神と相反していながら人々を苦しめる役目を背負っていたはずの悪魔をも呪い――以後、世のあらゆるものを断罪する存在として『生まれ変わった』。
 肉体を失い霊魂のみとなった女は、そんな男にひたすら自分は復讐を望まないと必死に呼びかけたのだけれど、生なきものの声が生あるものに届きはしない。無駄な足掻きは無駄のまま、ついに彼女の魂が掻き消えるかと思われたそのとき、彼女に救いの手が差し伸べられる。
 救ったのは、麗しい容姿に白い羽を背負う少女。神への祈りと理解で成り立つ愛と光の世界、天界の長たる人物が、女の魂に目をかけ、天使として新たな命を与えてくれたのだ。
 早速、彼女はその新しい身体で復讐者のもとへ向かうも、やはり声は届かないまま。世のあらゆるものを憎み、信仰など芥も持たぬ男の目に、天使が映るはずなどなかった。
 けれどこのまま自分ひとりのせいで世界が滅んでしまうのはいやだから、女はひたすらに男への説得に奔走した。その過程で幾度かの惨状を目にしてしまう。あの夢もまたその一端。
「ぅ……なさっ、は、ごめんなさ、ごめんなっ……ぁ、ぅ、く、ぅぁ、あ……!」
 復讐鬼となった男が世界をより効果的に破壊すべく取った手段は、今よりも豊富な資金と更なる権力を手にするため、それを持つものたちに近付き彼らに取り入ることだった。
 その一つが、あの悪辣極まる見世物小屋。彼に興味を持たない、もしくは反発する良家の子息子女を浚い、心身にありったけの屈辱と痛みを与え、従順になるなら商品の一つとして好事家に売り、抵抗するなら死ぬまで屈辱を与えてその命が潰える瞬間さえ見せ物にする。
 生み出されるのは徹底した負の連鎖。被害を受けた人々は隙を作った自らを深く後悔し、己の運命を深く呪いながら死んでいく。彼の復讐に知らず協力する人々は、快楽を追求する名目で極限まで己の心の醜さを露出し、追求し、周囲を犠牲にした末に自滅していく。関わるもの関わらざるもの総てを悪意に染めゆく手腕は並みの悪魔では及びもつかず、もはや誰もあの男を止められやしない。
 そうとも。男が復讐にすべてを捧げる女でさえ、彼を止めることはできない。
「そんな、こと……!」
 ないと言いたいのに、舌の根が強張る。瞬時に蘇る記憶に、胃液が逆流しそうになる。だからどうにか彼女が次に取れた行動は、酸味のきつい唾液を無理やり呑み込んで。それでも溢れ返る衝動を堪えるべく、枕を明後日の方向に力いっぱい投げつける。
 どうやら枕の当たりどころは悪かったようだ。予想外に派手な音が立ってそちらをふと見上げれば、洗面台代わりに使っていた机がひっくり返っていた。当然、上に乗せていた鏡や水差しも割れており、床の惨状に吐き気以上の決まりの悪さが滲み出てきて頭を冷やす。
「っ……は……ぁあ、あ……」
 じんじんと痛みが響くこめかみへ冷たくなった自分の指を添えるも、ろくな効果は得られそうにない。
 涙のあとは乾きつつあるが、粉を吹いてみっともないし鼻もまだ気持ち悪い。窓の外はもう明るいし、頭を冷やす意味でもこれを片付けねばと寝台から降り立ち水溜りに近づいたところで、破片に映る淀んだ水色の瞳に硬直する。
 あの夢の中で見た青年は、霊魂となった直後、割れんばかりの喝采を浴びる『断罪者』――あの狂った催しものの主催者――を背に彼女へまず笑ったのだ。
 ――美しい瞳の天使様。あなた様が、私に神の奇跡を授けてくださったのですね。
 ――あなた様のお陰で、私はあの男たちのような悪を貪る重罪人にならずに済みました。本当にありがとうございます。
 そんなことはない。そもそもあれは彼女のせい。あの貴族の青年が捕らえられ、人買いの獄に入れられ、拷問を受け、また脅されながらも悪行に手を染めてしまったのは、彼女があの男の狂気を止められなかったから。
 確かに青年に信仰心が芽生えてから、彼女はずっと彼の肉体を癒し続けた。彼が閉じこめられていた獄は敬いの力が薄い地のため、術の効果は普段の半分にも満たないほどだったがそれでも諦めなかった。続けていればきっと彼が元気になって逃げられると信じていたし、人買いの長たるあの男の目に留まり、少しでも神への関心が生まれれば自分の声が届くかもしれないと信じていたから。
 しかし実際に待っていたのはあの結末。放蕩の限りを尽くす金持ちたちが顧客の見せ物の一つに選ばれただけだった。
 敬意とは正反対の、人々の黒い欲望に満ちた天幕など、天使見習いにとっては立っているだけでも気を失いそうだったが、それでも彼女は必死に抗った。青年をひたすら癒しながら、こんなこと望んでいないと、その隣に立つ男へ向かって血が滲むほど叫んだ。なのにやはり、総ては徒労に終わり――。
「……っ……」
 脳裏に浮かんだあの光景に、また涙が滲んでしまう。
 町どころか国でさえ簡単に潰せる財力と権力を手にした男の前には、障害など三界を超えて存在すまい。血塗られた人間界の玉座をいずれ手に入れる暴虐と狂気の王は、彼女がその命を救ったせいで生まれたのだ。
 だから罪深きは自分。裁かれるべきは自分。
「く……ぅぅ……ぁう、ァ、あ、ア……!」
 その事実を改めれば、罪悪感に狂いそうになる。
 しかし実際にそこまで行かないのは、まだ彼女にどこかしら余裕があるからだろうか。苦しみ辛い振りをして、狂いそうだと喚き立てて、それで自分の罪の所業から逃れようとしているのだろうか。
 だとしたら。やはり自分は罪深い。あの彼をも超える極悪人だ。
 いいやそもそも自分が助けなければ、憐れまなければ、彼はああならなかった。だからやはり、原罪を背負うべきは自分。
 枯れたはずの涙を再び目尻に浮かび上がらせ、女は膝から崩れ落ちる。冷たく濡れた鋭い破片に脚のあちらこちらを裂かれるが、そんなものこの身を潰しかねない苦しさに比べれば。
「ぁっ、ぅ……して……どうして……! ぅぇ、こん、な、ことっ、望んでっ……わたくし……ぁ、ああぁあああああぁ……!」
 血を吐くような声が寒々しい部屋に響き渡るも、返す声はどこにもない。彼女の必死の言葉が男にまったく伝わらないのと同じく。
 もう無理なのか。諦めるしかないのか。否定する気力さえなくただ慟哭する女の胸に、激しくも懐かしいものが沸き上がる。
 私刑に遭っていたときや霊魂となった際、何度も味わったがどうにか耐えきれたそれは今度は止め処なく吹き出してきて、へどろのように黒く彼女を塗り潰していく。その感情の名はなんだろう。恐怖か。或いは。
「か……っ、ぁ……ぁ、あぁ……は、……あ……ぁああああ……!」
 噴き出たものへの反応か。滑稽なほど全身が震え、思わず手が前に突き出る。お陰でてのひらも細かい破片に切り裂かれたが、それ以上に背が重い。四つん這いを保つことさえ難しい。
 このまま意識を失ってしまいかねない。どことは言わず全身がつらい。苦しい。内蔵がひっくり返ってしまいそうに気持ち悪い。痛い。こわい。くるしい。楽になりたい。いっそのこと、ひと思いに――。
「う……、……ぁ……ぅぅあ……っ」
 その誘惑に己の心を委ねるのは危険だと理解していた。
 もし自分が他者のそんな場面に出くわしたなら、愚かしいと烈火のごとく怒って止めたし、過去に止めた記憶もある。
 けれど今。こんなに辛い、罪深い自分に気付いたのなら。
 手を伸ばす。指を裂き血を滲ませる欠片程度なんかではない、あの大きな硝子の破片へと。
 それでこの偽善者の喉を確実に掻き切れば、ものの十数分ですべてが終わる。これこそが、我が救いにして処罰となろう。
 たとえその後、天使の身で自死した罰に無限の苦しみを味わっても構わない。無力さと罪深さを感じることしかできないよりも、そちらのほうがよっぽど。
「駄目よ」
 強張る手に、白い手が被さる。
 あたたかく、華奢く、やわらかく。優しいようでいて厳しい、芯の通りを感じさせる声が、血まみれの手を遮った。
「駄目よ。そんなこと、しては駄目。そうすればあなたは本当に彼を――彼だけじゃない、自分でさえも救えない」
 毅然とした言葉に顔を上げる。予想に違わず、彼女の手を握りしめていたのは彼女を天使にした張本人。きれいな金髪と青い瞳に揃いのリボンが特徴的な、天使長と呼ばれるひとだったけれど、彼女は己を取り繕う余裕さえなかった。
「……いいんです。わたくしは救われる資格なんてありませんから」
 みっともなく呟けば、天使長の眉が大いに歪む。
「本当に……申し訳ございません、天使長様。天使長様に救っていただいた身の上だというのに、わたくしはこの身体と新たな命を得ても、何一つ贖罪を為せませんでした……ただいたずらに、殺される人々を嘆くばかりで……」
「だからって諦めないでっ!」
 らしくない荒い口調と、握られた手の痛みに片眉が動く。けれどやはり、彼女の心は昏い深みへ沈んだまま。
「アルティナちゃん! 今あなたがここで勝手に死んだら、彼は未来永劫復讐心に囚われたまま、救われる機会を失ってしまうのよ!? それでもいいの、いい訳がないでしょう!?」
「……けれど。今も、似たようなものじゃ、ないですか……」
 そうとも。男がまだ復讐すべきかどうか葛藤を繰り返していたときなら、まだ足掻く価値はあったかもしれない。
 しかしあのときはもう、いくら手を伸ばしても届かないほど遠のいた。あの不幸な青年の命が、もう戻ってこないのと同じように。
「じゃあ構わないの!? 自分の昔の墓標に星の命をすべて捧げられて! それだけじゃない、いずれ彼は魔界にも牙を剥くかもしれないって、あなた自身が言っていたのに!?」
 魔界。悪魔。
 黒い羽。尖った耳。人にあらざる鋭い犬歯。紅い血の、命そのものを閉じ込めたような深い色の瞳。冬の夜空を連想させる静謐な横顔の、気高いひと。りっぱなひと。すきな、ひと。
 ――そう。そうだった。
 自分を抱きしめて、死ぬなと必死に呼びかけてくれた吸血鬼。死ぬ三日前に約束を交わした、見た目より少し子どもっぽい男性。悪魔とは愚かな人間たちを恐怖によって戒める、崇高な役目を担った闇の死者だと公言していたあのひとが。
 夢で見た青年よりも、凄惨な目に遭って死んでしまうかもしれない。それとも呆気無く、魔界諸共消滅してしまうのか。そう考えた途端、漆黒に塗り潰されていたはずの胸に、鮮血の痛みが走る。
「……っ、いやっ、そんなのいや……!!」
 頭を振る。最期の想い出のひとさえも、自分のせいで死んでしまうなんて考えたくない。
 痛みは痛みであろうとも、それは確かに正常な、少なくとも彼女にとっては瀉血に等しい効果があったか。新たな涙を零した薄青の瞳はしかし、彼女が本来持っていた煌きをかすかに取り戻す。
 直後、顔を上げた勢いそのまま、まだ血が滲む両手で純白の装束に縋りつく。もはや相手が畏れ多い天使長であることも、自分に命を与えてくれた恩義ある人物であることも頭から吹き飛んでいた。
「お願い……おねがいします、フロン様! わたくしはどうなってもいいんです! 命だって惜しくない! ……だから、助けてください……、彼を……どうか……!」
 本心からの願いには違いないのに、その『彼』とは自分のせいで狂った男と自分を看取ってくれた悪魔、一体どちらの彼なのか。本人でさえ曖昧で、けれどそれさえどうでもいいと、魂の底から強くひたすらに乞う。
 顔じゅう涙と鼻水まみれ、なのに瞳はぎらつかせた不気味な形相で、髪を振り乱し痛切な叫びを上げる女の姿は、もはや正気の沙汰とは思えない。彼女を知らぬ第三者にこの場面だけを見せたところで、天使だとさえ見受けられまい。
 それでも天使長は。彼女を救い、新たな命と肉体を与えた娘は、静かに長く息を吐き出し、心の底から晴れやかな笑顔で彼女を照らした。
「……よかった」
「え……?」
「ようやく、誰かの手を借りようと思えるようになったのね。えらい……なんて自殺考えるくらい思い詰めた子にはお世辞だって言えないけど、それでも手遅れということではありません」
 恐怖と失血で強張りきっていたこぶしを、やわらかく温かな手が包み込む。
 赤子のように無垢なてのひらは、血の気さえまともに通わぬ女の肌にはひどく熱い。治癒術の影響か、その熱は涙が出るほど深く女の心にまで染み入ってきて、むしろこの手に放されたくないとさえ思ってしまう。
 浅ましい願いをまるで見透かしているかのように、天使長は軽く屈んで彼女の顔を覗き込んでくる。その眼差しは凛と強く、女の胸を塗り潰す漆黒にあっさりと光芒が差すほど。
「それにアルティナちゃん。そんなふうになってしまっても、自分ではなく、誰かを助けてほしいと真っ先に言えるあなたを……わたしは決して見捨てません」
「……フロンさま……」
 泣き腫らして火照った頬に、白いもう片手が添えられる。そちらは不思議と冷たくて気持ちいいけれど、それ以上に彼女の心に響いたのは、天使の長たる娘のはっきりとした言葉。
「あの人はあなたにしか救えないけど、わたしだってそのためのお手伝いはいくらでもします。だから今度から、ううん、今度こそ、わたしをちゃんと頼ってください。そうして二人で一生懸命がんばりましょう。それでもできそうにないなら、ほかの人にも助けてもらいましょう。それくらい厚かましくなきゃ、世界を憎むひとなんて救えません」
 罪悪感も遠慮もあって、これまでずっと避けていたことを言い当てられ、先とは別の意味で心が痛む。
 しかし手遅れではないと、ほかの誰でもない。絶望的な状況から自分を導いてくれたひとに告げられて、熱いものが込み上げる。自分がおかれている状況は悪夢から覚めたときと一切変わっていないのに、どうしてだろう。この人に諭されると、いつかきっと自分の声が彼に届くかもしれないとさえ思えてしまうのは。
「はい……」
 だから頷く。溢れる涙のせいで明確な言葉を出すのは難しいが、それでも自分の意志を示したくてはっきりと。何度も何度も思うがままに。
「……ぃっ、ぁい……っ、……はっ……ぃ……!」
 その流れでまた涙が滂沱と溢れてしまうけれど、胸の奥は温かいからか。天使長はあやすように背を撫でてくれる。ようやく再会できた迷い子を相手にするように。迷える子羊に手を差し伸べるように。魂のまま地上に漂っていたとき、このひとに助け上げられたあのときとまるで同じく。
 嗚呼そうだ。この瞬間はあのときとまるで一緒。あれから随分経ったはずなのに、まったく自分は変わっていない。
 ならきっと、自分が絶望させてしまった男も変わっていない。どこまでその魔手が伸びようが、野望のために利用する命の桁が増えようが、目を醒まさせる方法はひとつ。自分の声を、届かせるだけ。
 そのためならばなんでもする。いくらこの手を穢しても気にしない。たとえ自分の命を失っても構わない。
 人間として生まれてから天使として転生した今日この日まで、数多くの命を見殺しにしてきた罪深き我が身なれば。今更罪を重ねたところで、その重さはさして変わるまい。
 母のような姉のような人にしがみついたまま、涙と嗚咽を部屋に満たしながら、そうして彼女は覚悟を決める――今までこの手から零れ落ちた、無実の命に詫びながら。


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