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古イワシにはご用心

2013/10/04

 イワシの日兼天使の日第2? 3弾! ヒの閣下BOTにアルティナちゃんと結婚しろって言ったら無視されたのちょっとショック!

 ところでサイトに上げてる4舞台の夫婦の全年齢なおはなしこれで約半年ぶりくらいなんですね。我ながらちょっとびびった。






 朝食にベーコンが出た時点で、おかしな予感はあったのだ。
 何せこの屋敷の主ヴァルバトーゼは吸血鬼のくせにイワシが大好物で、薄給のプリニー教育係時代ならともかく、己が立ち上げた『新党・地獄』が魔界の未来を左右する立場になってもそれは不変。むしろ魔界にかの小魚の素晴らしさを啓蒙する機会を得たとばかりにイワシ愛は尽きるどころか更に鬱陶しさを増し、居候たちにも三食ともどもそれを強要していたのだから。
 なのにこうして朝からご褒美が出るなんて、あの男も珍しく気を利かせたのだろうかと地獄でも有名な馬鹿姉妹、いやいや自称美少女姉妹の風祭フーカとデスコは手放しでそれを喜び平らげた。しかし腹が満たされれば次第に頭も冷静になって、周囲の様子も見えてくる。
 屋敷のプリニーたちがやけに慌ただしかったり、同居している仲間たちの顔を今日はまだ一度も見ていなかったりの現状に強い違和感を覚えた彼女たちは、朝食後の予定を変更。そのまま屋敷を出るのではなく、一度党首の執務室に顔を出すことにした。
 予感はずばり的中で、いつもこの時間帯なら不機嫌そうなりに黙々と書類の決済をこなす吸血鬼の姿は不在。ならばプリニー工場にいるのかもしれないと切り替え、次に探そうとして偶然曲がり角ではち合わせたのは人狼の執事フェンリッヒ。
 妙に屋敷内が忙しないのは何故なのか。どうして珍しく朝食に肉が解禁されたのか。ついでに家主はどこに行ったのか。訊ねた姉妹に執事曰く。
「閣下は食あたりを起こされてな。昨夜に中ったらしく、今も寝込んでおられる……」
 痛ましげに告げられたにしては、やや滑稽さが拭えない病名だった。
「むむう、そうだったデスか……。じゃあヴァルっちさん、昨日にでも何か珍しいものでも食べたんデスか?」
「いや……。普段といつも通りのはずだったんだが……」
「……なに。じゃあアイツ、イワシでお腹壊したの?」
 まあ魚偏に弱いと書くくらい痛みやすい魚である。いくら毎日のように新鮮な取れたてを魚河岸から直に買い付けていようが、扱い如何では傷んでしまうこともあるだろう。
 しかし普段から生のイワシを貪り食らう吸血鬼をうんざりするほど目にしている姉妹にとって、それは意外というか間抜けというか。薄々そうなるんじゃないかと思ったりはしたものの、実際になってみると笑う気も失せる。
 二人の考えていることなど手に取るように把握しているらしいフェンリッヒ、主に落ち度はないとばかりに苦々しげに嘆息する。
「既に犯人と原因はわかっている。粗忽なプリニーが廃棄用のイワシを間違って閣下の夜食用の袋に入れたらしい」
「あらら。ご愁傷様~」
「そのプリニーさん、きちんと自分のミスを認めたデスか?」
「うむ、今はどぶ浚いをさせている。……ああ、そうだデスコ。それが終わり次第、お前の必殺技の試し打ち用にあいつを向かわせよう。構わんな?」
 うっかりミスで反省用の仕事がどぶ浚いとはまた酷い。
 それにデスコへの確認だって、構わないかと訊ねながら断らせる気が微塵もないのが言外に滲むほど威圧的で。普通に考えればそれくらいにこの事態に人狼が立腹していると受け止めるべきだろうが、罰にしたって彼の苛虐趣味が顔を覗かせている気もするのはどうしたことか。
 だがそれらを逐一突っ込もうなら逆にこちらがどぶ浚いに付き合わされそうで、ラスボスを目指しているはずの童女は必死にこくこく頷いた。
「だっ、大丈夫デス! ……けどあの、フェンリっちさん。そのプリニーさんに汚いままで近付かれると……」
「ふむ、そう言われれば確かに。なら、お前を訪ねる前に上層区で体を洗うよう命じておこう」
 上層区で得られる水など使う前から凍っていそうだが、それさえ気に留めるつもりもないのか。フェンリッヒは呟いた直後、プリニーたちに呼ばれてそのまま踵を返してしまう。確かに突然の党首病欠の穴埋めに最も忙しいのは、彼をおいて他にはいまい。
 しかし気楽な姉妹は執務にもプリニー教育にも無関係。落ち着くであろう夜にでも見舞いに行こうかとお互い顔を見合わせたところで、また別の疑問が頭の中で頭をもたげたのである。
 それは単純にして重要なこと。
 昨夜から食あたりを起こして今もなお悶絶中の吸血鬼は、ならば今日いっぱいは何を食べるんだろう、と。


 正直なところ、ヴァルバトーゼの空腹具合は限界に近付きつつあった。
 古いイワシに中って尋常でない痛みが腹部を襲ったのは丑三つ時。それから彼の胃腸が空になり、トイレからようやく這い出たときにはとっくに夜が明けていた。
 起床の時間を知らせに来たつもりだったのだろうしもべと自室ではち合わせ、これ幸いと今までの事情を話し終えれば、すぐさま棺に押し込まれ蓋まで閉じられた。一目見てわかるくらいに衰弱していたのかもしれない。
 使命も知らぬ未熟なプリニーたちには悪いと思うが、連中も教育係がろくに声を張れないような輩では不安になろう。仕方ないが今日一日は休むことにして、しもべが部屋から出ていった機会を見計らい清潔な服に着替えて就寝。今日が不意の休みに切り替わったその瞬間、彼の胸中は喜びや申し訳なさよりようやく眠れる安堵で一杯で、随分弱っていたのは違いない。
 それから覚醒したのは昼過ぎ。夜通しトイレに籠もっていたとは言え七時間は寝すぎじゃないかと自分に呆れた吸血鬼は、見張り役として自室の前に立っていたプリニーに食事の手配を頼んだ。
 ぐっすり眠れたことで体調も朝よりましになった自覚はある。原因が原因なだけにいつも通り生のイワシは渋々断念し、棺の縁に頭をもたれさせながら病人食の到来を待つことにしたのに。
 しかしそれがなかなか来ない。もう三十分は経っているのに来る気配さえない。
 いい加減白湯ばかりでは空腹が誤魔化せなくなってきた。今度は胃が過敏になりすぎて病人食さえがっつきまたもとの体調に戻るのではと危惧したところで、ようやくノックの音を聞く。
「遅い! 全く……お前たちがこんな命令さえ速やかにこなせないとは思わな……」
 申し訳なさそうに調理係のプリニーが顔を出す前提で、半身を起こし説教を始めようとした彼は、だが唐突に舌の動きを硬直させる。
 何故ならある意味では予想通り、申し訳なさそうにワゴンを引いて顔を出したのは、しかし死んだ魚のような目の使い捨て悪魔ではなく、薄青の瞳が美しい天使だったので。
「……申し訳ありません。手間取ってしまって……」
「い、いやっ! ……お、俺も少し気が急いていたらしい。急に怒鳴りつけてすまなかった……」
 鮮やかな手のひら返しを笑ってはいけない。
 ここ魔界において異端のはずの女天使アルティナは、彼にとってそれはそれは大切な思い出の約束の娘。四百年にも及ぶ死別を越えて、奇跡的にも再会できた無二の存在なのだから――少々回りくどいが端的に表現するなら恋人になる。
 しかし天使は沈んだ表情そのままに、普段以上の慎重さで吸血鬼の部屋に足を踏み入れると、痛ましげに棺の前で膝を折った。
「食あたりと伺いましたけど、お加減は? もうよろしいんですの?」
「うむ……。今は何も食っていないし、正直なところ自分の体がどの程度良くなったのかはわからんが……まあ見ての通り、問題ない」
「そうですか……」
 棺の蓋に保温カバーですっぽり覆われたトレイを乗せられ、どうやらこのまま食事を摂らされるらしい。病み上がりなのは否定しないが、この扱いは少しばかり過保護な気がしなくもない。
「ですけど、今は大丈夫だからと言ってあまり急いで召し上がったりしないでくださいね」
「わかっている。……で、どうしてお前がここに来た。いや、来るなとは言わないが、これはプリニーどもに任せた仕事のはずだぞ」
 腹の虫は相変わらず騒がしいが、その前に訊くべきことは訊いておく。そうちらと彼女に返事を促せば、なんともなさそうに目を瞬かれた。
「調理場のプリニーさんたちはあまり胃が弱った人への料理に詳しくないらしくて、わたくしを頼ってこられましてね。半端な助言では悪いですし、少しお手伝いさせていただきましたの」
「……そうか」
 手伝ったなんて言いながら、実際にはこの天使が調理場を仕切っていたのは想像に容易い。
 人間だった頃に看護師として生き、また天界からの任務を終えて地獄保嫌所で働きだした彼女なら病人食にも詳しいだろうし、自分は彼女の作ったものならイワシでなくても多少時間が遅れても文句は言わないと判断されたのか。
 プリニーどもに弱みを見透かされ、また否定できない我が身に悔やみながら、吸血鬼はカバーを取っていいのかと食事係に目配せする。病人に過保護な天使は首を横に振り、自分でそれを外してしまった。
「……ふむ」
 とは言え、中身はそれほど彼の予想を裏切っていた内容でもない。
 一人用の土鍋には、五分粥がいまだくつくつ泡を生んでいた。その隣には数種類の薬味皿と小振りな調味料入れ、ついで葱を散らした大根おろしたっぷりの小鉢もついており、病人食としてはまま上等なほう。
 そんな認識でいたのに、米の甘い香りを含んだ湯気に知らず唾液が滲み出て、イワシとはかけ離れた料理にも関わらず彼の心は自然と浮き足立ってしまう。空腹は最高の調味料、なる格言はまこと正しい。
「……では頂くとしよう」
「ええ。熱いから気を付けてくださいね」
 木製のスプーンで一口掬って、口元に近付けてももうもうと立ち上る湯気に言われた通り覚悟する。なのに唇を掠めた粥はやっぱり火傷しかねないほど熱くて、種族柄体温が低い青年は別の意味で唇を尖らせた。
「……お前。俺が吸血鬼なのを忘れてないか?」
「そんなことはありませんわよ? ただあなたにゆっくりお粥を召し上がっていただくなら、熱いほうがいいかしらと思っただけで」
 どうやら故意だったらしい。逆に性質が悪いと眉をしかめながらスプーンを戻そうとしたが、丁寧な手つきで元怪盗の天使にそれを奪われる。
 何をと目を細めれば、いまだ湯気立つスプーンを口元まで近付けた娘は、そのままふうふう細く息を吹いて粥を冷まそうとし始めたではないか。
「なっ……!」
 そのくらいなら自分でやるし、間近にそんな光景を見せられるのが異様に恥ずかしい。本人は看病のつもりだろうが、一歩間違えば特殊なごっこ遊びになりかねないとわかっているのか――否、絶対にわかっていない。わかっていたらこちら苦労しない。
 昔からそういう娘だったと思い出し、スプーンを奪い返す前に軽く頭を抱えてしまった青年に、天使は不思議そうながら冷ました粥を病人の前に差し出す。
「はい、どうぞ。……あーん?」
「……お前。それは少しふざけすぎだぞ」
 少しなのか過ぎているのか。短くも矛盾を孕んだ発言へくすくす笑ったままスプーンを戻そうとしない恋人の態度に、腹をくくった吸血鬼。細い手首ごとむんずと掴み、今度は熱くても気にしないつもりで頬張った。
「んむ……はふっ」
 まだ熱いことは熱かったが、吐き出すほどではない。
 それどころか熱さえも今の彼にはご馳走だったようで、おびただしく滲む唾液が粥をそっと包み込み、舌を動かせば出汁を吸った米の一固まりが粒となって咥内のあちこちに散らばっていく。
 粥はどうやら出汁で煮込んでいたらしい。ほんのりと香っていたのはどうやらこれのようだが、あいにくとイワシ以外に興味を持たない彼には何の出汁なのかよくわからない。だが少なくとも煮干しでないことだけは確かで、生臭さがなく品がある。少々物足りないものの、飲み込み終えた青年はほうと息を吐いた。
「……んっ、美味い」
「それは嬉しいのですけど……少しとろみを付けすぎたかしら。思った以上に食べづらそうですわね」
 ほうじ茶を渡されて、こちら口に含めば人肌の温かさ。喉の奥あたりに粥の熱の名残りを自覚した彼はそれを洗い流す気でもう一口。病み上がりの空きっ腹ならなんでも美味いのか、こちらにもまたしみじみ味わってしまう。
「まあお前の読み通り、ゆっくり食うほうが胃には良かろう。……これは?」
 結局スプーンで粥をかき混ぜ、空気に触れさせることで全体的に少しずつ冷ます手法を取った吸血鬼は、ついでに小鉢を顎で指す。
「これはみぞれ煮です。今は大根で見えませんけれど、一応しらすとお豆腐を一緒に煮立てましたの」
「ふむ。これに入れて食う訳ではないのか」
 冷めるならそちらのほうがありがたかったが、これもまた魅力的には違いない。粥を冷ますのにも飽きて箸で山盛りの大根おろしごと一口食べれば、こちらは文句なしに素晴らしかった。
 火がさっと通った大根のやさしい甘さと瑞々しさは粥の熱さと相反していながら、下の豆腐としらすにはしっかり味が染みているからか米への欲求がきゅうと沸き上がる。生姜と葱のそれぞれ違った辛みもぴりりと効いて、病人食にしてはなかなか濃い、なのに五臓六腑に染み入るようでもある。
「……米で食いたい」
「ご飯は明日まで我慢してください。今日一日はまだお粥ですからね?」
 まだまだ慎重かつ厳しい看護師の発言に、黒い眉が八の字を作る。もう出すもの出してたっぷり眠った身の上なら、さして悪化はしないだろうにと。
 しかし娘は頑として動じず、それどころか患者を軽く睨みつけてきた。
「だめです。いくら普段のあなたの胃が頑丈でも、今は弱っているんですからきちんと労ってあげないと」
「……その言い方ではお前は俺の意思でなく俺の内蔵のほうが大切だと捉えられるが」
「ええ、いくら意思が強くても身体なくして行動は取れませんもの。そう受け止めてくださって構いませんわよ?」
「なっ……!」
 約束を優先する意思を重んじ、身体にその影響を及ぼしてもなお己を曲げようとしない男にとって、その返答は衝撃的過ぎた。
 つまり彼女は彼の気持ちなどどうでもいいのか。身体さえあれば気にしないのか。見た目さえ良ければ性格はどうでもいいのか。その上で自分と関係を持ったのは、つまりつまりつまるところ。あの四百年前初めて出会ったときの自分の見目の印象あってのもので、今の約束を四百年間守り続けた自分には全く価値がなく、魅力を感じていないと。
「……ヴァルバトーゼさん?」
 天使の呼び声に我に返った青年が次に取った行動は、幼稚と言えば幼稚。盛大にため息を吐き出して、蓋はそのまま棺の中へと潜っていく。
「もういい」
「はい?」
「俺の意思より体のほうが大切だと抜かす奴の作った飯など食いたくない。とっとと帰るがいい」
「……もう。何を急に拗ねているんですか」
 しかし相手は彼と心も体も交わした仲の女である。彼の唐突な変化にもさして戸惑うことなく、男の肩にそっと手を置き宥めにかかる。
「これ以上あなたに辛い思いをさせたくないんです。……今回そうなったのだって、最初はわたくし、あなたがイワシも満足に食べられないくらい弱ってしまったのかと心配していたんですよ?」
 そんなことはない。ないがそんなふうに娘に受け止められ、不安にさせたことに後気味の悪い喜びを覚えてしまう。恐らくほかの連中に同じことを言われれば、馬鹿にするなと反発心が湧くだろうに。
「そうしてそのまま弱り果ててしまえば……あなたが満足に働くこともできず、皆さんと一緒に戦うことも、わたしくとお話することさえできなくなってしまったら、どんなに辛いか。あなた、考えたことがおあり?」
「……いや」
 確かに、体が資本には違いない。
 人間として死に、魂だけの存在となりながらも必死に断罪者を名乗る男を止めようとしていた彼女にとって、肉体の有り難さなどまさに身に染みて理解しているのだろう。そもが戦場で看護師として働いていたのだから、五体満足の重要性もまた然り。彼女にとって健康な肉体は、ありふれていながら宝と呼べるほど大切なのだ。
 そうして今ふて腐れ棺の中で横たえた男は、そんな彼女の唯一のひとであって――。
「大好きよ、あなた」
 肩に添えられていた手が少し背のほうに動いただけなのに、男のうなじがぞわり粟立つ。
 勿論、刺激はそれだけでない。あの閨に響くような囁き声にも十分気持ちは揺らめいたが、それでも大の男が囁きごときに簡単に意志を翻すなど、情けないと己に言い聞かせて耐える。つもり。だったのに。
 耳朶にそっと女の気配が擦り寄って、甘い声がするうりと。
「……早く良くなって、可愛がってくださいな。ヴァルバトーゼさん?」
「………………くそ」
 負けた。
 完膚なきまでの完敗だった。それでも手玉に取られているとか尻に敷かれているとかではないと思う、多分。
 負け惜しみめいたことを考えながら吸血鬼は身体を横向きから仰向けに変えがばと起き上がる、つもりが眩暈を起こしてしまい、やはり空腹が体に堪えているようだ。
 それでも勝者の娘はこの期に及んでお小言を漏らすことなく、にっこり笑顔でトレイを示し食事の続きを促した。
 まあさっきのやり取りのお陰で粥も少しは冷めたかもしれない。先よりは乱暴にスプーンを掴んだ青年は、やけくそめいた気持ちで土鍋をかき混ぜ湯気の具合を見る。
「そうそう、こちらで味を調整してもらうのを忘れていましたわ」
 と、小振りな調味料入れをかざされて、視線だけで中身を問えばやはり天使は笑顔のまま。
「あなたのお好きなイワシの魚醤です」
「なに!?」
 すぐさま奪い粥に垂らせば、まだかすかに立ち上る湯気にあの深いこくとうま味に満ちた香りが混ざる。これさえあれば上品なばかりで味気ない粥などご馳走に変じるだろうと手早くかき混ぜ、今度は自分の息で冷ましてはくり。
「――んむっ!」
 やはり熱い。それでも先より余程食べやすい。
 しかしそれ以上に彼の脳に強烈に叩き込まれたのは、魚醤をも遙かに越えた予想外なまでに強いうま味。
 確かに魚醤を粥に垂らせば調味料の味わいはより鮮明になろう。しかしこれはあまりにも美味い。ここまでのポテンシャルが魚醤にあったのかと半ば混乱しながら粥に目を剥く青年に、天使はくすくす笑う。
「お粥は昆布出汁で炊きましたから、魚醤のうま味も引き立つでしょう。素材の食べ合わせって大切ですのよ?」
「むむぅ……」
 植物性と動物性を合わせるとそれぞれのうま味がより引き立つ、とは彼も耳にしたことがあるが、基本的に好きなものを単品でしか食わない男である。美味には違いないがしてやられた感も強く、複雑な面相で咀嚼してからほうじ茶をもう一口。
「俺に食を進ませるためとは言え、もう少しほかに方法はなかったのか」
「考えはしたのですけど、煮干しのお出汁を臭みもなく丁寧に取るには時間が足りなくて……。けどお夕飯には煮干し出汁のおかずを出せると思いますわ」
「ふむ。夕食もお前の監修か」
 それなら夜も会えるのかと内心喜びながらまた粥を一匙頬張った吸血鬼に、天使は芳しくない様子で首を傾げてしまう。
「どうでしょう? 時間に余裕ができれば更に狼男さんの監修があるでしょうし……わたくしがこうしてお食事を持ってこらたのも、あの方がお忙しいからですもの」
「まあ一度顔は見せると思うが……どうなのだろうな」
 今も自分の穴埋めに忙しく立ち回っているだろうしもべに更なる多忙を望むのは悪いが、なるべくなら寝る前くらいに顔を出す程度でいてほしいものだとひっそり願う。たまの休みだ、恋人の看病つきの食事くらいもう一度味わいたい。
「それにしても、あんなにお忙しそうだなんて……。これまでであなた、イワシでお腹を壊されたことは一度もありませんでしたの?」
「ん? いや、最初のうちはあったぞ」
 イワシを生で食べるとなると、当然ながら腹を壊す確率は高い。
 魔力を失いプリニー教育係になったばかりの頃の彼もご多分に漏れずその法則が当てはまり、火を通す金と手間さえ惜しんだ彼は、イワシを生で食うたびに律儀に襲い来るだろう腹痛を覚悟していたものだ。
 しかし免疫力がついたのか。新鮮なものを優先できるよう取引先を変えたのが良かったのか。はたまた件のイワシパワーが体に浸透してきたのか。いつの間にか彼は火を通す手間を惜しむのではなく、生でまるごと食べるのを好むようになってしまい、そんな我が身を進化したと捉えるようになった。
「新党を立ち上げ、その党が魔界政腐与党となった上でプリニー教育も兼ねては……こうして不測の事態が起きれば穴埋めが難しいのもやむをえん。大臣どもにもう少し権限を与えてもいいかとは思うが、任せすぎてはまた外野からどうこう言われるだろうし……」
「はいはい、お仕事のお話はそれまで。今日はたっぷり食べてたっぷり寝てください。ふりかけはいかがです?」
 薬味皿が差し出され、葱と沢庵のほかの中身をよく見れば琥珀色のちりめんじゃこ。指で摘めばぱらりと崩れ、ミキサーいらずで粉と化す。それを粥に撒けばまた。
「んまい……」
「それは良かったですこと」
 天使は本気で感動している彼の反応をさして気に留めず、ゆっくりほうじ茶を注いでいく。少し時間を置いたせいで色が濃いが、これもまたよしと咥内をやや濯いだ。
「米については納得したが……夜も同じ調子なら少し飽きかねん。副菜は増やせそうか?」
「そうですわねえ……。このあとのあなたのお腹次第ですけど、もう少し味が濃いものを出しても良さそうならそうしますわ」
「うむ」
 善哉と強く頷いてもう一掬い。葛でとろみをつけた粥は三割程度に減っており、重湯を食べているのか米を食べているのか微妙な線だったが、強いうま味のお陰で満足感はしっかりある。
「けれど、これから一週間くらいは生のイワシは避けてくださいね。あなたの教えを受けたプリニーさんたちならレパートリーはあるでしょうし、なんでしたらわたくしもお手伝いしますから」
「……むう」
 土鍋の中身を二割に減らした青年の口元が、スプーンを咥えたままむっつり歪む。
 彼女の監修によるイワシ料理が食べられるのは嬉しいが、これから一週間も生を禁止されるのはまた別問題として辛い。特に夜、寝る前にスナック感覚で頬張る生のイワシはまた格別だったのにそれさえも厳禁だなんて――彼が今回中ったのはよりにもよってその夜食用のイワシなのだが。
「代用品はほかにもありますでしょう? イワシのお煎餅とか、煮干しとか、すり身の蒲鉾とか……」
「あるにはあるがやはり生には敵わんしなあ……」
 ぼやいたところでふと思い立つ。
 そう言えばとある条件下で、彼のイワシへの渇望がきれいに消えてしまう夜があるのだ。しかしそれは自分ひとりでは叶えられない少々特殊な条件で、協力者の存在が絶対になる。という訳で。
「……アルティナ」
「はい?」
 棺の縁に添えられた女の手を、手袋を着けていない男の手がそっと包む。本人としてはさりげないつもりだったが、その触れ方になにやら感じるものがあったのかもしれない。細い肩が小さく強張った。
「お前が添い寝してくれるなら、……それを守ると約束しよう」
「……もう……」
 先の仕返しとばかりに低く、存分に女心をくすぐろうと囁けば、なめらかな頬に不自然な朱が差してなかなか良さそうな手応えを感じ取る。
 けれど娘は頷いてはくれなくて、逆にふるりと首を横に振られてしまう。
「だめです。そういうことだって体力は使うんですから、今のあなたにはおすすめできません」
「うん? そういうこととはどういうことだ? 俺が頼んだのは添い寝だけだが」
「からかわないで。おふざけが過ぎますわよ」
 ぺしりと手を叩かれたので渋々そいつ引っ込め、代わりに箸を手に取り小鉢を空にする。中身は変わっていないはずなのに味が先よりいまいち精彩を欠いたのは、彼の気持ちの問題が大きい。
 しかしその一口で完食してしまったと知らされて、青年は驚きながらも緩い感慨に浸った。いや、病人食とはいえ舐めて考えるものではない。なかなかに満腹感があるが、今のところ胃が痛む気配はない。
 これで彼女がまた夜に来てくれればと隣を盗み見ようとしたところで、唐突に天使が身を乗り出してきて内心焦る。
 なにを思ったのかは知らないがいやちょっと早いだろう、と硬直しながらも期待に胸膨らませる彼の口元を、色気のない白い指がひらりと触れて取ったものをかざしてくれた。
「いいお年でしょうに、おべんとつけて……」
「……悪かったな」
 米粒を口元に持ってこられたので、直に吸い込むどころか娘の指ごと強く吸いつけばきゃあと高い悲鳴が部屋に響く。身を捩り彼を振り解こうとする女の肩を素早く抱きかかえ、自分の胸中に収めてやれば、今度は憤懣の声を聞いた。
「ヴァルバトーゼさんっ! ふざけないでくださいったら!」
「ふざけてなどいない。……お前にふざけた想いなど抱いたことは一度もない」
 耳元で呟いてやれば、たちまちのうちにかたちのよい丸い耳が赤く染まっていく。ついで耳朶に口付ければひあと小さな声まで聞いて、眼下には色鮮やかな桃色頭。胸にはやわく華奢な女の肢体が収まり、彼女独特の甘く蕩けそうな体臭が鼻腔に近い現状に、年若い吸血鬼の一部はみるみるうちに猛りつつあったが。
「いけませんったら……」
 やんわり胸を手で突かれ、彼女の側はそうではないと知りやむなく解放。だが頬にくすぐったい啄みを喰らい、沈みかけた気持ちがうっかり弾んだ。
「……そういうことは、看護師の目から見てあなたが元気になったと判断してからです」
 静かに、いさめるように告げられて、青年は鼻からゆっくり呼気を抜いた。先から彼女に口酸っぱく言われてはいたが、ここは自分の口で言ったほうがよさそうだ。
「……つまりは万全を期せと」
「ええ、それまでは安静になさってください」
 どうあっても譲らない天使の強固な姿勢に、ついに彼も折れて天井を仰ぐ。
 彼女は意地悪や拷問のつもりでそれを強いている訳ではなく、あくまで善意によるのでこちらも無理強いは難しい。そもわがままを強いていたのは彼の側である。もとより折れるべきは彼なのだ。
「……わかった。とりあえずお前の言うとおりにする。馳走になった」
「はい。お粗末様でした」
 にこやかにお辞儀をされ、たわわに実る甘そうな乳房がふるりと揺れた。その光景に意を翻し無体を働きたくなるものの、娘が手際よく昼食を片付ける光景を見届ける。
「さて。では、これでわたくしは失礼しますわ。運がよろしければまた今夜」
「うむ。それまではお前の言いつけ通り眠ることにしよう」
 ワゴンを引いて部屋を出ていこうとする天使にそう言葉をかければ、ええと華やかな笑顔で相槌を打たれ。それで終わりの、はずだろうに、彼女は無闇におんなを匂わせるかんばせで――。
「あの……」
「うん?」
「寝汗でなかなか寝付けないようなら……わたくしそちらの準備もしますから。遠慮なさらず、仰ってくださいね」
「…………」
 それはつまり。どういうことか。
「で、では、失礼します!」
 問い詰められたら泥沼にはまる予感がしたのか自分の発言に自分で恥ずかしくなったのか。やけに明るい笑顔で誤魔化して、娘はとっととワゴンを引いて出て行ってしまう。
 異様に含みを持たせる発言を、ぽかんとしながら聞いた青年。我に返ると沸き立たつ期待を抑えきれず、しかし今は彼女がその気になっているのだからやっぱり大人しくしておこうと自分の体臭を今から気にしながら棺に入った。
 だが当然ながら若い身の上である。そんな心境のまま、すんなり眠れるはずがない。
 案の定、そのあと青年の頭の中には病み上がりに相応しからぬ桃色の煩悩が満ち溢れ、結局日が沈むまで一睡もできなかったのだそうな。

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