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2011/07/06

 綺麗なもの輝かしいもの整ったものばかりに見慣れると、今度は醜いもの目を疑うもの奇抜なものに目を惹かれてしまうのは個人の趣向の問題か人の性か。引き締まった男性悪魔の黒い裸の尻を目で追い、金髪碧眼の美少年を守るように蠢く生ごみの集団を発見した少女は、次にどんな悪魔が見つかるだろうと期待していたのに。野暮な声が彼女の集中を阻害する。
「お前っっ! ちゃんとデスコ探してるのか!?」
「もー……当たり前でしょ。でなきゃこんなあちこち見て回らないっての」
 こんなときでもお堅いエミーゼルに、フーカはやれやれと落胆の息をつきながらも背中に迫りくる気配に身を翻す。それで少女はどうにか脳天気なカップルとの接触を避けられたのだが、彼女の腕の中にいる少年は情けない悲鳴を漏らして細い肩にしがみついた。
「フーカっ! パートナーを振り回してどうすんだよ!」
「振り回してなんかないわよ。ちょっとよそのやつとぶつかりそうになったから避けただけ」
「ならもうちょっとタイミングを見極めてからやれ! お前さっきから独りよがりな動きばっかりしてるから、こっちは足踏まないようにするので精一杯なんだぞ!」
 ぶつかりそうになったのを避けたのだから感謝の言葉の一つくらいあってもいいはずなのに、反対にぎゃあぎゃあとわめき立てられて、フーカは幻滅しながら少年を回旋させる。すると彼は慌ててそれに従い口を噤むのだから、少女は相手がうるさく感じたらこれを使おうと思い立った。
「……お前、なんか今やなこと考えただろ」
「そんなことないわよ? あんたってば結構、被害妄想激しいわよね~」
 誰の影響かさらりと嘘をついて、フーカは今度こそ集中しながら彼女の妹を雑踏の中から見つけだそうとする。エミーゼルは彼女の顔つきが変わったことを見止めて、ただちに自らもまた周囲に気を配りながらちらちらと辺りを見回した。
 いつの間にか妹とはぐれたと知ったフーカは、その名を呼びながらあてもなく彷徨った結果、エミーゼル、ではなく彼から仲間を捜すように仰せつかっていた給仕に捕まった。それからこの少年と合流し、彼もまたデスコを捜索中らしいから一石二鳥だとソファに座って報告を待っていたのだが、時間は無駄に過ぎるばかりでなかなか芳しい報告が返ってこない。
 ならもう自分たちが探すべきだと待つのに飽きたフーカは立ち上がり、ノルマ消化も兼ねつつ縦横無尽に動き回れるからと言う理由で隣の少年を踊りに誘った。そこまでなら、エミーゼルもまだ大人しかった。
 重い腰を上げ、給仕たちに自分はここにいると指定した場所を再度確認してから、そのように躾を受けている少年は優雅な仕草でフーカの手を取り会場中央へと向かおうとしたのだ。なのにそこで少女はとんでもないことを提案した。
「ねね。あんた女役やんない?」
「……はぁ?」
 呆気に取られたエミーゼルを尻目に、少女は天使に教わって以降男性役に興味があったこと、三回も女役をやらされてそこそこ飽きたこと、しこたま尻尾で足払いをしてきたのに男役を貫いた妹のステップの出来がああなら自分はどうなるだろうと疑問を抱いたこと、もうそろそろ自分のペースで踊ってみたいこと、などを理由に挙げ説得を始めた。
 当然、好奇心が疼いた程度で足をヒールで抉られたくない死神の少年は、必死で首を振ってその案を却下した。なのにフーカは最後にもう一つ、と止めとばかりに少年をちらと見下ろして。
「あと、あんたアタシより背低いし。いくら丁寧でも背の低い男にエスコートされるって、ちょっとねぇ……」
 成長の問題なんだから仕方ないだろう、とエミーゼルが猛然と抗議したが、それではいそうですかと受け入れるほどフーカは寛容ではない。結果的に少年が折れる羽目になり今に至る。
 当然、三回踊った程度で男性側の足さばきなど覚えられるはずがない。フーカもその点は理解しているので複雑なステップを踏むのではなく、先行してあちらこちらへと回旋しながら移動することに重点を置き、同じく踊るカップルたちとの接触を避けつつ好き勝手に移動して男性役を楽しんだ。
 だがそんな人間の少女に振り回されるエミーゼルの苦労は尋常ではなく、ついていくのに精一杯。たまに姿勢を崩してパートナーの身体に接触しそうになっては、慌ててそれを避けて背筋を正し、休む暇もなく自分の足を無意識に狙ってくるようなヒールのほうも避けてと大変だった。そんな状態なのにデスコ捜しも忘れようとしないのだから、この悪魔の少年の根の真面目さが伺える。
「で、そっちはいた?」
「……いない。全く、あいつどっか別のホールで飯食ってたりするんじゃないのか? それか外に出たとかさあ」
 少女は多少速度を落ち着けてエミーゼルに訊ねたものの、返ってきたのはさっきと同じ実のない返事。確かにこの大ホールの中央部、最も見通しの利くはずの場所で色々と見て回ったはずなのに、あのくすんだ紫の小さな頭がとんと見えないとあっては別の場所に移動した可能性もなくはない。
 だがデスコはフーカほど脳天気ではないし、姉をよく慕うため姉と離れることも厭う。さっぱりしている性格の自覚がある彼女でさえ、一人で妹を探しているときは心細くなったのだ。あの甘えたがりの妹なら、その気持ちは尚更だろうと彼女は確信していた。
「それはないわよ。多分、あの子もこっちでアタシらを探してるはず。……それでもこうして会えないってなると、余程運が悪いのね」
「幸運値低いラスボスって……ああいや、ラスボスなんて大体そんなもんか?」
 生まれ育ちはともかく、要所で不幸や絶望を味わったからこそラスボスになるのだろうかと判断したエミーゼルに、どうかしらねぇとフーカは疑わしげな声を漏らす。
「あんた、踏んだり蹴ったりな振り回されキャラだし、そっちの運の悪さが原因じゃないの?」
「どうしてそうなるんだよ! お前だって、蓋を開けたらヒロイン(笑)だっただろ!」
「あれはアタシのせいじゃないし! フラグ立てんの邪魔したフェンリっちとイワシ・約束一辺倒なヴァルっちとそれまでのキャラ立ち総ざらいでヒロインポイントに換えたアルティナちゃんが悪いの!」
「他人のせいにするなよ、しかも後半に伏線回収する主要人物だぞ!?」
「それ言うならアタシだってそうだもん! アタシいなかったらデスコが生まれもしなかったのよ!?」
「お前ほんっっと大人げ……いや、こいつガキか。そうだなガキだったな」
「ガキのあんたがガキガキ言うんじゃないわよ!」
 まあそんなやり取りをしながらも躓きもせずぶつかりもせず――後者についてはほかの賓客たちがあえて避けた疑いもある――旋回していたふたりだが、ふとフーカの目にとあるホールへの通行口が目に入って姦しい会話が止まった。
「……あ、そうそう」
 自分の側からは背になって見えないので、少女が何を思い立ったかわからないエミーゼルは相手の表情が変わったことに眉を跳ね上げながらも首を上げる。そう、少年としては悔しい話が彼女の指摘通り、パートナーの頭の位置のほうが自分の視線よりも高いため見上げてしまっていた。
「ありがとね、エミーゼル。スイーツ、色々わがまま叶えてくれてさ」
 真正面から、しかも踊りながら感謝の言葉を捧げるなんてちょっと仰々しい気がして恥ずかしいけれど、やっぱり思い出した今伝えておくべきだと判断したフーカは、言ってエミーゼルに笑いかけた。
 しかし恥ずかしいのは少女だけではない。誰かに真正面から感謝されることさえ珍しいのに、しかも相手があのフーカで、更に今は着飾っているため別人めいている彼女にそんなふうに笑顔を見せられるのは、エミーゼルでさえ居心地の悪さがこみ上げてくる。少年は思わず、相手の足さばきを見ることさえ忘れてそっぽを向いた。
「べ、別にいいよ……そんな、改めて言わなくてもさ」
「や、今言わないと忘れちゃう気がしてね~。ついでに、お礼の気持ちも込めてアレやってみたかったのよ」
 前半まではなら良かったのに、後半の台詞に妙な予感を覚えたエミーゼルは、このときはまだ首を傾げるだけの余裕がある仕草で受け答えができた。
「アレって?」
「見てなかったっけ。アタシとアルティナちゃんが踊ったときにやってたやつ。ほら、あのお姫様抱っこしてからぐるぐる回すアレよ」
 フーカの無邪気な説明に、ぞわと少年の首筋に悪寒が走った。女相手に公衆の面前で姫抱きをされることだって恥ずかしいのに、今この速度で立ち止まりもせずそんなことをされるなんて、失敗の予感しかしない。
「いいよそんなもん! て言うかそれ、男相手だと礼でもなんでもないぞ! お前がやりたいからやるってだけだろ!」
「あ、わかる?」
 あっさりと肯定されて、エミーゼルは本気で唖然とした。血を吸わない吸血鬼を始めとする不可思議な一同に驚かされたのは数えきれないが、今このときの衝撃はそれらの記憶の中でも五指に入る程度には強い。もう一度繰り返すが相手はフーカなので、振り回されることも珍しくないがそれにしたって限度がある。
 しかしフーカは相手のことを全く気にせず、大人しくなったのを好機と見て片手を軽く掲げて、もう片手を独楽紐のように使いエミーゼルを力任せに勢いよく弾く。
 我に返った悪魔の少年が、半ば足を浮かしそうになって悲鳴を上げながらどうにかバランスを崩すことなく旋回し、そうしてまた重力の法則によってフーカの腕に戻ろうとしてきたところで、少女は相手の膝に手をやってからがくりと崩れ落ちかけた肩をもう片手で掬って持ち上げる。そこで金色の瞳と不意に目が合ってそちらを勢いよく振り向いた、のだが。
「あ」
 エミーゼルを取り巻く時間の流れが急激に遅くなる。さっきから肝を冷やし続けていたから時間の流れはもとより遅く感じていたが、この瞬間は時間が停まったと言えるほど。
 無理くり全身を傾けられ、微かな冷気を普段感じない部分で感じながら、少女の腕に体が触れた自覚を得たのも束の間。旋回からの勢いを保持していたためだろうか。急に体ごと引っ張られるような強い感覚が頭の先から靴の先まで少年をどこかへと導いて、彼の全身は風に包まれた。――いやお前、戦闘中そんな投げくせつけてたか。などと言いたくても舌は錆びたように動かず。
「……あれ?」
 気付いたときにはフーカのかいなに少年の重みは皆無だった。滑り落とした、ならまだいい。だが現実はそれ以上。普段から馬鹿に巨大な斧だの大剣だのを平気で掲げ振り回しているフーカに腕力があるのは否定しようがなく、ついでに仲間をどこかへ投げ飛ばすことも割合と平気で、慣れていると言えた。まあ、無意識でうっかりやってしまうくらいには?
 ともかく、ともかく。エミーゼルを抱えた勢いが強かったのか余程運が悪かったのかいつものくせがつい出たのか。少年の体は宙に浮いた。フーカの腕から解き放たれてそのまま飛んだ。まるで野球のボールのように。
「わぁぁああああああああ!?」
 この祝宴の主催者である前大統領死神王ハゴス、の息子の悲鳴が豪奢なホールに響き渡る。それでも悪魔どもの賑やかな声や音楽は止むことはない、どころか全員気付いているかも怪しい。それくらい少年はこのホールにはちっぽけな存在だったし、また天井に届くほど浮遊してもいなかったから目立てなかった。いやまあ、目立つ目立たないの問題ではないか。
 とりあえず、自分が見えない位置にまでパートナーを放り投げてしまい愕然と立ち尽くす少女に、意外と現実は優しかった。一連の事件を目撃した悪魔たちによる時間が止まったような静寂がフーカ周辺を包んでいたのだが、そんな彼らの耳に遠くから何かがぶつかった音やら壊れた音やら聞き覚えのあったりなかったりの悲鳴のあとに、死神の少年の怒号が届いたのだ。
「フゥゥウウカァアアアッッッ!!!」
「…………ぁ!」
 エミーゼルのものにしては初めて聞く、地を這うような怒りに満ちた咆哮ではあるけれど、相手が無事と知りフーカはようやく息を吹き返す。彼女の周囲も同じく、少年の声のおかげで緊張感がほうと霧散し、周囲のカップルたちはおずおずとワルツを再開し始めた。
「お前っっ!! あとでそっち行くから、動くなよ!!」
「うん、わかったー!!」
 エミーゼルに負けないくらい声を張り上げたのに、フーカは言ったそばからのこのこと歩き始める。まあ場所が場所だ。言いつけを忠実に守ってぼうっと突っ立っていられるほど安全ではないため、壁際に移動するその判断は仕方ない。
 だが何故か。一連の事件の目撃者の一人である彼にとっては本気で何故なのか理解できずに少女は彼の前で立ち止まり、真正面から言ってのけた。
「フェンリっち、踊って!」
「断る」
 雑踏の中からしっかり自分を見つけられたフェンリッヒは驚いたものの一秒も経たず鮮やかに返事をしたのだが、フーカは盛大に眉をしかめて大きな落胆の声を漏らす。
「ええ~~~~!? エミーゼルがあんなことになったの、フェンリっちのせいなのに!」
「……おい待て。なんでそうなる」
 どう見ても少女に問題があって、どう考えても少女に責任がある事件だったろうに。周囲でフーカの主張を聞く気もないのに聞いてしまった第三者でさえ目を見張った発言に、彼女は案外真面目な顔で人差し指を立てて説明する。
「だってフェンリっち、アタシたちのこと見てたでしょ? て言うかばっちり目合ったわよね。それでアタシもあれっ? って思ってよそ見しちゃって、それでついついエミーゼル投げ飛ばしちゃったんだから。だからあれは、あんたが悪いの!」
「そんな話、誰が納得するか!!」
 無茶な理論の飛躍に頭痛を患いながら人狼が一喝するも、フーカは頬を膨らませて不満と抵抗を色濃く見せる。本気で青年が原因だと思い込んでいる顔だ。
「だってそうなんだもん! フェンリっちがアタシたち見なかったらそもそもアタシあんたに気付かなかったし。そうしたらエミーゼルもあんな華麗に吹っ飛ぶこともなかったし!」
「それなら前提としてお前があの小僧を抱えようとしなければいい話だろうが!」
「よし、見てたの否定しなかった!」
 嫌なところをしっかり食いつかれ、フェンリッヒは舌打ちをするがそれはそれだ。あの少年を投げ飛ばした少女にすべての責任をなすりつけられるほど致命的な問題ではない。
「それがどうした。見知った阿呆どもを見つけて呆れることの何が悪い。大体、あの小僧にお前の主張を説明したところであいつがそれを受け入れる訳がなかろうが」
「そうかな~? とりあえず七、三くらいでフェンリっちも怒られるんじゃない?」
 脅すつもりなのだろうがそれにしたって楽観的にも程があるフーカの笑みに、人狼は反論する気力も失せるほど脱力した。この現実を夢だと主張するときのように、誰がどうまともに説き伏せようとしたところで眼前の小娘はこのままの調子でいるだろうと思えば、さっき彼を襲った思考と比較して、見事に自分にだけ都合のいい思考回路にはいっそ羨ましささえ覚えてしまう。
「……勝手に言っておけ」
 だが見習いたいほどではないので、とっと彼女と距離を取ってしまおうと踵を返すフェンリッヒの片腕を、フーカはしっかり掴んで逃亡を阻止した。
 バランスを崩しはしなかったが不意を打たれたフェンリッヒは、眼光鋭く少女を睨みつける。いくら着飾っていようが上目遣いで見つめられようが、彼には性としての女の主張は効力が薄い。我が身を削るほど女との約束に囚われた悪魔に仕えているが故に、むしろ恨んでいると言ってもいい。
「逃げない! あと踊ってってば!」
「断ると何度言わせる気だ」
 これでフーカが慣れない媚びでも売っていれば、今のフェンリッヒは機嫌の悪さも相まってその細首に自由なほうの片手を回していたかもしれない。だが幸いにも着飾っているはずの少女は色気の欠片もない真っ直ぐな栗色の眼差しを彼に向け、言葉も普段の調子でいたため、彼は短く言葉を吐き捨てるのみで拒絶の意思を示した。それから僅かに会話をすることで冷静になった頭が、この状態を客観的に捉えた上での疑問点を浮かび上がらせる。冷静を超えて冷酷になってしまえばそのまま無言で腕を振り払えたろうに、人狼が次に取ってしまった行動は唇を動かすことだった。
「そもそも、どうしてお前はそこまで今オレと踊ることにこだわる。小僧がお前を探しに来るまでの時間稼ぎか? それともオレを道連れにする気か?」
「おっ、ナイスアイデア! じゃあそれで」
 フーカの目が煌めき、何も考えていないと正直に答えられるより疑いもなく何も考えていないと思い知らされた答えが返ってきて、人狼は天井を仰いだ。あまりの馬鹿馬鹿しさに頭痛さえ覚えかけ、ようやく腕に力を入れる気になる。
「とにかく断る。さっさと手を放せ」
「えぇー! ヴァルっちの前で言ってたじゃん! あんた約束破る気!?」
「『約束』は口にしていない。閣下にもお前にもな」
 そうして今度こそフェンリッヒはフーカの手を振り払えたのだが、対する少女はなかなかにしつこい。すぐさま翻った燕尾服の裾をつまむと――尻尾を触ろうとしない点は小さくも進歩と言えよう――、青年悪魔の腰の動きを止めて不敵に口の端を歪ませる。
「だったらヴァルっちにチクるわよ? フェンリっちがアタシと踊らなかったのーって。だから罰としてフェンリっちの魔ビリティにパワーオブエロスつけてって」
「それは止めろ!」
 反射的に声を荒げてしまったとフェンリッヒが自覚したときにはもう遅い。手応えを得たフーカはにやあと笑って人狼の燕尾服の裾を両手で握り、無言で脅迫する。本人はそこまで頭が回っていなかろうが、相手が勝利に酔いしれた隙を突いて逃げる術さえ封じられた悪魔の成年は舌を強く打ち鳴らし、忌々しさを隠しもせず頭を振って降参の意を示した。
「……付き合ってやるからいい加減に手を放せ。オレは服なぞさして気にせんが、閣下をみすぼらしい姿でお迎えしたくない」
「はいはーい」
 言われた通り手を放すが、やはり片手だけでもう片手はしっかり裾を握ったまま、フーカはエスコートしろと言わんばかりに青年の前に手を差し出す。ここまで徹底するとはわざとなのかと疑いかけたものの、そんな脳味噌はないと判断したフェンリッヒは嫌々その手を取った。
 ようやく燕尾服から完全に手を放したフーカは人狼の予想外に大人しくなったが、雑踏を掻き分けホール中央部にまで向かう足取りは幼い子どもめいて弾んでいる。その様子は嬉しさあまって、と言うより退屈をもてあました児童の一人遊びのようで、やる気がないはずのフェンリッヒは思わず手を軽く引いてそれを止めさせた。
「お前はガキか。少しは落ち着け」
「ん、あはは……。まあ、ちょっとテンションおかしいのはアタシも自覚あるのよね」
 適当なスペースを見つけて向かい合い、音楽が始まるまで軽く姿勢を正したふたりのうち人間の少女のほうがほろりと笑う。珍しく落ち着いた態度に、なら始めから自分でどうにか制限しろと悪魔の青年は眉をしかめた。
「そんな訳でさ、ごめんね。フェンリっち」
「……はん?」
 しかし次に聞こえてきた言葉とは繋がりが見出せず、思わず人狼がフーカの表情に目を見張れば、少女は居心地が悪そうに小さく肩を竦めた。それで今更フェンリッヒは、眼前の娘の体臭が微かに甘い女ものだと理解したのだが、薄荷に近い印象のそれに嫌悪感は不思議と淡い。
「フェンリっちが今日イライラしてんの、アタシのせいなんでしょ? だったら謝るわよ。機嫌悪くさせたまま踊ったらわざと足踏まれそうだし」
 そのまま多少落ち着いた会話が交わされるかと思ったのに、しみじみと自分の利害しか考えていないと告白されてフェンリッヒは匂いの不可解も忘れ呆れてぼやく。
「とにかく謝ればどうにかなると思っていそうだな」
「エミーゼルやデスコにも言われたの。今日のアタシ、はしゃぎすぎって。そんなだから絡まれまくったフェンリっち超イライラしてるって」
 結局他人からの指摘でその結論を弾き出したのならばさして大きな意味はない。ならばさっきの謝罪自体も芯から反省はしていなかろうとますます馬鹿馬鹿しさを覚えた人狼が鼻から呼気を抜けば、その仕草にいかな少女でも口先を尖らせる。
「あんたねえ、この夢の世界の支配者たるアタシが謝ってるんだからとっとと素直に受け入れなさいよ! 男のくせにちっちゃいこと気にしてっ!」
「緻密に物事を考えているだけだ。お前の大雑把にもほどがある頭と一緒にするな」
 フェンリッヒとしては当たり前のことを毅然と言ってのけたのに、少女はぷっと吹き出してまたも嫌な予感を誘う笑みを浮かべる。我知らず後ずさった人狼へ、フーカは単刀直入に指摘した。
「ヴァルっちのこと持ち出したらすぐ態度変える辺り、あんたの頭だって相当わかりやすいわよ? もしかして、今の今まで自覚なかったりする? 馬鹿?」
 容赦なく図星を突かれた上に挑発までされて、フェンリッヒは今までの余裕をかなぐり捨てて毛を逆立てる。もう音楽が始まってしまい、まさしく弱点を突かれたためこれから踊らない訳にはいかなくなったが、彼はパートナー相手に大人げなくも牙を剥き出して言い放った。
「叩けば治る家電級の脳味噌しかないお前に言われたくはないな! 相変わらず都合が悪くなったら夢だ夢だと抜かしおって、一瞬でもお前も成長したかと感心したオレが馬鹿だった!」
「あ、自分で自分のこと馬鹿って認めた! やーいばーかばーか! フェンリっちのばーか!」
 反省したはずなのにやはり反省を忘れたフーカは言葉尻を捉えてはしゃぐも、それこそ彼女はもう少し考えるべきだった。自分のおかれた状況を、自分が誰の腕に掴まり誰と踊っているのかを。彼女は知っていたはずなのに。
「……フッ」
 まず穏やかに笑ったフェンリッヒは、優雅に回旋するはずの足を不意に予定進路とは全く別の方向――平たく言おう、フーカの足を狙って下ろす。それを紙一重でフーカは避けるも、ラメが編まれたタイツに触れる風の強さはついうっかりのレベルを遥かに凌駕している。いやそもそも、踏むどころではなく踏み潰すほどの勢いだったものだから、彼女は背筋に冷たい汗が流れることでようやく現状を把握した。
「……え、えーとね。フェンリっち?」
「仕方ない。……お前の言う通り、オレは馬鹿だと認めよう」
 声の調子もまた彼が湛えている笑みと同じく静かなもので、その場面だけを切り取ってしまえば祝宴の一つの物語としてあっても悪くない、ほのかな甘さを感じさせる。人狼の心境を隠しきれないこめかみや首筋に浮かぶ血管、口の端の震えさえも無視すればの話だが。尤も、フーカのほうもどう見ても笑顔がぎこちなかったり腰が奇妙に引け気味な点も見逃さねばならない。
「うむ、確かに馬鹿だ。愚か者だな。だからこそ、今踊っている相手のお前の足を再起不能なほど踏み潰してしまっても仕方ない」
「いや仕方なくないし! どんな理屈よそれ!」
 叫ぶフーカのヒールに、黙れと言わんばかりの勢いでもってフェンリッヒの足が再び振り下ろされる。今度もまた少女はどうにか避けたものの、次はそれが連続した。風圧の衝撃に片足立ちしたままの少女のその片足を、人狼は遠慮の欠片もなく蹴飛ばそうとしてついに少女はきゃあと悲鳴を漏らし身を捩る。
「……って、フェンリっちマジ大人げない! インケン! インシツ!」
「ああ、そうだな」
 凶弾するもあっさりと認められたフーカの心情たるや筆舌に尽くし難い。だがこの結果を招いたのは彼女自身だし、またこの場において彼女を庇うものは誰もいないため、悲しいかな少女はかつては仲間であった悪魔を相手に孤立無援の戦いを強いられることになった。しかも相手は彼女の片手もしっかり掴んで逃がそうとはしないし、この調子では真っ当にワルツを踊る気などフェンリッヒに皆無だろう。
 フーカにとって異性に片手をこうも力強く握られたのは初めてだが、そこに宿る感情を思えばお花畑と揶揄される頭の持ち主だって本格的に危機感を募らせる。そうして眼前の青年が疑問を浮かべたように、さっきまでのどうにかして彼と踊ろうとしていた自分に対して強い疑問と後悔をこめて、少女は情けない声を上げる。
「んぁ~もう!! フェンリっちダンスに誘うんじゃなかった~~!」
「何を言おうが今更遅いわ! 観念しろ、小娘ぇェエっ!!」
 そしてフーカと少年を見つけてしまうまで暗鬱な気持ちでいたフェンリッヒは、剣呑に笑って相手の足を再び容赦なく狙う。もうその声にも表情にも、どろりと濁った思考など一つだって残っていなかったのだが今の彼がその胸に滾らせ表情に浮かび上がらせるものは正直なところ、あまり褒められたものではあるまい。
「いーやーあ~~~~!!」
 魔界の頂点、大統領府。その中でも豪奢なホールの一角に、少女の悲鳴が響き渡る。それに被るようにして人狼の心底愉快そうでかつお手本のような悪役めいた高笑いが響き、ほかの賓客たちは急に何事かと色めき立ったり戸惑ったらしいが。ことの真相を知るのは、ほんの一握りしかいない。

◇◆◇

 フーカに投げ飛ばされたエミーゼルは、投げ飛ばされたこと自体は運が悪かったものの被害そのものは軽いため、運がない訳ではないとまだ主張できた。今の彼は知らないが、少なくともその後の少女を襲う自業自得気味な展開に比べれば幸運と言っても差し支えない。
 何せ落下中の少年と目が合ったのは時間を司ると噂される別魔界の大貴族ズルワン卿で、彼は頓狂な顔を見てほんの気まぐれを起こしてくれたのだろう。エミーゼルが突っ込みかけた、使用済みの皿を下げにホール外へ出ようとする給仕の一行と接触する時間を僅差でずらしてくれたことにより、彼は注目を浴びながら床を転げ回るだけの被害で済んだ。――天井からよりにもよって前大統領の一粒胤が降ってくるとは思いも寄らない給仕たちが皿を放り投げるほど驚いてしまったせいで、結果的に彼らの給金がこの瞬間から泡沫と散ったがこれは少年には関係ない。
 死神の少年は受身を取っていたため大事には至らなかったものの、全身を強打したのは紛れもない事実。だがそれにも増して自分を放り投げた少女への強い憤りが勝り、起き上がったエミーゼルは自分が今どこにいてどこを向いているのかもわからないまま腹の底から唸った。
「フゥゥウウカァアアアッッッ!!!!」
 急に少年が空から降ってきて驚き戸惑っていた悪魔たちが、彼の怒号に硬直さえする。自覚した以上の荒んだ声に少年もまた内心鼓動が跳ね上がったが、それよりも怒りが納まらずエミーゼルは聞こえもしない相手の反応の間を置くと、全身に痛みを感じながらも立ち上がって叫ぶ。
「お前っっ!!! あとでそっち行くから、動くなよ!!!」
「うん、わかったー……!」
 自分へとまとわりついた視線も気にせず言い放てば、音楽と脳天気なざわめきの向こうから微かに自分を放り投げた犯人の声が聞こえてくる。あの少女ならばそのまま大人しく待っていると思えないが、一応釘を刺せた少年は満足して、いまだ注目を浴びるのも気にせずソファに座って休もうと歩き出そうとしたのに。
「う……ぐっ」
 強い怒りが一旦落ち着いてしまったせいだろう。全身に走る痛みにまず背骨が軋んで膝が悲鳴を上げて、エミーゼルは体を屈める。誰か回復魔法を使える奴がいないのかと周囲を見回したくなっても、それさえもできないほど後頭部が熱く神経が衝撃のあまり遠のきかけたとき、目映い光とともに体から重々しい熱が消え、代わりに浮遊感が彼を包んだ。しかし今度は比喩表現としてであり、死神の少年の両足は黒大理石を踏み締めたままだ。
「……あ、あれ?」
「大丈夫ですか、エミーゼルさん?」
 痛みのせいでまともに動かせなかったはずの指さえ、唐突にさしたる問題なく自由に動かせるようになったエミーゼルは反射的に首を声のした方向に動かすと、鮮やかな水色の瞳と目が合った。手袋に包まれた細指を差し伸べられ、それを伝って立ち上がると少年は大きく息を吐き出す。
「はあ……助かったよ、アルティナ」
「いえ、お気になさらず。けれど回復魔法は応急処置みたいなものですから、油断は禁物ですわよ」
 深刻な表情で心配してくるアルティナに、少年は緩く首を横に振った。武器を手にしていないため効果のほどに自信がなかったのだろう。万全の体制を期してギガヒールをかけられたエミーゼルは、さっきまで全身を襲う痛みさえ忘れられるほど清々しい心地でいた。
「そこまで気にするほどの大怪我じゃないから心配するなって。お前だって、血が出てないのは見ただろ」
「……ええ。ですけど、羽も持っていないエミーゼルさんが上から降ってきたときは、本当に我が目を疑いましたし」
 しみじみと目撃談を聞かされて、エミーゼルも乾いた笑いを浮かべながら同じくしみじみと頷く。
「…………うん。ボクもああして自分が飛ぶとは思わなかった」
 戦闘時にはどんな高さから放り投げられようが文句の一つ程度で済ませるのに、こんな場所では不用意に投げ飛ばされること一つでさえ一生の記憶に刻むほどの強烈な経験として捉えてしまうのだから、つくづく戦地とは日常からほど遠い環境なのだと少年は思い知らされる。だがそこで自らの力を鍛え上げ、生き抜き、またそうして共に生きる仲間との信頼関係を築いていった彼は、あの場をおいそれと退けられない。
「それにしても、どうしてあんなことになりましたの? さっきの怒鳴り声を聞くに、フーカさんが原因のようですけれど……」
 奇妙に重い方向に思考を転がしてしまったエミーゼルは、天使の声に我に返って曖昧な返事を寄越すと辺りを見回す。ちなみに周囲の悪魔たちは彼が無事だとわかって、顔見知りの女が回復魔法までかけるのを見届けると、安心したのと自分たちが手出しする理由もなくなったとばかりにすぐさま彼らに興味を失い、今はふたりを気にかけるものなど一人もいなかった。
 とにかくさっき見つけたソファを指で示すと、エミーゼルは自分を起こし上げてくれた手を今度は自分が下になるように握り返して彼女を誘導する。
「詳しい話はあっちでするよ。あんなことがあったから、体はいいけど心のほうが疲れたし……」
 それは仕方ないとアルティナは苦笑を浮かべて彼のエスコートに従うと、まだ割れた皿をかき集めている給仕たちを遠巻きに眺めているプリニーを呼び止めて、軽い飲み物とお絞りを受け取る。
 紫の天鵞絨張りのソファに深く腰を下ろしたエミーゼルは天使から細いグラスとお絞りを受け取り、それらを使ったところでようやく一息つき、なるべく簡潔に自分が宙を飛んだ理由を説明したのだが。
「そ、それでは、エミーゼルさんがあんな目に遭った原因は、わたくしにもある、とも考えられるのでしょうか……」
 浅く眉根を寄せた天使に、悪魔の少年は違う違うと手を振る。
「別にアルティナには責任なんかない。フーカのやつが変なこと思いつくのがおかしいんだ。……大体男があんなのされて喜ぶなんて、普通誰も思いやしないだろ」
「そうなのでしょうけれど……フーカさんにあんなことを教えたのはわたくしですもの。少しは責任を感じてしまいますわ」
 相変わらずお堅いことだと強張る肩を眺めたエミーゼルは、慰める気などなく冷静に桃色の髪に言葉をかける。
「ま、お前がどう受け止めたってボクはアルティナが原因だと思ってないよ。けど、そんな調子ならフーカには暫く会わないほうがいいんじゃないか?」
 自分が怒られるのを嫌がった少女が、無茶な理屈で彼女を巻き込みかねないと予想するエミーゼルに、アルティナはどうでしょうと淡く笑う。
「むしろ責任はわたくしにもあると言ったら、フーカさんが庇おうとしてくれるかもしれませんわよ」
「ああ……、アルティナだと曖昧なところだな。あいつ同性には結構甘いし。年上で甘やかしてくれる相手だと特に」
 少女が天使を庇う方向も、天使に罪をなすりつける方向も両方違和感なく頭の中で再現されて、エミーゼルは五分五分の可能性に気の抜けた笑みを浮かべる。会話内容はともかく、こうも落ち着けるやり取りを誰かと交わしたのは随分懐かしい気がしたからこその、穏やかな表情だった。アルティナも少年の表情筋の緩み方に親近感を抱き笑うも、こちらはそこまで眠そうな猫のようではない。
「あのお年頃は親も含めて異性にはなかなか素直になれない時期ですもの、仕方ありません」
「って言ってもあいつ、照れ隠しとか異性を意識し過ぎてつっけんどんになったりはしないと思うけど。あんたと違って自分の本音隠そうとしないし」
「あら。エミーゼルさんたらわたくしまでツンデレ扱いですの?」
 動じることなく含み笑いを浮かべてこちらを振り向くアルティナに、背もたれに上半身を預けていた少年はよっこらと腰を持ち上げ首を小さく左右に振る。
「いやあ、あんたの場合はどっちかって言うと意地っ張りかな? ツンデレの正確な言葉の意味はよくわかんないから、違いも知らないけどさ」
 その指摘は自ら茶化されるつもりで身構えていたアルティナにはなかなか効果的だった。微かに頬を赤らめて押し黙り、少年のほうに捻っていた身体を静かに真正面に戻すが、ここで張る意地はないのであっさり降参する。
「……ま、ばれてしまいますわよね」
「そりゃあなあ。て言うか、ヴァルバトーゼの奴と今日は全然話してないだろ。ボクと会うまでにちょっと会ったって言うんなら完全に気のせいだけど」
 彼の言葉にアルティナは静かにかぶりを振ることで否定して、つまり死神の少年の気のせいではないと奥ゆかしく示す。
 予想通りの回答に肩の力を抜いた少年は、すぐさま自分を伝令役にした人狼の執事の鼻を明かすにはまさに最適な方法を思いつく。それにさっき彼女には回復魔法をかけてもらった恩もあるしと自分を納得させてゆっくり立ち上がり、天使の前で大きく伸びをした。どうしてわざわざ自分の前でそんなことをされるのか理解できていない顔のアルティナは、微かに首を傾けて少年の次の言動を待つ。
 そんな彼女に、エミーゼルはなんともない顔で顎をあさっての方向にくいと動かして見せた。
「ついてこいよ、アルティナ。あいつが今いる場所、教えてやるから」
「……エミーゼルさん?」
 唐突な発言に目を瞬いた天使に向かって、少年は片目を瞑り笑う。子どもらしく無邪気で微笑ましいものではない。悪魔らしく、自分の損得を感情的に判断した結果の、意地悪とさえ表現できるのに奇妙に目を惹くものを滲ませて。
「言っておくけど、お前のためじゃないぞ。ボクだって悪魔だ。誰かにいいように使われる、人畜無害な使いっぱしりは真っ平御免だ。ちょっとは場をかき乱すくらいの行動だってしたいのさ」
 澄まして告げる少年に、アルティナは目を瞬いてからくすりと瞼を伏せた。
「……ま。ではわたくしはあなたに使われる側ですのね」
「そう言うこと。でも、お前にだって損はないんだ。黙ってついてきてくれよな」
「ええ、そうですわね……。幸い、今のエミーゼルさんにあの青い鬼火はありませんし、信じることに致しましょう」
 天使は一度大きく肩を竦めてからゆっくりと立ち上がると、ワルツに今から参加する一組のカップルのように死神の少年の手に導かれて移動を開始する。しかしその目指す先は華々しい悪魔たちが舞う、きらびやかなホールではない。彼女にとってはそれ以上に、想うだけで胸を締めつける存在の――。

◇◆◇

 喧噪から遠ざかった静かなテラスで行われた紫紺の外套の死神王ハゴスと黒い外套の暴君ヴァルバトーゼの会合は、月下と爽やかな夜風の中、剣呑な空気も放つことなく行われた。
 魔界大統領を引退したもののいまだこの魔界に多大なる影響力を残すハゴスは、政拳交代時以来吸血鬼とは顔を合わせていなかったのだが、随分と穏やかに彼を出迎え、それだけ『断罪者』の存在は、死神王と呼ばれたこの悪魔にでさえ重荷だったらしいと伺い知らせる。
 しかしハゴスは馴れ馴れしい性格でも恩着せがましい性格でもないのに、吸血鬼に自ずから酒を満たしたグラスを渡すとまるでその見返りを求めるようにして彼が反旗を翻してから今までの話を聞きたがるのは、ヴァルバトーゼにとって違和感が過ぎた。
「……わざわざこんな席まで設けておいて、話すことがそれとは。そんなもの、お前の息子に聞けば良かろう」
 呆れてヴァルバトーゼはグラスの中身を嘗めるも、今までの彼は血とイワシ以外に興味を持たずに生きてきた悪魔である。この酒がどれだけ高価でどれだけ甘露であろうが、それを味気なく喉の向こうに流すぶんには彼にとって、酒も水も大差ない。
「余とてお前の自伝など聞きたい訳ではない。……過去をなぞれば自然と現在、そして未来の話になる。お前が改めて過去を振り返れば、真に求めている未来の選択が自然と浮かび上がると思っただけよ」
 結局のところこの祝宴の主催者は主賓に最大限に気を遣っているだけと知らされ、ヴァルバトーゼは肩を竦めた。
「……世話焼きなのは相変わらずだな。それほど直接己の実にならんことが好きか。暇な奴よ」
「本気でそんなことを言っているのなら、貴様の顔面に鏡を突き立ててやらんこともないぞ」
 物騒な言い回しに、吸血鬼は失笑する。勿論、プリニー教育係の職に誇りを持ち、また新党を立ち上げ党首として多数の悪魔の鍛錬に付き合った彼が、今更誰かの面倒を見ることなど嫌う訳がない。地獄に堕ちるまで一匹狼――正確には人狼を一人従えていたが――であった彼であれば、考えられないことだったけれど。
 しかしそんな青年の感慨など、ハゴスの目には入っていない。長考の間を置くと、恰幅の良い悪魔は柔らかな顎髭を撫でながら頷いた。
「しかし、確かにお前からこれまでに到る経緯など聞いても面白くも何ともないな。お前は語り部として客観性と語彙に欠ける」
「どこぞの小娘ではないのだ。客観性と語彙くらいある」
「小娘とは誰のことだ。お前の仲間か」
 指摘を受けて、ヴァルバトーゼは肯定した。そう言えば祝宴の席でも他の魔界の連中から、今回の戦果を詳しく聞かせてほしいとせがまれるとは何度となくあったが、共に戦った仲間については誰も触れなかったと思い出し、彼は自然と身を乗り出した。
「ああ、プリニーもどきの人間の小娘だ。当然死んでいるのだが、この世界を自分の夢だと思い込んでいてな。なかなか自分をプリニーと認めようとせん。実に厄介な奴よ……」
「ほう」
「プリニー殲滅部隊の頭をやっていたのだが、お前は知らぬか。当然、お前と戦ったときにもいた」
「……ああ、あの被りものの人間の娘か」
 納得した顔でハゴスもまたグラスを口に運ぶが、次にそこから唇を離すと愉快なものを見た顔でいる。理由がわからず疑問の視線を送ったヴァルバトーゼに、死神の王は喉の奥で笑った。
「そうさな。確かに自分の言動を振り返るなど飽きるほどしているだろう。では此度はお前の仲間とやらについてお教え願おうではないか」
「……仲間か」
 その物言いで、ようやく青年は自分が仲間を語ることで饒舌になっていたのだと自覚した。しかし恥ずかしさはない。何もかも自分だけの働きではなく、彼らの助けあって今に至ると信じているヴァルバトーゼにとっては、それはむしろ誇らしくも大切なことだ。
「そうとも。お前が一人でここまで来たのではないと言うのなら、ほかの連中もそれだけの力を持っているのだろう。教えてみろ、余にその自慢の仲間とやらを」
「いいだろう。お前に仲間の話をするなど考えもしなかったが、自伝を語るよりも気は楽だ」
 そんな前置きをすると、吸血鬼はまず人狼の執事のことを考え言葉を導き出そうとする。しかしそれは、同時に彼にとっての今までの他者との出会い、まさしく過去そのものを振り返ることにもなると、彼は気付いていただろうか。
 そうしてヴァルバトーゼによる仲間の自慢が始まった。始まるまでは多少間があったものの、始まってみると吸血鬼は立て板に水とばかりの説明や賛辞を仲間へと送り、その合間にハゴスが的確な相槌や質問が入ってより明確に彼の仲間たちの人となりが補完されていく。今のふたりの会話を聞けば、彼らに直接会ったことがない者でさえ、吸血鬼の仲間の個性と、またこの悪魔がどれだけ彼らに親しみ、大切であるかがよくわかったろう。
 人狼族の青年フェンリッヒ。吸血鬼の忠実な僕について語る際、ヴァルバトーゼの口調は誇らしげな喜びと彼への感謝に満ちていた。命を救ってやったのは暴君時代だったと言うのに、魔力を失い地獄に堕ちて以降も忠誠を忘れず、ここに到るまで自分のためにあらゆることを為してきた彼こそ、約束を破らない誇り高き吸血鬼たる自分の僕として相応しく、この魔界にも二人といない悪魔だろうと彼は執事を褒め称えた。反面、自分に血を吸わない約束を破らせようとすることだけが唯一の欠点だと、彼の気持ちもわかるだけにどうにも割り切り難い愚痴も滲む。
 プリニーもどきの少女フーカ。吸血鬼にとって教育対象たるプリニーにして、しかしこの現実を夢と捉える小娘の話題となると、ヴァルバトーゼの表情は小憎たらしげではあるが、語り口調はあくまで軽く、貶し言葉もまた清々しさを含んでいた。プリニー殲滅隊として自分たちの前に立ちはだかった出会いから誤解を解いて仲間となり、友として主従に接してきた小娘は、現代の救い難き人間であるにも関わらずどうにも憎めぬ部分もあり、憎まれ口も叩きつつ程々に甘やかしてしまうのは、教育対象として見ているのか。それとも本当に友として見ているのか。
 人造悪魔である最終兵器デスコ。フーカのために造られた妹であり、彼女の夢を叶えるためラスボスを目指す健気な少女へと話が移行すると、ヴァルバトーゼは優しくも厳しい教育者として彼女を評価する。破壊力だけならばラスボスになれる日も遠くないほど切磋琢磨を重ねているが、何よりもの知らずで知識に偏りがあるのが痛い。しかしあの容姿を生かすならば、下手に威圧感だの悲愴感だのを出すのではなく、無邪気無垢なままのラスボスとしていたほうが良かろうかと吸血鬼はハゴス相手に相談し、しかしそれはその小娘と相談しろとの冷静な一言であっさり打ち切られた。
 死神エミーゼル。出会った当初はハゴスの息子ゆえ甘やかされて育った、しかし今は一人の悪魔として現大統領からの政拳交代を目指す悪魔の少年について触れる際、ヴァルバトーゼの口調には静かな熱と感慨が含まれる。お飾りの鎮圧部隊として反乱当初から立ちふさがった父親の臑齧りが、仲間となって以降は目覚ましい成長を見せたことを、彼は我がことのように喜んでいたし、同時に少年の心根の強さと正しさに感服していた。面映ゆそうな父に、彼はあの少年がいつしか父をも越える立派な悪魔になるだろうと予言し、その日を楽しみしていると伝えた。
 そこまでは順調だったのに、なのにヴァルバトーゼは最後の一人、業欲の天使ブルカノ改めアルティナの話題になると、初めて言葉を詰まらせた。
「……あいつか」
 今まで仲間たちのことを語る際は誰に対しても淀みなく動いていた唇が、勢いをつけて開いたと思ったら、しかし躊躇いがちに何も生み出さず閉じられる。その様子を受け、息子からある程度彼らのことを聞いていたハゴスは苦笑を薄く目元に刻んだ。
「エミーゼルには、お前が地獄に堕ちる切欠を作った約束の女だと聞き及んでいる。そして、あのネモを生み出した女でもあると」
「……ああ。罪深い女だと、お前も思うか」
 そこについて、吸血鬼は自分から触れるべきか悩んでいたらしい。後ろ暗くも少しは安心したように肩の強張りを和らげて、グラスを口に含み喉に湿りを帯びさせる。そのための用途でしか口に含んでいないのだが、もう瓶は一本空になりつつあった。
「お前が危惧するほどの怒りはない。話を聞く限り、余にとっては運の悪い女としか思えぬ」
「そうだな……」
 客観的な発言なのに、ヴァルバトーゼの表情からは陰りが消えない。その理由がわからず、ハゴスは建設的な話題の方向へ彼を引っ張ることにした。かの天使とやらについては息子が語ったこと以外は知らないため、もう少し詳しい話を聞きたかったのだが吸血鬼がこの調子ではそれも難しかろう。
「あのネモと言う人間には随分と苦しめられたが……改心し、お前がプリニーとなった奴に徹底した教育を施すのならばむしろ安心して任せられる。頼んだぞ、ヴァルバトーゼよ」
「ああ。今後いかに忙殺されることになろうとも、あいつだけは徹底的に俺の手で教育してやる」
 はっきりと言ってのけはしたものの、青年の表情に変化はない。何の理由があるものかと考えを巡らせたハゴスの耳に、不意を打って見知らぬ女の声が響いた。
「……はい。ありがとうございました」
 声は応接室から聞こえてきたようだ。酒の肴など頼んでいないし、人払いさえ命じたのにどうして女の声など聞くのかと首を傾げたハゴスは、対面するヴァルバトーゼが硬直していることに目を瞬いた。今までその格好も含めて昔に似た威厳を滲ませていたのに、現在は室内に目を向け、それこそ一時停止の魔法にでもかかったように、グラスをテーブルに戻そうとしたままの姿勢でぴたりと止まっている。
 そうなる理由は――捻りもなく考えれば女の声と姿に心当たりがあるからで間違いない。成る程そう言うことかと吸血鬼の青臭い反応に笑いを噛み殺すと、ハゴスは立ち上がって応接室を目指しながら、扉の前でこちらを慮ってか立ち尽くす女に対し柔らかく話しかけた。
「ヴァルバトーゼをお探しかな、ミス・ウィルヘルミナ」
「あら……。ルーシーではありませんのね」
「吸血鬼の最後の捕食者の肩書きを持つのなら、貴女にはミナのほうが相応しかろう」
 人間界で最も有名な吸血鬼にまつわる書物を用いた会話を交わすと、桃色の髪の女が微笑を湛えてようやく窓の外にまでやって来る。さっきの吸血鬼の反応は過剰だろうが、ハゴスの目から見ても確かに美しい天使だった。
「そうかもしれませんが、彼女は既婚者ですわ。かと言って、わたくしはルーシーほど何人もの殿方から婚約を申し込まれた経験も、二人のように吸血鬼さんに血を吸われた経験もありませんけれど」
「ならば貴女の名前を伺おう。『業欲の天使』の名なら耳にしたこともなくはないが、暴君と約束を交わした女の名は知らぬのでな」
 女はハゴスの物言いを軽く咎めんばかりにまあと小さな声を漏らすが、前大統領に対し敬意を払う気はあるようだ。公式の席として折り目正しく丁寧な仕草で膝を折り、続いて堅苦しくも涼やかな口調で死神王に挨拶をした。
「ご尊顔を拝するは光栄と存じます、前魔界大統領閣下。わたくしの名はアルティナ。『暴君』ヴァルバトーゼと約束を交わした、人間から天使となった女です」
「原初の娘御たる天使にそのように敬意を表していただき、こちらも光栄に思う」
 その片手を取って紗に包まれた手の甲に軽く口付ける仕草をすると、ハゴスの背後から騒々しく何かを床に落としたような物音が聞こえてきた。ついでに誰かが咳き込む音も。先まで誇らしげであったはずの青年のみっともない姿を目にするのは忍びないと思った恰幅の良い悪魔は、天使から手を放すと眉根を指で解してぼやく。
「……あれのお喋りに長らく付き合うのは疲れたのでな。よろしければ、貴女に交代してもらいたく思うのだが」
「わたくしでよければ喜んで……と言いたいところですけれど、あの方のご意思は伺わなくてもいいのですか?」
 吸血鬼の姿が見えないからか、さっきの騒音を気にしながらも不安げにこちらを見上げてくる天使に、なんともない顔でハゴスは一度だけ首を横に振った。
「なに、どうせ構いはすまい。……ここが退屈とあれば庭でも散策すればよろしい。危ないものは放しておらぬ故、安心なされよ」
「お心遣い、ありがとうございます」
 もう一度膝を軽く折り、ハゴスと入れ替わるようにしてテラスの庭に面する側へと体を向けたアルティナの姿を改めて見せられ、ヴァルバトーゼは慌てて咳払いをする。気持ちを無理に切り替えいけしゃあしゃあと彼女の手に接吻をした死神王の後ろ姿を睨んでも、こちらの視線に気付いているはずなのに完全に無視して振り向きもしない。
 吸血鬼の様子を気遣ってか、おずおずと近付いてくるアルティナを視界に収め、彼はしかしなるべく動揺を表に出すまいとしながら深くも短く息を吐き出す。それからようやく、声を裏返らせることもなく彼女に訊ねた。
「……い、いつの間にそうなった」
「ついさっきですわね。……時間は忘れてしまいましたけれど」
 小首を傾げたアルティナの、緩く波打つ桃色の長髪がふわりと揺れる。小さな頬に添えられた手は二の腕半ばまで届く純白の紗の長手袋で、チョーカーも揃いの白のレースを施していた。胴体もまた白絹の、飾り気もなく目を見張るデザインでもないがそれだけでも十分に彼女のきのままの魅力を引き立てるドレスに包まれており、男装をしていたはずの彼女の変貌に、彼は顔に熱が篭る自覚を持ちつつ首を振る。
「何故、その、わざわざ着替える?」
「はぁ、まあ……ええと……ですね……」
 訊ねられたアルティナは、暫く言い辛そうになにやら口ごもっていたが、少しするとはにかむように微笑んで、彼の頭をますます混乱に追い込む。祝宴当日、彼女がこんな格好でいることを淡く期待していたはずなのに、それ以上の衝撃と動揺が酷い吸血鬼の内面など気付きもしない様子のまま。
「……あなたにお会いしたかったものですから。おめかしでもしようかと」
 その言葉を耳にして、吸血鬼の思考が完全に一時停止したことは――最早今更、言うまでもない。
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