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18:23

2011/07/06

 デスコはどうやって踊るのか。死神の少年が抱いた疑問に対する返答は、実に無難で面白みも突飛な発想もなく。単純に移動や旋回には尻尾を使って、実際の脚はそれらしく動かすだけで本当に足を地面につけはしない。練習中、三人がああだこうだとアイデアを出し合い、実際に試し、悪魔の少女自身が選んだ方法がこれだった。つまるところ、少女自身が割合と無難な発想を好むとも言えようか。
 紆余曲折はあったし努力はしたのだ。靴を選ぶとのフーカの言葉に惹かれ、子ども用の靴を履いて実際に足を使って踊ってみたものの、常に低空飛行か尻尾を使っているため歩行そのものをしないデスコにとって、踊りは実に難儀した。しかも尻尾を使って上に丈を伸ばさなければ身長は一メートルにも満たないのだからパートナーの姿勢も辛くなるし相手も限定されてしまう。結果的に自分が躍るとなるとまず予想していた状態になって、少女は残念に思ったものだ。
 だが、たかが尻尾を動かすだけなどと侮るなかれ。旋回しながらの移動なぞデスコにとってこれまで思いも寄らなかった動作のため、勘所を得るに到るまでまさしく血の滲むような努力を要した。当然、真っ当に考えればそんなことラスボス修行とは全く関係のない、無駄な努力に値するのだろう。しかし欲求は理屈を凌駕する。フーカと同じようにステップを踏みたい気持ちは強く、途中で優雅な動作を身に付ければラスボスとして貫禄が出るのではないかと無理にこじつければ練習にも熱が入った。結局、姉と踊ることはできないのだと本番当日になって知らされたけれど。
 とは言え練習中には手と手を取り合いふたりで踊ることは何度かあったし、尻尾を踏まれたり足を払い落としたりと姉妹喧嘩勃発一歩手前まで騒がしくしていたのも楽しかったから、すべてがすべて無駄になった訳ではない。ただやはり、寂しい気持ちは隠せないし割り切れなくて。
「……デスコさんは本当に、フーカさんが大切ですのね」
 デスコのペースで踊りたいとの要求に合わせ、フーカのときと比べゆっくりとした動きでリードしているアルティナが微笑む。背筋を正しながらも心なし項垂れた彼女の気持ちを汲んでくれたのか、ふたりの旋回は終わり際の独楽に近い。慌てて少女が顔を上げ、速度にやや勢いが戻る。
「はいデス。何せデスコはおねえさまのために造られたラスボスデスから!」
 明るく迷いない答えに相反して、少女の心のうちは浮上できないままでいた。その大切な姉と踊れない現実が、彼女の予想を越えて未練がましく胸の奥にくすぶっていたからだ。勿論、踊れない理由はデスコ自身に問題がある訳ではないから、可能性は残されている。それでも多少気になって、少女は手馴れたパートナーに質問した。
「あの、アルティナさん。ダンスをするとき、ドレスを着た女の子同士で踊ってはいけないとか、そんな決まりはあるデスか?」
「ありませんわ。フーカさんが仰っていた通り、どちらがどちらをリードするかで、揉めたりテンポを掴めなかったりはするでしょうけれど」
 なら良かったと心の底から安堵したデスコは、次に足元を視界に入れて我に返る。このままぼうっとしていれば、自分が姉をリードすることなど到底不可能。かと言ってフーカが自分をリードしてくれるかと考えれば無理だろうから、自分が男性側のステップを覚えるしかない。落ち込む暇など一秒だってあるものか。
 が、この短い間で男性のステップを覚えられるようならばそもそも踊りの基本姿勢と女性のステップだけで一ヶ月もかからない。見ているだけでも忙しないのに加えて、今も踊っている最中だから自分の尻尾遣いも疎かにできず、デスコはあっさり目を回した。
 勿論そこはパートナーが助けに入る。アルティナが小さな腰を引き寄せて、自分にもたれかかるように仕向けると小さな悪魔の少女は慌てて上体を起こした。姉ほどではないにせよ、彼女だって眼前の天使にみっちりと、それはもう骨の髄まで踊りの姿勢は仕込まれている。叱られないと知っていても身体は反射的に引き締まるもの。
「だ、大丈夫デス!」
「大丈夫には見えませんでしたわよ? 俯いては姿勢も綺麗に見えませんし、むしろ混乱を誘いますからそんな学び方はお勧めしません」
 姿勢についてやんわり指摘を受けることに背筋が震えたが、それ以上に少女の動揺を呼んだのが学び方、の一言。あっさりと自分の思惑がばれていたと知り、デスコは恥ずかしさから頭の中で身悶えする。隠す気もなかったが、教えて下さいと頼んでもいないだけに気まずくて仕方ないのだが幸いにしてパートナーは天使である。悪魔の少女の内面を慮ってこそすれ、いたぶったりは決してしない。
「何も踊るだけがパーティーのすべてではありません。皆さんと飲んだり食べたりお喋りしたり色々見て回るのも、また一つの楽しみではなくて?」
「そうデスけど、それだとおねえさまは一人でどっか行っちゃうかもしれないデスし。……やっぱり、二人で楽しむ時間が欲しいのデス」
 会場を見て回るだけならよそへも視線や気持ちが行きがちだが、踊りとなれば強制的にふたりきりだ。その中で培われる小さな出来事もまたふたりきりだからこそ共有できる思い出だとデスコは捉えていたため、姉と踊ることへの執着心は強い。大切なひとが相手なら、それが普通だと彼女は思うのだが。
「……アルティナさんは、ヴァルっちさんと踊れなくていいデスか?」
 素朴な問いにアルティナの足取りが硬直しかけ、別のカップルと危うく接触しかける。そんな事故を怪盗修行で鍛え抜いた反射力で瞬く間に回避はしたものの、彼女の胸に走った動揺は見ているものがおれば隠しようもない。ましてや今、その彼女と踊っているデスコなら無駄な足掻きだ。
「そ、……そんな気持ちはあると言えば、ありますけれどね」
 だから天使はデスコの無遠慮な視線を受けて本音を漏らすけれど、彼女は存外意地っ張りな面がある。頬を赤く染めながらなんともなさそうな顔をした。
「どうせ狼男さんに阻まれますし、あまり期待はしていません。この祝宴では特に、お忙しくなるでしょうから……」
「けどヴァルっちさん、今はおねえさまと踊ってるデスよ?」
 正直なところ、その事実に対して少女は羨ましさを覚えずにいられなかった。デスコは姉も師たる吸血鬼も、両者共々大切だけれど、だからと言ってふたりが踊れて自分が踊れないことには複雑な気分を抱いてしまう。眼前の天使は、やはり天使なだけに違うのかと彼女の顔を慎重に覗き込むと。
「……ええ、そうですわね」
 ほろ苦くとも改めて笑った天使のかんばせは、落ち着いているが何とも思っていない、なんて表現は決して当てはまらず。デスコと同じ気持ちでいながら、その実、少女より割り切ろうとする努力が垣間見えるだけ無理をしているように見えた。
「けれど、お二人が険悪でいるよりも、踊れるくらい仲がいいほうがずっと素敵なことですから」
 その点はデスコも異論はない。だが、大切なひとが他者に受け入れられることの喜びと、その他者への接し方に羨ましさを抱くのはまた別で、切り替えられるなんて少女は到底思えなかった。しかしそんな本音を耳にして眼前の天使が自分と同じ気持ちだと自覚すると、少女はこの女性に一層の親近感を持つのだからひとの心は現金と言うべきか。
「……デスコとお揃いデスね」
 ――大切な人が誰かに受け入れられるのが嬉しいもの同士。なのに、その誰かが酷く羨ましいもの同士。そんな気持ちを込めて微笑みかけると、アルティナもデスコの考えを理解してくれたのだろう。目を瞬き、悪戯の共犯者を見つけた笑顔で短く頷いた。
「ふふ、言われてみればそうなりますわね」
 これでこれは一つの関係だ。あまり誉められた感情からの繋がりではないけれど、甘悪いくすぐったさを覚えて笑いあううら若い天使と悪魔の姿は微笑ましくも興味深く映ったのだろう。誰かが横やりを入れてきた。
「なになに、なんの話?」
 ふたりの横に綺麗に滑り込んだのは、渦中のカップル、のうち少女でつまりデスコの大切なひとのほう。連れあいの青年は、何故か盛大に目をそらしていた。それでもふたりの息は乱れていないのだから大したものだ。彼の執事と三人で地獄から這い上がってきただけのことはある。
 ともかく唐突に現れたふたりにふたりは驚いたものの、自分たちと同じ感情を抱いている様子など一欠片もなさそうな表情を見ると、ささやかな怒りみたいなものが沸き上がった。なので天使と悪魔の少女は、視線を重ねるとすぐさま結託する道を選ぶ。
「秘密ですわ。わたくしとデスコさんだけのお話ですもの」
「そうデス。こればっかりはおねえさまにも内緒なのデス」
 澄ました顔で視線をかち合わせ、ねえ、と深く同意しあった意地悪なふたりに、フーカはきびきびと舞いながらも頬を膨らませる。
「えぇ~、なにそれ! ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃない」
 悪魔の少女と天使のステップに合わせて速度を落としながらフーカは執拗に絡みつくも、身を乗り出されては危うく接触しかねない。速度は大したことがないものの、姉に怪我をさせたくないデスコは慌ててアルティナのほうへ身を引いた。
「お、おねえさま、それ危ないデス……!」
「ええ、お喋りは曲が終わったあとで。ね?」
 仲間はずれを味わった寂しさを胸に抱きながら、しかし諭されてしまったフーカは一応引き下がってパートナーにちらと視線を送って相手の手を取り直す。そうして妹とさっき踊ったパートナーから離れていったところで、ようやく真正面を向いた相手に訊ねた。
「アルティナちゃんと約束しなくてよかったの?」
「何のだ」
 いつかは言われると覚悟していたのだろう。苦みを走らせていながら顔をさして動かさないまま聞き返すヴァルバトーゼに、フーカは躊躇いもなくにやついて応じる。
「踊る約束に決まってんでしょ。今日二人ともあんまり口利いてないし、ヴァルっちも聞きたいこと色々あるだろうし、いいチャンスだったのにさ~」
「……話など、踊らずとも聞けるだろうが」
「そうかなあ? じっくり話するなら、こう言う姿勢のが邪魔入らないでしょ」
 告げてフーカは一挙に前髪が重なるほど吸血鬼に顔を近付けるが、相手が目を見開いた瞬間にまた顔を離して笑みを浮かべる。一番初めで全力を出しきって緊張を解し、更には一度も躓かず無事故で終わったため自信さえ身につけていた彼女は、二度目ともなるとこうして踊っている最中にふざけたりもする。それでも今のところ接触事故を起こしていないのは、無論のことながらヴァルバトーゼの腕前が大きい。
「そんなふうに男をからかうな、小娘。尻軽に見えるぞ」
 反してヴァルバトーゼは赤面するでもなく派手な動揺を示すでもなく、ため息をついて浮ついたパートナーを注意する。後援会で老若男女、どころか人外の悪魔にまで媚びを売られ続けた彼にとって、フーカのちょっかいはむしろ大人しい部類に入った。その点は彼女もさして効果を期待していなかったらしく、彼の反応はほどほどに受け流して発言に小さく首を傾げる。
「しりがるって……それどう言う意味?」
「一途ではない考えなし……気の多い女に見える、とも言い換えられるな」
 成る程そりゃあ大切ね、と納得しながら少女は一人旋回する。その身体を受け止め腰に手を添えると、吸血鬼は一つ賢くなったフーカを見て満足げに頷いた。相手が教育対象であるプリニーもどきである点も多少関係しているが基本的にこの男、悪魔にしては異常なくらい面倒見が良い。
 しかし視線に色気を感じられないのは着飾ってより可愛くなったと自惚れているフーカにとってほんの少し複雑な気持ちを抱きかねないので、少女は疑わしく声を潜める。
「……やっぱり男ってさあ、悪魔でも控えめでおしとやかな女の子のほうがいいもんなの?」
「騒がしく我の強い女を見れば、相対的に好感を持つやもしれん。だがすべての男がそうではあるまい」
「……よね。そうよねー!」
 当たり前のことではあるが、淀みなくやんわりとした反論を受けてフーカは安心する。これから男漁り、なんて露骨な表現まではいかずとも乙女のロマン溢れる出会いを果たしたい彼女にとっては、踊り終わって以降、絶望的な心持ちでホールを見て回りたくなかった。しかしそんな彼女の思考を読む気がないヴァルバトーゼは、生真面目な顔でさっきの話題を引きずる。
「デスコがお前とお前の父以外に殺さない人間を次々増やしていくと考えてみろ。お前とて、そんな妹には好感を持たんだろう」
「いや、大切な妹なんだから、大量破壊兵器になってほしくないって気持ちはあるわよ……?」
 そうだったか、とヴァルバトーゼは不意を打たれて目を瞬いた。頼りになると思ったら変に抜けた喩えを持ち出してくる彼に、少女は大いに脱力したが下半身は変わらずきびきびと動いて吸血鬼のリードに従う。
「ま、そっちの話はいいとしてさ……ほんとに、これからどうすんのよ、ヴァルっち」
 ヴァルバトーゼがこの祝宴に参加する目的を、フーカはまたしても一ヶ月前と同じような言葉で問いかける。彼女にとっては小難しくて色気のない話題だが、それでも地獄に住み、魔界の住人として馴染んでしまっている以上、全く無関係な話ではないことくらいは理解できた。答えの重さだって深刻さだって、彼女なりではあるが真剣に捉えている。
 けれど吸血鬼の青年は赤い瞳を微かに揺らすだけで、やはりこの場での回答は避けた。頭の中はイワシだの約束だのほかも含めて三つ四つほどしか構成する要素がないと思われる彼でさえも、魔界の未来を決める言葉は少女の問いによって出せるものではないのか。それともまた、違う理由があるのか。
「……お前は、これからについて考えているのか」
「あの件でちょっとはね。デスコもいるし、今のところは地球征服ルートが妥当なんだろうけどぉ……」
 質問を返されると思っていなかったものの、フーカはさほど動じることなく笑んで答える。あのとき返答を濁した吸血鬼の態度は彼女から見ても印象深く、ここ一ヶ月はふとしたときに将来について考えることも偶にあった。とは言え、少女はヴァルバトーゼほどの影響力はない自覚があるから自力で今後を考えねばならず。それに伴う責任も自分が負うのは当然のこと――建前では夢なんだからこの際、突飛な目標を持って本気でそのための具体的な計画を練る道もこのまま現状維持で怠惰に過ごす道も選べるが。
「あーあ……。夢でこんなに色々悩まなきゃなんないなんて、ほんと生々しい悪夢だわ。とっとと目覚めてくんないかなあ」
「まだこれを現実だと認めないつもりか。いい加減しつこいなお前も……」
 うんざりした顔でぼやかれて、フーカはふふんと鼻で笑う。勿論、頭のほうでは夢ではないと気付いているし自覚もあるが、表面上はそれを認めていないことにしなければ、今の少女の待遇や立場などが瓦礫のごとく崩れてしまう。プリニー教育係はそれなりの期間を共に過ごしてきた仲間であっても彼女が認めてしまえば最後、例外なくプリニーとして教育を施すだろう。そんな展開など彼女にとって損しかないのもあるが、ついでに言うと今のはまた別の理由がある。
 単純に、フーカは吸血鬼が自分の言葉を信じていることを実感したかった。誰にだってそうではあるが、ヴァルバトーゼは相手の言葉を鵜呑みにすると表現してもいいくらい信じやすい。恐らくここで彼女が愛の告白なんぞをしてしまえば、彼は真剣に受け止めた上で反応を寄越すことだろう。
 そんな想定をするだけで、いい奴だなとしみじみ少女は吸血鬼への評価を高める。それでも胸に宿るものに惚れた腫れたなんて表現は違和感があるから、彼女にとって彼の存在は恋人や運命のひとなんかより稀有ではないかとも考える。肉親でない異性に対し、親しみを持つけれど色っぽさは欠片も湧き上がってこないなんて、彼女にとって今まで想像もできない関係だから。
「ま、今のところさ、アタシはヴァルっちがこれからどんな道を選んだって、ついてってやるわよ」
 しかし信頼関係には違いない。秋晴れの空のように気持ちよく、これまで築いたようにこれからも続けていきたい欲求だけを胸に滾らせたまま、フーカはヴァルバトーゼに力強い笑みを向けた。確かな気持ちを伝えられた悪魔の青年は、うむと短く、だがはっきりと誇らしげなものを口元の直線に宿らせる。
「安心しろ。お前のためにも地球には『畏れ』エネルギー回復のため以外には干渉せん」
「オッケー、それ聞いて安心したわ。ヴァルっちと地球の未来をかけてガチバトルなんて、アタシも避けたいしね」
 とは言いながら、この先いつかどこかで対立してしまったとしても、それまでの過程に後悔がないのならこの吸血鬼とは正々堂々戦うのが礼儀だとフーカは思う。ヴァルバトーゼもきっと同じ気持ちでいるだろう。そう考えただけでますます力強い喜びで胸が熱くなる、ところで音楽が止まった。慌てて旋回を続けかけた足首を止め、その場でテレビで観たようにぎこちなく膝を折ると、相手はより優雅な仕草で応じる。
 終わりまで完璧に決めてのけたヴァルバトーゼを盗み見て、さすがに慣れているだけのことはあるとフーカは軽い羨望を覚えた。一番最初のパートナーより落ち着いて踊れたのも、彼の手腕あってのことかと思えば更に嫉妬が湧き上がるが、最後まで美しく決めた以上は足を踏んで周囲の悪魔にぼろを出すべきではない。しかし会話くらいは許されるはずだと、少女は妹たちを目で探しながら吸血鬼に囁いた。
「で、ほんとに誘わないの?」
「……誘わん!」
 けれど話しかける気はあるようで、吸血鬼の目も誰かを探してあちらこちらと忙しない。デートの約束でもするのだろうかと内心はしゃいだフーカは、着飾った見知らぬ悪魔たちの中でようやくこちらに近付いてくる仲の良いふたりと目が合い、合流できた喜びとこれから待ち受けるであろう光景を妄想し明るい顔で手を掲げる。が、思わぬところから別の誰かの声がした。
「こちらにおられましたか、閣下」
「こっ……!」
 ここで来たか、と絶妙なタイミングに過ぎる乱入に呻いたフーカは、いつの間にか吸血鬼の自分をエスコートしてくれた手が解放されているのに気付く。犯人は、言わずと知れた銀髪長身の人狼。いつまでも壇上で自分たちを眺めているほど大人しくないと知っていたものの、よりにもよってここで割り込んでくるとは完全に予想外だった。そして野次馬根性的には最悪だった。
 愕然としているフーカを尻目に、フェンリッヒは恭しく下げた頭をもとに戻し、主にややも疲れ気味な顔を見せる。案の定、ヴァルバトーゼは疑念の眼差しで執事を見上げた。
「どうした、フェンリッヒ。少し見ない間に随分とやつれているようだが」
「いえ……。閣下に一言ご挨拶をしたいと申す別魔界の連中をあしらっていたのですが、なかなか数が多いため少し困難になって参りまして……」
 言葉尻を濁す人狼は、悔しそうに眉をしかめる。今後の意志を表明するだけのためにこの祝宴に訪れた主の手を煩わせる真似など、決してすまいと心に決めているのに自分の未熟な手腕によってそれも難しいとでも言いたげに。そんな態度を取られてしまえば、慈悲深い吸血鬼はただ踊っているだけだった自分の代わりによく働いたこの執事を、労いこそすれ貶すなんて塵ほどにもあり得ない。
「そこまでお前が気に病む必要はない。俺もここに来た以上、そんな真似はせねばならんと覚悟していた」
 慰めて、多少は気が楽になったのだろう微笑を浮かべるフェンリッヒの表情を確認すると、吸血鬼も微かに笑みを宿すがこちらは励ますような具合で。やりたいことはあったものの、人狼が疲弊しているのにその主たる自分が遊び呆けているようではいけないと気持ちを切り替え、執事に命じる。
「案内しろ、フェンリッヒ。お前の主ヴァルバトーゼは、有象無象の相手をお前に一任させるほど無責任な悪魔ではないからな」
「……ありがたき幸せ。では、どうぞこちらに」
 緩慢な動作で進行方向を示すフェンリッヒは、吸血鬼が自分より前にまで来たのを見届けたあと、つるりと顔から疲弊の色を取り除く。そうして誰かを待つか彼らの邪魔をしようかで右往左往しているフーカと目を合わせ、何かを言いかけた少女を鼻で笑い飛ばしてから主のあとを追った。

◇◆◇

「それで、次は誰だ?」
 『九冥神塔の管理者』ユン・シミルと殺意を交わし、『大公爵』アシュタロには敬意を示し合い、『道化』インレ・ライラとたっぷり喋り、『至高王』アブラクサス相手にイワシの素晴らしさを説き――その他、世にも名高い大魔王、魔神、貴族や上級議員とあらゆる言葉を交わしたヴァルバトーゼは、顔色一つ変えず後ろに控えた執事のほうに振り返る。
 ここで普段のフェンリッヒならば、主と同じように平然としているか、もしくは数々の大物悪魔を相手に全く調子を崩さぬ主に、静かだが誇らしげな表情を湛えているべきなのだが、今日のこのときは違和感が強い。眉間に微かな皺を残し、遠くを見つめていたが主の視線を感じたため咳払い一つで取り繕おうとする。ヴァルバトーゼがプリニーもどきの少女と踊った直後も疲れていた様子ではあったが、今とは疲れの度合いが違う。
「……はっ。続いては魔王『乾季』ファイヤフローフィールド……」
 褐色の相貌がほのかに青白くなるほどとはおかしいと、吸血鬼の青年はこの事態を深刻に捉えた。人狼が彼と共にいながら呆けるなど滅多にないこと。今は適切な処置を取るべきと速やかに判断し、ヴァルバトーゼは吐息を漏らして執事の言葉を遮る。
「いや、フェンリッヒ。そいつと会うのはもう暫くしてからにしよう」
「それは……。お疲れになられましたか、閣下」
 しくじったとでも言いたげに、人狼の青年の瞼が軽く伏す。それでも疲れているのはお前だろう、と言ってやらない程度にヴァルバトーゼは彼の誇り高さを知っていたから、平静を取り繕うのに精一杯の執事へはっきりと頷いてみせた。
「ああ。お前はイワシを調達しろ。俺はあそこで少し休む」
「畏まりました」
 壁際に面した誰も座っていないカウチソファを指差して、一礼した執事を尻目にヴァルバトーゼはそこに一人腰を下ろす。無論、それで本当に休めはしない。挨拶回りをしに行く道中もだったが、やはりここでも主賓の主賓たる吸血鬼は賓客たちが我先に印象付けたがる存在だ。人狼がシャンパンクーラーを携えて現れるまでの数分間、彼は六人の悪魔から話しかけられた。勿論、それぞれ中身は媚びを売ったり喧嘩を売ったり洗脳を試みたりと多種多様。
「お待たせして申し訳ございません、ヴァルバトーゼ様。どうやらわたくしと閣下が共にいる姿を見た悪魔が多いのでしょう。随分としつこく絡まれまして……」
「仕方のない話だ。お前は俺の僕なのだからな」
 エレシュキガルと名乗る女悪魔を、執事と入れ替わらせるようにして丁重に追い払ったヴァルバトーゼは、人狼の手からイワシを受け取り、彼を休ませるためにもいつもよりゆっくりと、現在吸血鬼にとって唯一の命の糧を味わう。
 よく冷やされている小魚は鮮度はやや劣るもののぽってりと太っており、一口食べると脂の量は程好く身は弾力を持ち好ましい。骨はいつものように油断ならぬ歯応えと鋭さを持つものの噛めば噛むほど程好い旨味を醸し出し、赤身の脂気に対するアクセントとしては最適だ。熱気が篭った会場内の空気と反する冷たい海の香りが喉の奥を通り抜け、吸血鬼はいっときすべてを忘れる心持ちで深く長い恍惚の息を吐いた。
「……ここのイワシもチバ産ほどではないが悪くないな。むしろ美味い、九十九里浜沖のものと勝るとも劣らない。……どこのものだ」
「オカヤマ、との話を伺いました」
「ほう、瀬戸内海か。あそこは温暖な海域のため生食には向かんと聞き及んでいたが、なかなかどうして悪くないではないか……!」
 今後イワシの発注先の一つとして検討するよう申しつけたヴァルバトーゼに、フェンリッヒは淡い苦笑を浮かべながら承る。普段ならそこで血を吸わないのかと、下手に出ながらもしつこく一言勧めるのがいつもの執事なのだがやはり今は大人しい。
 これは随分重症だと思い知らされた吸血鬼は、物憂げな顔のフェンリッヒからイワシを受け取り、ふたりで巡った悪魔たちの中で誰が彼の執事をこのように追い込んだかを推理する。割り出す方法は単純明快。人狼の言動に違和感の兆候を抱いたのは一体いつだったか、人狼に接触した悪魔とその際の反応を記憶の層から掘り下げていくだけだ。そうしてこと細かに思い出した結果、新たなイワシをゆっくり食して二尾半分程度でそれらしいのにぶつかった。
 本命はうさぎの姿をした、しかし人の姿でもある悪魔。ヴァルバトーゼからすればよく喋る軽薄な悪魔程度の印象しか持たなかったし、うさぎが魔王とは、と人狼が半ば馬鹿にしていた記憶もあるので当初は問題ないかと思われた。しかしあちらの付き人が、相手に話しかける前に不安そうな顔で囁いたのは印象強く――魔王様は気まぐれに過ぎる残酷な御方。どうかそのお言葉についてはあまり『深く考えないよう』お願いいたします――、執事とふたり退出する際、彼のほうにだけ微笑んでいた光景もまた怪しい。ほかの連中の反応とくれば、馴れ馴れしくフェンリッヒの肩を叩いたのがいたくらいで、おおよそ無視したり従者として扱ったり歯牙にもかけないのが大半。執事だけに微笑んだ『道化』が、何かしでかしたと見るのは自然な流れだろう。
 不幸にも付き人の言葉通り、フェンリッヒは深く考える性質だ。ついでうさぎの魔王を見下していた節はあったから油断していたかもしれない。そこをたちまち見抜き、本人としてはからかうつもりで急所を突いて呆気なく心を再起不能にする、なんて話は精神攻撃を得意とする悪魔にはよくある話。あの悪魔は頭の中を見通せるのかと思わせるほど鋭い観察眼と巧みな話術を持っているため、人狼の心もそうやって傷付けられた可能性は高い。
 ヴァルバトーゼは頭を切り替えイワシの残りを口に放り込むと、指でもう少し執事に近寄るよう指示し、その通りにした彼に無言で手のひらを下へとかざし、つまり跪くよう命じる。急な命令にフェンリッヒはようやく怪訝に眉を動かすも、操り人形さながらに理由を聞こうともせずそのまま片膝を立て、もう片方の膝を黒大理石の床に付けた。その反応に、命じた当事者が目を細める。
 この人狼がヴァルバトーゼの命令を受け入れるのは当然のこと。経験はないが憤っている彼に笑えと命じても無理に従おうとするのだろうが、今の考えなしに従う姿はやはり違和感が強いため、吸血鬼は小魚の尾を細かく噛み砕きつつ渋い顔を作り身を乗り出す。それからあえて無造作に、けれどしっかりと白銀の頭に手を置いた。次に指を立て、犬猫の腹にやるようにしてかき乱す。
「ヴァ、ヴァル様!? 一体何を!?」
 急に頭をかかれた人狼は、軽く飛び上がらんばかりに驚愕し頭を持ち上げようとする。それをヴァルバトーゼは指先に力を籠めることで制すると、眉間に皺を寄らせたまま告げた。
「何を呆けている、フェンリッヒ。誰の言葉に惑わされようと、お前はこの俺、約束を違えぬプリニー教育係の僕だろうが」
 当たり前の言葉なのに、フェンリッヒの瞳が揺れる。それほどまでに『道化』の傷に侵食されていたと知らされて、彼はここに到るまで気付けなかった自分の鈍さに腹立ちつつ、反面そこまで自分の精神状態を押し隠そうとする執事に呆れた。尤もこの人狼がすぐさま誰かに助けを求めるような根性なしの部類であれば、『暴君』であった頃の彼は助けるどころか歯牙にもかけなかっただろうがそれとこれとは話が別。体の傷は生きてさえいればどうにか癒せるが、心の傷はそうもいかない。
「対してあの悪魔は今夜一度か二度、たったそれだけ顔を合わせたきりのよそ者だ。そんなものの一言に惑わされるなど、お前らしくもない」
「……閣下が何を仰っているやら。わたくしには理解できません」
 まだ隠すかと、肝心な部分で頑固な執事の態度にヴァルバトーゼは忌々しく奥歯を軋ませた。
「足掻くな。あの老婆にお前が何かを囁き、そのせいでお前が覇気を失っていることくらい俺でも察する」
「……そのようなことは」
 この場に及んでないとは言い切れまい。フェンリッヒの金の瞳に宿る光は、光であるのに薄暗く、沈んだ彼の内面を露にしている。そんなもの、普段の人狼の目つきではない。ここまで追い込んだ悪魔に腹立ったが、報復より今の人狼の心を救うほうが先だと冷静に判断するだけの余裕は残っているため、吸血鬼は声の調子を落とし穏やかに言ってやる。
「『道化』がお前に告げた言葉を教えろとは言わぬ……。だがもしお前がそうも追い込まれている原因が俺ならば、教えてやろう」
 俺ならば、の一言に人狼の眉が微かに動いたのを見て確証を得た吸血鬼は、胸をそらし小さく息を吸ってから厳かに告げる。それが人狼の救いとなることを願い、長きに渡る僕にして友なる男の心の平穏をもたらすことを欲しながら。
「お前の忠誠に誤りはない。故に、お前の今までの努力も無駄ではない。お前はそのままお前の意志を貫けば良い」
 少なくともフェンリッヒが血を吸わなくなったヴァルバトーゼを見捨てていれば今まで彼は生き延びはしなかっただろうし。なんとか吸血鬼が一人、地獄でプリニー教育係として生き延びることができたとしても、反逆の切欠たるプリニー処分でさえ防げたかさえわからない。以降、今に到るまでの道程は言うまでもなく。現在進行形で約束を破らせようとする僕に苛立ちや怒りを覚えた経験は数知れないが、それでもこうして今もまだ彼が自分の矜持を貫けるのは、それ以外にも得難いものを得られたのは、やはり眼前で跪く悪魔の青年が自分によく尽くしたからだと彼は信じて疑わなかった。
 しかし吸血鬼にとって、フェンリッヒへと向ける気持ちと言葉には恩義など含んでいない。いつか返さなければならないものとして頭の隅に刻む義務や責務はない。相手が窮地に陥れば損得もなく助けると思うだけ、健やかにあれ長らく生きよと願う、恐らくはこの人狼がヴァルバトーゼに持つ、尊く穢れのない感情と同じもの。故に彼は淀みなく、相手が今欲しているであろう言葉をかける。
「フェンリッヒよ。お前はお前が誇る限り、誇り高き吸血鬼ヴァルバトーゼの僕だ。お前の主である俺が、それを保証してやる」
「……承知しております」
 返事は静かなもので、覇気のなさでは先程と大差ない。だが軽く俯いた口元は微かに柔らかさを滲ませており、それを目視したヴァルバトーゼは確かな手応えにもう一度、相手の頭を掻いた。今度のものは相手に自分のほうへと意識をやらせるためではなく、労いと励ましと信頼を込めて。そうして静かに手を放し、彼を下がらせた上で自分の膝に力を入れる。
「……さて、これで多少は疲れも取れたし腹も満たされた。行くぞフェンリッヒ」
 カウチソファから腰を上げ、跪いたままの執事の横を平然と通り抜けたヴァルバトーゼの耳に、微かな苦笑が滑り込んでる。どこの誰からの声か、などとは野暮な話。
「はい……」
 長身の、銀髪の人狼は衣擦れの音さえ立てず立ち上がると、踵を返し、胸に片手を添えて肩越しに彼を待つ主に告げた。
「すべては、我が主のために」
 いくら長くともにいても、フェンリッヒの心のうちはすべて把握はできやしない。ヴァルバトーゼは読心術など学ぶ気はない。しかしその通る声に真鍮めいた芯を感じた彼はようやく執事の心がもとに戻ったと知り、淡い笑みを浮かべた。

◇◆◇

 飴色の焦げ目にスプーンを入れると、奥から現れたるはカスタード色にバニラの粒がたっぷり見える、濃厚な味わいのプディング麗しクレームブリュレ。漆を塗ったような表面にフォークを入れれば、黄金色のバナナペーストと生クリームが二層に交わり、四方を囲むはスポンジなのかムースなのかも曖昧なくらい濃厚なチョコレートケーキ。ほかにも宝石めいて煌めくタルトだの、瑞々しいフルーツカクテルだの、目も眩むような種類のチョコレートにケーキの数はそれ以上。氷菓子にもできたてが売りの温かい菓子にも専属の悪魔がついており、甘い香りが漂う小さなホールの中で、地獄において著名な姉妹は――特に姉のほうは――もうここだけで生きていけると思ったそうである。
「感謝するわ、エミーゼル! あんたがここまで色々してくれるなんて、ぶっちゃけ思ってもみなかった……!」
「おねえさま、パーティー始まる前にあれこれ言ってたのほとんど叶ってるデスね……」
 呆然としたデスコの隣で、小山のように生菓子を盛った皿を片手に抱えたフーカは、フォンダンショコラのこってりとしたソースを絡めた苺だのキウイだのの美味さに感涙せんばかりの表情で脳裏の少年に感謝する。
 ちなみに何故脳裏なのかを説明すると、合流した姉妹が少年を発見した際、彼は既に政腐か別魔界の悪魔たちに囲まれており、それを割合と落ち着いて対応していたので話しかけ難かったからだ。この魔界の元大統領の一粒胤ともなれば、仕方のない話だろうが。
「ん~、けどもうちょっとこう、みんなでわいわいやれるもんだと思ってたのよね」
 ワルツの一曲目の終わりまでは仲間たちで集まれたのに、二曲目以降は完全に個別行動を取らされる形式になってしまったことに、フーカは多少物足りなさのようなものを感じていた。甘味を堪能する場で某イワシ星人だのその従者だのを連れてきても何の意味もないだろうが、かと言ってもう一人くらい仲間がいても良かったのではと思いもする。だがそんな発言を耳にしてしまうと、フーカの物騒でも愛らしく健気な妹は――ちなみに彼女は自分の願いをしっかり叶えた。結果、お互い足技のみを使った格闘かと見紛うほど酷い時間が流れたが――自分の立場を不安に感じてしまうもので。
「……おねえさまは、デスコと一緒だとつまらないデスか?」
「つまるつまらないの問題じゃないの。あんたはアタシのいるところにいて当然」
 きっぱりと言い放ち、見上げるデスコに安心と笑顔をもたらしたフーカではあるが、それでもやはり物足りなさは誤魔化せなかった。後半は半ばぐたぐだになった舞踏を終え、散策を開始して早々、頬がとろけるような生洋菓子類に出会ったと言うのに。それからテレビでしか見たことがない豪奢なホール、この魔界でも見かけない、おどろおどろしくも面白く、また美しかったり可愛かったりする悪魔たちの見目に彼らの会話、楽しげな音楽に包まれているのに。何か不満、とは言い切れないものの、僅かばかり味気ないような気持ちが拭いきれない。
「……アルティナさんだけでも、誘えれば良かったんデスけどね」
 デスコも姉ほどではないが、早速このパーティーに飽きそうな自分に気付いてそんなことを呟くと、まあねえと頭上からしみじみ返事が降ってくる。
「アルティナちゃん、ちゃんと逃げきれたらいいけどなー」
 話題の天使は男装していたのが不幸を呼び、同じく男装していたもののこちらは女性として熟れに熟れた肉体の線を惜しげもなく強調した淫魔――夜魔と似たようでいながら違うものらしい。ふたなりの意味が姉妹揃って理解できなかったのだが――の女王に捕まってしまい、多分に今は必死の抵抗中、もしくは逃走中のはずだ。
「ま、下手なことにはならないんじゃない? なっても女同士だからノーカンでしょ」
「そうなんデスか?」
「……知らない。正直女同士ってよくわかんないし」
 三人寄れば文殊の知恵だが、ここにいるのは世間知らずな姉妹がふたり。具体的な想像が生まれれば後味の悪い気分になるのは必然だが、言い換えると能天気なふたりだからこそさして危機感を抱かずに洋菓子を頬張っていられた。
 とにかく互いに与えた足へのダメージを回復するためのんびりと甘味を味わい、あれが甘いこれが美味いとマイペースに楽しんでいた姉妹ではあるが、砂糖漬けを長らく味わえば塩気も欲するのが人体なるもの。飲み物程度では口の中の甘味をリセットできなくなって、同じく美食に集う悪魔たちを避けながら、塩気のある品々が並ぶ別の小ホールまで移動して今度はそちらを堪能し、また甘味が欲しくなったら皿に残った菓子を食べ、を何度か繰り返した。
 それら自体には何の問題もない。楽しかったし美味しかったし、綺麗なものや少し危険そうなものに囲まれて、わがままな姉妹でさえ、この時間には何一つ不満なぞ生まれなかった。――強いて言うなら、不満がないのが最大の不満。文句を言う対象がよそに一つでもあれば、姉妹は多少盛り上がったかもしれない。性格が普段仲間たちから指摘されるほど捻くれているのではなく、満たされきることで生まれる堕落や傲慢さを恐れている、などと表現しては深刻に過ぎるか。
 結果的には危機感通り、いつの頃からか舌が料理にすっかり慣れて、視界に写るものにも目を見張ることがなくなって、音楽や悪魔たちの声さえも聞き流してしまうほどになると、無理をしてパーティーを楽しむ姿勢を作るのもさすがに辛い。当初はぺろりと食す気だった甘味が山盛り載った皿の最後の一切れを口に運ぶと、フーカは適当に確保したカウチソファに横たえたい気持ちを押さえ込み、めいいっぱい肺に溜まった息を吐き出した。
「……はあ。もー当分甘いもんはいいわ……」
 後半はほぼ苦痛を味わいながら喉の奥に砂糖とバターと牛乳と卵とその他諸々の化合物を流し込んだフーカは、隣で自分と似たような状態になっているデスコと目を合わせる。基本的に彼女の言動を全肯定する少女であっても、今回ばかりは赤い瞳は非難めいていた。
「デスコもデス……。おねえさま、テンション上がって色々取りすぎデス……」
「仕方ないでしょー。美味しそうだったんだしさぁ」
「美味しくないのなかったデスしね」
「でしょ? ま、お代わりしようとか今はもう絶対思えないけどねー」
「デスー……」
 会話内容も次第に薄くなって、今では交わす言葉は違っても中身は同じような怠惰なやり取りばかり。腹が膨れた以上に精神面での停滞を自覚したフーカは、これはまずいと気持ちをどうにか切り替えるよう自分に言い聞かせ、握り拳を作って腹の底から声を張り上げる。
「駄目よデスコ! こんなんじゃ今日お風呂入ってベッド入るときに『今日つまんなかったなーパーティーってあんなもんなんだー』とか思っちゃうわ! それってアラフォー負け組OLのお見合いパーティーと大差ないじゃない!」
「……あらふぉーって、なんデスか?」
「忘れたけどとりあえず寂しい独身とかそんな感じ! 女として超負け組!」
 勢いをつけてカウチソファから立ち上がったフーカの脳裏には、いつか何もすることがない休日にテレビで観た辛気くさい独身女性がお見合いパーティーに行くと言う、誰が得をするのか全くわからないドキュメンタリー番組が思い出された。大したリアクションもなく黙々と食事をするだけの女性を観て、こうもなりたくないとしみじみ自分が思っていたことも記憶の底から釣り上げてしまい、危うくそうなりかけている自分に十五歳にして少女は本気で危機感を抱く。その年齢について、現在の彼女の場合は享年と言える訳だが今は無視だ。
「そうよ、腹ごなしはこれで十分なんだから、アタシの王子様を探しに行かなきゃ!」
 それこそがこのパーティーに来た真の目的だろうにと思えば、フーカの弛緩しきった心も目覚める。デスコも宣言を受けてようやく当初の姉の目的を思い出し、そうでした、と立ち上がろうとするのだが。
「……おねえさま、王子様はどうやって探すデスか?」
「……あ」
 まずそこからか、とフーカは無理から燃え上がらせた気力を冷やされる。しかしたっぷり糖分を取った頭を動かす機会をようやく得たのだ。これしきで諦める訳にはいかない。
「とりあえずさ、それっぽいイケメン探しに行くのが順当じゃない?」
「探したらどうするデスか?」
「そりゃ声かけるんでしょ。話しかけてくれるのを待つとかストーカーっぽいし」
「なんて声をかけるんデス?」
「わかんない」
「………………」
 ここで姉妹と長らく共に戦ってきた仲間の一人でもおれば、この展開に何らかの反応を示したはずだろう。死神の少年であれば頭を抱えてとにかく適当に歩いてこいと散歩を命じたろうし、天使であれば苦笑を浮かべて散策に誘うかもしれない。吸血鬼ならばふたりに混じって唸り声を上げ、人狼は拙い思考を鼻で笑い飛ばす可能性が高い。現実的には全員いないので、時間の流れが危うく停まりかけた。
「……ま、なんとかなんじゃない?」
 姉妹が放つにしては長い部類に当たる沈黙を打ち破ったのは、当然イニシアチブを握る姉のほう。栄養をたっぷり取ったはずの脳を駆使してもこれぞと言う案は思い浮かばなかったからこそ導き出された投げやりな言葉である。
「そうデスね」
 妹のほうもやはり適切な言葉や方法なんぞ思い浮かばず、ただ姉の言葉に従う安易な道を選ぶ。ふたりとも事前にあれこれと考えるより何も考えずに動くほうが得意なので、ない知恵を絞って案を出したところで結果的にこうなったのだろう。と思えば、脱線もなく無駄な時間を潰すでもなくこの結論に至ったのは効率的だと褒め称えるべきか。
「じゃ行くわよデスコ。とにかくイケメンを見つけたら教えなさい」
「了解デス!」
 ツインテールをふわりと揺らし、悪魔の密度が最も高く、今もワルツの曲が聴こえてくる大ホールに向かったフーカの背中に敬礼したデスコは、ふと自分がフォークを握ったままなのに気付いた。姉が放置していった食器も含めて、このままにしておいても平気なのだろうかと不安に思い、丁度目の前を通ったプリニーに下げてもらう。
 そうして、さて自分もフーカの王子様を探しに行くとしようとようやくカウチソファから腰を上げたデスコではあるが、ここでようやく自分が置かれた状態を把握した。
 フーカが、いない。
「…………あれ?」
 カウチソファから少し離れて、辺りを見回すも姉のツインテールは見えず。
「……あれあれ?」
 もう少し離れて、立ち止まるフーカらしい人物を探そうにもやはり見当たらず。
「…………し、仕方ないデスね」
 姉が自分がいないことに気付いて貰えるようにと、カウチソファへと戻って待機しようとしたが、それより先に誰かがようやくと盛大な吐息をついてそこへと腰掛けて。
「ああもう疲れた、僕もう一歩だって動きたくない! なんだってこんな悪魔どもが多いんだ! つまんないよ、ねえ□&%*!」
 可愛らしそうな男の子の声がして自分も座れるかもしれないと思ったデスコは、しかし視界の光景に我知らず肩を強張らせた。
「け、けど、ここもマ、魔界、なん、だよね?」
「左様左様。悪魔が多くて当然の場所。ワシらはここに招かれた」
「あのう、あのね、ボク、ボクはね、このパーティー、素敵だと思うよ? 一体なんのパーティーなのか、ちいとも知らないんだけどさ」
「ふん、パーティーなんぞ! 太古の昔から悪魔の宴は肉と骨、血と涙、蜜と精とが混ざり合うあらゆる意味で淫猥なものであるべきなのに、ここのアレの取り澄ましっぷりときたら!」
 魔王か別魔界の貴族かはわからないが、とにかく一行の主である金髪碧眼の少年の姿をした悪魔は事実可愛らしかった。フーカの要望には少々年齢が足りなそうだが、それでも十分美少年と呼べる。だがそのお供は、黒い異形どもばかり。床を汚してそれきり磨り減っていくのも全く気にした様子のないヘドロの固まりみたいなものや、生ゴミの臭いを漂わせる埃の詰まったクッションみたいなもの、煙そのもの、中身の砂と綿を際限なくこぼしながら動く何かの剥製。皆が皆、かたちを保つ物質に対して無頓着なのに、怒ッキングでもしたように巨大なのが尚更に不気味さを煽る。
 嫌悪感と違和感を抱かせるがらくたどもに魂が宿った光景の具体例めいた一行を目にして、気味が悪いのは自分も同じはずなのにデスコは思わず気圧された。怖がらせること、恐れられること、強くなることについてはどうにか学べるし鍛えられていた自信があるが、彼らが強く放つ生理的嫌悪感において、姉に乙女として仕込まれていた彼女は全く無防備だったからか。
「……ん、なにさ君。なんか用?」
 気味の悪いものたちに囲まれていた少年が、不意にデスコの視線を捉えて見つめ返す。自然お付きの一行も彼女のほうに視線を注いでくるものだから、少女は慌てて首を振った。
「な、なんでもないデス!」
 『恐怖の大王』内で戦った悪意以上に手応えのなさそうな、やっつけられるかどうか――いやそれどころか、やっつけたと思ったら適当な何かに平気で乗り移ったり、無限増殖でもしそうな、そも根本的にヒットポイントの概念さえなさそうな雰囲気を持つ連中を相手にして、戦えるとは到底思えない。姉のいない心細さも相まってそう判断したデスコは、結果的にカウチソファから離れてしまい、行くあてもなくホールやその隙間をさまようこととなった。
 しかしデスコは忘れていたのだ。カウチソファを占拠した連中ほどではないにせよ、彼女だって程々に特徴を持つ外観の悪魔である。背中の触手は今は封じているにせよ、彼女の姿は雑踏の中にあってもその小ささと尻尾のお陰で結構わかりやすい。だから彼は平気でその小さな肩に触れて。
「おい、デスコ」
「ひぁ!?」
 さっきの連中の誰かかと思い小さく飛び上がった少女に、話しかけた悪魔は生真面目にも呆れて指摘する。
「……一体どうしたと言うのだ。仮にもラスボスを目指す悪魔が、話しかけられた程度でそんな反応をするものではないぞ」
 落ち着いた叱咤の声に、相手が誰かを理解したデスコはなるべく動揺を飲み込んで振り返り、白手袋の主を見上げた。当然そこにいたのは、黒い外套に身を包んだヴァルバトーゼ、つまり彼女の師である吸血鬼だった。
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