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18:08

2011/07/06

 乾杯の後と前では幽霊屋敷と遊園地ほどに違うなんて、誰も教えてくれなかった。
 事前に扉の前で聞いてはいたが、あんなにどろりとした圧迫感とその奥に潜む、少しでも隙を見せれば取って食いかねない殺気を身に受けたのはフーカにとって初めてのことで、ここの魔界の悪魔は大抵が能天気だったがやっぱり別魔界は勝手が違うのか、人間や人工悪魔や天使はお呼びじゃないのかなんて彼女にしては珍しく胸中をシリアスな気持ちが占領していたのだが。
 翠の炎が揺れる巨大なシャンデリアに、壁側には黒と白の布を張り巡らした黒大理石の豪奢なホールを突き進み、壇上で主賓の更なる主役であるヴァルバトーゼが乾杯の声高らかに杯を掲げ中身を一口含むと、それだけで会場の空気が魔法でもかかったように一変した。緊張感も殺気も悪魔たちの雄叫びめいた歓声で台風一過後の空さながらに霧散し、どこからともなく心踊るおどろおどろしくも華やかな音楽が始まり、勢いよく開いた扉からは食事やグラスが載った銀盆を持ったプリニーや人型悪魔の給仕が次々現れ、球場ほどあるホールの一部の壁が扉となって開かれ、その向こうにまた小さなホールらしき空間が現れる。
 呆気に取られたフーカが我に返ったときにはもう既に、彼女が脳裏に描いていたパーティーのイメージほぼそのままの、賑やかで煌びやかな光景が広がっていた。違和感があるとするならば、それらの光景を繰り広げる賓客が完全な人の姿でいるのが少ないことと、彩りが黒に寄りがちなこと。それとさっきまで自分たちに注がれていた視線の一つたりともこちらに向けられていない、悪魔たちの異常なまでの切り替えの早さくらいなものだ。おまけに公式の場だから堅苦しい挨拶なんぞあると思ったのだが、皆最初から、めいめいに飲んで食べて騒いでいる。
 それにしたってあっさり切り替え過ぎるだろうと、フーカは思いつつ乾杯の際に手渡されたグラスを一気に仰ぐ。木苺味の炭酸水は正確にはシャンパンと呼ぶべき代物なのだろうが、アルコール分はごく薄く、ほとんどジュースに近い。だが十五歳には刺激的な味なので、たっぷり塗ったグロスを気にせず少女は唇を微かに嘗めて隣に顔を向ける。
「これ、お代わりってあるの?」
「……適当にボーイ探せば、どっかにあるんじゃないか」
 エミーゼルの返事が投げやりなのは、彼は彼でついさっきまで緊張の極限にいたからだろう。弛緩しきった顔の少年はうたた寝中の猫のように目を細め、フーカと同じ中身らしいグラスを少量口に運んでほうと息を吐く。
「何よ、あんたらが受けたプレッシャーなんて、アタシたちが受けたのよりまだマシでしょ。パーティーは始まったばっかりなんだから、しゃきっとしなさい」
「そうデス! エミーゼルさんたちよりもデスコたちのほうがずっとずーっと大変だったんデスからね!」
 純粋な悪魔ではないため、別魔界の悪魔たちとっては好奇心もあったのだろう。男性陣に比べひときわ強い殺気を受けた姉妹がそんな口調で叱咤する気持ちを、理解できない少年ではない。だがだからと言って簡単に気持ちを切り替えるのも難しいようで、鬱陶げな声を漏らす。
「……そんなことわかってるよ。ただボクの場合は前大統領の息子って立場があるから、お前らとの緊張とはまた別の理由で緊張してたんだってば」
「それでもここまで歩くのと乾杯だけの間だったじゃない。ほらほら、もう終わったんだからとっとと元気出す!」
 背中を軽く叩かれて、エミーゼルは呆けていられる暇はないと諦め吐息をついてから周囲を見渡すと、ヴァルバトーゼがこちらに近付いてくる姿をすぐに捉えた。お付きのフェンリッヒはと言えば真っ先におべっか使いに現れたのだろう見知らぬ悪魔に捕まっているが、主へと注ぐ視線は何故か厳しい。
 フーカたちもヴァルバトーゼに気付いて三人が首を傾げると、彼はデスコを直視してから手をちょいちょいと動かして自分と三人の中間地点に寄ってくるよう指示する。目を瞬きながら指示されるまま、巨大な花瓶の前に尻尾で全身を持ち上げ吸血鬼の姿を隠した悪魔の少女は、次の瞬間硬直した。
 背後でべっ、と何かを吐き出す音と、一秒もしないうちにそれをぼちゃと受け入れ水面の揺らいだ音が三人の耳に響く。吸血鬼が口から出したものが、花瓶の奥へと消えていったのだ。
「ふ、ぇえええっっ!?」
「な、なに吐いてんのよヴァルっち!?」
 訊ねてしまったものの吸血鬼が吐き出したものが何なのか、乾杯の際を思い出せば普段阿呆だの知性の欠片もないなどと散々言われているフーカにだって予想がつく。エミーゼルはそれにも増して唖然としていたが、どうして公式の席の、しかも大切な乾杯の一口でそんな無礼をしたのか、少女より一足先に理由までも察した。こちらをまだ見ている人狼に、呆れた視線を送りつつぼやく。
「……もしかして、ヴァルバトーゼの杯の中にまで、フェンリッヒ……」
「に、人間の血を、仕込んだデスか……!?」
「そのようですわね」
 顔を伏せたままの吸血鬼に咥内をすすぐための水を手渡しつつ、アルティナが呆然としている子どもたちに割って入る。背中をそっと制されてまだ振り向くなと指示されたデスコ以外のふたりは、ヴァルバトーゼが念入りに内部から頬を動かすのを眺めながら天使に訊ねた。
「アルティナちゃん、気付いてたの?」
「狼男さんがイワシの骨煎餅だけで諦めるような方ではないのは知っていますから……。嫌な予感がしたので一応、あの悪魔さんたちに狼男さんへ真っ先にご挨拶するようアドバイスをしましたの」
 そのついでにアルティナは水を取りに行ったのか。確かにあのままヴァルバトーゼがおべっか使いの悪魔たちに絡まれては、もしくはフェンリッヒとふたりきりでは、いつしか彼は人間の血が入ったグラスの中身を喉の奥まで運びかねなかった。ごく少量であったとしても、吸血鬼にとっては大いなる問題だ。
 口の中を完全にすすぎ終えたらしい、水のグラスに巻いていた黒いナフキンで口元を拭ったヴァルバトーゼは黄金の杯の中身も一緒に花瓶の中へと捨て、アルティナにそれを手渡す。
「まさか俺もこのようなときにあいつが仕込むとは思わなんだ故、完全に油断していた。もっと以前に察しておれば、小僧を呼んで杯ごとを取り替えられたろうが……」
「お前、それどう言う意味なのかわかってるんだよな……?」
 主賓の中の主賓の悪魔に、乾杯の席で杯を交換されるなど。前大統領の息子であり、今も大統領になるべくして修行中のエミーゼルにとっては悪いことではないどころか光栄だが、自らの立場のため極度の緊張に陥っていた彼からすれば心臓に悪い。
 しかしそんな少年の気持ちなど慮る気は霞ほどもないらしい、吸血鬼は平気な顔で答えた。
「そうすればお前もアクターレからの政拳奪取はやりやすかろう。利害は一致しているのだ、何の問題がある」
「何の、どころじゃないっての! ボクはお前みたいな図太い神経持ってないんだから、そんなアドリブは……!」
「仮にも大統領を目指す悪魔が、できないなどとは言うまいな」
 ヴァルバトーゼの先手に、少年は喉から出かけた言葉を慌てて呑み込む。もし父が公の場で主賓中の主賓にそんなことをされれば、やはり動揺なぞ一つたりとも見せずに応じただろうと想像してしまうと、反論する気は更に失せた。
「……ふ、ふん、別にそんなことされても平気さ。けどボクは死神なんだ。吸血鬼じゃないんだから、人間の血なんて飲みたくない」
 エミーゼル本人でさえ苦しい自覚のある文句のつけ方だったが、意地の張り方については悪くないようでヴァルバトーゼは片目を瞑って鷹揚に頷いた。普段の格好なら多少にわざとらしい仕草だが、今の古風な服装であればその芝居臭い大仰な仕草も奇妙に馴染む。
「確かに……、それは失念していたな。だが血の味はお前が思うほど悪くはないぞ」
「そう思っていらっしゃるのでしたら、今からでも是非血を吸っていただきたく」
 鬱陶しく絡んでくる悪魔たちをどうにか追い払えたようだ。苦々しい表情を隠しもせず執事が割り込んでくるも、ヴァルバトーゼはいつものごとく胸を張る。
「焦らずとも良い、フェンリッヒ。アルティナとの約束を果たせばそうしてやる」
「その女が閣下と結託しようとは思いも寄りませんでした。……あれの邪魔さえなければ、この祝宴が二重の意味で輝かしいものになったでしょうに」
 それはこの人狼にとってだけだろう、とエミーゼルが指摘したい気持ちをシャンパンと一緒に飲み込む。デスコも同じ心情らしく、いまだ吸血鬼を隠すように尻尾を伸ばした少女は苦い顔で少年と目を合わせた。
「……それで、泥棒天使は何処に行った。文句の一つも言ってやりたいところだったが逃げたのか」
「アルティナさんなら、もうあそこでおねえさまと踊ってるデスよ」
 エミーゼルの問いへデスコが代わりに答え、少女はグラスを持っていないほうの手で段差を降りたホールの中央を指す。男衆がそちらに目を凝らせば成る程、目立つ桃色の後ろ髪が茶髪のツインテールと共に翻り、元人間のふたりが踊っている姿が確認できた。
 公式の場と言えど、悪魔であれば人間の席ほど堅苦しさは必要ない。これは踊りについても言えるもので、華々しく荘厳な曲が流れていても初っ端から賓客たちはめいめい好きなテンポで舞っている。それでも平たく言ってめまぐるしく回るのが売りのワルツともなれば、いかに会場が広かろうとカップル同士の接触もよくあること。それでも今までふたりは上手くやっているらしく、足取りも軽やかに器用にワルツの型を繰り返す。ときにその場の一回転だけで接触をやり過ごすかと思えば、ステップを踏みながらほかの賓客の間を大胆にもすり抜けるのだから意識してそうしているらしい。
 当然だが見る側が察するだけの苦労など、実際に踊る側が感じている苦労にはおくびにも満たない。男性陣からのほのかな感心の視線を浴びていることなど知らず、フーカは旋回の勢い余ってアルティナに寄りかかりかけ、あらと短いながらにこの一ヶ月で抜群の効果を持つ一言を受けて慌てる。
「……くっ、こう!?」
 足を止めないまま上体を反らし、前屈みになりそうだった身体を美しい姿勢に戻すと、アルティナは口元だけに笑みを刻んで頷いた。
「ええ、そうです。立ち直りの姿勢も綺麗になりましたわね」
「そりゃ一ヶ月みっちり鍛えられたもんね! これがアタシにとって最後のテストよ!」
 負けじと不敵に笑ったフーカは、アルティナのほとんど崩れない上半身に付き従うと背後に視線だけで気を配る。女性は男性のステップに誘導される側なので、その必要はないとわかっていても彼女はこのままの勢いを維持していたかった。特訓中にそんな気持ちが湧き上がったからなのもあるが、やはり踊るのは、身体を動かすのは楽しいから、途中で誰かにぶつかって礼をして微妙な雰囲気でまた踊りを再開するのは嫌だ。
 アルティナはそんなフーカの要求を汲んで、賓客たちの隙間を器用に縫って踊り続ける。本番で一番最初に踊る緊張もあってか少女は彼女に従うので精一杯だったが、他人にぶつからないように神経を配りつつ相手をリードせねばならないのだから天使はもっと気を張っていることだろう。そう思えば踊りの教師たる彼女に対して尊敬の念も抱くし、負けたくない、釣り合えるくらい綺麗に踊りたい気持ちがふつふつと湧き上がるのがこの負けん気の強い少女独特の思考回路で。
 フーカはワルツやダンスに抱いていた甘い幻想を、これはスポーツだと認識させられることで打ち砕かれる。しかしそれはそれで大好きだし、爽快感と身体を動かしているのに頭が澄み渡る感覚は何より気持ちいい。脳内麻薬が放出される精神状態でおれば、自然と笑みが浮かび上がる。――結果的にそんな色気のない状態になってしまったのは、少女がグラスを給仕に渡すアルティナの手を引いて誘い、最初だから全力でお願いねと頼んだからなのだが、過程はどうあれ心まで躍るのには違いない。
「アルティナちゃん、アルティナちゃんっ……!」
 相変わらず余裕はないし、ついていくのに必死だったがそれでも高揚感は止められず、フーカは呼吸を乱しそうになりながら眼前の女性に話しかける。対するアルティナは何ですか、と訊ねてくるもさすが、汗の一つも浮かんでいない。けれど今の彼女は、それさえ気に留めず目を細めた。
「ダンスって気持ちいいね! 今、アタシ、超楽しい!!」
 フーカは熱が入った身体と心の奥から浮かび上がる気持ちを素直にパートナーに伝えると、男装の天使は微かに目を見開いてそれまで優美であった動きをほんの僅かに軋ませる。違和感を持った少女が目を瞬いたそのときにはいつも通りに戻っていたが、どうかしたのかと疑問の視線を送ると彼女はくすぐったそうな笑みを浮かべる。
「……もう、フーカさんたら。いつの間にそんなに綺麗になったのかしら」
「き、綺麗!?」
 生まれて初めて受け取った女として最大級の賞賛の言葉に、相手の腕の中を潜り抜けるように旋回しながらも戸惑うフーカ。女らしい彼女にそんなことを言われるのは、照れを通り越して驚いてしまう。だがアルティナは世辞のつもりなどない顔で、少女を独楽のように回しながら深々と頷いた。
「さっきの笑顔は、とても。デスコさんが見たら、白馬の王子様が本当に来てしまう、なんて焦りそうでしたわよ」
「そ、そんな心配いらないってば! 王子様もデスコもアタシのなんだから!」
 動揺を押さえ込めないまま子ども特有のわがままを言い放ったフーカに、今度はまた別の意味でアルティナが目を剥いた。と思ったら吹き出して、まあまあと子どもをあやす笑みを作る。
「フーカさんたら……。ですけど一応、さっきの笑顔は同性のわたくしでも思わず見惚れてしまいましたもの。そのご褒美に……」
 ご褒美とは、とさっきから何度か同じように自分だけターンを繰り替えさせられていたフーカが不思議に思いながらもまたアルティナの腕の中へと舞い戻ってきたところで、何故か肩に手を触れられず腰に手を回された。と思ったら膝裏にも手で触れられて、まさかと思った瞬間に抱え上げられる。
「はいっ!」
「うわっ、わわわっっ!?」
 そのまま猛烈な勢いで回転されて、アルティナの腕の中で一瞬縮み上がりそうになったフーカだが、これも振りの一つだと察するとただちに抱かれたままなるべく姿勢を真っ直ぐにして周囲に笑みを振り撒く。
 丁度曲のクライマックスと言うこともあって決めには相応しいものだったらしい。曲が終わると同時にまたヒールを地面に戻した少女は――勿論、この日のために踊りだけではなくヒールにもしっかり慣れた――、周囲の悪魔たちの賞賛なのか皮肉なのかからかいなのか、とにかく多くの視線を浴びることとなった。が、最後の最後で世に言う姫抱きをされたフーカにとってそんなもの全く気にならない。
「アルティナちゃん、あれ、練習中に教えてくれなかったよね!? あんなのダンスの振りにあるの!?」
 勢いのままフーカを抱えて回旋したアルティナは、やはり多少に無理をしたらしい。彼女と手を繋ぐと肩を軽く上下させながら、デスコたちのいるところを目指しゆっくりと雑踏を掻き分ける。
「……当然、本物のカップルや挙式でもなければ普通はしませんわ。けどフーカさんが女の子として一歩、魅力的になられた記念に、ね?」
 悪戯っぽく笑ったアルティナに、フーカは複雑な気持ちを抱く。人生初のパーティーの、本番のダンスで大成功を収めたともなれば恩師兼パートナーに抱きつきたいほど感謝したい気もするのだが、反面姫抱きはそれこそ運命の人にしてほしかったと思いもする。まあ彼女はあまり中に溜め込まない性格だ。気心の知れた仲間の天使だからこそ、そんな心のうちを正直に告白した。
「その気持ちは嬉しいし、正直さっきのもちょっと興奮したけどさ、アタシの人生初のお姫さま抱っこはアルティナちゃんって、ちょっと……」
「あら、どうせこれもフーカさんの夢、なのでしょう?」
 だから気にしないでもいいだろう、ととぼけたアルティナに、フーカは歯軋りしかねない顔で近くを通りがかったプリニーからグラスを受け取る。一口煽ると冷たい炭酸が喉に弾けて心地良く、多少は冷静さも取り戻す。
「……そうなんだけどー。でも、ほら、やっぱり気分ってものがあるじゃない?」
「まあまあ、あまりお気になさらず。同性ですから予行演習扱いか、数に数えないほうがよいのでは?」
 派手に落ち込むほど衝撃的でもないのだから、アルティナの言葉通りにしようか、と吐息一つであっさり思考を切り替え、フーカは仲間たちの前へと跳んで戻るとピースサインを決めてまずは第一声。
「どうだった、アタシの華麗なダンス!?」
 当然いの一番に反応を寄越すデスコは目を輝かせ、感嘆のため息を漏らすどころか興奮の面持ちで激しく頷いた。
「凄かったデス、おねえさま! 最後のくるくる回ってたところとか、とっても綺麗でしたデス!!」
 人生二度目の賞賛の声が妹からの評価とは。それでも褒められて悪い気はしないので、フーカは満足げに笑いながらその頬をうりうりとくすぐってやるのだが男性陣のほうはと言うと。
「うむ、初心者とは思えぬ見事な身のこなしだった」
「興味がない」
「……あの最後の、正直滅茶苦茶浮いてたぞ?」
 ヴァルバトーゼはいいとして、最後のふたりの色気のなさときたら。もとよりそんな連中なのはわかっていたが、一ヶ月の苦労に対する言葉がそんなものとはフーカの努力に見合わないため彼女は猛然と抗議する。
「ちょっと! 可愛い女の子の精一杯のダンスの感想がそれって、あんたたち普通ありえないわよ!?」
「前から言おう言おうと思ってたけどさ……自分で自分のこと可愛いとか言う女のほうがありえないぞ」
「事実を言って何が悪いってのよ!」
「……強いて言うならそれを事実とか言う神経の図太さが悪いかな」
 エミーゼルから冷めた指摘を受けてむうと怯んだフーカだが、人狼の徹底した態度に一度冷静になりかけた頭の熱が再び急上昇する。
「ヴァル様、どうやらこの祝宴では蓋付きのシャンパンクーラーがイワシ入れになっている様子です。ほら、このように……」
「ほう、悪くない趣向だな。遠目からでもわかりやすく、尚且つ鮮度も保たれる……!」
「こぉ~らぁ~~~! 無視すんな――ッ!」
 まんまとイワシに釣られる吸血鬼に微妙な気分になるがそれ以上に、完全に少女を無視する気に満ち満ちているフェンリッヒへの怒りが強く、少女はいつかと同じようにタックルをかまそうとする。が、慌てた残りの女衆によってそれは見事阻まれた。
「フーカさん! その格好で体当たりはいけません!」
「そうデスおねえさま! ずるっと行って顔からべしゃってなったら、おねえさまだけじゃなくてデスコも辛いデス!」
「それでこいつが大人しくなるなら、オレとしては実に望ましい展開だな」
 ため息混じりに主がイワシを咀嚼する光景を見ながら、人狼がぼやく。それから取り押さえられた少女のほうへとようやく首を向け、呆れの色濃く彼女を見下した。隠す気もなく鬱陶しげだ。
「で、貴様はオレに何を期待している」
「『興味がない』以外の感想! 具体的にはヴァルっちぐらいの褒め言葉!」
「なら初めからそう言え。ついでにオレは、貴様に褒め言葉なんぞ死んでも吐く気はない」
 断言されて、折角気持ちよく踊っていたのに何の価値もないと間接的に決め付けられたような気分のフーカは大いにむくれた。しかし彼女がそんな手酷い物言いをされるのは、ここに来るまでの間で散々フェンリッヒをからかったのが大きな要因でもある。尤も、そんなことをしなければ人狼から無難な感想を聞けていた、とはならないだろうが。
「フーカさん、落ち着いて。狼男さんがヴァルバトーゼさんのように褒めるようなことが起きれば、それは天変地異の前触れか何か企んでいる証拠です!」
 少女以上にフェンリッヒから険悪に思われている自覚を持つアルティナがそう宥めると、言い過ぎとは決して思えないのだろうデスコもこくこくと同意を示し、エミーゼルもまあなあと天使の言を肯定する。
「ツンデレのこいつに真正面からの褒め言葉を期待するなんて……フーカ、お前どこまでテンション上がってるんだよ」
「お前までそれを言うか!」
 エミーゼルの一声に噛みつく人狼の姿を見て、少しだけ落ち着いたフーカは腕を組みこの長身の悪魔をどうにか一泡吹かせようと考える。いや一泡吹かせるだなんて暴力的なものではないが、とにかく自分が感じた不快感をフェンリッヒに与え返そうといまだ興奮冷めやらぬ頭を捻り、再び曲が流れた始めたところで少女はふと思い立った。
「あ、……そうだ。ヴァルっち、踊って!」
「ああ……確かに約束していたな。良かろう、踊ってやる」
 イワシを二尾食べ終えたヴァルバトーゼが頷くと、尾を名残惜しげにシャンパンクーラーの中に放り込んでからフーカの手を取り一同から離れようとする。形式的な誘導方法はごくあっさりとしていて色気なんぞ皆無だが仕方ないものとして少女も割り切ると、まずはどこぞの人狼以外の面々に片手を振る。
「んじゃ、また行ってくるね~」
「ええ、お気をつけて」
「いってらっしゃいデス~」
 ひらひらと手を振り返したアルティナやデスコの次に、シャンパンクーラーを持つフェンリッヒへと視線を注げば少女の思惑通り。先のフーカほどかはわからないが、明らかに不機嫌な顔で彼女を睨みつけてくる。それに普段人狼がやるように鼻で笑ってみせてやると、ざわと静電気でも生まれたように毛を逆立てるのだから面白い。
 だがそんな少女の鼻っ柱は、思わぬところから鮮やかに手折られた。
「小娘、フェンリッヒをそうも挑発するな」
「…………わかったわよ」
 今度の踊りのパートナーたる吸血鬼に諭すように言われて、フーカは身体を誘導される方向へと戻しつつ息を吐く。あてつけがましい誘い方になってしまったが、それを踊っている最中にまで引きずればヴァルバトーゼにも悪かろうと考え、彼女はさてと気合いを入れた。誰かを煽ることよりも、自分が楽しみたい欲求のほうが強いのもあって気持ちの切り替えはあっさり成功する。
 そんな姉の後ろ姿を眺めていたデスコが、またも置いてけぼりを喰らった顔をしており雨に打たれ見捨てられた仔犬さながら寂しそうなものだから、アルティナはさて、と小さな肩にあえて明るい声で話しかけた。
「それではわたくしたちも約束通り、踊るとしましょうか」
「……あぅ、けどアルティナさん、さっきおねえさまぐるぐる回してたから、疲れていないデスか?」
 ラスボス修行中ながらにしっかりこちらを気遣ってくれる優しい悪魔の少女に、アルティナは慈しみの笑顔を見せて首を横に振る。
「平気ですわ。フーカさんたら、まるで羽のように軽かったんですのよ?」
 それはデスコにでさえすぐにわかる嘘だが、アルティナもフーカも同じ女だ。同性を持ち上げて、重かったです疲れましたなんて感想は口が裂けても言えないし言いたくないのだろうと察すると、差し出された絹の手袋を少女は控えめに握り返す。
「それじゃあ、お願いしますデス!」
「はい。ではわたくしたちも移動しましょうか」
 王子様めいた姿の天使の腕に掴まると、悪魔の少女は尻尾を使ってなめらかに移動していく。そう、基本的に移動方法が尻尾頼り浮遊系のデスコの場合はどうやって踊るのか。この謎に対して好奇心が湧き上がったエミーゼルはアルティナたちのほうに自然と視線をやるが、フェンリッヒは相変わらず主のほうが気になるらしい。舌打ちののちに吐き捨てるような声が少年悪魔の頭上から降ってきた。
「小娘、調子に乗りおって……」
「……そんなの、フーカならいつものことだろ」
 エミーゼルは呆れて話し相手を見上げると、映るフェンリッヒの表情は刺々しく、言い換えれば余裕がない。普段なら落ち着いた皮肉っぽい態度を貫いているのがこの人狼だろうにどうしたことかと疑念の視線を向けるも、当然芳しい反応などある訳もなく。
「何を見ている。お前もあの小娘の肩を持つ気か」
 逆に喧嘩を売られかねない眼差しを返されて、少年はまさかと肩を竦めた。物騒な脅し文句がないだけに本気で不機嫌なようだが、だからと言って公の場で暴れるほど短絡的ではないと人狼の性格を理解しているため、彼の口調に緊張は薄い。
「フーカがいつもよりはしゃぎ気味なのは誰が見たってわかってる。けど、さっきのはお前もちょっと大人げないと思うぞ?」
「人間の魂をようやく一人刈ったばかりの半人前に言われたくはないな」
「その半人前に注意を受けてるお前はどうなんだよ……」
 エミーゼルの切り返しに、フェンリッヒは苦い顔で押し黙る。少年はその反応を気にすることもなく横切る給仕を呼び止め、今度は淡い黄金色のシードルに手を伸ばした。ついでにオードブルの皿も受け取る。
「適当にそれっぽいこと言ってやれば、ああもむきになることもなかっただろ。お前ならよく考えたら褒めてないような言い回しだって考えられたはずなのに、どうしてあんなに頑なな態度なんか取ったんだよ」
「閣下もだが、お前たちがあれを甘やかすからだ」
 シャンパンクーラーをプリニーに押し付けた人狼は憮然と答えたが、それが本心からの言葉だなんて少年は微塵も思えずパテの載ったクラッカーを手に取る。
「甘やかすって言ったって、さっきもヴァルバトーゼが釘を刺してただろ。……それにフーカが調子に乗って痛い目見たって、ここは魔界なんだから自業自得ってやつだ。同情する奴のほうが少ない」
 だからせいぜい調子に乗らせておればよい。そのうち足を踏み外すのを待って、落ちたところを得するものがぺろりと食す。それが悪魔として正しい在り方のはずなのに、人狼の考えは違うのか。まあ彼自身、ほかの悪魔に絶対の忠誠を誓い、そんな自分に誇りを持って今の今まで生きている点では悪魔としては異質に違いないがこれとはまた別の問題ではなかろうか。
 ともかくエミーゼルの発言そのものには今の荒み気味な人狼とて問題を感じないのだろう。フェンリッヒは苦労を滲ませた深く長い嘆息ののち、本音であろう言葉をぼやく。
「……あれがどんな状態であれ、もれなくオレに絡んでこなければ、オレも喜んで放置するんだがな」
「あぁ、うん、……確かに」
 確かにまずそこからの問題だった。しかしフーカは今ここにいないため、フェンリッヒの苦悩に対する答えは問いかけようにも返ってこない。なのでこの話題はクラッカーと一緒に胃の奥に流すことにした少年の耳に、一足先に切り替えたらしい人狼のあっさりとした声が届く。
「さて小僧。この際だから一応聞いておくが、このあと父親は会う予定はあるか」
「そりゃあ親子だし。……なんだよ、ヴァルバトーゼと父上を会わせたいって言うのか」
 フェンリッヒから父の話が出てくるとなればそれしかないだろう、と察するくらいにエミーゼルは彼の性格を把握している。いつぞやかは女性陣に優しいものだとからかわれていたが、人狼は吸血鬼の執事として頭を働かせる際、実に悪魔らしく知恵を回す。
 予想通り、話が早くて助かる、と人狼はなんだか久し振りだと思わせる笑みを口元に刻んで肯定した。続いて平静に、だがどことなく面白そうな表情を消さないまま少年に説明する。
「閣下はお前たちの手前、毅然とした態度を取られているが、実のところ具体的な方針についてはいまだ迷っておられる」
 具体的な方針、とはヴァルバトーゼがこの祝宴に出席する真の理由。政拳交代を果たし、更には魔界の深刻な『畏れ』エネルギー不足の原因を退けたのに、大統領の座をよりにもよって早いもの勝ちでよその悪魔に譲った伝説の吸血鬼が何を考えているのか。これからどうするのか。どのようにしてこの魔界と人間界を地獄に落とすか――それらを明確に公言すること。だが彼は、出席したにも関わらずいまだそれら諸々の問題については明言を避けている。つまりは人狼の言葉通りなのだろう。
「……まあ、迷ってないなら乾杯のときに一言あってもよかったもんな」
 しかし今夜、吸血鬼が何も言わないはずはないし、言えない展開は誰も望んでいない。乾杯の席で無言となれば、形式上祝宴が終わる時刻になれば確実に発言を求められるだろう。それによって魔界の今後と、ヴァルバトーゼ自身のすべてが決まる。そして彼の忠実な僕たるフェンリッヒが主に何を求めるかと言えば無論、プリニー教育係の地位に戻ることではなく。
「ヴァルバトーゼ様には魔界大統領の座など通過点に過ぎない。だが、あの方は支配者の座そのものにあまり興味を持たれておられんからな。オレのほかに火付け役は必要だ」
 底意地の悪い含み笑いを浮かべてエミーゼルに間接的な圧力をかけてくる人狼に、死神の少年は彼の視線から逃れる意味で身体を傾け返答を濁す。
「ボクはヴァルバトーゼのこれからなんてどうでもいいし、むしろ魔界大統領もやるなんて展開になるのは困るから、父上にはあれこれ言ってくれなんて頼めないぞ」
「お前なんぞにそこまでは期待していない。ただ二人が会えば……まず昔話は出るだろう。お前の父は暴君であった頃の閣下の実力を知りながら生き長らえる、数少ない悪魔だ」
 しみじみと呟いたフェンリッヒの遠望の眼差しに、少年は露骨に呆れた。『暴君』と呼ばれた吸血鬼が死神王と思い出話に花が咲くなんて光景、不自然極まるがまだ想像の範囲内としよう。だがその流れであの頑固な悪魔が暴君時代を懐かしみ、自らの魔力を復活させ覇道へと突き進む、なんて展開までもはどうにも彼の想像力の限界を超えている。
「父上と戦ったときにもイワシと絆で乗り切ったあいつが、思い出話だけで変わるもんか?」
「……言っただろう、迷っておられる、と」
 人狼のくすぐるような囁きに、エミーゼルは得心する。成る程、この一ヶ月間でフェンリッヒは主を存分に揺さぶっていたらしい。執事であればふたりきりの時間もいくらでも作れるし、真正面から約束を破って血を吸えと言う訳でもないのだから、大きな抵抗も示せず吸血鬼もその気にもなりやすい。相手が停車しているうちに坂道を造りレールを敷いて、ほかの誰かにアクセルを切らせるとは、相変わらず隙のないことだ。
「お膳立てならお前は気にせんでいい。しかし、そうだな……これからニ、三時間ほどすれば、お前が閣下を誘導して差し上げろ」
「どうしてボクがそんなこと!?」
「前大統領の息子が出れば、周囲も察するし閣下も誰からの指示か予想しやすい。だがオレがそこにまで付き沿えば、いかなあの方でも怪しまれる」
 つまりフェンリッヒは偶然、もしくはあくまで前大統領側から吸血鬼へとアプローチをかけた流れに持ち込みたいらしい。慎重、と呼ぶべきなのだろうが、彼の場合その性質もあるのでエミーゼルはあえて違う言葉を選ぶ。
「……お前ってほんといやらしいよな」
「狡猾と言って貰おうか。……どこぞの猿に語彙が似てきたぞ、小僧」
 それまで青年悪魔の言葉通り狡猾な印象を放つ微笑が、不愉快そうに歪んだ。だがエミーゼルはその変化を目にしてようやく胸の圧迫感が解れた思いがして、気が抜けてしまったシードルで唇を潤す。ついでに、仲間の女性陣がこの人狼に対してからかい混じりで対応することが多い理由をなんとなく、否ようやく言葉に出せるほど理解した。
「気にするなよ。その猿――て言うかあいつらは、きっとさ」
「はん?」
「お前のその、狡猾さばっかり見たくないんだろ」
 悪魔としては賞賛に値する一言であるはずなのに、そんな自分を間接的に否定されたためだろうか。それともそんなふうに思われることに何か奇妙なものを感じ取ったのだろうか。フェンリッヒは眉根にしっかり皺を刻み込むと、一言吐き捨てる。
「余計なお世話だ」
「ボクに言うなよ」
 尤もな指摘を受けて、人狼の眉間の皺が更に濃くなったのは言うまでもない。
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