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夜の暴君冒険譚

2012/07/11

 窓を開けていたせいか、少し背中に寒気を覚えた彼女は読みかけの本に栞を挟み、引き出しからショールを取り出しかけたところでまたぞっと背が震える。しかしお陰でこの寒気は尿意から来るものではないかと考え直し、用を足しに行ってから改めてショールを持つ。
 そうしてまた本を読もうと窓辺に近寄ったら、自分が座っていた椅子に誰かが腰かけていて、おまけに勝手に自分が読んでいた本を開いており、喉奥から大きな呻きが漏れる。直後、そんな反応は内心大げさすぎたかもしれないと不安を抱いたのは、小心なのか優しさなのか。
 しかしそれは杞憂だった。女の部屋に入り込んだ不届きものは、同時に彼女が住まう屋敷の主人でもあるため、彼女の反応をきれいに無視する。その上でざっと本の中身に目を通していたが、気になる固有名詞を発見したらしい。表紙に書かれた題名も読めば、青白い眉間に深い皺が刻まれる。
「『暴君ヴァルバトーゼの冒険』……?」
 怪訝な顔で声を発した、その男こそがヴァルバトーゼ。かつて『暴君』の二つ名を戴き、魔界じゅうから恐れられ他に比類なき強さを揮っていた吸血鬼である。現在はその魔力も最低限しか残っていないため、退化した肉体は少年期からようやく脱却した青年と言った風情。しかし全身から威厳と自信が満ちているのは相も変わらず、昨今とある出来事により英雄として再び魔界じゅうから注目されるようになった。
「……窓から入られるのは『吸血鬼の礼儀』だそうですから何も言いませんけれど、勝手に他人の本を読むのはあまり感心しませんわよ?」
 そうして部屋に侵入された女は、四百年前その『暴君』から些細な約束によって血を絶たせ、イワシを偏愛する地獄のプリニー教育係に変貌させてしまった原因。人間だった頃は戦地で役目を全うせんと足掻いていた貧困の看護師であり、死後はその魂の清さを天界の住人に見出され新たな命を与えられた、アルティナと言う天使の娘。
 四百年前の出会いからたったの三日間、娘の不幸な死により打ち切られた異種族交流と約束をふたり揃って覚えていたのは、男曰く約束の大切さを教えてくれたかけがえのない思い出だからこそだが、実際のところ男女の仲として最も自然で最もありがちな、情熱的で繊細な想いが芽生えていたからで。
 再会を果たした最近になってようやくその想いを互いに伝えあい、汗で睦む仲になったのは四百年に比べればまだまだほんの短い期間でしかない。それでも最近はふたりきりで過ごす時間に戸惑いや怯えが薄れ、代わりに厚かましい本音の吐露も珍しくなくなった。
 その厚かましさの典型として唐突な恋人の訪問を受けた娘は、男から本を返してもらおうとおっとり手を伸ばしたのだが、どうしたことか白手袋は逆に彼女の手首を掴み、くいと手前へ引っ張ってくる。
「……はい? どうされました?」
 そのままでは接触してしまうだろうにと暗に含めて伺っても、やはり男はどこ吹く風。本を片手に持ったまま、恋人の手首を手前へと引き寄せる。
 もっと近付けと命ぜられても、これ以上近付くのは無理だろう。そうたじろぐ視線で告げた娘に、青年が顎で指し示したのは、彼の細い膝の上。
「ええ……?」
 それはいくらなんでも恥ずかしい、と娘は軽く拒絶したのだが、やはり男は強情だった。相手が乗ってこないと知ると、掴んでいた手を更に伸ばして柔腰に腕を回し、あっと言う間に引き寄せて自分の膝の上で尻餅をつかせる。世に言う膝抱きの姿勢となった。
「よし、これでいい」
「……どこがいいんですか」
 呆れた娘を意に介さず、着々と手袋を脱いだ青年は、腕の中にすっぽり収まった自分より華奢で柔らかく温かく、なによりも素晴らしい芳香を漂わせる身体に鼻先を埋める。
 この天使の娘の体臭は花のように瑞々しく、糖蜜のように甘く、薫風めいて爽やかなのに、体の芯から蕩けそうになる効果をもたらす不思議な代物で、吸血鬼はこれを嗅ぐとご多分に漏れずだらしのない渇欲が胸の杭の奥からとろとろ溢れてくるのだ。いつかの彼ならそんな衝動は気の迷いだと自らを叱咤したものだが、今ならその防波堤もとっくに壊れて意味をなさない。
「あ。ちょ、もうっ、ヴァルバトーゼさんっ……!」
 胸いっぱいに香りを吸い込むと、肩をシャツ越しに啄みながら女の尻に指を埋める。ああ、内腿でも構わない。そのちょっと奥にある、絹の下着に包まれた小さな突起と肉のあわいは、彼の欲望を受け入れ煽り昇華させてくれるとても素敵なところだから。
 けれどそちらに手を突っ込もうとすれば持っている本が邪魔になる。そこで男はようやく、本来真っ先に訊くべきことを訊ねた。
「何故お前がこんなものを読んでいる」
「……いけま、せんの?」
「いや、別に構わんが……」
「でしたら、返してくださいな」
 横尻の辺りで半開きの本を片手に持ったままの姿勢は、彼女に不安しか与えていなかったらしい。青年の手から鮮やかに本を奪うと、中に皺が寄っていないかやけにじっくり確認する。
 久しい来訪なのにあまり構ってもらえぬ吸血鬼。やや乱暴に娘を引き寄せれば、心地よい重みと温かさがぐらり揺れて胸に軽くのしかかるも、女はすぐこちらの胸に手を添え、もとの体勢に戻ろうと試みた。
「そいつはどうした。小僧からの借り物か?」
「いえ。こちらの書庫にあったものですので、あえて持ち主を突き詰めればあなた、と言うことになりますかしら」
「なら俺がどう扱おうと問題あるまい」
「ありますわよ。本を発注なさったのは狼男さんだそうですし、司書役のプリニーさんのご好意を仇で返すような真似はしたくありませんもの」
 説明を受け青年の頭に僕の澄ました顔が過ぎるも、胸に去来する思いは複雑極まる。
 四百年前、人間だった頃の娘を看取って以降血を吸わなくなった吸血鬼に、口酸っぱく、ときには主を欺いてでも血を飲ませようとした人狼は、魔界で誰よりも彼に忠実でありながら『暴君』の復活を願っている悪魔でもある。この冒険譚とやらを発注したのも自分に対する間接的な圧力なのだろうと想像すれば、咥内にイワシの内臓の味が蘇った。
「……あいつの約束を破らせようとする情熱は驚嘆に値するな」
「その情熱にびくともしない方がなにを仰っているんですか」
 口づけも容易い距離なのに苦笑を浮かべた娘の眼差しは、やはりあの本の中身に注がれたまま。今夜の彼女は肉の愉楽をたっぷり与えてやれる自分より、たかが紙とインクの寄せ集めに夢中らしい。全くもって面白くない。
「どうしてそんなものを読む気になった? 昔話が聞きたいのなら、お前の望む限りいくらでも俺の口から話してやるが」
 とは言いながら、青年は昔の誰それと戦ってどうやって勝ったかの思い出なぞろくに覚えている気がしなかった。それに昔話と一口で言っても幅が広すぎるほど広い。本のように整頓されていない記憶の中では、娘好みの話など満足に話してやれるかどうか。
 幸いにも、そんな男への返事は悩ましげな笑みで濁される。
「それはありがたいお話ですけど……。お代はいくらになりますのかしら?」
「金はいらん。しかしそうだな……今夜ならお前の添い寝でどうだ」
「それはまた、難しい値段の付け方ですこと」
「何を言うか。我ながらこれ以上ないほどの大盤振る舞いだぞ?」
 これについては自信たっぷりに告げると、娘は喉の奥でころころと笑いながらゆっくり首を振る。桃色の長髪がふわり波打って、鼻先をくすぐる香りのまた芳しいこと。
「では、それはまた次の機会させていただきますわね」
 つれない返事だ。しかし味覚以外の全てがゆるゆると女の色に満たされている現状では拗ねるのも困難で、青年はわざとらしく口先を尖らせるのみ。
 だがこんな状況が長らく続くと、もっと満たされたくなってしまうのが悪魔なるもので。軽く抱いているだけの娘の、いろんなところを触りたくなる。悪戯してやりたくなる。ろくに本なぞ読んでいられないくらい、狂わせてやりたくて。
「ん、あ、の。ど、どこを、触って……!」
 横尻に添えたままの片手を移動させ、下着の縁から奥へと侵入。尻の切り込みに沿ってゆっくり大きく上下になぞって、道筋の奥まった位置にある窄みに触れるか触れまいかの期待と不安を煽り立ててやる。尤も、彼はそちらに興味は薄い。したいと彼女が言い出したなら、ようやく開発する気概が湧くくらい。
「……ヴァルバトーゼさん?」
 天使のほうは、いっかなそんな気にはなれないらしい。むしろ嫌悪感を抱いた様子で、尻を揉まれている割りに鋭い一瞥を投げかけてきた。薄青い瞳は明確に、これ以上そんなことをすれば部屋を追い出すと勧告している。
 それは困ると下着から手を抜き取って全面降伏、両手を小さく挙手した青年に、娘はため息を漏らし膝の上から降り立つと、スリッパをぺたぺた鳴かせて本を抱えたまま寝台へと腰を預ける。
 ふたりきりなのにさっきより距離が生まれるのはよろしくない。吸血鬼もまた腰を上げ、娘の隣に座ろうとしたところで。
「ところで、少し質問してもよろしいかしら?」
「なんだ?」
 にこりと微笑まれ、応じる姿勢を取ったのが運の尽き。娘は本のとある行にそっと人差し指を当て、うちの一節をひたと見つめて告げた。
「ここの、卑劣な手段で魔神の地位を得た悪魔を倒したお話ですけど……」
「卑劣な……? 多すぎて特定できん」
「魔力を奪う鎖によって、捕らわれたものはたちまち非力になり、その魔神の奴隷として強制的に働かされるとありましたわ」
「ああ、いたような気がするな。そいつがどうした?」
「いえ、少し興味深い記述がありましてね。奴隷の中に、夜魔の姫もいた、とのことですので……」
 心当たりはないものの、単語から受ける印象と連想される展開に青年の全身がぎくりと軋む。
 そんな彼のいやな予感を裏付けるようにして、娘は本から目を離さないまま、あくまで微笑みを絶やすことなくそのエピソードを説明し始めた。
「そもそも、件の魔神の悪行をあなたが知ったのはその夜魔の姫に足下に身を投げ出されたからだそうで? 悲痛な叫びと涙に濡れたその姿に心を打たれたあなたは、姫君の導きで魔神のもとへ赴き、彼女の助けによって魔神を倒すことに成功した、とのことでしたので……」
 淡々とした要約に、冷たい汗が背中に一筋、二筋。
 さっきから熱心に読んでいたのはよりにもよってそんな話なのかと、青年は焦りながらも自己防衛のため急遽昔の記憶を掘り返す。結果、そのまま彼女に話せない暴君時代の思い出話は六つか八つ――いやそれ以上だと自覚して、青白い顔がいつも以上に血の気を失いたちまちどす黒く変色していった。
 今まで考えたこともなかったがこれはいけない。過去の出来事とは言え浮気話と受け取られかねない逸話を後世に残す形式で保存され、出版され、世に広く流通されているなど。知名度による弊害は今までそれなり味わってきたが、彼はこれほどまでに深刻な危機感を、恐怖を抱いた瞬間はなかった。
 滝のように冷や汗を垂れ流し、サイドテーブルに軽く腰を預けた姿勢で硬直している青年へ、娘の追い打ちは容赦なく続く。
「最後は元奴隷たちに心からの感謝を受け、自分たちを僕にしてほしいとの願いを断りまた旅に出たそうですけれど……実際のところはどうされたんです?」
「ど、どう、とは何の……」
「…………あら。吸血鬼さんたら」
 ふたりきりなのに関係を結ぶ以前の呼び方に戻されて、吸血鬼は小さく飛び上がった。
 この程度の脅しでそれは過剰反応だと笑う第三者もいるかもしれないが、娘の白々とした声を耳にしてとぼけられるほど彼は楽天家ではないのだ。瞬時に弁明する声は、悲鳴とさして大差ない。
「誤解だ、アルティナ! 大体、その話には嘘が多すぎる!!」
「ふうん? そうでしたの」
 言葉尻の冷ややかさに最早条件反射の粋で跪きかけたが、青年はどうにか踏みとどまって言葉を選ぶ。そうとも、昔のやんちゃが信頼できる筋から暴露された訳ではないのだから、今はまだ危険を回避できるはず。
「まず、その夜魔の姫とやらは現実には存在せん……。実際に俺がその魔神を知ったのは女悪魔との接触には違いないが、夜魔でもないし貴族ではないっ!」
「それで?」
 たかがそれだけかと暗に含んだ口調がまた恐ろしい。吸血鬼は歯を食いしばって、物語の虚栄を更に暴く。
「そいつは確か……俺の魔力と命を狙って近付いてきた。非力な女なら油断すると考えたらしいが、当然俺は遠慮なく返り討ちにするついでに捕らえた。そのあと誰が俺を殺すよう指示したのかを吐かせ、魔神の住処への案内役としてそいつに同行を命じた」
「……つまり捕虜、ですか」
 声が少しは落ち着いてきた。その通りだ、その調子だ、と短く強く頷く。
 実際のところ女悪魔に命を狙われたのも嘘ではないし、それを返り討ちにし、捕虜として扱ったのも間違いない。ただ命を狙われたのはその女と閨を共にした夜更けだったが、その辺りのことまでこの娘に素直に話せるほど彼の神経は図太くない。
「助けと言うのも、そいつを強く脅した結果、勝手にこちらの都合良く動いたまでのこと。あのまま魔神の奴隷として自由を奪われ生きるか、それとも俺に賭けて自由を得るか……その判断くらいはできていたのだろう」
「それで? その捕虜さんも、魔神を倒したあなたを手厚く歓迎なさった上で、あなたの僕になりたいと仰っていらしたの?」
「……ま、まあ……」
 それはかけなしの事実だった。長らく魔力と自由を奪われていた女は、本当に自由になってしまうと今度は一人で生きていかねばならないことに怖ろしくなったらしい。もとの主人より更に強く、真っ当に扱ってくれるであろう彼を新たな庇護者とすべくすり寄ってきたが、たかが一度抱いた女に情を持つほど不自由していなかった彼は拒絶した。
「そうだったかもしれんな……。何分、あまり覚えてはいないが……」
「どうして覚えていらっしゃらないの? 一時的とは言え、あなたのお仲間でした方なのに」
「仲間ではないッ! 捕虜だとお前も言っていただろうが!」
「お願いされたのに、どうして仲間にして差し上げなかったのかしら」
「その、ろくに戦力にならんと判断したからだ! ある程度戦えるならともかく、ただの奴隷女を連れ歩く趣味などない!」
 これについてもまた嘘ではない。
 気高き悪魔である青年の捕虜となって以降、乱暴されまいと自分からへりくだり、臆病心から従順な女には腹立たしいばかりだった。そんな言動を取るのは環境のせいだと理解していても、瞳に生気のない娘に自立心と苛酷な環境を生き抜く上での姿勢を教えてやろうと思えるほど、当時の彼は面倒見がよくなかった。
 かくして納得のご説明をいただいたはずの天使の娘は、あのときの女と違って生気に満ち、芯の通った強い意志を感じさせる薄青の煌めきを彼に注ぐが、こちら相変わらず厳しい。痛い。怖い。肌に刺さりそうなほど鋭い。
「……ふぅん。そう言うものですか」
「そう言うものだ」
「ではこちら共闘した……ええと、才能溢れる気高き魔女のお話しですけど」
 ざっと別の頁を開いてまた新たな尋問を開始しようとする娘に、ついに青年は盛大に呻く。
「おい待て! まだそんな話があるのか!?」
「ええ、あと三人は気になる方がいますから、こちらもまたもう少し詳しいお話をお願いしますわね。質問の範疇を超えていると仰るのでしたらそれでも構いませんわ。わたくしが添い寝さえすれば、いくらでも昔話をしていただけるんでしょう?」
「…………」
 確かにそうは言ったが、よもやそんな話題で長々と拘束されるとは思わなかった。
 今日はまだ仕事の量も少なかったものの、今夜は彼女にたっぷり慰めてもらうべく訪れたのに、被疑者となって簡易裁判を受ける羽目になろうとは誰が予想するものか。どうにかこれらを全てやり過ごしたところで極度の疲労から反撃も難しそうだし、添い寝をしてもらう程度では割に合わない。
 これから始まるであろう苛烈な問い詰めを想像しただけでも気力が削がれ、青年は大いに項垂れる。その様子にさすがに罪悪感が芽生えたか、娘のため息交じりのぼやきが床に転がった。
「……わたくしも、ここまで酷くなければこんなこと訊ねる気になりませんでしたのよ?」
 触れれば凍傷しかねんばかりの声ではなく、いじけたふうな可愛ささえある声音に、男はちらと顔を上げる。案の定、頬を膨らませた天使の横顔を視界に収め、取りつく島を見出して底まで沈んでいた気分が少し浮上した。
「俺は一度も読んでいないが……その、そんなにか」
 そんなにヒロインが多いのかと訊ねると、娘はしっかり首肯。おまけにぱっと三本指をかざして、やや非難がましく説明する。
「ええ。一冊につき、平均で三、四人はおられますわね。ついでにこのシリーズは全十数巻だそうですから……」
「そ……!!」
 それはいくらなんでも多すぎる。そんなに長く旅をしていない。そこまで自分は気が多くない。
 目を剥き絶句した彼の反応があまりにも真に迫っていたためか、娘はこれをそれなりの説得力を持った弁明として受け入れたようだ。弦楽器さながら張りつめていた空気がつと緩み、白い瞼が伏せられた。
「編者の方は男性ですし、ジュブナイルを意識しているようですからこんなに女性が多くなったのかもしれませんわ。無敵の主人公が俗悪卑劣な敵を一刀両断、ついでに数々のヒロインの心も射止めるなんて……ありがちと言えばありがちですもの」
 言われてみれば成る程。先の逸話の脚色具合を鑑みてみると、内容は青少年が頭を空っぽにして楽しむ娯楽作品の雛形そのもの。それを青年とて卑下する気はない、どころか普段は好んでいるほどなのに、今は自分にそれを当てはめた編纂者が酷く恨めしかった。
「下手な自己投影に俺の名は使わんでほしいものだな……! 大体、現実にいる上に今も生きている悪魔の話をどうして無闇に脚色する!?」
「そうすれば自分の編集――と言いますか、脚色した本が売れるからでしょう? 実際、狼男さんがこのシリーズを購入するにあたっての決め手は発行部数のようでしたもの。多分、内容を少しでも読んでいればこれの購入は取り止めたでしょうね」
 是非ともそうしてほしかったところだが、勤勉で多忙な僕に八つ当たりはすまい。そもそもの元凶は編纂者にある。
 読者人気だかなんだか知らないが、自分の名と逸話を借りたどころかいらぬ疑惑まででっち上げての売文業とはいい迷惑、ついでに見上げ果てた根性だ。そいつにはこの返礼をたっぷりくれてやるべく名前を確認しようとしたら、一足先に娘に寝台の奥へと身体を翻される。しかも胸に本を抱かれ――ワイシャツから覗くたわわな実りがあんな軽薄な本に押し潰される光景を見せつけられ――再び青白い眉間に深い皺が刻まれた。
「安心しろ、アルティナ。破くつもりはないからそいつをとっとと寄越せ」
「い、いえ、今のあなたは破く以上のことをしそうでして……。と言いますか、いくら悪魔でも殺人は犯罪でしょう?」
「うむ。つまり殺すまでいかねばいいだけの話だ。ああ、そいつの本が特に売れているなら、モデル料として追加料金を『徴収』せんこともないな」
「は、はあ。それはまた……」
 物騒な話である。ついでに懐かしい単語を耳にして、天使の片頬が引きつった。いつかの彼女が魔界じゅうの各施設に行った『徴収』に比べればこちら言いがかりの面は薄いし、『徴収』が駄目なら名誉毀損も辞さないだろうと想像すれば、さすがにこの編纂者には同情してしまう。
 だがどちらの味方につくのかは自分の知りたいことを知ってからだと、寝台に膝をつき手をわきわきと蠢かせる男から更に退避しつつ娘は語尾を上げる。
「あ、あの、それではヴァルバトーゼさん?」
「なんだ。これ以上そいつを庇い立てするつもりなら、今度はお前を捕虜とする選択肢もありうると事前に伝えておくが……」
「脅さないでください! 庇う庇わない以前に、わたくしは知りたいんです!」
「何を」
 後ずさりすぎて頭を壁にぶつけてしまう。羽も擦れて少し痛んだが背を寝台に預けた胎児の姿勢よろしく珍妙な体勢のまま、天使はずばり訊ねた。
「実際のところ、あなたが旅の道中でお近付きになった女性はいらっしゃったの?」
「……い、いや。それはその……」
 くるりと。青年はかなり優位な立場にいたにも関わらず、大いに視線を逸らしてしまう。
 娘の言うお近付きとは即ち、身体で親交を図った知り合いのことなのだろう。それが何人いたのか、ではなく、いたのかいないのかの究極の二択を投げかけられ、過去は『暴君』と呼ばれた男は再び冷や汗を掻く羽目になった。
 正直に話すならいたことになる。まだこの娘と出会っていない、尻の青い小僧の時分なら火遊びもしたし、人狼の僕ほど長くもないし絆を結んでもいないが仲間として同行した女もいた。しかし意見の衝突が起こればあっさり手を切って、もしくは向こうが裏切ったり勝手に離れ、パーティは消滅。その際はさして感傷に浸ることもなく、むしろ束縛しようとする女と縁を切れて喜んでいたほど――たった三日、肌で触れ合ってもいない仲なのに、その離別に一生消えないほどの痛みを感じたのは、後にも先にも四百年前のあのときだけ。
 閑話休題。素直に話せば眼前の娘がどんな反応を示すのか悪い方向でしか予想できず、しかし下手な嘘をつけばあっさりばれて更に軽蔑されやしないか、彼女を傷付けやしないかと恐れた吸血鬼。うんうんと長らく唸っていたものの、聡い天使にはそれが何よりも明確な返答だと受け入れられた。はあと吐息をつき、本を抱きしめたままの彼女は独り言の音程でぽつり。
「……いましたのね」
「い、いや待てアルティナ! そう簡単に憶測で物事を判断するのは感心せんぞ!? だ、大体、どうして今それを答えねばならん!」
 図星を突かれながらも、彼は必死で抵抗を試みる。そこまで行くと見苦しいとさえ思われるかもしれないが、だからと言ってあっさり開き直るのも誠実な男の対応ではあるまい。
「どうしてって、これを読んでいる最中に気になったからに決まっているでしょう。……この本の中身全てが本当だと思ってはいませんけれど、どこからどこまでが本当なのかを疑うくらいの頭はあります」
 それならそれで放っておいてほしかったのだが、何故あえて今、訊ねるのかと苦い心地で男は娘を睨みつける。豊かな桃色の髪を垂れ流し、簡素な白いワイシャツと薄水色の下着に身を包んだ、手足は華奢なくせに女らしい柔和さも宿す肢体の持ち主を。
「アルティナ」
「…………」
 睨むつもりだったのに目元が緩んでしまったのは、相手がこの娘だからこそ。責めるはずの声は自分でも呆れるほど優しく低く響き、娘の拗ねた頬が朱に染まる。
 そのかんばせの赤みを見つめながら、青年はしみじみと実感させられる。多分、世の中にはもっと目を惹く造形美の女もいるのだろう。彼女よりも清らかで、自分にとって都合の良い女もいるのかもしれない。それでも今、この娘を手に入れた以上の幸せも満足感も手に入るまいと。――そうとも。四百年に及ぶ飢餓を、彼女にしか満たせない枯渇を、ほかの誰かに癒せるものか。
「アルティナ……」
「……っ!」
 こちらに最も近くて捕らえやすい、白く小さな裸の足を手中に収める。勢いよく振り払われそうになるが、先に掴んでそれを阻止する。その上で、まだもがく華奢な足首に口づけた。
「ゃっ……!」
 相変わらず細い。しかし唇から伝わるなめらかな肌触りは、太股や腕と大差ない。このまま下って足の爪先を口づけてやれば、足の指の間を舐めてやれば、娘はどんな反応を寄越すのだろう。そんな不埒な妄想を頭の中で繰り広げる男の顔は余程だらしなかったのか。こちらに注がれていた女の眼差しが、とろみだけでなく刺々しさをも含んでいく。
「変なこと、考えてらっしゃるでしょう……」
「さあな?」
 白々しく肩を竦めて、拗ねた相手に笑いかけようとした。その途中、ワイシャツの袖から伸びる下半身、ささやかなレースが縫いつけられた薄水色の光沢を放つ下着の、女にとってとみに大切なところが。
「見ないでくださいっ!」
 娘の片手に隠される。そこには舌が割って入ったこともあるのに見られる程度で恥ずかしがるとは、今更おかしな話ではないか。
 それに悪魔なる種族は大抵が天邪鬼を患っているもの。彼もご多分に漏れず好奇心をくすぐられ、足首からひかがみに手を移行させ、腿が微かに強張っていく感覚を手のひらで味わいながら身を乗り出す。長い脚の隙間に無理から割り入って脇腹を挟ませると、そのまま自分から逃れようとする娘を一気に手前へ引き寄せた。
「きゃ!?」
 そうしてずら下げられた娘の顔の近さに、自分たちの体勢を改めさせられる。率直な表現なら繋がっていない正常位。甘露に潤う唇が間近にあるのは悪くないが、これでは局部を視姦してやれなくなった。
 まあこれはこれで悪くない。やや強引な快楽によって娘の理性を溶かすのも好きだが、思い切り甘やかして彼女自身から理性を溶かす気にさせるのもまた一興。そう思考を切り替えると、青年はむっと不満げに曲がった唇をあくまで軽く啄んだ。抵抗なし。となれば勝率は思ったよりも高い。
「当時の女どもとは当時のうちに終わった。お前と出逢った以上、俺はお前を裏切らない」
「…………」
 相変わらず本を抱いたままだが、わかっています、とでも言いたげに首が横に逸らされる。わかっているなら膨れ面など作らずこちらに微笑んでほしいものだが、生憎彼女はそんな気になれるほどご機嫌麗しくない様子。ならばこちらが機嫌良く、気持ちよくしてやらねばなるまい。そう男が心に決めたところで、そっぽを向いたままの娘の唇がおずおずと動く。
「……最初は、ただ単純に昔のあなたを、……雰囲気を掴むくらいの感覚で、知りたかっただけでして」
 昔のことなど知ったところで何になる、と冷たいことを考える反面、そこまで自分に興味を持ってくれることにひっそり喜びながら、青年は黙って娘の横顔を眺める。
「狼男さんとあなたのお話を伺って以降、少し興味が湧きまして……。でもご多忙なあなたに直接伺うのも悪いでしょうし、まずはこちらの書庫から調べようとしたら……」
 書庫勤めのプリニーは彼女の来訪に大変感激し、熱心に対応してくれたらしい。冒険譚で特に『暴君』のイメージが掴みやすいものをとのリクエストに、その通りでかつ自信を持って女性受けが良いものを数冊選んでくれたとのこと。
 その女性受け要素がまさか数々の魅力的な女悪魔と『暴君』のロマンスなどとは想像もしていなかった天使は、読み進めていくに従って少しずつ表情に陰りを帯びていく羽目になったのだとか。
「ロマンスと言っても、昔のあなたは女悪魔たちの心を射止めてはやんわり振っておられましたけど。またいつかこちらに寄ったときに顔を出すとか、険しい旅をするから連れていけないとか……。あら? それってつまり……」
「脚色だろうが! そんな約束をした女などおらんわ!」
 いないとも。いないはずだ。いたとしてもとっくに関係は消滅していると、青年は過去を振り返る。うっかり忘れている可能性がないと断言できないのが辛いところだが。
「……それで。その、余計な情報以外の俺の昔話には、満足したのか」
 横向きになったまま首を寝台のほうへ傾げられる。今の体勢では少しおかしな仕草だと思うのだが、その点について彼女はあまり気にしないらしい。
「少なくとも、『暴君』は老若男女を問わず多くのものに畏れ憧れながらも孤高であるべし、と言う編者の意図はよく読み取れましたわ」
 命の恩人や阿吽の呼吸で協力した悪魔や、見目麗しく賢しき美女たちに仲間にしてほしいと頼まれても、この土地の主と君臨してほしいと請われても、気高き吸血鬼は毅然とそれを断って、新たな土地へ旅立っていくのが数多の『暴君』冒険譚の雛形らしい。
 その形式を貫くにあたっての弊害なのか、彼とその僕たる人狼の話はどんなものにも描かれていない。とある政党の党首が卑劣な罠で彼をはめようとして、逆に返り討ちに遭った逸話など見飽きるくらいによくある話だから特定できないだけかもしれないが。
 確かな『暴君』の実績を物語の形式に落とし込む際、個性を取り払われた逸話があると言うことは、逆に個性を添付された話もある。だから彼女とて理解していたのだ。いたのだが――。
「今も昔も孤高を気取っていたつもりはないがな。全く、他人事だからと好き放題に書きよって……」
 寝台が軋む音を耳にして、反射的に声のするほうに顔を向ける。その瞬間を狙ってか、目尻に冷たい唇が押し当てられた。
 まだ怒っている訳ではないけれど、不意を打たれたのが少し悔しくて、彼女はあえてからかうように言ってみる。
「でしたら、一度ご自分で書いてみてはいかがです? 『暴君』そのひとが今も数多く伝えられている逸話の真実を暴くとなれば、発売前から高い注目度を得られるでしょうし、いいお小遣い稼ぎになると思いますわよ?」
「馬鹿を言え。そんな暇があればプリニーどもの教育に割くわ」
 あっさり提案は蹴られるが、そんな予感はしていたので彼女はくすくす笑うだけ。現代のプリニーたちは本当にいい師を得たものだ。
 と緩やかに天使の機嫌は回復していく中で、そのまま優しい愛撫でも始めればいいはずの吸血鬼はちょっとしたことを閃いた。あの本を読むことで彼女が内心傷ついたとは重々理解したものの、このままやられっ放しなど彼の性に合わないのだ。
「……いや。俺が地獄に堕ちる原因くらいは世に広めておくべきだろうな」
 その一言で血の気が引くほど怖がってもいいはずの天使は、けろりとした顔で目を瞬いてから、なんともなさそうに笑う。
「ま。そうなればわたくし、魔界じゅうから白い目で見られてしまいそうですわね」
 これしきのことで娘が恐怖するとは端から期待していなかった青年もまた、この場ではあっさりと首を横に振る。
「安心しろ。天使となったお前のことは言及せんでやる」
「はい?」
「ただ、当時のお前がいかに気高く清楚で、そんなお前にどれほど俺が振り回されたか……。お前が俺の最後の獲物としてこれ以上ないほど相応しい女であると、世に知らしめてやろう」
「……へ?」
 この威風堂々たる惚気自記発行宣言は、狙い通り、抜群の効果をもたらした。
 首を真正面に向き直し、暫くぽかんと口を開け間抜け面を晒していた娘は、我に返ると困惑の色濃く眉根を寄せ、耳まで赤くして餌を求める鯉さながらに口をはくはく開閉させる。
 普段は肝が据わっている天使の娘の面白いほどの動揺っぷりを、彼が見逃すはずがない。このまま脚の付け根を摘めばどんな悲鳴が聞けるのだろうかなどと邪な考えを抱くほど、それはもうたっぷりと堪能していた。
 そのいかにも好色とからかいで満ち満ちた赤い眼差しを浴びることで、危険を察した娘の心と体の神経が繋がったようだ。赤面したままきっと男を睨みつけ、本を更に強く抱きしめながら鼓膜が破れんばかりの大声で。
「や、やややめてくださいそんなのっ!!」
 甲高い悲鳴に少しばかり眩暈を覚えたがそこは我慢の吸血鬼。隙を見せてはなるまいと、余裕たっぷりの笑いさえ作る。
「どうしてお前の指図を受けねばならん? 俺が四百年経っても血を吸わない理由について、世間に教えてやるだけではないか」
「だ、だとしても昔のわたくしのどうこうなんて必要ないでしょう!? あなたのその頑固なご意志について書けばよろしいじゃないでかっ!!」
「意志を書けとはまた難しいことを言う。それよりお前について書いたほうが有意義だろうが。……うむ、早速良さそうな出だしを思いついた」
「やっ、い、今言わないでくださいねっ!? あとその、頑固一徹っぷりについては狼男さんからのどんな妨害をどう退けたですとか……!」
「現在進行形で続いているものをまとめろと? そんな膨大な出来事をまとめるくらいなら、あのときのお前のことを書き綴り、一気に四百年空けて、再会を果たしたお前について記す二部構成にしたほうが……」
「もっと駄目です! そんな恥ずかしいものを世間に出そうとしないでくださいっっ!!」
 切実な、それはもう目尻に涙を溜めるほど切実な天使の哀願に、悪魔はにやりと、ではなく慈しみ深く宥めるような笑みを浮かべて相手の顔を覗き込む。不自然に潤む水色の瞳、鮮やかな唇を噛みしめる仕草の愛らしさときたら、肌が総て粟立つほど。
「……そんなにいやか?」
「いやに決まっています……!」
「なら、一つ頼みを聞いてくれ。そうすればこの件はなしにしてやろう」
「たの、み……?」
 彼としては自然な流れのはずだったのだが、唐突さはやはり拭えなかったようだ。僅かに戸惑ったのも束の間、娘ははっと天啓でも受けたように目を極限まで見開くと、天使と思えぬような唸りを上げた。
「そっ、それが狙いでしたのね……!!」
「さて、何のことだ?」
 とぼけてはみたものの、実のところはご指摘通り。彼女がいやがるように彼だって大義名分があろうと他者に惚気るなんて恥ずかしいし、何よりふたりだけで共有していた思い出が見知らぬ誰かに知られるなんていただけない。
 しかしこれはあくまで罠。最早彼女は網に引っかかったイワシに等しい存在なのだから、今更気付いたところで逃げ場などどこにもありはしない。そのため吸血鬼は悠々本命を口にする。
「お前への頼みと言っても、そう難しいことではない。ただそいつを……」
 くいと、顎でいまだ娘の両腕にしっかと守られている本を指す。その上のかんばせはいかにも怪訝そうに歪んでいるがこちらは一旦無視しよう。
「一章で構わん。どれでもいいから俺に読み聞かせてくれ。読み終わればあの件は二度と口にせんし、編者への鉄槌も見逃してやろう。約束する」
「……読み、聞かせ、ですか?」
 予想よりも随分と平凡だったのだろう。娘は拍子抜けしたように呟きながら、安心したのか肩から力を抜いていく。
 その通り。自分の望みはあくまで平凡なのだと澄ました顔で頷くと、娘は油断ならぬと言いたげにこちらを一瞥した。青年が見返せばすぐに視線は下がったかと思いきや次の瞬間また見返してきて、内心大いに逡巡しているらしい。
 だが結局のところ、娘は彼の頼みを聞くことにしたようだ。短く息を吐き出すと、退いてほしいと仕草で示す。
 その通りに青年が距離を開けると天使もまたゆっくり起き上がり本を開き、ざっと頁を漁り始める。それから少しして、一枚ずつめくっていた指がぴたりと止まった。
「では、その……よくあるお話ですけど……」
「ああ。なんでも構わん」
 寝台の上に一方は正座、もう一方は胡座の体勢で向かい合う珍妙な状況にも関わらず、娘は大きく息を吸い込むと一気に本に集中した面構えで朗々と読み始めた。
「……『ある日、暴君は荒れ果てた谷に辿り着いた。黒い岩場には綿花のような分厚い雪がずっしりと降り積もっていて、時折、固まりとなって谷間に落ちる。湿度を含んで重みを増し、更に高さをつけたそれが直撃すれば、上級悪魔でさえひとたまりもないだろう』……」
 改めて聞き惚れる、金の鈴の音に近しい声の美しさと、文体が案外軽薄ではないことに驚きながらも、青年は娘をじっくりと眺める。
 清々しい朝の空気を凝固させた清廉な薄青の瞳に、鮮やかで艶やかでたっぷりとした桃色の長い髪。知性と魂の高潔さが滲む整った顔立ちは、愛嬌も含んで猫のように可愛らしくも麗しい。白磁の肌を持つ四肢は細くまろく、柔らかそう――ではなく柔らかいのだ。彼女のあらゆるところに触れ、その感触を知っているのだから。
 触れた。感触。頭でそれらの単語を反すうするだけで胸が疼く。たちまち頭の中いっぱいに眼前の娘を抱いた記憶と渇望が満ち溢れ、中指がどこかに触れたがるようにすいと虚空を掻いた。下腹が、ズボンの奥が少しきつい。
 困ったものだと青年は自分の反応にしみじみ鼻から呼気を抜く。本来ならもっと彼女が集中してから動き出したかったのに、もう体も心も我慢ならないらしい。
 四百年も待てたのにどうして今はこんなに堪えられなくなってしまったのか。我がことながら疑問を抱きつつ、彼はゆっくりと寝台に乗ったまま立ち上がる。
「『だが暴君はひらりと身をかわし』……ヴァルバトーゼさん?」
「気にするな。そのまま続けろ」
 短く命ぜられ、不可解そうな顔をしていたものの天使はすぐ朗読を再開する。その調子だと彼は寝台を軋ませながら頷いて、娘の丁度背後で立ち止まった。
「『――豪快に笑った。「お見それしました。あなたのようなお方様は初めてでございます」』……あの」
「いいから」
 後ろに立たれて落ち着かないのか、ちらと背後を振り返る娘にやはり朗読を続けるよう語尾を強め、青年はゆっくりと腰を下ろす。下ろすついでに。
「ぁ……!」
 ワイシャツの中で張り詰めていた、あのたっぷりと重くて肌に吸いつくような感触を持つ女の果実に十指を埋めた。なめらかでしなやかな皮膚で覆われた水風船に似た物体は、男の体のどこにもないほど柔らかくて、だからこそいつでも酷く新鮮で、なによりとても気持ちがいい。
 しかし堪能できるのも瞬きの間。娘は半身を捩ると、きっと眉を怒らせてこちらを睨みつけてきた。
「邪魔しないでください、ヴァルバトーゼさんっ!」
「していない。さあ、続きはどうした?」
 彼もこう来る予感はしていたので、振り返られるより先に乳房からぱっと指を離して先を促す。不満げな唸りが細い喉から漏れたものの、彼女は渋々向き直り、朗読を再開する。
「『暴君は、先の出来事を思い出しながら尋ねた。』あ……っんん!」
 朗読が再開されれば、こちらもまた胸に手を添えて。改めて感触と淫らが滴る声を楽しもうとゆっくり揉みし抱けば、またも娘は酷い剣幕で振り返った。
「ヴァルバトーゼさんっっ!」
「どうした。何かあったか、アルティナ?」
 けれどやはり青年は速やかに指を離してしらを切る。恨みがましく睨みつけられても動じる素振りさえ見せず、それどころか微笑を浮かべる余裕を持って、彼は天使にその立場を改めさせた。
「いいから早く読め。止めると言うなら自伝の件は復活させる。その編者の命と金も危なくなる。それでも構わんのか?」
「……そう言うことですの」
 何のことだと目を見開く吸血鬼に、天使は頬をほんの少し鮮やかにした苦い顔で大きくため息を吐き出した。どう言う意図の仕草なのかあえて問うまい。
 ともかく娘はまた首をもとの位置に戻し、人差し指で挟んでいた本を開き直す。続行する意思があってなによりだと、青年は密かに喜んだ。
「……で、『「では、お前は俺を試したと、でも言うのか」「左様左様。不敬であると仰られ……』ん、くぅう……」
「そうだ。そのまま……」
 悩ましい声を堪能しながら、丸い耳元に囁いてやる。その際、舌が耳に軽く接触したのは、当然意識してのこと。
 指も掴むだけでは当然済まない。片側は揉み、片側は切っ先を親指と人差し指で挟んで弾力を持つよう誘導してやって、己と娘との欲望を高めてやる。臍下が更にきつくなった。次はここだと、娘の腰の辺りにその硬くなったのを擦りつける。
「『仰られるの、でしたら、……ど』っ、はく……」
 しかしこの位置では腰を擦りつけようにも半端に遠い。もっと近くでせねばと柳腰を掴み自分の腰に娘の尻が重なるよう引き寄せたところで、相手の上半身がまたしても捩れる。
「ん……?」
 三度目の正直でついに張り手か涙で滲んだ睥睨か。それとも別の抗議の手段を取られるのかと、女の身体にべったり触れながら心なし身構えた吸血鬼に、天使は。
「……『どうぞ、あたしの身をあなたのお好きになさってくださいませ」』」
 潤んだ流し目で、少しいじけ気味の視線で、しかしそれ以上に嬌態をたっぷり含んだ眼差しで、そんなことを言ってのける。
「…………」
 理解している。娘の手にはまだあの本がしっかりとある。自棄なのか茶目っ気なのかまではわからないし、偶然か、もしかすると当てつけの可能性だって残されている。
 なのに恐ろしいほどの破壊力に満ちた声が、姿が、熱っぽい視線がたまらなくて、彼はワイシャツのボタンを剥ぐように外し、荒々しい勢いを衰えさせることなくきのままの娘の肢体をまさぐっていく。
「ぁあっ……はっ、『「別に、お前の首など、いらん」』んんぅ!」
 胸板で羽を軽く潰すついでに下着の隙間に冷たい手が潜り込み、しとどにそこを濡らしていこうとするけれど、彼女は朗読を止めようとしない。
 そうだ。そうとも。その調子。主旨を理解できる相手で、飲み込みの早い娘で実にありがたい――獰猛な笑みを浮かべながら、男はひたすら恋人の身体に指を這わす。
「んくっ、……あ、か、『からからと、ろ、老人は、笑い、ながら』ぁ、ぁっ、あぁぁあ……っ!」
 なんていやらしい声なのか。このまま行けば自分は我慢できなくなる。
 そのときはこのまま後ろから貫いてやろう。そうしてあくまで読ませたまま繋がって、読んでいるときのみ掻き乱し打ち突け流し込んで。そのとき話が終わっているならそれでよし。終わっていないならまた続けさせよう。休みたいと言うのなら、読むのを交代してやっても構わない。ただし娘には口でよくしてもらう。
 今後の期待に腰がぞっと震えて、青年はベルトに手をかける。続いて熱く蕩けた肉から指を引き抜いて、蜜に濡れた指先で娘の下着をずら下げた。
 その光景に熱に肌に伝わる粘液に、吸血鬼は生唾を呑み込んで、期待に昂ぶる我が身を落ち着かせようと――これからの刺激に集中しようと――、瞼を伏せる。その上で、腰を動かして。
 ああ、繋がるまであともう少し。






後書き
 閣下、昔の虚実入り混じったやんちゃをアルティナちゃんに知られるの巻き。何気に結構ハマりたての頃から考えてたネタでした。
 おけつ開発についての姿勢とか「次読んでやってもいいけどそんなときゃしゃぶらせるわー」発言からなんとなく予想できると思われますが、実は本番メインで書こうとしてああこりゃ前戯オンリーでいけるなと思ったのでそのように致しました。本番は書いたら糞長くなりそうなのできっと書かない。
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