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17:40

2011/07/06

 体感でしかない話ではあるが、子どもにとって一ヶ月は長くとも、大人にとっての一ヶ月は瞬く間だ。科学的根拠も含め、精神面での影響力が大きな原因なのかもしれないがともかく、その常識は地球外においても通じるものらしい。魔界にその名を知らしめた六人は大人ならば淡々と一ヶ月を過ごし、子どもならば目まぐるしい一ヶ月を過ごすこととなった。運動量で言うのならば、六人はさして変わりはないのだろうけれども。
 だが時間は常に平等だ。いつの間にか主催と主賓の間を行ったり来たりの伝言役として地獄と大統領府を往復していたエミーゼルは、祝宴当日になってようやく肩の荷が降りたことに今まで生きてきた上で久し振りなくらい心の底から安堵した。この一ヶ月、招待状を父に返してからそれではと流れのままに、招待予定議員や料理やらのリストを渡されて主賓たちの好みに調整するよう仰せつかる日々が続いたのだが、これに対し大統領府の悪魔たちは誰も代理を申し込むこともしなければ気遣いでさえしなかったのだ。むしろお坊ちゃまにはそれが適役でしょうなどと、褒めそやして逃げ場を封じてくるのだから性質が悪い。
 結果的にこの一ヶ月間を実質主催側の監督役として駆け回る羽目になったのだが、それに幸か不幸か少年本人は気付いておらず。いや気付かされる暇もないほど忙殺されたまま当日を迎えたエミーゼルは、夕方になって簡略化もしていないし半ズボンでもないオーソドックスなタキシードに着替えを終え、あとは始まるのを待つだけと、五人に口酸っぱく言いつけておいた集合時間より少し前に専用のロビーに足を踏み入れる。誰もいないと思っていたのだか、窓辺のソファにはもう三人の人影があった。
「なんだよ、お前ら。もう来たのか?」
 窓にへばりついて次々と訪れる招待客を吟味中だったらしい、振り向いたのは茶髪の少女。ベースは膝を隠す紺のサテン地に、金のリボンを前に結んだウエストから下、白い刺繍の小花を散らすように縫い付けられた黒いシフォンがふわりとしたシルエットを作る可愛らしいドレスを着ていたのは、プリニーの帽子を被っていないため一瞬誰かと見紛ったが、長いツインテールはいつもの通りのフーカだ。とは言え髪型のほうも完全にいつも通りではなく、二つの結び目には黄色と白の造花があしらわれている。
「あったり前でしょー。ここに泊まれる絶好のチャンスなのに、どうして時間ギリギリに来るなんてもったいない真似できるのよ」
「お昼過ぎに伺ったら、お茶やケーキも頂いたのデスよ。さいっっっこうでしたのデス……!」
 こちらはいくら着飾ってもよくわかると少年は思っていたのだが、なかなかどうして。薄紫の布地の裾の辺りに鮮血の赤やら金色の目の、どこぞの神話における虚空の門を連想させる刺繍が施された、やはりこちらも重ねたシフォンが柔らかなエンパイアラインのロングドレス姿のデスコは、いつもの触手が背中から出ていないため大人しい印象だ。まあそれでも禍々しい角やら金の目やら尻尾やら特徴的な手までは隠せないらしいから、雑踏に紛れても見分けはつくほうだが。
「フーカさんもデスコさんも、本番があるのに沢山食べるものでしたから見ていて焦りましたわ。ドレスが入らなくなったらどうなさるおつもりだったのかしら?」
 そして残ったアルティナは、いつもの三つ編みの下部を解いてうなじから下を一まとめにした状態で、金糸と桃色の絹糸で縁取り華やかな印象となったロイヤルブルーの襟を立てた上着に同色のベスト、純白のたっぷりとレースを使ったタイを襟から出し、空色のキュロットズボンに絹の靴下と言う、つまるところ中世ふうの男装だった。
「……なんでその格好なんだよ、アルティナ」
 途中ふたりまではそれなり似合っているものだと感心していたエミーゼルは、最後の一人で大いに脱力する。指摘された天使はそんな反応を貰うとは思っていなかったらしい。普段と比べて凛々しい仕草で顎に手を添えて首を傾けた。
「やはり男装はいけませんでしたか? 悪魔の方々でしたら、このくらいはユーモアの一つとして受け止めていただけると思ったのですけれど……」
「いや、うん、たまにそんな夜魔はいるけどさ……」
 いまだ未熟を自覚するがそれなりに上級悪魔の中で生きているエミーゼルは、筋骨隆々な体格のくせに自然と女装をする男悪魔を――要するに変態である。力もあるだけ性質が悪い――公の席で見たことくらいは何度かある。その逆もまた然りであるがそちらは見目麗しいため、公衆の場で受けを狙ってそんな茶目っ気を出すものは珍しくない。だが仲間内では最も女らしい体型の天使が男装を選ぶことに、少年は大きな疑問を抱いた。
「デスコさんとフーカさんに踊りを教えていましたら、わたくしは必然的に男性役ばかりになりますから……。もういっそのこと本番もそちらで行きましょうか、と言う話になりましてね」
「あと、アルティナちゃんてば自分が天使なのに遠慮しちゃってさあ。羽見せた格好だと反感買いやすいんじゃないかって不安っぽいのよ」
 本人からの説明には浅い納得しか示せなかったが、フーカの補足説明には思わず説得力を感じてしまい、死神の少年はどうとも言えない気分になる。厳選されたとは言え招待客の大物悪魔がすべて天使が祝宴に参加することを受け流せる気質の持ち主かと言えば自信がない。着込んでいるのも一見して目立つ天使の羽を隠すためと思えばこそと察し、エミーゼルは砂を噛んだ顔で息を吐く。
「……過剰反応だよ、なんて簡単に笑い飛ばせないのがな」
「本当に身内のささやかな席でしたら、わたくしも警戒はしないのですけれど。これで最悪の場合、皆さんにご迷惑をおかけするような展開は招きたくありませんし……」
 実際のところは別魔界からの魔王さえ招く規模の祝宴だ。そんな席でも男装程度ならば軽く受け流されるが、天使が主賓となるとどんな空気が流れるかをエミーゼルは知らない。だから何かが起こってしまうかもしれないよりも、何も起こらないようにする彼女の方向性は無難であって、その判断はもてなす側の苦労もわかる少年としては感謝こそすれ安易に笑い飛ばせない。
「そんなことになってもデスコたちは平気なのデスよ。ラスボス修行の一環として、絶対に勝ってみせるデス!」
「頼もしい限りですけれど、それでは折角の祝宴が滅茶苦茶になってしまいますでしょう?」
 力強く宣言するデスコを宥めたアルティナの表情は、我慢する様子はなくむしろ明るく、いつものように穏やかだ。恐らく本人としては、警戒心もあるにはあるが茶目っ気が主体だったのだろう。おおかたどこぞの吸血鬼を驚かせようとでも考えたのか。
 俄然それが本命な気がしてきたエミーゼルは、ようやく肩の強張りを和らげ、着飾った姿を見せて何らかの反応を待つ顔をしている三人へ感想を述べる。
「……ま、悪くないかもな。そのまま黙ってれば、どっかの馬鹿が引っかかるんじゃないか?」
「当然よ。馬鹿は嫌だけど、このパーティーでイケメンの一人二人は確実にゲットしてみせるんだから!」
「デスコも、おねえさまにお手伝いしますデス!」
 拳銃のかたちを作った片手を顎に沿えて自信満々の笑みを浮かべるフーカに、デスコはガッツポーズで応援する。が、それではどうにも難しかろうと天使が助言を与える。
「野望に燃えるのは結構ですが、そう思われるのならまず女の子らしい態度でいましょうね」
 自分たちが野望と相反し男らしさに満ちた仕草を取っていたと知らされた姉妹は、その一声にはーいと暢気な返事をするものだからエミーゼルは思わず吹く。幼児ではあるまいにその返しはどうなんだとくつくつ笑ってから顔を上げたところで、フーカがずいと少年の前に進み出た。それから好奇心に煌く視線をたっぷりと、つむじの先から靴の先までまぶしてくる。
「ふぅーん……」
「な、なんだよそんな……じろじろ見てきてさ」
 フーカだけならまだしも、彼女を挟んで座っていたデスコやアルティナの値踏みするような視線まで受けてしまい、自分に何かおかしな点があっただろうかと尻込みする少年に、しかし投げかけられた言葉は爽やかな好感を持ってくせの強い金髪に降り注ぐ。
「きちんとした格好だと、あんたもちゃんとお坊ちゃんに見えるもんなのね~」
「本当に。立派ですわよ、エミーゼルさん」
「パーカーがないからそのぶん、個性が弱くなったデスけどね……」
 最初のふたりはともかく意地悪く笑うデスコの発言に、鏡の前でもそれを気にしていたエミーゼルは大いに動揺してスーツの袖口を三人へと見せつける。銀の台座に、白蝶貝と黒瑪瑙で描かれた髑髏の模様が燦然と輝いた。
「そっ、そんなことないぞ! ほら、これを見ろ! 父上から貰ったドクロのカフスボタン!」
「そんなとこ、一体誰が見るデスか?」
「そう言やいつもみたいに赤い蝶ネクタイでも半ズボンでもないし……あ、けどあれも普通って言えば普通かな。改めて考えてみたらパーカーだけで個性出してたのねえあんた……」
 少し前にエミーゼルの服装について褒めたと思ったら、いきなり駄目出しを始めた辺り、女の話題の転換の目まぐるしさを死神の少年は身をもって思い知らされたが、それ以上にこの姉妹は情け容赦ない。幼い悪魔は目尻に涙を浮かべつつも、必死の抵抗を試みた。
「ふ、ふふ、フーカにだけは言われたくないっっ! それで髪型でも変えてみろよ! お前、絶対に誰だかわかんないって!」
 だが少年は必死過ぎた。初撃で地雷をぶち抜いたものだから、ドレスの試着をしたときから薄々同じことを考えていたのだろうアルティナとデスコは仮面のように薄い笑みで押し黙り、フーカの顔面に怒りのひびが入る。まずいと悟るもとき既に遅し。
「……ほっほぉ~う。あんた、このアタシが地味だと言いたいワケ?」
「い、いや、そんなつもりじゃ……!」
「うむ、地味だな」
 あっさり言ってのけたのは、一応笑みを絶やさぬまま手先をデスコの触手のように蠢かせるフーカでもなく、それに危機感を募らせ身構えるエミーゼルでもなく、それらを固唾を呑んで見守るふたりでもなく完全な第三者。青年らしく低く通っているが、古葡萄酒の甘さを含む吸血鬼の声に、四人は一斉に首をそちらへやった。
 ロビーに入ってきたばかりらしい。ヴァルバトーゼの外套は、いつもと違って蝙蝠の羽めいた形状のケープを三段四段と重ねたようでいながら、外套の先はとろりと夜闇が広がっていくありさまめいて黒々と蠢く。その奥に見える金の縁取りは、恐らく外套と揃いの黒い上着のものだろう。淡い金のベストからは白いシャツの襟と優美な線を描くタイが覗き、いつもは裸の胸に食い込む赤い杭がタイピンとして機能している。ベストの下には赤いサッシュに黒のキュロットパンツと絹の靴下と、中世の貴族のような吸血鬼の服装に、子どもたちは歓声を漏らした。
「おおー。なんかいつもと雰囲気違うじゃん、ヴァルっち」
「デスデス、古式ゆかしい吸血鬼って感じデス!」
「ああ、これってあれか……」
 軽く眉根を寄せた吸血鬼が口を開こうとするより先に、彼の後ろに控えていた、ポケットチーフだけが血のように赤い、黒と灰色を使った燕尾服の人狼がすぐさま扉を閉め、翻って優雅な仕草で暫し立ち竦んでいた主を一人掛けのソファへとエスコートする。普段のフェンリッヒならば薄らと笑みを浮かべた表情にでさえ皮肉な印象が拭えないのだが、今や彼のかんばせは己の仕事に満足げに輝いていた。
「どこぞの泥棒天使は知っていてもおかしくあるまいな。装束だけとはまことに不本意だが、これぞ我らがヴァルバトーゼ様の全盛期時代のお姿だ」
 へーえと少女ふたりが感心しているんだか興味がないんだか曖昧な声を漏らす手前で、エミーゼルはやっぱりと頷いて、奥に戻った位置にいるアルティナは微笑を一つ。
「お二人は祝宴にあまり興味がないと伺いましたのに……狼男さんたらヴァルバトーゼさんの昔の姿を再現なさろうとするなんて、気合いを入れていらっしゃるのね」
「旧政腐が用意した折角の機会だ。閣下には魔力も含めて往年のお姿に戻っていただくには丁度いい」
 吸血鬼を縛る約束を交わした相手に冷たくも野望に満ち溢れて言い放ったフェンリッヒの様子を見受け、デスコは声を潜めて隣の姉に囁いた。
「フェンリっちさん、こんなときにもヴァルっちさんに血を吸わせる気満々なんデスね……」
「こんなときだからこそじゃない? 別魔界の連中に閣下の真のお力とゴイコーを示すのだーとか、フェンリっちなら考えそうだし」
 いくら声を潜めたところで他の面々が黙っているため姉妹のやり取りは主従にも丸聞こえなのだが、人狼は気のないフーカの発言を黙認したのか澄ました顔で受け流し、対する吸血鬼はしみじみと頷く。
「お前の言う通りだ、小娘。先もイワシの骨煎餅の袋詰めを軽食代わりに手渡されたが、ほんの一部分だけ血を塗っていたり、目玉が固めた血であったりと、こやつめ、いつも以上に狡猾な手段を使ってくる」
 執事を顎で指しつつ教えるヴァルバトーゼがどことなく誇らしげな理由は、それらをすべて看破した事実と自分の観察眼に自信があるからこそだろう。だがフェンリッヒは涼しい顔で畏まっており、今夜彼が主に血を吸わせる計画がこれだけでないことを予期させる。まあ今は、そんな想像をする余裕もなくこの主従の執念深さに呆れを通り越して感服している者が大半だ。
「……ヴァルっちさん、それ全部、見破って別けてから食べたんデスか」
「当然だ」
「割と食い意地張ってるわよねーあんた……ってそうじゃない! ヴァルっち、さっきの台詞どう言う意味!?」
 吸血鬼がロビーに訪れたばかりのときの一言を思い出し、急激に怒りが湧き上がったらしく人差し指を突きつけて凶弾する姿勢を取るフーカに、ヴァルバトーゼは何だったかと顎に手をやってから、ああと思い当たって平然とした面持ちで改めてもう一度。
「意味も何もない。お前の見目は地味だ、小娘。派手なほうがいいとも言わんが、今のお前はプリニーの被り物していなければほかの人間と見分けがつかんのは困る」
「……ほんと、気持ちいいくらいあっさり言ってくれるわね。よし、それじゃあエミーゼルだけじゃなくてあんたも……」
 真正面からはっきりと意見を突きつけられ、フーカは今の自分の格好を顧みることなく喧嘩を買う気になった。口元をひくつかせながらもどうにか笑みを維持し、デスコのほうへと体を傾けて、小さな背中を包むエンパイアドレスを後ろからずり下ろそうとする。少女の中に仕舞いこんだ獲物を出させたいのだ。
「だ、大丈夫デスよおねえさま! おねえさまは超可愛いデスし、普段の格好だって簡素でありながらこれ以上なく秀逸でわかりやすい究極のデザインなのデス! それに中身の個性はばりんばりんデス!」
 鋼の掟は絶対であっても、この場で乱闘を繰り広げられるのはいかなデスコにとっても気を揉む展開のか。単純にドレスを勢いのまま腹までずり下げられたくないだけの可能性もあるにはあるが、ともかく怒り心頭中の姉を相手に必死で慰めようとしているのに、フェンリッヒは健気な少女にあえて誤った方向で慈悲深く提案する。
「デスコよ。お前の姉の個性が完全に失われる前に、あの被り物を取ってきてやってはどうだ?」
「あ、それならもう持っているデスよ」
 と、姉が背中の割れ目をどうにかこじ開けようとしているのをさらりと無視してプリニーの帽子を取り出しまたすぐに背中の割れ目を戻したデスコに、さすがのフーカも大切なはずの妹に向かって唸るような怒号を発した。
「デースーコぉ~~!! あんた、なんでアタシの言うこと聞かなくてフェンリっちの言うことは聞くのよ!?」
「け、けどやっぱりおねえさまのアイデンティティーは……!」
「まあまあフーカさん、落ち着いて」
 と、デスコの肩を持つ、と言うより考えなしのやり取りによって今この場で掴み合いの喧嘩を起こしてほしくない、六人の中では数少ない常識人で穏便派のアルティナが、フーカのきのままの首にグラスの滴をぽたりと垂らす。彼女の目論見通り、不意を打たれた少女はソファの上で悲鳴を漏らしてからそちらに半身を捻った。
「ちょっと、アルティナちゃんまで邪魔しな……っ!?」
「怒ってばかりでは折角のお化粧も崩れてしまいますし、何よりもう少しで時間ですもの。ここは一旦引き下がり、あとで個人個人に前言撤回させるのが女の子としてスマートですわよ?」
 どんな慰め方だと誰かが内心思ったものの、見返してやれと間接的に発破をかけた発言でフーカの怒りはどうにか治まったらしい。少女は頬を膨らませると渋々デスコのドレスから手を放し、男装の佳人の胸に飛びついた。
「……もういいわよ。みーんな許してあげるから、アルティナちゃん、アタシと一番最初に踊ってね」
「はいはい。それでフーカさんの気が済むのでしたら喜んで」
 少女の背中を軽く撫でてやりながら応じる天使に、デスコが悲痛な声を漏らし、エミーゼルは生き延びたことへの安堵の息を吐き、フェンリッヒはつまらなさそうに鼻を鳴らし、ヴァルバトーゼは子どもが描いたような拙い直線を口元に描いた。レースのタイに頬をくすぐられながら、フーカは仲間たちの反応を見取ってようやく本当に許してやろうと思えてくる。
「はあ……これで今のアルティナちゃんのおっぱいが柔らかかったらなー」
 抱かれたままフーカは思ったことを口から出すが、そんな言葉を聞かされて動揺するのは種族に差なし。男性陣は何も口にしていないにも関わらず盛大に吹き出すかまたは咳き込んで、彼女を抱いていたアルティナさえも慌てて少女から距離を置いた。
「ふ、フーカさんが仰ったんでしょう!? 男装するなら最低限さらしは巻いてほしいって……!」
「そんなこと言ったっけ? けどさらしだけでどうにかなるもんなのねー。今この中で一番胸大きいの、確実にアタシだし」
「おねえさま、男の人もいるのに着替え中の流れでお喋りするのは乙女としてどうかと思うデス……」
 直接的な指摘を受けてそうだったと我に返ったフーカの眼には、男悪魔三人が頭を寄せあいなにやら必死に会話している様子が映った。会話の内容は女性陣には聞こえていないほど低く小さく徹底していたが、おおよそこんな調子だ。
「おい小僧。嫌な予感しかせんから一応聞くが、踊りは取り消せないのか」
「もう客が入ってる今になって正餐形式に変更なんて……お前無茶なのわかって言ってないか? それに一番でかいホール使ってるんだぞ。踊る広さは十分あるし、看板立てて踊るなって書いても誰も聞きやしない」
「げに恐れるべきは小娘の直感よ。想像力のないはずの現代の人間でどうして円舞があることを事前に察していたのか……!」
「パーティーだのドレスだの浮かれておりましたから、その流れで踊りを連想したのでしょう。我々悪魔の祝宴が些か古めかしく、奴らにとっては想像し易いのもまた問題かと」
「大統領府の催しだぞ、歴史と伝統があるんだから当然だろ!」
「うむ、その点は小僧の言う通りだ。だが……、だからと言ってだな……その、……良くなかろう、この事態は……!」
「仰る通りでございます、閣下」
 吸血鬼の悲痛な叫びに、フェンリッヒもまた苦い顔で同意を示す。彼の頭の中ではフーカが天使と踊ったあと、強引に少女が主と天使の腕を結びつける展開が違和感なく予想されたため、断固として阻止すべきだと心に誓うほどだった。
 だが三人で頭を詰めたところで意味はない。運命の女神とは場の空気を支配するものを誰より好むもの。そのため男衆の会話内容を予想もできていないはずなのに、フーカは気軽に丸くなった大中小の肩へと命じた。
「そうそう、ヴァルっちもあとで踊って。フェンリっちとエミーゼルも。絶対ね」
「へ!?」
「はっ!?」
「はぁあ~!?」
「折角のパーティーだもん。みんないつもと違った格好してるし、王子様と運命的な出会いを果たす前にそのくらいの思い出作りはしないとね~」
 呆気に取られて頭を上げた三人に、少女はプリニーの帽子を結果的に妹の背から取り出したらしいバットで弄ぶ。一瞬腕力にもの言わせるかと男悪魔たちは身構えたが、そこまでせずとも言葉で断ればよかろうとフェンリッヒが声を張り上げた。
「何故貴様なんぞと踊ってやらねばならん! しかもオレだけではなく閣下までをも巻き込むとは図々しい……!」
「え~、そこまで怒るようなことじゃないでしょ~? 十分もしないってのに大人げないわねえ、フェンリっち」
 思わず語尾を荒立てたフェンリッヒに、フーカはさして意識していないが的確に急所を突いた。否、この場合は連携と表現すべきだろう。人狼が女子どもに対して噛みつかんばかりの勢いでいると、大抵はその主である吸血鬼が急激に冷静さを取り戻してしまうのだ。
「……一曲だ。それでいいな」
 短く息を吐き出したものの、ヴァルバトーゼは抵抗なく誘いに乗る。当然だと腕を組む少女を尻目に、フェンリッヒはそんな温情ばかりを与える主を見過ごせずに喰らいついた。
「ヴァル様は甘過ぎます……! 特にこいつらは、一度気を許せばどこまでも付け上がることくらいご存知でしょう!?」
「不快なほどと思えばその旨は伝え納得させる。……そも、俺のその甘さとやらはお前の手厳しさが原因だと思うが?」
 からかい混じりに微笑まれ、フェンリッヒは不意に舌でも噛んだような顔になった。吸血鬼は柔らかく述べたものだし、胸中ではこれっぽっちもそんなことを思っていないのだろうがそれはつまり、彼の言動のせいで主が気を遣ってしまうと言う意味だ。主従の関係であれば本来は逆であるはずなのに。
「……閣下がそう仰るのでしたら、わたくしが断るわけには参りません」
 思いきり少女を睨みつけながら畏まったフェンリッヒに、男悪魔の最後の一人が天を仰ぐ。こうなってしまえば少年だけ断る道は自然と絶たれたも同然だからだ。それこそ、五分十分程度の付き合いなんだから別にいいじゃないかと言われてしまえばその通り折れるしかないのだが。
 ともかく祝宴が始まる前から鮮やかな手腕で四人に踊り手を得たフーカに、最後まで取り残されたデスコは悲しげな顔で姉を見上げる。
「お、おねえさまは、デスコと踊ってくれない気デスか……?」
「ダンスって男の人がリードするんでしょ。そうじゃなくても、アタシらどっちもリードできる腕前?」
 冷静な指摘を受けて肩を落とすデスコに、フーカを挟んで対面しているアルティナが慰めるように提案する。
「それでは、フーカさんと踊ったあとでよろしければわたくしと踊りましょうか?」
「関節ダンスデスか……。はうぅ、けどそれが一番いいかもデスねえ……」
 悄然としながらもどうにか自分に納得させようとしているデスコの絹糸めいた髪の頭を、フーカが慰めるように撫でてやる。別に仲間はずれにするつもりはないのだとの意思表明に、悪魔の少女は僅かばかりは元気を取り戻したらしい。丁度彼女が顔を上げたところでロビーの扉がノックされ、六人は会場に赴く時間が訪れたと知る。その心のうちは六人それぞれ明暗重軽期待に不安とまた濃度が違ってはいたが、気持ちの切り替えくらいはできて当然。
「お待たせいたしました、皆様どうぞこちらへ」
 ダークスーツに身を包んだ悪魔がドアを開けて会釈をすると、フーカが妹にバットを渡し勇んでソファから立ち上がり、それを鮮やかに収納したデスコも速やかに真似て、アルティナがゆっくりあとを追う。肩を竦めてから顔を引き締めるはエミーゼルで、ヴァルバトーゼは眉間の皺を薄めて速やかに立ち上がり歩を進め、男性陣のしんがりを勤めるフェンリッヒは近付いてくる女性陣三人との距離感に警戒を露わにしつつも廊下に出ようとするのだが。そんな人狼に人間の少女は能天気に笑いかける。
「なになに、アタシがいつもより可愛いから意識してんの?」
「そんな訳あるか阿呆が」
「じゃ別に毛逆立てなくてもいいじゃない」
 燕の尾のかたちをした後ろ裾からすっぽりと現れる銀の尻尾を、フーカはからかうつもりで手を伸ばすのだがそれを人狼が許す訳がない。逆に先手を打って手で払い除けるも、今度は少女が両手を使って尻尾に触ろうとするので、更にフェンリッヒはむきになって二本腕のちょっかいを振り払い、たちまちふたりで下らなくも本人たちとしては真剣な攻防戦が繰り広げられる。その間、残りの四人は自然と距離を詰めたのにも当然目に入らない。
「……おい、アルティナ」
「はい?」
 喧嘩中の執事を尻目に、ヴァルバトーゼが天使に声をかける。彼はいまだ彼女が男装をしている理由を聞いていないからだとエミーゼルは察したが、デスコはふたりを眺めていて彼女なりに思うことがあったのか。姉譲りの考えなしで呟いた。
「今のおふたりの格好、結構お揃いっぽいデスね……」
 ぶふ、と醜い音が黒曜石の廊下に響き渡り、その声らしきものにカマキリの威嚇に似たり寄ったりな状態を保っていたフーカとフェンリッヒが一斉にそちらを向く。果たしてふたりの目には顔を真っ赤にして硬直した天使と、壁に片手をやってもう片手で顔を覆い隠す、今にも膝から崩れ落ちんばかりの吸血鬼の姿があった。
「閣下、いかがされましたか!?」
「隙あり!」
 慌てて吸血鬼に駆け寄ろうとするフェンリッヒの隙を突き、フーカがその尻尾を一撫でする。結果的に勝負に負けた人狼はついに堪忍袋の緒が切れ、長い廊下に響き渡る大音量でにやつく少女に叫んだ。
「小娘ぇえええぇッ!! 貴様ッッ、いい加減にせんか!!!」
「きゃーっ、フェンリっちが怒ったー!」
 フェンリッヒの怒号はフーカにとってさしたる効果を生み出さないが、唐突なデスコの一声に動揺していたふたりを正気に戻すだけの効果は十分にある。特に少女を調子に乗らせる切欠を作った自覚があるアルティナは、追いかけっこをしようとする彼女を軽やかに別方向から捕獲した。
「も、もうっ、フーカさんたら! このまま狼男さんをからかってばかりでは遅れてしまいますわよ!」
「……う。それもそうね」
 ご尤もな横やりと案内役の悪魔からの冷ややかな一瞥を受けると、いかなフーカも多少は気恥ずかしさを覚えつつも落ち着いてきたようで、小さな謝罪の言葉を寄越して天使に腕を捕捉されながら進行方向へと歩きだす。
 フェンリッヒのほうはと言えば、腹立たしさはなかなか収まらないしかめ面であったものの、天使と吸血鬼の距離間を意識したからか咳払い一つで表情を切り替えて、長らく呼吸でも止めていたのか大きく息を吐き出し復活した主の隣に寄り添う。
「いかがされましたか閣下。どこかお加減でも悪くされたのでしたら……」
「……い、いや、大事ない」
 俯きがちに首を振られるも、どう考えても誤魔化しにしか見えやしない。自分が目を離した隙に何が起こったか知らない人狼は、主から目を離してしまった原因たる少女を横目で警戒しつつ残りの三人に聞こえる声で訊ねようとするが、それもまた遮られた。
「え、エミーゼルさん! お礼を言うのが遅くなりました。いい仕立屋さんを紹介してくださって、ありがとうございますっ!」
 アルティナによるあからさまな話題の提示に人狼が怪訝に眉根を寄せるも、フーカは動揺していたふたりを見ていないからか。従順にこくりと首を動かし同意する。
「あ、そうそう。アタシら結局買いに行く暇なかったもんね」
「いつもの修行もあるデスけど、ダンスの練習で忙しかったデスからね~。ありがとうございますデス、エミーゼルさん」
「別にいいよ。この祝宴じゃボクはお前らとこっちの繋ぎ役だから、お前らが恥をかけばそれはボクの責任になる」
 大人びた返しに、案内役の悪魔も含むエミーゼル以外が軽く感心を示した。特にこの少年が父の威光を振りかざしてばかりの頃を知っていた仲間たちにとって、この成長ぶりは悪魔の身であっても悪くない言葉が出る。
「……ふむ、あの小僧がなかなか言うようになったものだ」
「よねー。これでフェンリっちがもうちょっとヴァルっち以外にデレてくれたら文句ないんだけど」
 また絡まれるのかとうんざりした顔を隠しもしないフェンリッヒは、フーカを睨んだ流れで彼女の腕をしっかりと掴んで離さない天使の姿を捉え、一ヶ月前少女が話していた提案を思い出す。
「それで、仕立てた金はどうした。貴様はこの小娘の言う通り貸してやったのか。それとも天使として慈悲深く『恵んで』やったか?」
 意地の悪い訊ね方にも関わらず、アルティナは表情一つ変えず横に振る。金銭がらみの嫌味や悪口を投げかけられることなど、彼女にとって以前なら日常茶飯事だ。泥棒と罵られていたときに比べれば、こんな嫌味は傷にもならぬ。
「請求書の発行をお願いしましたわ。三人分一括で、宛先は一応『地獄』にしていただいたので、後でサインを」
「せんぞ。経費では落とさんと既に小娘に伝えたはずだ」
 きっぱりと告げたフェンリッヒは揺らぎなく、その反応に天使は鼻から静かに呼気を抜きつつ視線を弾き返す。そんなことくらい知っている、とでも言いたげに。
「……立て替えるくらいはしていただけますでしょう? その後の処理一切はそちらにお任せします。お金の振り分けも含めて、ね」
「なら、貴様に三人分一括請求が望ましかろうな。天界に送金もできないまま清貧を味わっておけ」
「それはいつものことですし、フロン様にもそうなるかもと事前に説明はしておきましたから。とりあえず事前に教えていただける点は感謝しますわ」
「本気でそう思っているのなら早く天界に帰れ。オレにはそれが最も嬉しい『感謝の示し方』だぞ?」
「そこまでは深く感謝していませんわねえ……。と言う訳で、ここは白々しいと承知の上で、言葉だけ受け取ってくださいな」
 当事者間では通常運営なのだろうが、ほかの四人にとってはひやりとさせられるやり取りに、空気が緊迫感を生み出しかけたそのときだ。黒曜石を削った長い廊下の奥から、誰かの声が聞こえてきた。これから向かう先はホールなのだから、人の声など聞こえて当然なのだが――嫌な予感を猛烈に誘うのは気のせいか。
「……ちゃーん……!」
 わかりやすいほどわかりやすい、野太く荒々しいのに奇妙に爽やかな印象さえ持つ、今は弾んだ心地でいるのであろう声。一同が吸血鬼と人狼だけで進軍を開始したときから頻繁に、それはもうしつこいくらいに立ちはだかったと言うべきか邪魔しに来たと言うべきか神経を逆撫でしに現れただけと言うべきか。ともかくよくよく耳にして、そのたびにうんざりとさせられた声に、六人の身体が反応を示す。
「坊ちゃーん! 坊ちゃぁーん!!」
 その上でどう考えても自分のことを呼ばれてしまい、エミーゼルは肩と言わず全身を硬直させる。だがその理由は恐怖ではない。いやむしろ恐怖であったほうが余程ましなくらいの警戒心と言うべきか、迫り来るであろう精神的疲労感に今から彼はやつれんばかりに幻滅した。
「あー……アホじゃん」
 フーカがぽつりと呟いて、今では珍しい銀のラメがびっしりと入ったタキシードを輝かせ全速力で走ってくる、金髪に稲妻状の眉を持つ悪魔を目視する。無論、彼女だけではないのだが多くの仲間はそれを無視して、こっちに来てくれるなと願ってさえいた。しかしその悪魔はそんな彼らのささやかな願いなど知るよしもない。
 一応この魔界の現大統領アクターレが、全速力で走ってきたのだろう彼らの前まで来ると足で急ブレーキをかけ、汗を軽やかに撒き散らしながらライブの写真集の表紙にありそうなポーズで急停止する。何人かがその汗を体ごと捻り、また颯爽と取り出したハンカチで防壁を作って避けた。
「あっ、て言うかなんだよお前らも一緒かよー? んもーオレ様そこまでVIP扱いとかマジ困るー」
 ポーズを決めて満足したのだろう。すぐさま女の子のように腰をくねらせながら何故か照れているらしいアクターレに、エミーゼルは顔を背けて短く吐き捨てる。
「……くそっ、なんでバレたんだよ!」
 小声ながらにもあらゆる感情が滲んでいるものだから、これをどうにかしろと真っ先に命ずるつもりだったフェンリッヒは少年にいくらか同情を含んだ声音で訊ねた。
「お前……一応こいつには隠していたのか?」
「当たり前だろ! 祝宴だなんて知られたら乱入されるに決まってるし、ボクはこいつが現大統領なことさえ別魔界の連中に知られたくないんだ!!」
 案内役の悪魔がご尤も、と密かに同意するがそれで慰められるほど少年が現在抱えさせられた問題は小さくない。フーカを始めとする素朴な頭の持ち主が脳天気に話しかけてしまったせいでエミーゼルの頭痛は更に強くなった。
「なんであんたが困るのよ」
「だってこれアレだろ? オレ様の魔界大統領就任パーティーなんだろ?」
「……そ、そうだったのか!?」
 衣装は変わっても相変わらず馬鹿正直に信じるヴァルバトーゼに、人狼もまた少年と同じくこめかみを押さえつつしっかりと否定する。
「違います閣下。そのアホの言葉を鵜呑みになさるのはいい加減にお止めください!」
「て言うか、ボクらが地球に行ってる間、お前もう勝手に就任ライブやったんだろ!」
 続くエミーゼルの指摘を受けるも、アクターレは咎められた気など更々ない顔で頬を掻いた。
「そりゃやりましたけどぉ~、こんなに大規模じゃないって言うか、金かけてないって言うか? なのにこんなときに坊ちゃんにここまでやってもらえるなんて、オレ、考えてもみなくて……」
 演技なのだろうが乙女のようにはにかむアクターレに、デスコが姉にぼそりと気持ち悪いデス、と感想を漏らす。フーカは辛辣にそれじゃあ見なきゃいいのよと提案し、姉妹は利害の一致から向かい合って対話を開始したのだがこれは一旦放置することにして。
「違う!! これはお前のための席じゃない!!」
 エミーゼルは声を裏返らせ悲痛なまでに否定する。必死過ぎて咳き込んだその背中を天使が撫でさするが、そんな少年の必死さなど微塵も知らず、アクターレは人懐っこく笑う。
「まったまた~。そんな照れなくてもいいじゃないですか~」
「照れてない! 大体あっちにはマイクないんだぞ、アンプもないしギターもない!」
 今までの少年の言葉を柳に風と受け流してきたアクターレが、ここで初めて軽く目を見開く。心をそのまま声に出してもそれは困った、とでも言いたげな程度でしかないのだが、エミーゼルはようやく得られた手応えに、いまだ余裕はないもののどうにか口元に笑みを刻んで顔を上げ言い放つ。
「お前のライブに必要そうなものは、今の大統領府には一切ない! ……事前にそうした。ぶっちゃけると捨てた!」
「ええっ!? ま、マジですか!?」
 いかなアクターレでもそれは困るらしい。ならばまた買えばいいんじゃないかと他の面々は内心思うのだが、彼にとっては余程大切なものだったのか。恐る恐ると言った風情で少年に訊ねる。
「今日のために色々特注しといたんですけど……もしかして、アレとか、ソレも……?」
「ああ、捨てたぞ。お前のサインの刻印入りのキーボードからドラムからスピーカーからライトまで、ぜーんぶな!」
「んな――――ッッ!?」
 それなら捨てられれば顔色が変わるのも仕方ない、と一同のうちの幾人かが納得する。同時に彼らはそんなものを勘違いのまま用意するアクターレの神経の図太さに、怒りを通り越し感心さえ覚えた。当然、彼に対し珍しくも穏やかな感情を向けてた彼らの心境など、雷で貫かれんばかりの衝撃を受けている青年悪魔には感じている余裕もないが。
「そんなもんにまで政腐の金使ってんの……」
 完全に無視するつもりだったはずだろうにフーカが呟くも、愕然と言葉を失っているアクターレの耳には入らず。逆にここが好機と見た少年は一歩、派手な悪魔との距離を自ら詰める。
「けど、一つだけいいことを教えてやるよ。……廃品回収車が出て行ったのは、三十分前だ」
「さ、三十分!?」
 動転するアクターレに、少年の思惑に気付いたかそれとも全く同じではないが結果的には悪くない展開を思いついたか。フェンリッヒがわざとらしく語尾を上げる。
「ふむ。三十分なら、追いかければまだ間に合わんこともないな?」
「ええ、走って追いかければまだなんとか」
 アルティナも彼らの魂胆を察し調子を合わせて深々と頷くと、アクターレは弾かれたように顔を上げ、もと来た方向を戻るか戻るまいか躊躇うように首を左右に振っていたが、どちらに惹かれているのかは明白だ。それでも迷いはまだ色濃く、結果として彼は自分を誘導した三人に縋るような視線を送る。それでは彼らの勝利となると言うのに。
「えーと……は、走ったら、取り戻せちゃったり……?」
「多分、ですけれど」
「恐らくは、な」
「ま、頑張れ」
 全くそんな気もなくエミーゼルがふたりに目配せをしつつ笑むと、それを単純に応援と受け止めたのだろうアクターレは勇気を出した顔でしっかりと一つ頷いて踵を返す。
「じゃ、じゃあ、ちょっと行ってきますねー!!」
「おー。無事回収し直せたら一曲くらいは聴いてやるよー」
「イェェエエエェエエエッッ!! アーイウィルビィバァアアアアックッッ!!!」
 雄叫びを発しながら猛烈な速さで遠のいていく背中に、そのまま永久に戻ってこなくていいぞ、と呟いたのは誰だったか。まあ誰でもいい。とにかく無事イレギュラーを退けられたエミーゼルは、銀のラメの背中と途中から付き従う桃色のネコサーベルが完全に見えなくなるまで待つと、奈落の重みが感じられそうな息を長く深く吐き出した。
「……まことご立派になられました、エミーゼル様」
 しみじみと案内役の悪魔が賞賛の声をかけるも、少年はそれに応える余裕などない。しかしデスコの素朴な感想には反応してしまう辺り、損な方向に意識を向けてしまう気質なのだろう。
「あの速さと情熱なら、ほんとに帰ってきてライブをやりそうな気がするデスよ」
「いらないよそんなもん!!」
 悲鳴に近い拒絶に、しかし姉妹はそこまで嫌がるならばとやや呆れ気味にやり返しつつ移動を再開する。
「だったらあんなこと言わないほうがよかったんじゃないの? うちには頑固な約束魔がいるんだからスルーはできないしさ」
「そうデスよ、最後の一言で確実に戻ってくるフラグが立ってしまったデス」
「そ、うかなあ……」
 自らも足を動かしながら薄暗い顔で俯くエミーゼルに、的確な表現を受けた吸血鬼は慈悲深いのかそうでないのか曖昧な、しかしやはり揺らがない言葉をかける。
「何にせよ、悪魔として実に見事な手腕であったぞ小僧。よし、奴が戻ってくるようであれば俺もお前の約束に付き合ってやろう」
「えー……」
「ヴァルバトーゼ様、どうか……! どうかそれだけはお止めください!」
 またも安易に交わされそうになった約束にフェンリッヒが阻止しようとするが、曰く神聖な儀式を阻止されるなど長らくの僕であっても憤懣ものらしい。むうと眉をつり上げて、ヴァルバトーゼは外套を執事のほうへと翻す。
「何故だ、フェンリッヒ。この小僧の成長を称えることの何が悪い」
「誰にどんな賞賛を与えようとわたくしは閣下のご判断を阻害いたしません。ですが、あのアホの茶番に付き合う必要性は皆無であると断言します!」
 人狼は普段より力強く告げたものだが、理由は単純に彼が言った通りではあるまい。暴君であった頃に限りなく似せた今の主が、――約束をするだけならまだいい。しかしその内容があまりにもくだらない点に彼は拒絶反応を示したのだ。
「……フェンリッヒの台詞じゃないけど、無理にそんな約束しなくてもいいぞ。そんなもんに付き合ってもらったって、別にボクは嬉しくもなんともないしな」
 約束を交わす対象のエミーゼルさえも冷めた声でヴァルバトーゼにそう言うものだから、吸血鬼は不満げに押し黙る。だが彼らを包むのは沈黙であり、意固地な約束魔の了承の声はいくら待っても聞こえてこない点から、前言撤回する気はないのだと一同は悟った。
 頑固な主に頭を抱えたフェンリッヒに、アルティナがしみじみとご愁傷様ですと同情を示すも、今にまで吸血鬼に影響を及ぼした約束を交わした彼女に労われるのは痛烈な皮肉に近い。人狼は歯ぎしりせんばかりに睨みつけるも涼しい顔で受け流され、そんなふたりに飽きないねえとフーカがぼやく。
 それから一分もしないうちに案内役の悪魔が立ち止まり、彼らに向き直って姿勢を正し、改めて一礼した。理由は真正面を見れば誰とてわかる。ついにホールに到着したのだと。
 怒りの形相で来訪者を睨みつける悪魔の石像が囲う背の高い観音扉の向こうからは、光とざわめきが隠しようもないほど漏れ、この祝宴の規模の大きさを改めて教えてくれる。だがこれで尻込みするようなか弱さなんぞ彼らにはとっくになく、むしろ戦いを前にして引き締まったような顔付きで扉が開くのを待つ。
「……おや。今宵の主役たちがどうやら到着された模様。それではどうぞ皆様、全力の殺気と魔力を放って我らが英雄たちをお出迎えくださいませ」
 扉の奥から聞こえてきた、穏やかな調子なのに発言そのものの意味合いは物騒な声に、フーカが目を瞬いた。
「……何それ。普通だと拍手とか歓声でしょ」
「それは地球の常識だ。ここは魔界で、オレたちも客も悪魔だからな」
「望むところデス! 会場いっぱいの殺気、ラスボスとして堂々と受け止めてみせるデス!」
 フェンリッヒの説明を受けてより一層の気合いを入れるデスコの背後で、エミーゼルがこっそりと呟くとアルティナが苦笑を浮かべる。
「……ま、体面ってやつだよ。乱痴気騒ぎの前振りなんだから、ここでちょっとは悪魔らしくやっとかなきゃな」
「つまりわたくしたちは面子を保つための犠牲、なんですのね。悪魔の方々も大変だこと」
 仲間の声を背に流しながら、吸血鬼が一歩前へと進み出る。会場側はまるでそれを見越していたかのように静かに、一筋の光しか放っていなかった観音扉の隙間を大きくしてゆく。光と共に明確になる会場の様子とたじろぐほどの視線を浴びながら、ヴァルバトーゼは笑って背後の面々に告げた。
「――さて。往こうぞ、皆のもの」
 呼びかけに応じる声はてんでばらばら、一つたりとも重なりはしなかったがそれでも。吸血鬼は薄い笑みを絶やさぬまま、殺気の中へと身を投じた。
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