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35日前

2011/07/06

 少年が差し出した焦げ茶のカードは一枚きりの割に書類五枚分ほど分厚く、金の枠の箔押しが施された見るからに気合いの入った逸品だった。箔押しの枠の最上部に描かれた紋章は、月と太陽の杖を軸に左右対称に絡まる双蛇と、それらを支えて牙剥く大蛇。紛うことなき大統領府直下の証が奥ゆかしく煌いているにも関わらず、それを受け取る人狼族の執事フェンリッヒの仕草はあくまで軽い。
「何だこれは」
「開けるくらいはしてから聞けよ。……招待状だ」
 フェンリッヒの一瞥を受けて渋々説明する元大統領の息子である死神エミーゼルに、人狼は一笑に伏して投げ返そうとする、がそこを遮るは野暮ったくだぶついた青いジャージの袖の持ち主。らんらんと目を輝かせるなり損ないプリニーの少女フーカに、手をつかまれたフェンリッヒが嫌な予感を覚えるのもむべなるかな。この少女は阿呆であるだけに常識も通じ難く、勢いで多くの行動を決めるため、狡猾を自負する人狼にとっては御し易いようで扱い辛い。
「なに、招待状って!? アタシたちのためのパーティーとかやってくれる気なの、あんたんとこのパパ!?」
 冠婚葬祭にはまだ呼ばれない年頃の少女には耳慣れぬ、だがそれだけでも十分吸引力のある単語にしっかり喰いついたフーカの迫力に、エミーゼルは半ば気圧される。だがここまで同行してくれた彼女の阻止により、父親から受けた指令がこれで無碍にはならないことに密かに安堵もした。
「あ、まあ……大体、そんなところだな。旧政腐からのお前たちの戦果を称えた祝宴ってことでさ。ヴァルバトーゼの性格を考えたら、こんなのはやらないほうがって、父上も迷ってたらしいけど……」
「当然だ。こっちの議会で開く政治資金パーティーならまだしも、旧政腐が主催する祝宴なんぞ、政拳交代が済んだ今になって取り入ろうとする愚鈍どもの吹き溜まりでしかないだろうに」
 相変わらずの歯に布着せぬ物言いに、エミーゼルは背の高い悪魔を相手に厳しい表情を作る。フェンリッヒが主以外を過小評価するのは今に始まったことではないが、身一つで大統領の座に就くほど人間たちを恐怖に陥れた勤勉な悪魔でありながら、『断罪者』を名乗る人間に脅されてまで魔界の維持に心血を注いだ父についてまでそんな評価を下すのは、独り立ちを目指す彼とてさすがに気分が悪くなった。
「そのくらいは父上だって気を遣う。お前ら次第ではあるけど、ほかに招待する予定の現役議員はこっちの議会にも顔を出す最低でも上級、最上級クラスだぞ。それから別魔界の魔王とか魔神とか貴族とか、とにかく凄い面子が……!」
「ほう」
 フェンリッヒはその説明にようやく食指が動いたらしいが、微かに目を細めるだけでやはり主にまでこの話を通す気はないらしい。持っていた招待状をエミーゼルに突き返そうとして、それが自分の手元が消失していることに気が付いた。犯人の心当たりは―― 一人しかいないのだが。
「きさっ、小娘!?」
「うわっ、模様みたいな字……。これどっちが参加でどっちが不参加?」
「……ここの下に丸書いとけばいいよ」
 それじゃあ、といつの間にやら持っていたペンで丸を書いて招待状をエミーゼルに返そうとするフーカの手から、フェンリッヒがすりのように鮮やかに、とは言い切れないものの暴風の勢いでそれを奪い取る。
「ああっ、なに勝手なことすんのよ!」
「それはこっちの台詞だ糞小娘! お前が勝手に参加を決めるな!」
 が、この少女が怒られたくらいで口惜しそうな顔をするなんて大人しさは勿論なく。ちょっと、と怒りの篭った一言で人狼に襲いかかり、招待状を取り返そうと身を乗りだすが、フェンリッヒはそれをも見越して大きく背後に跳び退く。突進が空振りに終わったフーカは、驚異の身体能力で床につんのめりかけた勢いを逆に利用して相手との間合いを一気に詰め、今度は褐色の腹へ頭を向ける。
 直前に身体を反転させて頭突きを背中で受け止めたフェンリッヒだが、その振動で少しだけ踵が浮きかけた上にフーカの手はいまだ諦めず招待状を探そうと虚空を掴んでいる始末。このまま押される一方では危険と察し、手にした分厚い招待状を破こうとしたところで奥の扉が開いてしまった。
「……な、何事ッスか?」
 現われたるは山のような書類を持った魔界の消耗品悪魔の代名詞であり生前罪を犯した人間の魂が入ったプリニー三体。どうやら執務室での運搬作業に携わっていたらしいが、その奥からフーカとフェンリッヒの珍妙な状況を覗き見たのだろう。吐息一つを漏らした、現与党設立者にして元『暴君』にして世界を救った覇者にしてプリニー教育係である生きた伝説の吸血鬼、ヴァルバトーゼが足を止めた彼らの背中を押すように促しながら控えの間に顔を出した。我に返った小悪魔たちは、慌てて書類を携えたまま廊下に出て行く。
「先程から騒がしいと思って見てみれば……俺が一人奮闘している最中に、お前たちは一体何をじゃれついている」
「奮闘って単に判子押してただけだろお前」
「じゃれついてなどおりません閣下!」
「ヴァルっちー、フェンリっちが意地悪するー」
 三者三様の反応ないしは突っ込みを一挙に受けて、ヴァルバトーゼは驚きに目を瞬いたものの基本的に彼はこのくらいでは動揺しない。別の言い方をすればマイペース、神経が図太いとも言うか。真っ先に目に付いた執事とプリニーもどきの少女を冷静に観察し、ふたりがそうなっている理由と思しき焦げ茶のカードをすぐさま発見した。
「フェンリッヒ、何だそれは」
 ヴァルバトーゼの自他共に認める忠実なる僕にとって、招待状の一枚など見られたところで無碍に断ると思えば大きな問題はない。しかし自分が誤魔化すようにこれを破る姿を主に見られるのはみっともないと判断したフェンリッヒは、正直に話すことにした。
「前大統領から、我々が『恐怖の大王』を退けたことに対する祝宴の席を設けたいとの申し出がありまして。閣下はこの手の催し物があまりお好きではありません故、わたくしが処理をしようとしたのですが……」
「何言ってんの、パーティーよ!? イケメンとディナーとスイーツ溢れる夢のチャンスを、なんで見逃さなきゃなんないのよ!」
 フェンリッヒの腹に絡まったまま腕を伸ばして招待状をひったくろうとするフーカに、人狼は片手でその頭を鷲づかみにして招待状を持つ手のほうを天井へ向かって掲げる。少女はうわ大人げない、と呻いて飛びかかろうとするがまるで無視した顔のまま体は必死で抵抗する執事の姿を見て、一人絡んでもいない少年悪魔は吸血鬼がじゃれついていると表現したことに今更ながら合点がいった。だがそう表現したヴァルバトーゼは、この光景にもパーティーにもさしたる興味を持てないらしく、素っ気ない仕草で外套の肩を揺らす。
「ならば、行きたい者だけ行けばいい。俺の代理として我が党の議員が赴けば、向こうの面子もまだ立とう」
「……確かに、それは名案です」
 主の言葉に招待状を持つ腕を下ろしたフェンリッヒから、すかさずフーカはそれをひったくるもその表情は満足げとは言い難い。
「じゃあ、ヴァルっちは行かないの?」
「資金パーティーならまだ明確な目的があるゆえ頭も切り替えられるが、ただ騒ぐだけの祝宴など、どうにも落ち着く気にはなれん。お前は違うと言うのなら、デスコの同行も許可しよう」
「それは許可じゃなくて当然。……けどこう言うのって、やっぱりみんなで行くもんじゃない?」
 珍しく相手の顔を伺うようにして訊ねたフーカに、エミーゼルが首を傾げる。ヴァルバトーゼに負けず劣らずマイペースなこの少女はそこまで寂しがり、と言うか協調性のある性格だと思わされた記憶は薄いため、正直に疑問を述べた。
「どうしたんだよ、こんなことでお前が足並み揃えようなんてさ」
「アタシだって気くらい遣うわよ。ただ、ほらさあ……」
 軽く俯いて遠慮がちな表情を浮かべさえするフーカに、ますます違和感を募らせたどころか心配さえしたエミーゼルだが、次に彼女の発言を耳にしてそれを一挙に打ち消す。
「お偉いさん議員とか興味ないし。そう言う面倒くさいのはヴァルっちとフェンリっちが相手して、アタシは普通にパーティー楽しみたいって言うか……」
「ああ、うん。お前はそう言う奴だったよな」
 エミーゼルは本音をぶちまけたフーカにしみじみと納得するも、同じくそれを聞かされたふたりの悪魔は納得どころとは相成らず。苦虫を噛み潰した顔で、フェンリッヒが吸血鬼に提案する。
「ヴァル様、ここは一つデスコの同行を禁じてこの小娘一人に閣下代理を任せると言うのはどうでしょう」
「妙案だな」
 苦い顔とはいかずともあまり面白くなさそうなヴァルバトーゼまで執事の言葉に同調するものだから、フーカは堂々と面倒ごとをなすりつけてくる彼らに目を剥いた。まあ面倒の押しつけに関しては、元は彼女のほうが先なのだがそれはそれ。
「なにそれ、あんたたち酷い! 鬼、きちく、どえす、悪魔ー!」
 フーカが思いつく限りの罵倒を述べても、ここは地獄。悪魔が住まう魔界の一部なのだから、それらは吸血鬼や人狼にとって罵倒ではなく賞賛の言葉として受け止められるのが常である。当然、黒髪と銀髪の主従は誇らしげな笑みを浮かべて鷹揚に頷いた。
「うむ、その通りだ」
「今更おだてたところで提案は覆さんぞ、小娘?」
「そう言う意味じゃないってーの!」
 喧しい三人のやり取りに、取り残され気味だったエミーゼルが吐息と共に割って入る。このままの勢いで漫才を始められて自分の指令がうやむやになるのは、正直言ってありがたくない。
「フーカの狙いはともかく、こっちとしては当然お前らも来てほしいとは思ってる。祝宴って名目ではあるけど、単にちやほやするためだけじゃない……、しな」
 最後の言葉に籠められた、この気弱な死神にしては妙に緊迫感のある響きにフェンリッヒは軽く目を見開いた。どんな内容にせよやはり興味は持てないらしいヴァルバトーゼの表情はつまらなさそうで、祝宴を譜面通りに受け入れていたフーカはいまいちよくわからない顔をしていたが、とにかく三人はエミーゼルの説明を聞く気にはなったらしい。それを確認すると少年は唇を舐めて、慎重に言葉を選ぶ。
「魔界は今、お前らの一挙手一投足に揺れている。本当に与党としてこの魔界の頂点に君臨するのか、それと魔界の抑止力――」
 耳慣れない言葉にフーカは何ぞと目を瞬き、ヴァルバトーゼは浅く眉根を寄せる。そうだったと、やや早口でエミーゼルはこの吸血鬼の下らなくもけなす気になれないこだわりを汲んだ。
「じゃなくて教育係だな、それとして旧政腐が解決できない異変や危機に陥った際にだけ活動して、基本は旧政腐に運営を任せるのか。それとも協力体制を取るのか……。人間界との関係だって曖昧だ。この党の議員だってみんな色々不安に思ってるのに、お前らは政拳奪取したあとどころか、『恐怖の大王』を倒したあとでさえも何の表明もしなかっただろ。だから……」
「旧政腐が用意した公の場で改めて、閣下の意向を知りたいと」
「そう言うことだ」
 フェンリッヒに要所を言われてしまったエミーゼルではあるが、人狼の表情から悪くない手応えを感じたためにむしろ笑みさえ浮かべて肯定した。意向を知りたいと言われた張本人は、いつもと変わらぬ態度で下々の戸惑いを一蹴する。
「改める必要などなかろう。俺は自分の信念を曲げたつもりはない」
「その信念がわかってる奴が少ないって話だよ。魔界が腐敗した元凶はどうにかなったけどそれっきりだし、大体、お前の言う『再教育』だって具体的な話は出てないだろ」
「ま、こっち戻ってから忙しくなったしやることも増えたけど、なんとなーく政拳奪取する前のノリを続けてる感じはするわね」
 おつむの問題で執政にあまり関わらないが、ヴァルバトーゼ直属の部下としての立場を持つフーカでさえそんなことを言うのだから、それより下っ端の議員や完全な第三者にはこの吸血鬼の動向は不透明で、顔色を伺おうにも伺えない状態が続いてきたのだろう。そうなれば、現在最も深刻な問題である『畏れ』エネルギーの回復作業に魔界全土が集中するのは当然難しい。
 忌憚ない意見を聞かされ深く考える姿勢となった主の姿を見て、フェンリッヒは黄金の瞳を静かな野心に輝かせ顎に手をやりしみじみと呟く。多少にもったいぶった態度ではあるが、口元に浮かび上がる緩い線は彼の心情を素直に表していた。
「確かに『恐怖の大王』を退けて以降、事後処理に追われていて今後の計画は白紙に近かったな。……いい機会には違いない」
「事故処理って言ったって党内や地獄のことだろ。お前らが魔界を空けている間、代わりに誰がこっちを治めていたと思ってるんだ」
 答えは当然ながら旧政腐の悪魔たちに決まっているが、フェンリッヒは少年が完全にあちら側の立場でものを話しているのが癪に触ったらしい。格好はそのまま、片眉だけをつり上げてエミーゼルに指摘する。
「そう言うお前もオレたちに同行していただろうが。結果的に得るものがあったのならば図々しい物言いは止せ」
 図星を指されて押し黙るエミーゼルを尻目に、フーカはフーカなりに疑問に思うことがあったようだ。吸血鬼をちらと見ながら、誰にともなく訊ねる。
「あんまり難しい話はよくわかんないけどさ……今の魔界大統領ってあの馬鹿でしょ? ヴァルっちは割とどうでもいいんじゃないの?」
 どうでもいいはずがない。死神の少年と人狼の青年はほぼ同じタイミングで肩を脱力させると、一方は忌々しげに、もう一方は片手を痛むこめかみに添えて少女の疑問に答えてやった。
「早い者勝ちで大統領の座を手に入れたお飾りそのもののアホと、現在も議会を動かし地球を『恐怖の大王』から救いさえした我らが閣下。どちらが影響力があるかは一目でわかるだろうが」
「アクターレが今大統領としてやってることなんて定期ライブくらいなもんだよ。ま、下手に執政に関わられるよりそのほうが放置できていいけどさ……」
 そもそも現大統領が何をしているのか全く知らなかった――興味がなかったとも言える――フーカは、自分で訊ねておきながらへえと気のない相槌を打って、いまだ思考の海に沈んでいるらしいヴァルバトーゼに水を向けた。
「それで、ヴァルっちはこれからどうすんのよ」
 勇気とは無謀の別名とはよく言ったもの。軽く短く簡単に過ぎる言葉だが、その問いに含まれた意味は重く広く深く影響力を持つ返答を要求し、そのくせ言い訳無用ときたものだからこの娘はとみに恐ろしい。人狼の青年と死神の少年はあまりの率直さに一瞬背筋が強張ったが、ヴァルバトーゼは何食わぬ顔で口を開けた。
「目下はその祝宴とやらに出席する。俺の意向を伝えることによって魔界の戸惑いが拭い去られるのならば、ここは代理で済ますべきではなかろう」
「あ~、……そっち?」
 フーカもまたふたりが緊張したものと同じ意図で訊ねたつもりでいたらしいが、吸血鬼の返事は実に現実的な問題に対するもので。エミーゼルはここで彼が改めて意向を宣言しなかったことに安堵を覚え、フェンリッヒは主があえて返答を避けたその内面に薄々勘付きつつも少女の手から招待状を奪い返して一歩進み出た。
「閣下の仰せとあらば、わたくしもそのように致しましょう。……幸い、日程も時間も既に決まっています。調整はし易いかと」
 招待状を主に見せるように開いた執事に、ヴァルバトーゼは任せたと一言述べて中身を一瞥もせず執務室に戻ろうとする。行くことになりはしても祝宴そのものにはやはり興味など持たないらしい。招待状を奪われたのに主従の後ろで声を出さないまま笑顔で万歳をしていたフーカは、逆に興味津々でそれを覗き込む。
「で、で、いつやるの? 明日? 明後日? 何時から?」
「当日教えてやるからお前はそのまま踊り狂っていろ」
「え~、フェンリっちだと開始一分前くらいに言いそうだし~」
「惜しいな、三秒前だ。尤も、その場にお前がいなくても探してやる気など毛頭ないが」
 当初はフーカに面倒ごとを一挙に押しつけようとしたくせに、今度は地獄に放置する気満々の人狼に少女は口先を尖らせる。しかし祝宴の主催側に通じている少年が、そんな不躾を見過ごすはずがない。
「あのなあ……お前ら出席する以上はそれなりに気合い入れてくれよ。名目上では身内でのささやかな席ってことにはなってるけど、魔界全土が注目してるんだぞ?」
 気合い、とは。フーカが眼光を鋭くし、フェンリッヒが改めて招待状の文面に目を落とし、ヴァルバトーゼが一貫して興味がなさそうな顔をする、約一名を除いて頭に過ぎった予感を、エミーゼルは間接的な言葉でもって裏付ける。
「更衣室はそれぞれ個別に用意しているし、泊まりがけでも構わないように手配は整えてる。祝宴は一晩だけだけど、お前らは一応主賓だからな」
「別魔界の連中を呼ぶのなら、ゲートの用意はあるんだろうが。それならそこまでせんでもいい」
「まあそうだけどさ……」
 会場にいきなりゲートで来るのは礼儀に反するだの、忙しいのにそこまで指図されてたまるかだの、たかだか一晩くらいいいだろうだの、小さなことをくどくどと言い争う死神と人狼の間に、喜色のオーラを溢れさせた人間の少女が全く空気を読む気などなく乱入する。
「……更衣室って、なにそれ!? どう言うこと!?」
 ほぼ確定だろうに、明確に言われていないのがそれほど嫌か。高まる期待に頬を紅潮させるフーカに、エミーゼルは目を瞬き呆れた顔で一声、彼女の希望通りはっきりと言ってやる。
「いや、普通に正装で参加しろってことだよ」
「正装…………正装!」
 エミーゼルを一瞥もせず言い切ったフーカは、自分の発言そのものが琴線に触れたらしい。触れたどころかとんでもない衝撃が彼女を襲ったらしく、言ったきり少女は暫く石化したように硬直する。急に押し黙られた少年は、向かいの人狼ほど彼女が次に起こす反応が予想できていなかったのか。顔を背けたり耳を塞ぐこともなく、ジャージの肩にそっと触れようとしたのだが。
「きゃぁああぁあぁあ~~~~!!!」
「ぅわっ!?」
 控えの間どころか外にさえ届くような黄色い悲鳴を上げて、フーカは身悶えした。唐突な大音量に距離を開けていた主従は無事にやり過ごしたが、無防備にも近付いてしまったエミーゼルは小さな悲鳴さえ漏らして耳を塞ぐもそれしきで頭に響き渡る衝撃が取れるはずもない。
「ドレス!! マジでドレスなの!? ようやく、待ちに待って! アタシの夢が乙女チックな展開を、イケメンとの甘酸っぱいロマンスメインになるって言うの!?」
 うずくまるエミーゼルなど気にも留めず、星が瞬くばかりに目を輝かせ頬をりんごのように赤くしたフーカは、ああそれだけならば十分動いても可愛らしい少女として形容できるだろうに。ついでに口元をにやけさせながら、くるくると踊ったと思ったら飛び跳ねて即興の踊りを披露しているものだから奇行を起こしたようにしか見えず、男衆からそれに見合った厳しい、もしくは冷めた視線を受けることとなった。
 しかしそんな視線を受けても当人は浮かれきって目に入らない。いてもたってもいられなくなったのか、控えの間から飛び立たんばかりの軽やかな足取りで扉に向かうが、それに釘を刺すのが吸血鬼の執事であるにも関わらず、実質年少者たちのお目付け役も兼ねつつある人狼だ。
「事前に言っておくが被服代は自腹だぞ」
「ええ~っ、なにそれ! フェンリっちせっこ!!」
 しかしそれしきではフーカの興奮には完全に水を差したことにはならないようで、ツインテールは相変わらずうさぎの足取りさながらに跳ねたまま。そしてアドレナリンの放出によって頭が冴えたか、少女は早口でドアノブに手をかけつつ言い返した。
「けど別にいいもんね! アルティナちゃんに事情話したらお金貸してくれるかもしれないし、今からどこでも鍛えに行けばドレス代くらい稼げるもんでしょ!」
 はしゃいで出ていったフーカの歓声といまどき懐かしいスキップの足音を耳にしながら、エミーゼルは招待状を受け取ろうと取り残されたふたりのほうを向き返り、フェンリッヒの顔を見て身体を強張らせた。舌打ちさえしないものの明らかに不機嫌を露わにしている人狼がそんな表情になったのは、少女の捨て台詞が原因だろう。よりにもよってあの天使の名前を出すなど、大した置き土産を残してくれたものだと彼は少女を恨めしく思う。まあ問題は天使だけで完結していないのだが。
 しかしエミーゼルは続いて目撃する。フェンリッヒが険しい顔をしたと思った途端に眉をひそめ、またしてもすぐさま猫を被ったように大人しい表情を作ったのを。どう言うことだと人狼に相対する吸血鬼を見てみると、これが全く問題ない。どころかフーカが出て行く前とさほど変わらない様子で、少年は瞬時に猛烈な違和感を抱くが、次に冷静になるよう自分に言い含めてから心の中で問いかける。この吸血鬼は、天使の着飾った姿を見て盛り上がるような悪魔だろうかと。
「……いやあ、どうだろうなあ」
 見目よりも気高さだの純真さだのに興味を抱いたらしいから、それはないのかもしれないと思えばフェンリッヒが瞬く間に百面相を見せた理由も遅ればせながら理解できて、エミーゼルも落ち着きを取り戻すのだが少年の呟きはほかのふたりにしっかり聞こえていた訳で。
「何がどうした、小僧」
「えっ、あ、ぁあ、いや……その」
 そのヴァルバトーゼに話しかけられ、焦った少年悪魔は舌をもつれさせながらもどうにか話題をそちらに持っていくまいとする。ふたりきりならそんな話題になってもいいだろうが、執事の前でそれを言う勇気はまだ彼にない。
「祝宴まで一ヶ月ちょっとしかないのに、堪え性も計画性もないあいつがそこまで金貯めて正装一式準備できると思わなくってさ……」
「ならばそちらで手筈を整えてやればいい。かような場では女……とは言えあいつはなり損ないプリニーだが、それでも生物として女である以上は着飾るのが仕事だからな」
 実に地に足の着いた意見に、エミーゼルは考えておくと肩を竦めてフェンリッヒに手を掲げる。だが執事は主の意見にあまり賛同できないらしく、苦々しげに俯いた。
「ヴァル様はあれらに甘過ぎます。奴らが祝宴の席に同行できるのも、閣下のお供だからこそだと言うのに……」
「どうせ服などさしたる額ではあるまい。我が党における今までのあれらの働きを思えば、そのくらい好きにさせてやっても構わんだろう」
 何故か執事の指す人称が複数形になったことにも気に留めず、吸血鬼は薄い笑みを浮かべて自らの寛容さを示すのだが、その認識はエミーゼルでさえ甘いとしか言いようがない。事実、ヴァルバトーゼの発言を受けて人狼の眼光が俄然鋭さを増し、脚色の必要がないだけに立て板に水の勢いで否定する。
「いえ、女物となりますと閣下の予想額の五倍十倍にもなりましょう。ほかにも貴金属などの装飾品を入れると、それこそ我が党の財源が大幅に狂わんばかりの金額を請求されるかと……」
「……何だと!?」
 祝宴の話題の最中では大きな感情の揺れなど一つもなかったのに、ここに来てようやく深刻な表情で愕然とした吸血鬼は、続いてそうならなかった現状にしみじみと安堵の息を吐いた。
「ならばお前の判断は間違いではなかったと言うことか。さすがは我が僕だな、良くぞあの時点で小娘を制した」
 ヴァルバトーゼに恭しく礼をすると、執事は自分の発言の影響力を改めたため満足したのか。ようやくエミーゼルに向き直り、招待状をその小さな手に受け渡した。
 人狼から幾多の冒険を経て戻ってきた招待状は、交錯する思い――と表現すると真面目だが実際には人狼とプリニーもどきの少女との奪い合い――に翻弄されてややも柔らかく歪んでしまったが、得られた成果に誇らしげに見えたのだが。さてそれは、少年の気のせいだったのだろうか。

◇◆◇

 フーカから説明を受けたふたりは、彼女の予想を裏切って冷静で、誰かのように舞い上がらんばかりに喜びはしなかった。かと言ってフェンリッヒやヴァルバトーゼのように煩わしくは考えていないらしい。嬉しくは思っているらしいが、浮かれきった少女と同じテンションになれないと言うだけの話。
「皆さんに褒められるのは嬉しいデスが……デスコはラスボスとして、恐れられるか媚びられたいのが本心デスよ……」
 と、ちやほやされるだけの状態にむず痒そうなのはフーカの妹にしてラスボス修行中の人工悪魔デスコで、そんな彼女に一時は魔界をその手腕で騒がせていた元怪盗の天使アルティナが宥める。
「出席者はほぼ悪魔なのでしょう? 力量を伺ってくる方や、虎視眈々と弱点を探しに来る方ならともかく、手放しで褒める方はあまりいらっしゃらないと思いますわ」
 天使の唇から紡がれるにしては物騒な想定ではあるが、それでデスコは幾分か励まされた気になったらしい。背中からにゅうと薄色の触手をまろび出して、嬉しそうにそれらを蠢かせるのだがまたすぐに萎びた。
「そう、デスかね! ……けどデスコ、頭脳戦はちょっと苦手デスから、そう言うのはヴァルっちさんやフェンリっちさんにお任せすることになりそうデス……」
「まあそれでいいじゃん。アタシらはアタシらでのんびりパーティー楽しめばさあ」
 方向性は違えども、姉妹揃って同じような役割分担を想像するとは。血の繋がりがないはずなのに起きたこの偶然を、しかしフーカは当然と受け止めてカタログをふたりの前に差し出した。勿論そんな洒落たものが地獄にもとからある訳はなく、彼女たちが戻ってくるまでゲートを駆使して魔界で少女が自ずから購入したのだが、悪魔流の移動方法にすっかり慣れていることなど本人は露と気付かない。
「おおう……色々あるデスねえ……」
「本当に。フーカさんたら、片っ端から買いましたの?」
 それぞれ適当なのを手に取り、地球や別魔界、どころか天界からのインポートだのセミオーダーだのオートクチュールだの。華やかで目を引く文句がずらり、色とりどりのドレスと共に並ぶカタログをざっと眺めたり食い入るように見つめたりのふたりに、フーカはえへへと照れ笑いをする。
「や~、初めてドレスなんか着るって思うと興奮しちゃって。色々買い込んじゃったから、正直今、お金ないのよねー……」
 ちらりとアルティナの顔を覗き見ながら告白するフーカの態度に何か企らみごとの気配をしっかりと読み取ったのだろう。手にしていたカタログの一冊から顔を上げると、天使は訝しげな顔で少女に話しかける。
「……フーカさんは、どうしてそれをわたくしに仰るのかしら?」
「だぁーって、フェンリっちがドレス代は自分たちで出せって言うんだもん……。アルティナちゃん、お金まだ貯めてるんならちょっと貸してほしいなーなんて……」
 声を落として言い淀むフーカだが、話した中身は交渉のいろはを無視してあまりにも率直だった。金銭がらみの問題はここで起きないと思っていたのだろう、アルティナは僅かに唖然としていたものの、吐息をつくとやけくそめいて一言ぼやく。
「貸すなら十一、かしら」
「トイチ? なんデスか、それ?」
「いえいえ、さすがのわたくしでもそこまで酷くはありませんから……お気になさらずとも結構ですわ」
 意味もわからないのに誤魔化された姉妹は揃って顔を見合わせるが、それによって読み取れたのはやはりお互い十一なるものを知らないと言う事実だけだ。だがそんな言葉を教えてくれた張本人に気にするなと言われたのだからそうしようとあっさり頭を切り替えて、カタログに並ぶドレスの数々を吟味する。ついでにその言葉によって、アルティナに借金をするかしないかが曖昧になったことなどふたりの頭からすっかり拭い去られていた。
 吟味と言っても、まだ先が長いこともあってそれほど真剣に見る気はない。思ったよりも肩をむき出しにしたのが多いだの、いつものスカート丈のものを選ぶ気なのかだの。普段の会話の流れのままに、それぞれ勝手に思ったことを言っては誰かが受け止めるのんびりとした時間が流れていたのだが、デスコの一言がささやかな切欠となって話はまた別の展開を迎えた。
「あ、おねえさま。デスコは必要ないデスが、買うのはドレスだけデスか? 靴とかアクセサリーとかは……」
「そう言やそうねえ……。ヒールとか履いたことないけど、ドレスに革靴じゃねえ……」
 今の自分の格好を改めるフーカは、その流れでアルティナのヒールに目をやった。少女のものより生地が分厚く底も厚く、最早木靴でも履いているような印象を受ける天使の靴はついでに踵もしっかり高い。
「フーカさんの気合い次第ですけれど、普段底の平らな靴ばかりでは急に踵の高い靴は慣れませんわよ? 当日心置きなく楽しみたいのなら、今からでも慣らしておくべきですわ」
「そうなんだ……。パーティーのためだし、頑張るけど……」
 呟いてまだ楽な足を惜しむように踏み締めたフーカは、今までの単語の連なりから思い浮かんだものがあるらしい。カタログからふと目を放し、あのさあとほかのふたりの気を引く。
「パーティーってさ、ただ食べたり飲んだり、偉い人と話すだけなのかな」
「さあ……魔界の祝宴がどんなものなのかは知りませんけれど、わたくしの知るものでは演奏つきで踊ったり、道化師を呼んだり自分たちでお芝居を催したり、別室でオークションやカードゲームなどをしたりはしていましたわね……」
「そんなに沢山あるデスか!? デスコ、ダンスくらいしかイメージなかったデスよ!」
 妹の言葉に同意したフーカだが、彼女が主張したいのはそこではなく。いや、ある意味ではデスコの言葉通りなのだが。
「……ダンス。あるのかな、アタシたちが行くパーティーにもさ」
 フーカにしては真剣な、緊張感ある面持ちで訊ねたのは、男性陣には逆立ちしたってわかるまい、体験できると思ってもいなかった乙女の憧れがその催しに篭っているからだ。共感できるデスコはおお、と身を乗り出して目に星を描き、やや冷静なアルティナは曖昧な笑みを浮かべるも、冷や水を引っかけるほど野暮ではない。
「あってもおかしくはない、でしょうね。立食パーティーだけでは味気ないですし……、かと言ってスライムから虫型までいらっしゃる悪魔の皆さんが手と手を取り合い踊る姿はあまり想像できませんけれど」
「それってつまり、踊れないより踊れたほうがいいってことよね?」
 口調はあくまで静かだが眼をぎらつかせながら訊ねたフーカに、天使は勢いに飲まれてええまあ、と肯定する。その反応を受けて、デスコは大いに焦った。
「おねえさま、デスコ、ダンスなんてしたことないし知らないデス!」
「アタシもよデスコ。……けど安心しなさい。ここに、知っていそうなのが一人いるじゃない」
 姉に促され、視線を転じた先は軽く身構える桃色の髪のパーティーに詳しい天使であり。四百年を生きた彼女ならば知っていてもおかしくないと察したデスコは、大いに納得してフーカの無言の催促に便乗する。
 直接は何も言われていないものの、姉妹の視線と態度にひしひしと彼女たちの熱意を感じ取ったアルティナは、ほんの少しはカタログに視線を転じたり視線をあさっての方向にそらそうと試みたのだが、結局無言の圧力には耐えられなかった。金銭の催促よりもまだ健全だと受け止めたのが仇となって、手間の面では未知数なのに彼女は渋々口を開いてしまう。
「……わたくしだって、多くは存じませんわよ」
「けど知ってるんでしょ!? お願い、アルティナちゃん!」
「デスコたちにダンスを教えてくださいデス、アルティナさん!!」
 必死の上目遣いでアルティナにねだる義姉妹は、男たちを相手に頼むときはわがままな子どもの駄々の延長か、もしくは勝気にも命令する勢いなのだが。今は両手を組んで必死に祈る仕草をした上に瞳を潤ませており、まるで心臓を差し出す心持ちで告白をした相手からの返答を待つ乙女のように健気で可愛らしいものだから、天使はついに降参した。
「…………もう。わかりました、教えます」
「あっ、りがとー!!」
「ございますデスー!!」
 姉妹はその返答を聞きハイタッチを交わして喜ぶが、アルティナにとっては短期間とは言え厄介事を抱え込んだようなものなのだ。片や手放しで喜び、片や眉間に軽く指を添えるこの状態では、後腐れなく教えてもらうなどこのふたりであっても後ろめたさは感じてしまう。掲げた手をただちに下ろすと、天使の顔を見て態度を改めた。
「お、教えてもらう以上はわがまま言わないから! お金の貸し借りは今は無理だけど、困ったことがあったらなんでも言ってよ!」
「そうデス、このご恩は忘れませんデス……!」
 ラスボスが天使に借りを作るとはどうなのだろうと思いつつも、アルティナは慌てたふたりの様子に思わず目を細める。子ども故に我を通したがる部分が多いが、等身大の優しさも持ち合わせているこの少女たちを彼女はどうにも憎めない。
「……ええ、今はお二人のそのお気持ちだけ受け取っておくことにしますわ」
 やんわりと告げてアルティナは閉じていたカタログを開き直すと、それでもう気持ちを切り替えたのか。ふたりに対して悪戯っぽい視線を向ける。
「それにしても、先程のお二人のおねだりは随分と堂に入っていましたわね。普段からあんな調子で殿方に接するのでしたら、ロマンスの一つや二つもあるのではなくて?」
 からかわれたふたりは、しかし全くの無意識で行っていたらしい。それぞれ目を瞬くと、フーカはぎこちないながらも照れた笑みを浮かべ、デスコは頬を赤らめるがどうしたことか鼻息も荒い。
「……そ、そうかなぁ?」
「デスコもついに、色仕掛けを覚えたということデスか! いつしか言葉一つで男の人を洗脳できるようになるデスか!?」
 それはどうだろうかと悪魔以外のふたりは漠然と考えたが、六人の中でマスコットガールとしての役割を大きく持つデスコの興奮をそぐ真似はすまいと視線を重ねて速やかに同意する。それから話を切り替えるつもりなのだろう、人差し指を立ててアルティナは笑った。
「では、明日から早速練習するとしましょう。教えるからには完璧に身に付けてもらいます。それにあと一ヶ月程度しかないのですから、遠慮は致しませんわよ?」
 なかなか挑発的な言葉に、フーカとデスコは意気揚々と胸を張り、それぞれ元気良く受け答える。
「了解なのデス!」
「ふっふっふ……体育の成績だけは良かったんだから、いくら脅されたって楽勝に決まってるわよ!」
 勝気な返答に暫し目を瞬いたアルティナは、次に期待していますとやんわり笑い、それで今夜はお開きとなった。
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