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いや書いてはいるんですけどね

2012/07/05

 テンポ悪くてもうばっさり切っちゃおうかなーとは思うけどどこ切ったらいいかわからんしーと言ういやな地獄に陥ってフン詰まりの状態ですはい。
 来週は日本一ちゃんの20周年サイト開くそうなんでそっち楽しみにしてるけど今年一杯ディスガイアチームがのいぢゲーってことは5は発表今年末で発売来年かなー…とか見てますがさてどうなることやら。その前に設定資料集とかフーデス編サントラだけどこれはもう夏コミ販売ルートなのか…? それとも忘れた頃にひょっこり? 今までの商品展開からしてぱったり出ないはないと信じたいけど…。

 あと超肉連載再開されましたね。今号でフーカすん仲間んなってようやく一話+二話終了って鈍足ってレベルじゃねー。
 当然曇りました。閣下からのフラグは感じないけどフーカすんが閣下にときめくのは……ううん、まあゲーム本編でも助けられた当初はちょっとときめきかけてたからそうグチグチ言えないのよなー。フーカすんメインってことはむしろ次のデスコ加入が本番だし……。
 けどまたフーカすんのキャーエッチー☆なハプニングあったら律儀に曇る気がします私。男衆がガンスルーな不感症っぷりを貫いてくれるとまだありがたいんですけどね! それでなんなのあんたらホモなの!? (閣下意味わかんなくてスルー&明言を避けるフェさん)って展開でもいいの よ。ホモだと思ってたらブルカノちゃん登場でラッキースケベで閣下がうろたえまくって、あ、ホモじゃなかった! ってなってもいいのよ。つかこの調子だとブルカノちゃん出てくるのほんといつになるんだよハリーハリーハリー!

 そーいやちょっと前リプレイしててふと思ったんですが、閣下のお屋敷の水周り事情ってどうなってんでしょうね。率直に言うとトイレとお風呂事情。
 一室に一つずつついてるのが自然かなーとは思うんですが、そこまでするほど閣下のお屋敷が設備整っているようには感じられないので(失礼)、トイレも風呂も共有の可能性は大いにある。つかプリニー教育レベル1のトイレ掃除って時点で一室ずつ回ってトイレチェック、ではなく学校とか公園とかの、性別分けしてて便座が複数あるタイプのイメージしか湧かなかったからなんですが。
 けど一階男子二階女子とかの分け方だとなんかアレだし、一階ごとに最低男女で一室ずつトイレ設置してる感じなのかなー。しかし魔界一武闘会のときうろ覚えだけどフェさんが閣下のトイレにもご一緒するんじゃグフフ…って盛り上がってたっつーことは連れション経験ないってことだし、やっぱ個室が転々と設置してる感じなのか……?
 お風呂については男女共有で使えませんねー。使おうもんならアルティナちゃんと閣下でお風呂でバッタリ☆の可能性が生まれてフェさんギギギだからねー。けど閣下低体温っぽいしあんま汗掻かなさそうだから風呂の利用頻度低そう。けどサウナと水風呂は好きそう(我慢比べ的な意味で)。
 まあ風呂も男女別で分けてる感じかなあ現実的に考えれば。つかDLCキャラは基本住み込みっぽいからこれほとんど寮じゃねーか! ってアデロザ夫婦お風呂どうすんだ……!
 ……ううん。つかゼタとか暴君がお風呂待ちとかの想像もできんし、やっぱり一部の部屋にはトイレ風呂付きがあると見るべきなのかしら貴賓室的な扱いのが。閣下は別に誰の残り湯を浸かろうが気にしないさんだけどフェンの字が「閣下は一番風呂じゃー! 外野は黙ってろー!」(次は自分)って主張するけど多分殿下とか納得しないよね。じゃあ面倒が起こる前にその辺譲れなさそうな人は部屋ごと隔離したほうがよさそうね……。けどそんな部屋は少ないからやっぱり競争率激しそうね……。
 なんなら水道代光熱費本人持ちで一回ごとにお湯張り替えるお風呂を一室作ったらええねん。それならいくらアデロザ夫婦がハッスルしてもエトナさんやプラムが長風呂してもゼタがペタちゃんとお風呂入ろうと四苦八苦してもへいきへいき! ……閣下たちは……ハッスルの前に色々と障害が大きくてな……。

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インフロントオブメリイゴウランド

2012/07/07

 空暗き魔界には、しかし一日の時間の流れがありその中でも夜がある以上、夜景と称されるものもある。それでも彼は夜の魔界に灯る明かりの数々を、美しいとも幻想的だとも思ったことは一度もなかった。
 その、はずだった。

 旧政腐衰退の余波を受けてトレーニング施設群からただの娯楽施設と化した魔界中層区。そこの各施設の責任者たちが、今後の参考にしたいため視察して意見をいただきたいと申し出てきたのがことの起こり。
 確かに正常なトレーニング施設に戻ってもらうには必要な視察だと向こうの頼み通り予定を組むつもりが、連中はついでにお連れさまは女性でお願いいたしますとの注文をつけてきたのだ。なるべく幅広い意見を取り入れたいかららしいが、党首が女連れで中層区の視察など、人選だけで一騒動起こらないほうがおかしい。
 事実、参謀役は主と二人きりになってもまず間違いが起こらない相手として某ラスボスを目指す童女を真っ先に選んだものの、その姉たるなり損ないプリニーが自分もついていきたいと主張し、妹もその意見を支持。結局二人は辞退し、ほかに適当な党員に声をかけることにしたのだが。
 これが予想外にも、一向に掴まらなかった。立候補が過ぎて争奪戦になるかと身構えたくらいなのに、誰も彼もがその日は先に予定を入れているだのどうしても外せない仕事を任されただのと断って、果てはこちらが頼む前に有給申請までしてくる始末。
 結果的には人狼が最も頼みたくなかった相手であり、党首が密かに最も同行を望んでいた人物。政拳奪取の際に出会い、また再会したと言える天使の娘がその日一日秘書の座についた。
 それでも本来の秘書は主とその娘がなんらかの過ちを起こさないよう、二日は必要なはずの視察を一日のうちに納める強行スケジュールを組み立て、経費の節約を大義名分に宿泊施設を使わないよう効果的かつやんわりと圧迫。予定終了時刻に屋敷に帰してくれる時空の渡し人を派遣するほど念を入れ、吸血鬼と天使の視察は一日限りと決定された。
 まあ少々残念ではあったが、もとより遊びに向かったのではない。ふたり生真面目な気質が幸いして、分刻みのスケジュール帳に忠実に各施設の責任者から説明を聞いて試乗、微調整、今後の改装計画に関わる予算時期その他諸々のやり取りを済ませ、まさに目の回るような忙しさで視察を済ませた。
 ようやく全ての視察が終わったのは、月も天高く輝く逢魔時。気付けば周囲の洒脱な街灯や電飾も鮮やかな自己主張を始めていて、派手に飾りつけるのは責任者ども曰く夜間営業主張を兼ねた客引きとのことだが、やはりこんな光景を目にすると本人たちも娯楽施設のつもりで管理をしているのではと今日一日の目的を根本から疑い始めた頃。
 適当なベンチに座って休む男のもとに、故意な予感がする偶然から一日秘書を任された娘が飲み物を携えて戻ってきた、その、姿が。
 疲れていたのだろう。効率的に大人数に徹底指導を施すプリニー教育とも、書類からあらゆる状況を汲み取り適切な判断を下す党首としての執務とも、また悪魔の本領である己や仲間の力を磨く鍛錬とも、どれとも違う頭と体の動かし方を朝から一日中行っていたため、ベンチに腰を下ろした直後、船を漕いでいた覚えはある。
 だから。いつもの高露出な装束と白い羽と三つ編みの、けれど肌も髪も瞳の色も初めて目にしたときから変わらないあの娘の姿を視界に収めたとき、色とりどりに輝く世界に現れた彼女を、まるで夢のようだと思ってしまって。
 悪魔として正しい価値観なら、その言葉の示す印象は悪夢に近いはずだろう。しかしあのとき抱いた思いはまさしく、子どもが求める空想の世界としてのそれ。まどろみの幸福としての輝きを、儚くも穏やかなのに自由にならぬ危うい魅力を、彼女に見出してしまって。
 酷く恥ずかしかった。そんな浮ついたことを考えてしまう自分が。
 うっかり見惚れて、正気に返って、猛烈に恥ずかしくなって悶絶する彼に、何も知らぬ彼女は首を傾げて訊ねてきた。ああ、あのいつも通りよく澄んで伸びやかな、彼の心に染み入る声で。
「なんだか、変な動きをなさっていましたけれど、どうかなさいました?」
「い、いや……何もない」
 対する己の声ときたら。笑えるくらいにぎこちなく、普段の張りさえない始末。なのに彼女はそんなみっともない男にさえ、平気で微笑みかけてくる。
「ふふ、うたた寝くらい仕方ありませんわよ。アイスコーヒーでよろしくて?」
「ん……」
 屋敷では滅多に見ない紙コップを渡され、眠気覚ましと顔の火照りを冷やすつもりで勢いよくストローを吸った。しかし隣に腰かける彼女を休ませてやるためにもゆっくり飲むべきだったろうかと考えたところでその思いつきは少々遅い。ストローの奥から掠れた音が響き渡り、もうコップの中は氷しかなくなったと知らされて、軽く眉間に皺が寄る。
「そんなに喉が渇いていらしたの? でしたら、もう少し大きなサイズのほうがよかったかしら」
「別にいい。お前に落ち度はない」
 ぶっきらぼうに言い放ち、コップの中の氷を食べる。あまりこんな習慣は持たないが、これならまだ彼女もゆっくり休めると判断して。
 案の定、アイスティーを携えていた天使はこちらがまだ休む気だとわかるとストローに手を添え控えめに吸い始める。そんな姿勢でさえ優雅なものだと感心した彼に、しかしストローを口から離した娘は薄曇りの顔でぼやいた。
「ジュースのほうがよかったかしら……」
「そこまで不味いか」
「い、いえ、そんなことはないのですが……コーヒーはいかがでした?」
 話をそらしたと言うことは、つまり強くも否定できないのだろう。まあこんなところの飲食物には期待するほうがおかしいと、小さく肩を竦めてみせた。
「さあな、忘れた。味など最初から期待していないし、期待するほうが馬鹿を見る」
「そう言うものなのですか……? その割には、随分お高い気がしたのですが」
 不満げな娘のほうは、雰囲気代なる概念が理解できないでいるらしい。いまいち釈然としない様子で再びストローに口をつける。そう言えば、彼女はこの手の施設を利用したことがないと、以前話していたか。そのときの会話を思い出すと、これはあくまで視察で、ついでにここはトレーニング施設だと自他ともに言い聞かせていたはずなのに、場違いな期待を抱きかける。しかしそうではないとしっかり自分に言い含め、横たわる疲れの色濃い沈黙を打ち消した。
「それで……今日はどうだった。この中層区の全ての施設を見回った上で、お前の忌憚ない感想を聞かせてほしい」
「感想、ですか……?」
 唐突に訊ねられ、娘の目が丸く見開かれる。続いて顎に人差し指を当てて考え込むその姿に、胸の杭の奥が次第に鼓動を大きく早くしていったが、その理由については深く考えないようにする。一応、口にできる理由はあるのだから。
「ああ。天使のお前にとって、ここの施設を利用してみてどう思ったのか聞かせてほしい。ここを拠点とする中級悪魔たちは、人間どもに畏れをもたらす存在になりうるかどうか……」
「ああ、そう言う意味でしたら……」
 ぱっと晴れたかんばせは、夜なのに太陽のごとき明るかったのか。それとも月のごとく輝いていたのか。ともかく彼は天使の浮かべる満面の笑みに、あれだけ強く己を戒めていたにも関わらずすぐさま我を忘れかけた。
「楽しかったですわ。あれをトレーニングとして利用される悪魔の方々は、本当にトレーニングのつもりで使うのか疑うくらいに」
「…………この」
 それでもどうにか反応できたのは、彼女の言葉の飾り気のなさが笑えるくらいに正直だから。事実、にこにこと微笑む天使に対し、彼も微かに笑ったが彼女のそれとは趣が違う。
「全く。忌憚ないと前置きはしたが、そこまで言うか」
「あら。けれどあなたもそんな顔をなさるんでしたら、実は同じことを考えているのではありません?」
「さてな。そこは一個人として黙秘権を行使しよう」
 暗に認めたも同然だが、そこに突っ込むほど彼女は野暮ではない。ふふと機嫌良さそうに喉奥を震わせてから、不意に背筋を伸ばした。周囲をより広く見ようとするように。
「『徴収』にここに訪れたときとは印象も随分違っていました。あのときはうらぶれた廃墟同然の、魔界の今後を連想させる、暢気な無用の長物だとさえ思っていたのですが……」
「………………」
 辛辣な意見に据わりの悪さを感じて、黙って口に氷を放り込む。別に気にしなくていいとでも言いたげに、すぐさまいつものように笑いかけられたが。
「魔界に『畏れ』エネルギーが戻ってきたからかしら。今のここおどろおどろしいけれど明るくて、物騒なはずなのに面白くて……なんだか時間の感覚を忘れるくらい楽しくて……」
「言い過ぎだ、それは」
「そんなことありませんわ。忌憚ない感想です」
 華やかな笑顔で二の句を封じられ、彼はわざとらしいしかめ面で氷をまた一口。無遠慮な冷たさは歯が染みるくらいなのに、胸の奥は温かくくすぐったいまま。
「……だから、魔界の未来も明るいと思います。明るい、なんてあなたがたには不名誉な表現かもしれませんけれど?」
「まあな」
 そこについては否定しない。けれど褒められるのは悪い気はしないし、更にそうしてくる相手が彼女であれば、文句がないほど満足できる。
「しかし魔界の未来が暗いと言われるより余程いい。人間界のような過ぎた盛りは衰退をも早めるだけだが、魔界の復興と緩やかな繁栄は我ら悪魔の悲願。より一層使命に励み、世の秩序を保つとしよう」
「はい。そうしてくださいますと、天界も地球からのお布施と『敬い』エネルギーの恩恵に授かれますし、是非ともお願いしますわ」
 こちらを応援してくれるのはありがたいが、それとはまた別に天使の受動的な物言いが引っかかって、彼は軽く鼻白む。
「にしても……もうそろそろ天使も能動的に動いてはどうだ。天使の顕現システムそのものが顕著な例だが、お前たちは受け身に過ぎる。自分たちから不敬者たちに奇蹟を示さねば、連中たちからの信仰心が減るのは仕方あるまい」
「お気持ちは理解できますけれど……人間が神や天使にすがるのは苦境あってこそです。人間があなたがた悪魔を畏れわたくしたち天使に助けを求めるのが世のことわりですもの。まずはあなたがたから頑張っていただきませんと」
「……理屈はわかるが」
 釈然としない。
 天使が紙コップの中身を飲み干したのを見届けると、こちらも最後の氷を噛み砕き、二つ重ねてごみ箱にそいつを投げ捨てる。休憩は終わった。これから屋敷に帰らなければ。
「自分たちが住む世界の影響力を強くし、自らもまた強くなるために使命に励むのが我ら悪魔の生き方だ。天使たちの世話までする気はない」
「けれどわたくしたち天使は、あなたがた悪魔のように人間界に積極的に介入しても、それが本当に良い影響を与えるのかどうかさえ曖昧ですもの」
 彼が先に立ち上がると、天使もまたベンチから腰を上げる。出入り口を目指す彼ら以外無人となった中層区は、しかし相も変わらず軽快な音楽とどぎついほどの電飾とで騒がしい。――それでもまだ寂しさを、甘い感傷とともに感じてしまうのは不思議な感覚ではあるけれど。
「飴が本当に甘いのかさえ迷うのか。天使は慎重な連中だと思ったが、最早臆病と言ったほうがよさそうだな」
 酷い言葉の自覚はあるのに、華やかな音楽とどこまでも続く光の乱舞が彼の心を麻痺させて。だと言うのに口調は無自覚にも穏やかな、まるで暗闇の中、すぐそばにいる誰かに囁きかけるよう。それは彼のうしろで歩く彼女とて同じ。あの純金の小鈴が転がる声音が微かに低く、果実酒の甘さと苦さをしっとり帯びて。
「……ええ、臆病ですわ。この人間は自分を現実として受け入れてくれると確信を持って、ようやく顕現するくらいですもの」
「……成る程」
 先の喩えを持ってこられ一本取られたとほろり笑った彼に、娘は何を思ったのだろうか。僅かに頬を染めた気がしたが、それでもいつものようや、いやいつもと同じようで違うような、いいや恐らく今まで彼女が見せた表情の多くを覚えている彼にでさえ、一度だって見たことのない、静かで張りつめた笑みを浮かべて。
「ヴァルバトーゼさん」
「ん?」
「あなたから見て、わたくしも臆病なのかしら……?」
「……難しい質問だな」
 本気でそう思う。天使の身でありながら単身魔界に忍び込み、窃盗行為に手を染めた彼女は勇気があるどころか蛮勇とさえ言い表せる。反面、慎重な現実主義者でもあって、何百歳も年下の小娘たちに振り回されるのも珍しくない。なのに初めて出会ったときから一度も自分を怖がらないくらい図太い神経も持っていて。
「お前自身はどう思っている? ……ああ、拙い自虐はいらんぞ。かと言って、思い上がられるのも不愉快だが」
「もう。それではどちらとも言えないじゃありませんか」
 そんな調子ならどちらを答えてもあなたに否定されそうねと苦笑され、ばれたかとこちら意地悪く笑った。
「どうして急にそんなことを訊ねる。返答如何によっては、方向性を決めてやるが」
「大したことではないのですが……一応、わたくしなりに勤勉な悪魔さんに今までのことを感謝も含めて気持ちを示したいと思いまして。けれど、それを悪魔さんが受け入れてくださるかどうかわからないものですから」
「そのくらいなら問題あるまい。お前の励ましなら実になろう」
「そうですか? ならよかった」
 ほろりと笑った天使の意図は、残念ながらよくわからない。しかし今更感謝程度でそんな前置きをする必要があるだろうかと疑問を抱きもする。もとより彼女は愛と敬いの使者。たとえ相手が悪魔であっても、感謝の言葉一つに勇気がいるとはとても――
「…………?」
 駆け寄ってくる。十歩も離れていない距離なのに、周囲の耳障りなほどの音楽の中にもはっきりと聞き取れるほどヒールを鳴らせて。
 近付いてくる。もとより外套が触れてしまいそうな距離だったのに、それさえも構わないと覚悟を決めたかのように。それどころか、触れてほしがっているように?
 何故。どうして。わからないそのままでは抱擁の距離だと微かに身を軋ませる彼に、息も触れるほど近付いて彼女は切なげに、ああ誰よりも美しく永遠を思わせるほど目映く笑って。
「―――――」
 音なき声で囁いた、その唇の動きを目にし。極限まで目を見開いた彼はうろたえ戸惑い胸を襲う動揺を押し隠そうとして、でもできずに。
 心音が脳にまで響いてくる。このままいけば破裂してしまいそうなくらい、鼓動は激しく脈打って。けれどそれでもいい。そうともこのまま死んでしまっても構わないとさえ思いながら、強い感慨と衝撃に打ちのめされ全身を硬直させながら。彼は彼女の言葉に応えようと、華奢な腰に、震える手を、腕を回し、て。
「ああ……」
 息を吐いたのか、返事をしたのかは本人にだってわからない。しかしそれでも自分の鼓動を相手に伝えようと、なるべくそっと、だが現実にはぎこちなく、自分より華奢で柔らかい身体を抱き寄せる。いつか触れたいと思っていて、けれど今の今までずっと触れずにいたか細い身体を。
「俺もだ」
 温かかった。柔らかかった。ほのかに汗ばんで細やかに震えていてしなやかでえも言えぬ匂いを漂わせ、壊れそうなくらい清らかなのに犯しがたい芯の強さを秘めた感触は、今までこの腕に抱いた誰とも比べられないくらい新鮮で。
「俺も、お前を……」
 互いの鼓動を感じながら、震える唇で声を出す。いつかの自分が愚かしいと一蹴した言葉。その気持ち。そんな感情は悪魔にないと信じていたし、そんな想いを彼女に捧げてしまいかけるたび、何度もつまらない意地を張って否定した、その言葉。
「……………」
 かすれる声で、この広い世界で彼女以外の誰にも聞き取れないほどの小さな声で捧げると、彼女はそれまでもほのかに赤かった頬をより鮮やかな薔薇色に染めて、潤んだ瞳を隠すようにそっと瞼を伏せた。
 繊細な二重の瞼を縁取る睫毛は長く豊かで、その根元には黄金のエーテルがちりちりと光瞬かせる。気高く通った鼻筋のこちらは明るく向こうは暗く、唇もまた半分ほどが暗い影に隠されてしまったが、それでも彼女のかんばせは輝くほどに美しいままだった。
 小さな顎を掬い上げ、軽く突き出た天鵞絨の唇に唇を重ねようとする。
 不浄な悪魔が天使の聖域に触れるなど、本来ならば望むだけでも断罪されるべき所業かもしれないが今はそれが許されたから。
 そうだ。あの言葉を自分に捧げた以上、一生この娘は自分のものなのだから。いいや死のうが生まれ変わろうが、この娘を捉えて二度とは離すまい。
 そう己の胸に強く誓い、いいや胸に刻みつけてからゆっくりと自分の顔を近付ける。ああ、彼女との距離を縮めてしまう。細かく震える睫毛の曲線、頬にほんのり残る汗の照り、髪の微かなほつれは艶やかで、立ち昇る甘い香りに脳髄が焼け痺れてしまいそう。
 けれど。それでも。彼は―――

 ああ、あの光景を忘れまい。
 中層区の中で最も目を引く回転木馬。魔界では滅多に見ない鮮やかな彩色を施されたそれが、電飾の眩い光を放ち、また奥の柱の鏡や支柱の金属で周囲の光を反射し煌いて。魔界の夜だと言うのに、思わず目を細めてしまうほど輝いていたあれの前で、彼と彼女は。
 普段はそんなもの、ただ眩しいだけだと鬱陶しがる代物なのに。魔界には相応しくない、不謹慎で不釣合いなものだと怒るくらいなのに。顔を離してから彼女と見たそれは、本当に単純に美しく壮麗に見えた。
 それこそ、この光景を一生胸に刻みつけておこうと思うほどに美しかったのだ。眩しかったのだ。あのとき視界に入り込んだ、あああの生ける宝石のような娘の笑顔も、その目元に流れた雫さえも、何もかもが。





後書き
 うち一周年だよね確か記念で伝説の木恋人成就イベントSS化。
 あれの何が酷いってリーダーじゃなくて恋人に選ばれた側のキャラから愛してるって告白することだと思う。

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夜の暴君冒険譚

2012/07/11

 窓を開けていたせいか、少し背中に寒気を覚えた彼女は読みかけの本に栞を挟み、引き出しからショールを取り出しかけたところでまたぞっと背が震える。しかしお陰でこの寒気は尿意から来るものではないかと考え直し、用を足しに行ってから改めてショールを持つ。
 そうしてまた本を読もうと窓辺に近寄ったら、自分が座っていた椅子に誰かが腰かけていて、おまけに勝手に自分が読んでいた本を開いており、喉奥から大きな呻きが漏れる。直後、そんな反応は内心大げさすぎたかもしれないと不安を抱いたのは、小心なのか優しさなのか。
 しかしそれは杞憂だった。女の部屋に入り込んだ不届きものは、同時に彼女が住まう屋敷の主人でもあるため、彼女の反応をきれいに無視する。その上でざっと本の中身に目を通していたが、気になる固有名詞を発見したらしい。表紙に書かれた題名も読めば、青白い眉間に深い皺が刻まれる。
「『暴君ヴァルバトーゼの冒険』……?」
 怪訝な顔で声を発した、その男こそがヴァルバトーゼ。かつて『暴君』の二つ名を戴き、魔界じゅうから恐れられ他に比類なき強さを揮っていた吸血鬼である。現在はその魔力も最低限しか残っていないため、退化した肉体は少年期からようやく脱却した青年と言った風情。しかし全身から威厳と自信が満ちているのは相も変わらず、昨今とある出来事により英雄として再び魔界じゅうから注目されるようになった。
「……窓から入られるのは『吸血鬼の礼儀』だそうですから何も言いませんけれど、勝手に他人の本を読むのはあまり感心しませんわよ?」
 そうして部屋に侵入された女は、四百年前その『暴君』から些細な約束によって血を絶たせ、イワシを偏愛する地獄のプリニー教育係に変貌させてしまった原因。人間だった頃は戦地で役目を全うせんと足掻いていた貧困の看護師であり、死後はその魂の清さを天界の住人に見出され新たな命を与えられた、アルティナと言う天使の娘。
 四百年前の出会いからたったの三日間、娘の不幸な死により打ち切られた異種族交流と約束をふたり揃って覚えていたのは、男曰く約束の大切さを教えてくれたかけがえのない思い出だからこそだが、実際のところ男女の仲として最も自然で最もありがちな、情熱的で繊細な想いが芽生えていたからで。
 再会を果たした最近になってようやくその想いを互いに伝えあい、汗で睦む仲になったのは四百年に比べればまだまだほんの短い期間でしかない。それでも最近はふたりきりで過ごす時間に戸惑いや怯えが薄れ、代わりに厚かましい本音の吐露も珍しくなくなった。
 その厚かましさの典型として唐突な恋人の訪問を受けた娘は、男から本を返してもらおうとおっとり手を伸ばしたのだが、どうしたことか白手袋は逆に彼女の手首を掴み、くいと手前へ引っ張ってくる。
「……はい? どうされました?」
 そのままでは接触してしまうだろうにと暗に含めて伺っても、やはり男はどこ吹く風。本を片手に持ったまま、恋人の手首を手前へと引き寄せる。
 もっと近付けと命ぜられても、これ以上近付くのは無理だろう。そうたじろぐ視線で告げた娘に、青年が顎で指し示したのは、彼の細い膝の上。
「ええ……?」
 それはいくらなんでも恥ずかしい、と娘は軽く拒絶したのだが、やはり男は強情だった。相手が乗ってこないと知ると、掴んでいた手を更に伸ばして柔腰に腕を回し、あっと言う間に引き寄せて自分の膝の上で尻餅をつかせる。世に言う膝抱きの姿勢となった。
「よし、これでいい」
「……どこがいいんですか」
 呆れた娘を意に介さず、着々と手袋を脱いだ青年は、腕の中にすっぽり収まった自分より華奢で柔らかく温かく、なによりも素晴らしい芳香を漂わせる身体に鼻先を埋める。
 この天使の娘の体臭は花のように瑞々しく、糖蜜のように甘く、薫風めいて爽やかなのに、体の芯から蕩けそうになる効果をもたらす不思議な代物で、吸血鬼はこれを嗅ぐとご多分に漏れずだらしのない渇欲が胸の杭の奥からとろとろ溢れてくるのだ。いつかの彼ならそんな衝動は気の迷いだと自らを叱咤したものだが、今ならその防波堤もとっくに壊れて意味をなさない。
「あ。ちょ、もうっ、ヴァルバトーゼさんっ……!」
 胸いっぱいに香りを吸い込むと、肩をシャツ越しに啄みながら女の尻に指を埋める。ああ、内腿でも構わない。そのちょっと奥にある、絹の下着に包まれた小さな突起と肉のあわいは、彼の欲望を受け入れ煽り昇華させてくれるとても素敵なところだから。
 けれどそちらに手を突っ込もうとすれば持っている本が邪魔になる。そこで男はようやく、本来真っ先に訊くべきことを訊ねた。
「何故お前がこんなものを読んでいる」
「……いけま、せんの?」
「いや、別に構わんが……」
「でしたら、返してくださいな」
 横尻の辺りで半開きの本を片手に持ったままの姿勢は、彼女に不安しか与えていなかったらしい。青年の手から鮮やかに本を奪うと、中に皺が寄っていないかやけにじっくり確認する。
 久しい来訪なのにあまり構ってもらえぬ吸血鬼。やや乱暴に娘を引き寄せれば、心地よい重みと温かさがぐらり揺れて胸に軽くのしかかるも、女はすぐこちらの胸に手を添え、もとの体勢に戻ろうと試みた。
「そいつはどうした。小僧からの借り物か?」
「いえ。こちらの書庫にあったものですので、あえて持ち主を突き詰めればあなた、と言うことになりますかしら」
「なら俺がどう扱おうと問題あるまい」
「ありますわよ。本を発注なさったのは狼男さんだそうですし、司書役のプリニーさんのご好意を仇で返すような真似はしたくありませんもの」
 説明を受け青年の頭に僕の澄ました顔が過ぎるも、胸に去来する思いは複雑極まる。
 四百年前、人間だった頃の娘を看取って以降血を吸わなくなった吸血鬼に、口酸っぱく、ときには主を欺いてでも血を飲ませようとした人狼は、魔界で誰よりも彼に忠実でありながら『暴君』の復活を願っている悪魔でもある。この冒険譚とやらを発注したのも自分に対する間接的な圧力なのだろうと想像すれば、咥内にイワシの内臓の味が蘇った。
「……あいつの約束を破らせようとする情熱は驚嘆に値するな」
「その情熱にびくともしない方がなにを仰っているんですか」
 口づけも容易い距離なのに苦笑を浮かべた娘の眼差しは、やはりあの本の中身に注がれたまま。今夜の彼女は肉の愉楽をたっぷり与えてやれる自分より、たかが紙とインクの寄せ集めに夢中らしい。全くもって面白くない。
「どうしてそんなものを読む気になった? 昔話が聞きたいのなら、お前の望む限りいくらでも俺の口から話してやるが」
 とは言いながら、青年は昔の誰それと戦ってどうやって勝ったかの思い出なぞろくに覚えている気がしなかった。それに昔話と一口で言っても幅が広すぎるほど広い。本のように整頓されていない記憶の中では、娘好みの話など満足に話してやれるかどうか。
 幸いにも、そんな男への返事は悩ましげな笑みで濁される。
「それはありがたいお話ですけど……。お代はいくらになりますのかしら?」
「金はいらん。しかしそうだな……今夜ならお前の添い寝でどうだ」
「それはまた、難しい値段の付け方ですこと」
「何を言うか。我ながらこれ以上ないほどの大盤振る舞いだぞ?」
 これについては自信たっぷりに告げると、娘は喉の奥でころころと笑いながらゆっくり首を振る。桃色の長髪がふわり波打って、鼻先をくすぐる香りのまた芳しいこと。
「では、それはまた次の機会させていただきますわね」
 つれない返事だ。しかし味覚以外の全てがゆるゆると女の色に満たされている現状では拗ねるのも困難で、青年はわざとらしく口先を尖らせるのみ。
 だがこんな状況が長らく続くと、もっと満たされたくなってしまうのが悪魔なるもので。軽く抱いているだけの娘の、いろんなところを触りたくなる。悪戯してやりたくなる。ろくに本なぞ読んでいられないくらい、狂わせてやりたくて。
「ん、あ、の。ど、どこを、触って……!」
 横尻に添えたままの片手を移動させ、下着の縁から奥へと侵入。尻の切り込みに沿ってゆっくり大きく上下になぞって、道筋の奥まった位置にある窄みに触れるか触れまいかの期待と不安を煽り立ててやる。尤も、彼はそちらに興味は薄い。したいと彼女が言い出したなら、ようやく開発する気概が湧くくらい。
「……ヴァルバトーゼさん?」
 天使のほうは、いっかなそんな気にはなれないらしい。むしろ嫌悪感を抱いた様子で、尻を揉まれている割りに鋭い一瞥を投げかけてきた。薄青い瞳は明確に、これ以上そんなことをすれば部屋を追い出すと勧告している。
 それは困ると下着から手を抜き取って全面降伏、両手を小さく挙手した青年に、娘はため息を漏らし膝の上から降り立つと、スリッパをぺたぺた鳴かせて本を抱えたまま寝台へと腰を預ける。
 ふたりきりなのにさっきより距離が生まれるのはよろしくない。吸血鬼もまた腰を上げ、娘の隣に座ろうとしたところで。
「ところで、少し質問してもよろしいかしら?」
「なんだ?」
 にこりと微笑まれ、応じる姿勢を取ったのが運の尽き。娘は本のとある行にそっと人差し指を当て、うちの一節をひたと見つめて告げた。
「ここの、卑劣な手段で魔神の地位を得た悪魔を倒したお話ですけど……」
「卑劣な……? 多すぎて特定できん」
「魔力を奪う鎖によって、捕らわれたものはたちまち非力になり、その魔神の奴隷として強制的に働かされるとありましたわ」
「ああ、いたような気がするな。そいつがどうした?」
「いえ、少し興味深い記述がありましてね。奴隷の中に、夜魔の姫もいた、とのことですので……」
 心当たりはないものの、単語から受ける印象と連想される展開に青年の全身がぎくりと軋む。
 そんな彼のいやな予感を裏付けるようにして、娘は本から目を離さないまま、あくまで微笑みを絶やすことなくそのエピソードを説明し始めた。
「そもそも、件の魔神の悪行をあなたが知ったのはその夜魔の姫に足下に身を投げ出されたからだそうで? 悲痛な叫びと涙に濡れたその姿に心を打たれたあなたは、姫君の導きで魔神のもとへ赴き、彼女の助けによって魔神を倒すことに成功した、とのことでしたので……」
 淡々とした要約に、冷たい汗が背中に一筋、二筋。
 さっきから熱心に読んでいたのはよりにもよってそんな話なのかと、青年は焦りながらも自己防衛のため急遽昔の記憶を掘り返す。結果、そのまま彼女に話せない暴君時代の思い出話は六つか八つ――いやそれ以上だと自覚して、青白い顔がいつも以上に血の気を失いたちまちどす黒く変色していった。
 今まで考えたこともなかったがこれはいけない。過去の出来事とは言え浮気話と受け取られかねない逸話を後世に残す形式で保存され、出版され、世に広く流通されているなど。知名度による弊害は今までそれなり味わってきたが、彼はこれほどまでに深刻な危機感を、恐怖を抱いた瞬間はなかった。
 滝のように冷や汗を垂れ流し、サイドテーブルに軽く腰を預けた姿勢で硬直している青年へ、娘の追い打ちは容赦なく続く。
「最後は元奴隷たちに心からの感謝を受け、自分たちを僕にしてほしいとの願いを断りまた旅に出たそうですけれど……実際のところはどうされたんです?」
「ど、どう、とは何の……」
「…………あら。吸血鬼さんたら」
 ふたりきりなのに関係を結ぶ以前の呼び方に戻されて、吸血鬼は小さく飛び上がった。
 この程度の脅しでそれは過剰反応だと笑う第三者もいるかもしれないが、娘の白々とした声を耳にしてとぼけられるほど彼は楽天家ではないのだ。瞬時に弁明する声は、悲鳴とさして大差ない。
「誤解だ、アルティナ! 大体、その話には嘘が多すぎる!!」
「ふうん? そうでしたの」
 言葉尻の冷ややかさに最早条件反射の粋で跪きかけたが、青年はどうにか踏みとどまって言葉を選ぶ。そうとも、昔のやんちゃが信頼できる筋から暴露された訳ではないのだから、今はまだ危険を回避できるはず。
「まず、その夜魔の姫とやらは現実には存在せん……。実際に俺がその魔神を知ったのは女悪魔との接触には違いないが、夜魔でもないし貴族ではないっ!」
「それで?」
 たかがそれだけかと暗に含んだ口調がまた恐ろしい。吸血鬼は歯を食いしばって、物語の虚栄を更に暴く。
「そいつは確か……俺の魔力と命を狙って近付いてきた。非力な女なら油断すると考えたらしいが、当然俺は遠慮なく返り討ちにするついでに捕らえた。そのあと誰が俺を殺すよう指示したのかを吐かせ、魔神の住処への案内役としてそいつに同行を命じた」
「……つまり捕虜、ですか」
 声が少しは落ち着いてきた。その通りだ、その調子だ、と短く強く頷く。
 実際のところ女悪魔に命を狙われたのも嘘ではないし、それを返り討ちにし、捕虜として扱ったのも間違いない。ただ命を狙われたのはその女と閨を共にした夜更けだったが、その辺りのことまでこの娘に素直に話せるほど彼の神経は図太くない。
「助けと言うのも、そいつを強く脅した結果、勝手にこちらの都合良く動いたまでのこと。あのまま魔神の奴隷として自由を奪われ生きるか、それとも俺に賭けて自由を得るか……その判断くらいはできていたのだろう」
「それで? その捕虜さんも、魔神を倒したあなたを手厚く歓迎なさった上で、あなたの僕になりたいと仰っていらしたの?」
「……ま、まあ……」
 それはかけなしの事実だった。長らく魔力と自由を奪われていた女は、本当に自由になってしまうと今度は一人で生きていかねばならないことに怖ろしくなったらしい。もとの主人より更に強く、真っ当に扱ってくれるであろう彼を新たな庇護者とすべくすり寄ってきたが、たかが一度抱いた女に情を持つほど不自由していなかった彼は拒絶した。
「そうだったかもしれんな……。何分、あまり覚えてはいないが……」
「どうして覚えていらっしゃらないの? 一時的とは言え、あなたのお仲間でした方なのに」
「仲間ではないッ! 捕虜だとお前も言っていただろうが!」
「お願いされたのに、どうして仲間にして差し上げなかったのかしら」
「その、ろくに戦力にならんと判断したからだ! ある程度戦えるならともかく、ただの奴隷女を連れ歩く趣味などない!」
 これについてもまた嘘ではない。
 気高き悪魔である青年の捕虜となって以降、乱暴されまいと自分からへりくだり、臆病心から従順な女には腹立たしいばかりだった。そんな言動を取るのは環境のせいだと理解していても、瞳に生気のない娘に自立心と苛酷な環境を生き抜く上での姿勢を教えてやろうと思えるほど、当時の彼は面倒見がよくなかった。
 かくして納得のご説明をいただいたはずの天使の娘は、あのときの女と違って生気に満ち、芯の通った強い意志を感じさせる薄青の煌めきを彼に注ぐが、こちら相変わらず厳しい。痛い。怖い。肌に刺さりそうなほど鋭い。
「……ふぅん。そう言うものですか」
「そう言うものだ」
「ではこちら共闘した……ええと、才能溢れる気高き魔女のお話しですけど」
 ざっと別の頁を開いてまた新たな尋問を開始しようとする娘に、ついに青年は盛大に呻く。
「おい待て! まだそんな話があるのか!?」
「ええ、あと三人は気になる方がいますから、こちらもまたもう少し詳しいお話をお願いしますわね。質問の範疇を超えていると仰るのでしたらそれでも構いませんわ。わたくしが添い寝さえすれば、いくらでも昔話をしていただけるんでしょう?」
「…………」
 確かにそうは言ったが、よもやそんな話題で長々と拘束されるとは思わなかった。
 今日はまだ仕事の量も少なかったものの、今夜は彼女にたっぷり慰めてもらうべく訪れたのに、被疑者となって簡易裁判を受ける羽目になろうとは誰が予想するものか。どうにかこれらを全てやり過ごしたところで極度の疲労から反撃も難しそうだし、添い寝をしてもらう程度では割に合わない。
 これから始まるであろう苛烈な問い詰めを想像しただけでも気力が削がれ、青年は大いに項垂れる。その様子にさすがに罪悪感が芽生えたか、娘のため息交じりのぼやきが床に転がった。
「……わたくしも、ここまで酷くなければこんなこと訊ねる気になりませんでしたのよ?」
 触れれば凍傷しかねんばかりの声ではなく、いじけたふうな可愛ささえある声音に、男はちらと顔を上げる。案の定、頬を膨らませた天使の横顔を視界に収め、取りつく島を見出して底まで沈んでいた気分が少し浮上した。
「俺は一度も読んでいないが……その、そんなにか」
 そんなにヒロインが多いのかと訊ねると、娘はしっかり首肯。おまけにぱっと三本指をかざして、やや非難がましく説明する。
「ええ。一冊につき、平均で三、四人はおられますわね。ついでにこのシリーズは全十数巻だそうですから……」
「そ……!!」
 それはいくらなんでも多すぎる。そんなに長く旅をしていない。そこまで自分は気が多くない。
 目を剥き絶句した彼の反応があまりにも真に迫っていたためか、娘はこれをそれなりの説得力を持った弁明として受け入れたようだ。弦楽器さながら張りつめていた空気がつと緩み、白い瞼が伏せられた。
「編者の方は男性ですし、ジュブナイルを意識しているようですからこんなに女性が多くなったのかもしれませんわ。無敵の主人公が俗悪卑劣な敵を一刀両断、ついでに数々のヒロインの心も射止めるなんて……ありがちと言えばありがちですもの」
 言われてみれば成る程。先の逸話の脚色具合を鑑みてみると、内容は青少年が頭を空っぽにして楽しむ娯楽作品の雛形そのもの。それを青年とて卑下する気はない、どころか普段は好んでいるほどなのに、今は自分にそれを当てはめた編纂者が酷く恨めしかった。
「下手な自己投影に俺の名は使わんでほしいものだな……! 大体、現実にいる上に今も生きている悪魔の話をどうして無闇に脚色する!?」
「そうすれば自分の編集――と言いますか、脚色した本が売れるからでしょう? 実際、狼男さんがこのシリーズを購入するにあたっての決め手は発行部数のようでしたもの。多分、内容を少しでも読んでいればこれの購入は取り止めたでしょうね」
 是非ともそうしてほしかったところだが、勤勉で多忙な僕に八つ当たりはすまい。そもそもの元凶は編纂者にある。
 読者人気だかなんだか知らないが、自分の名と逸話を借りたどころかいらぬ疑惑まででっち上げての売文業とはいい迷惑、ついでに見上げ果てた根性だ。そいつにはこの返礼をたっぷりくれてやるべく名前を確認しようとしたら、一足先に娘に寝台の奥へと身体を翻される。しかも胸に本を抱かれ――ワイシャツから覗くたわわな実りがあんな軽薄な本に押し潰される光景を見せつけられ――再び青白い眉間に深い皺が刻まれた。
「安心しろ、アルティナ。破くつもりはないからそいつをとっとと寄越せ」
「い、いえ、今のあなたは破く以上のことをしそうでして……。と言いますか、いくら悪魔でも殺人は犯罪でしょう?」
「うむ。つまり殺すまでいかねばいいだけの話だ。ああ、そいつの本が特に売れているなら、モデル料として追加料金を『徴収』せんこともないな」
「は、はあ。それはまた……」
 物騒な話である。ついでに懐かしい単語を耳にして、天使の片頬が引きつった。いつかの彼女が魔界じゅうの各施設に行った『徴収』に比べればこちら言いがかりの面は薄いし、『徴収』が駄目なら名誉毀損も辞さないだろうと想像すれば、さすがにこの編纂者には同情してしまう。
 だがどちらの味方につくのかは自分の知りたいことを知ってからだと、寝台に膝をつき手をわきわきと蠢かせる男から更に退避しつつ娘は語尾を上げる。
「あ、あの、それではヴァルバトーゼさん?」
「なんだ。これ以上そいつを庇い立てするつもりなら、今度はお前を捕虜とする選択肢もありうると事前に伝えておくが……」
「脅さないでください! 庇う庇わない以前に、わたくしは知りたいんです!」
「何を」
 後ずさりすぎて頭を壁にぶつけてしまう。羽も擦れて少し痛んだが背を寝台に預けた胎児の姿勢よろしく珍妙な体勢のまま、天使はずばり訊ねた。
「実際のところ、あなたが旅の道中でお近付きになった女性はいらっしゃったの?」
「……い、いや。それはその……」
 くるりと。青年はかなり優位な立場にいたにも関わらず、大いに視線を逸らしてしまう。
 娘の言うお近付きとは即ち、身体で親交を図った知り合いのことなのだろう。それが何人いたのか、ではなく、いたのかいないのかの究極の二択を投げかけられ、過去は『暴君』と呼ばれた男は再び冷や汗を掻く羽目になった。
 正直に話すならいたことになる。まだこの娘と出会っていない、尻の青い小僧の時分なら火遊びもしたし、人狼の僕ほど長くもないし絆を結んでもいないが仲間として同行した女もいた。しかし意見の衝突が起こればあっさり手を切って、もしくは向こうが裏切ったり勝手に離れ、パーティは消滅。その際はさして感傷に浸ることもなく、むしろ束縛しようとする女と縁を切れて喜んでいたほど――たった三日、肌で触れ合ってもいない仲なのに、その離別に一生消えないほどの痛みを感じたのは、後にも先にも四百年前のあのときだけ。
 閑話休題。素直に話せば眼前の娘がどんな反応を示すのか悪い方向でしか予想できず、しかし下手な嘘をつけばあっさりばれて更に軽蔑されやしないか、彼女を傷付けやしないかと恐れた吸血鬼。うんうんと長らく唸っていたものの、聡い天使にはそれが何よりも明確な返答だと受け入れられた。はあと吐息をつき、本を抱きしめたままの彼女は独り言の音程でぽつり。
「……いましたのね」
「い、いや待てアルティナ! そう簡単に憶測で物事を判断するのは感心せんぞ!? だ、大体、どうして今それを答えねばならん!」
 図星を突かれながらも、彼は必死で抵抗を試みる。そこまで行くと見苦しいとさえ思われるかもしれないが、だからと言ってあっさり開き直るのも誠実な男の対応ではあるまい。
「どうしてって、これを読んでいる最中に気になったからに決まっているでしょう。……この本の中身全てが本当だと思ってはいませんけれど、どこからどこまでが本当なのかを疑うくらいの頭はあります」
 それならそれで放っておいてほしかったのだが、何故あえて今、訊ねるのかと苦い心地で男は娘を睨みつける。豊かな桃色の髪を垂れ流し、簡素な白いワイシャツと薄水色の下着に身を包んだ、手足は華奢なくせに女らしい柔和さも宿す肢体の持ち主を。
「アルティナ」
「…………」
 睨むつもりだったのに目元が緩んでしまったのは、相手がこの娘だからこそ。責めるはずの声は自分でも呆れるほど優しく低く響き、娘の拗ねた頬が朱に染まる。
 そのかんばせの赤みを見つめながら、青年はしみじみと実感させられる。多分、世の中にはもっと目を惹く造形美の女もいるのだろう。彼女よりも清らかで、自分にとって都合の良い女もいるのかもしれない。それでも今、この娘を手に入れた以上の幸せも満足感も手に入るまいと。――そうとも。四百年に及ぶ飢餓を、彼女にしか満たせない枯渇を、ほかの誰かに癒せるものか。
「アルティナ……」
「……っ!」
 こちらに最も近くて捕らえやすい、白く小さな裸の足を手中に収める。勢いよく振り払われそうになるが、先に掴んでそれを阻止する。その上で、まだもがく華奢な足首に口づけた。
「ゃっ……!」
 相変わらず細い。しかし唇から伝わるなめらかな肌触りは、太股や腕と大差ない。このまま下って足の爪先を口づけてやれば、足の指の間を舐めてやれば、娘はどんな反応を寄越すのだろう。そんな不埒な妄想を頭の中で繰り広げる男の顔は余程だらしなかったのか。こちらに注がれていた女の眼差しが、とろみだけでなく刺々しさをも含んでいく。
「変なこと、考えてらっしゃるでしょう……」
「さあな?」
 白々しく肩を竦めて、拗ねた相手に笑いかけようとした。その途中、ワイシャツの袖から伸びる下半身、ささやかなレースが縫いつけられた薄水色の光沢を放つ下着の、女にとってとみに大切なところが。
「見ないでくださいっ!」
 娘の片手に隠される。そこには舌が割って入ったこともあるのに見られる程度で恥ずかしがるとは、今更おかしな話ではないか。
 それに悪魔なる種族は大抵が天邪鬼を患っているもの。彼もご多分に漏れず好奇心をくすぐられ、足首からひかがみに手を移行させ、腿が微かに強張っていく感覚を手のひらで味わいながら身を乗り出す。長い脚の隙間に無理から割り入って脇腹を挟ませると、そのまま自分から逃れようとする娘を一気に手前へ引き寄せた。
「きゃ!?」
 そうしてずら下げられた娘の顔の近さに、自分たちの体勢を改めさせられる。率直な表現なら繋がっていない正常位。甘露に潤う唇が間近にあるのは悪くないが、これでは局部を視姦してやれなくなった。
 まあこれはこれで悪くない。やや強引な快楽によって娘の理性を溶かすのも好きだが、思い切り甘やかして彼女自身から理性を溶かす気にさせるのもまた一興。そう思考を切り替えると、青年はむっと不満げに曲がった唇をあくまで軽く啄んだ。抵抗なし。となれば勝率は思ったよりも高い。
「当時の女どもとは当時のうちに終わった。お前と出逢った以上、俺はお前を裏切らない」
「…………」
 相変わらず本を抱いたままだが、わかっています、とでも言いたげに首が横に逸らされる。わかっているなら膨れ面など作らずこちらに微笑んでほしいものだが、生憎彼女はそんな気になれるほどご機嫌麗しくない様子。ならばこちらが機嫌良く、気持ちよくしてやらねばなるまい。そう男が心に決めたところで、そっぽを向いたままの娘の唇がおずおずと動く。
「……最初は、ただ単純に昔のあなたを、……雰囲気を掴むくらいの感覚で、知りたかっただけでして」
 昔のことなど知ったところで何になる、と冷たいことを考える反面、そこまで自分に興味を持ってくれることにひっそり喜びながら、青年は黙って娘の横顔を眺める。
「狼男さんとあなたのお話を伺って以降、少し興味が湧きまして……。でもご多忙なあなたに直接伺うのも悪いでしょうし、まずはこちらの書庫から調べようとしたら……」
 書庫勤めのプリニーは彼女の来訪に大変感激し、熱心に対応してくれたらしい。冒険譚で特に『暴君』のイメージが掴みやすいものをとのリクエストに、その通りでかつ自信を持って女性受けが良いものを数冊選んでくれたとのこと。
 その女性受け要素がまさか数々の魅力的な女悪魔と『暴君』のロマンスなどとは想像もしていなかった天使は、読み進めていくに従って少しずつ表情に陰りを帯びていく羽目になったのだとか。
「ロマンスと言っても、昔のあなたは女悪魔たちの心を射止めてはやんわり振っておられましたけど。またいつかこちらに寄ったときに顔を出すとか、険しい旅をするから連れていけないとか……。あら? それってつまり……」
「脚色だろうが! そんな約束をした女などおらんわ!」
 いないとも。いないはずだ。いたとしてもとっくに関係は消滅していると、青年は過去を振り返る。うっかり忘れている可能性がないと断言できないのが辛いところだが。
「……それで。その、余計な情報以外の俺の昔話には、満足したのか」
 横向きになったまま首を寝台のほうへ傾げられる。今の体勢では少しおかしな仕草だと思うのだが、その点について彼女はあまり気にしないらしい。
「少なくとも、『暴君』は老若男女を問わず多くのものに畏れ憧れながらも孤高であるべし、と言う編者の意図はよく読み取れましたわ」
 命の恩人や阿吽の呼吸で協力した悪魔や、見目麗しく賢しき美女たちに仲間にしてほしいと頼まれても、この土地の主と君臨してほしいと請われても、気高き吸血鬼は毅然とそれを断って、新たな土地へ旅立っていくのが数多の『暴君』冒険譚の雛形らしい。
 その形式を貫くにあたっての弊害なのか、彼とその僕たる人狼の話はどんなものにも描かれていない。とある政党の党首が卑劣な罠で彼をはめようとして、逆に返り討ちに遭った逸話など見飽きるくらいによくある話だから特定できないだけかもしれないが。
 確かな『暴君』の実績を物語の形式に落とし込む際、個性を取り払われた逸話があると言うことは、逆に個性を添付された話もある。だから彼女とて理解していたのだ。いたのだが――。
「今も昔も孤高を気取っていたつもりはないがな。全く、他人事だからと好き放題に書きよって……」
 寝台が軋む音を耳にして、反射的に声のするほうに顔を向ける。その瞬間を狙ってか、目尻に冷たい唇が押し当てられた。
 まだ怒っている訳ではないけれど、不意を打たれたのが少し悔しくて、彼女はあえてからかうように言ってみる。
「でしたら、一度ご自分で書いてみてはいかがです? 『暴君』そのひとが今も数多く伝えられている逸話の真実を暴くとなれば、発売前から高い注目度を得られるでしょうし、いいお小遣い稼ぎになると思いますわよ?」
「馬鹿を言え。そんな暇があればプリニーどもの教育に割くわ」
 あっさり提案は蹴られるが、そんな予感はしていたので彼女はくすくす笑うだけ。現代のプリニーたちは本当にいい師を得たものだ。
 と緩やかに天使の機嫌は回復していく中で、そのまま優しい愛撫でも始めればいいはずの吸血鬼はちょっとしたことを閃いた。あの本を読むことで彼女が内心傷ついたとは重々理解したものの、このままやられっ放しなど彼の性に合わないのだ。
「……いや。俺が地獄に堕ちる原因くらいは世に広めておくべきだろうな」
 その一言で血の気が引くほど怖がってもいいはずの天使は、けろりとした顔で目を瞬いてから、なんともなさそうに笑う。
「ま。そうなればわたくし、魔界じゅうから白い目で見られてしまいそうですわね」
 これしきのことで娘が恐怖するとは端から期待していなかった青年もまた、この場ではあっさりと首を横に振る。
「安心しろ。天使となったお前のことは言及せんでやる」
「はい?」
「ただ、当時のお前がいかに気高く清楚で、そんなお前にどれほど俺が振り回されたか……。お前が俺の最後の獲物としてこれ以上ないほど相応しい女であると、世に知らしめてやろう」
「……へ?」
 この威風堂々たる惚気自記発行宣言は、狙い通り、抜群の効果をもたらした。
 首を真正面に向き直し、暫くぽかんと口を開け間抜け面を晒していた娘は、我に返ると困惑の色濃く眉根を寄せ、耳まで赤くして餌を求める鯉さながらに口をはくはく開閉させる。
 普段は肝が据わっている天使の娘の面白いほどの動揺っぷりを、彼が見逃すはずがない。このまま脚の付け根を摘めばどんな悲鳴が聞けるのだろうかなどと邪な考えを抱くほど、それはもうたっぷりと堪能していた。
 そのいかにも好色とからかいで満ち満ちた赤い眼差しを浴びることで、危険を察した娘の心と体の神経が繋がったようだ。赤面したままきっと男を睨みつけ、本を更に強く抱きしめながら鼓膜が破れんばかりの大声で。
「や、やややめてくださいそんなのっ!!」
 甲高い悲鳴に少しばかり眩暈を覚えたがそこは我慢の吸血鬼。隙を見せてはなるまいと、余裕たっぷりの笑いさえ作る。
「どうしてお前の指図を受けねばならん? 俺が四百年経っても血を吸わない理由について、世間に教えてやるだけではないか」
「だ、だとしても昔のわたくしのどうこうなんて必要ないでしょう!? あなたのその頑固なご意志について書けばよろしいじゃないでかっ!!」
「意志を書けとはまた難しいことを言う。それよりお前について書いたほうが有意義だろうが。……うむ、早速良さそうな出だしを思いついた」
「やっ、い、今言わないでくださいねっ!? あとその、頑固一徹っぷりについては狼男さんからのどんな妨害をどう退けたですとか……!」
「現在進行形で続いているものをまとめろと? そんな膨大な出来事をまとめるくらいなら、あのときのお前のことを書き綴り、一気に四百年空けて、再会を果たしたお前について記す二部構成にしたほうが……」
「もっと駄目です! そんな恥ずかしいものを世間に出そうとしないでくださいっっ!!」
 切実な、それはもう目尻に涙を溜めるほど切実な天使の哀願に、悪魔はにやりと、ではなく慈しみ深く宥めるような笑みを浮かべて相手の顔を覗き込む。不自然に潤む水色の瞳、鮮やかな唇を噛みしめる仕草の愛らしさときたら、肌が総て粟立つほど。
「……そんなにいやか?」
「いやに決まっています……!」
「なら、一つ頼みを聞いてくれ。そうすればこの件はなしにしてやろう」
「たの、み……?」
 彼としては自然な流れのはずだったのだが、唐突さはやはり拭えなかったようだ。僅かに戸惑ったのも束の間、娘ははっと天啓でも受けたように目を極限まで見開くと、天使と思えぬような唸りを上げた。
「そっ、それが狙いでしたのね……!!」
「さて、何のことだ?」
 とぼけてはみたものの、実のところはご指摘通り。彼女がいやがるように彼だって大義名分があろうと他者に惚気るなんて恥ずかしいし、何よりふたりだけで共有していた思い出が見知らぬ誰かに知られるなんていただけない。
 しかしこれはあくまで罠。最早彼女は網に引っかかったイワシに等しい存在なのだから、今更気付いたところで逃げ場などどこにもありはしない。そのため吸血鬼は悠々本命を口にする。
「お前への頼みと言っても、そう難しいことではない。ただそいつを……」
 くいと、顎でいまだ娘の両腕にしっかと守られている本を指す。その上のかんばせはいかにも怪訝そうに歪んでいるがこちらは一旦無視しよう。
「一章で構わん。どれでもいいから俺に読み聞かせてくれ。読み終わればあの件は二度と口にせんし、編者への鉄槌も見逃してやろう。約束する」
「……読み、聞かせ、ですか?」
 予想よりも随分と平凡だったのだろう。娘は拍子抜けしたように呟きながら、安心したのか肩から力を抜いていく。
 その通り。自分の望みはあくまで平凡なのだと澄ました顔で頷くと、娘は油断ならぬと言いたげにこちらを一瞥した。青年が見返せばすぐに視線は下がったかと思いきや次の瞬間また見返してきて、内心大いに逡巡しているらしい。
 だが結局のところ、娘は彼の頼みを聞くことにしたようだ。短く息を吐き出すと、退いてほしいと仕草で示す。
 その通りに青年が距離を開けると天使もまたゆっくり起き上がり本を開き、ざっと頁を漁り始める。それから少しして、一枚ずつめくっていた指がぴたりと止まった。
「では、その……よくあるお話ですけど……」
「ああ。なんでも構わん」
 寝台の上に一方は正座、もう一方は胡座の体勢で向かい合う珍妙な状況にも関わらず、娘は大きく息を吸い込むと一気に本に集中した面構えで朗々と読み始めた。
「……『ある日、暴君は荒れ果てた谷に辿り着いた。黒い岩場には綿花のような分厚い雪がずっしりと降り積もっていて、時折、固まりとなって谷間に落ちる。湿度を含んで重みを増し、更に高さをつけたそれが直撃すれば、上級悪魔でさえひとたまりもないだろう』……」
 改めて聞き惚れる、金の鈴の音に近しい声の美しさと、文体が案外軽薄ではないことに驚きながらも、青年は娘をじっくりと眺める。
 清々しい朝の空気を凝固させた清廉な薄青の瞳に、鮮やかで艶やかでたっぷりとした桃色の長い髪。知性と魂の高潔さが滲む整った顔立ちは、愛嬌も含んで猫のように可愛らしくも麗しい。白磁の肌を持つ四肢は細くまろく、柔らかそう――ではなく柔らかいのだ。彼女のあらゆるところに触れ、その感触を知っているのだから。
 触れた。感触。頭でそれらの単語を反すうするだけで胸が疼く。たちまち頭の中いっぱいに眼前の娘を抱いた記憶と渇望が満ち溢れ、中指がどこかに触れたがるようにすいと虚空を掻いた。下腹が、ズボンの奥が少しきつい。
 困ったものだと青年は自分の反応にしみじみ鼻から呼気を抜く。本来ならもっと彼女が集中してから動き出したかったのに、もう体も心も我慢ならないらしい。
 四百年も待てたのにどうして今はこんなに堪えられなくなってしまったのか。我がことながら疑問を抱きつつ、彼はゆっくりと寝台に乗ったまま立ち上がる。
「『だが暴君はひらりと身をかわし』……ヴァルバトーゼさん?」
「気にするな。そのまま続けろ」
 短く命ぜられ、不可解そうな顔をしていたものの天使はすぐ朗読を再開する。その調子だと彼は寝台を軋ませながら頷いて、娘の丁度背後で立ち止まった。
「『――豪快に笑った。「お見それしました。あなたのようなお方様は初めてでございます」』……あの」
「いいから」
 後ろに立たれて落ち着かないのか、ちらと背後を振り返る娘にやはり朗読を続けるよう語尾を強め、青年はゆっくりと腰を下ろす。下ろすついでに。
「ぁ……!」
 ワイシャツの中で張り詰めていた、あのたっぷりと重くて肌に吸いつくような感触を持つ女の果実に十指を埋めた。なめらかでしなやかな皮膚で覆われた水風船に似た物体は、男の体のどこにもないほど柔らかくて、だからこそいつでも酷く新鮮で、なによりとても気持ちがいい。
 しかし堪能できるのも瞬きの間。娘は半身を捩ると、きっと眉を怒らせてこちらを睨みつけてきた。
「邪魔しないでください、ヴァルバトーゼさんっ!」
「していない。さあ、続きはどうした?」
 彼もこう来る予感はしていたので、振り返られるより先に乳房からぱっと指を離して先を促す。不満げな唸りが細い喉から漏れたものの、彼女は渋々向き直り、朗読を再開する。
「『暴君は、先の出来事を思い出しながら尋ねた。』あ……っんん!」
 朗読が再開されれば、こちらもまた胸に手を添えて。改めて感触と淫らが滴る声を楽しもうとゆっくり揉みし抱けば、またも娘は酷い剣幕で振り返った。
「ヴァルバトーゼさんっっ!」
「どうした。何かあったか、アルティナ?」
 けれどやはり青年は速やかに指を離してしらを切る。恨みがましく睨みつけられても動じる素振りさえ見せず、それどころか微笑を浮かべる余裕を持って、彼は天使にその立場を改めさせた。
「いいから早く読め。止めると言うなら自伝の件は復活させる。その編者の命と金も危なくなる。それでも構わんのか?」
「……そう言うことですの」
 何のことだと目を見開く吸血鬼に、天使は頬をほんの少し鮮やかにした苦い顔で大きくため息を吐き出した。どう言う意図の仕草なのかあえて問うまい。
 ともかく娘はまた首をもとの位置に戻し、人差し指で挟んでいた本を開き直す。続行する意思があってなによりだと、青年は密かに喜んだ。
「……で、『「では、お前は俺を試したと、でも言うのか」「左様左様。不敬であると仰られ……』ん、くぅう……」
「そうだ。そのまま……」
 悩ましい声を堪能しながら、丸い耳元に囁いてやる。その際、舌が耳に軽く接触したのは、当然意識してのこと。
 指も掴むだけでは当然済まない。片側は揉み、片側は切っ先を親指と人差し指で挟んで弾力を持つよう誘導してやって、己と娘との欲望を高めてやる。臍下が更にきつくなった。次はここだと、娘の腰の辺りにその硬くなったのを擦りつける。
「『仰られるの、でしたら、……ど』っ、はく……」
 しかしこの位置では腰を擦りつけようにも半端に遠い。もっと近くでせねばと柳腰を掴み自分の腰に娘の尻が重なるよう引き寄せたところで、相手の上半身がまたしても捩れる。
「ん……?」
 三度目の正直でついに張り手か涙で滲んだ睥睨か。それとも別の抗議の手段を取られるのかと、女の身体にべったり触れながら心なし身構えた吸血鬼に、天使は。
「……『どうぞ、あたしの身をあなたのお好きになさってくださいませ」』」
 潤んだ流し目で、少しいじけ気味の視線で、しかしそれ以上に嬌態をたっぷり含んだ眼差しで、そんなことを言ってのける。
「…………」
 理解している。娘の手にはまだあの本がしっかりとある。自棄なのか茶目っ気なのかまではわからないし、偶然か、もしかすると当てつけの可能性だって残されている。
 なのに恐ろしいほどの破壊力に満ちた声が、姿が、熱っぽい視線がたまらなくて、彼はワイシャツのボタンを剥ぐように外し、荒々しい勢いを衰えさせることなくきのままの娘の肢体をまさぐっていく。
「ぁあっ……はっ、『「別に、お前の首など、いらん」』んんぅ!」
 胸板で羽を軽く潰すついでに下着の隙間に冷たい手が潜り込み、しとどにそこを濡らしていこうとするけれど、彼女は朗読を止めようとしない。
 そうだ。そうとも。その調子。主旨を理解できる相手で、飲み込みの早い娘で実にありがたい――獰猛な笑みを浮かべながら、男はひたすら恋人の身体に指を這わす。
「んくっ、……あ、か、『からからと、ろ、老人は、笑い、ながら』ぁ、ぁっ、あぁぁあ……っ!」
 なんていやらしい声なのか。このまま行けば自分は我慢できなくなる。
 そのときはこのまま後ろから貫いてやろう。そうしてあくまで読ませたまま繋がって、読んでいるときのみ掻き乱し打ち突け流し込んで。そのとき話が終わっているならそれでよし。終わっていないならまた続けさせよう。休みたいと言うのなら、読むのを交代してやっても構わない。ただし娘には口でよくしてもらう。
 今後の期待に腰がぞっと震えて、青年はベルトに手をかける。続いて熱く蕩けた肉から指を引き抜いて、蜜に濡れた指先で娘の下着をずら下げた。
 その光景に熱に肌に伝わる粘液に、吸血鬼は生唾を呑み込んで、期待に昂ぶる我が身を落ち着かせようと――これからの刺激に集中しようと――、瞼を伏せる。その上で、腰を動かして。
 ああ、繋がるまであともう少し。






後書き
 閣下、昔の虚実入り混じったやんちゃをアルティナちゃんに知られるの巻き。何気に結構ハマりたての頃から考えてたネタでした。
 おけつ開発についての姿勢とか「次読んでやってもいいけどそんなときゃしゃぶらせるわー」発言からなんとなく予想できると思われますが、実は本番メインで書こうとしてああこりゃ前戯オンリーでいけるなと思ったのでそのように致しました。本番は書いたら糞長くなりそうなのできっと書かない。

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専用爪磨き

2012/07/12

 強く打ちつけたような記憶はないはずだが、時間の経過とともに痛みを伴い腫れ上がっていく手の甲を目にすれば、さすがに放置しておけない。
 議題を力ずくで可決させ、さて屋敷に戻るかと思ったところでそんな自らの異常事態に気付いた吸血鬼は、長らくの僕にこれを見せると飛び上がられ、やはり治療が必要らしいと実感。しかし連れ立った仲間は全員回復魔法の心得がないものだから、仕方なく。そう、本当に仕方なく、彼だけ保嫌所を訪ねることになった。
 屋敷に戻れば回復魔法を使える誰かと遭遇できただろうが、そこまで時間を切り詰めるほど仕事は差し迫っていないし、むしろ彼が議会にわざわざ赴いたのは余裕がある、どころか暇の裏返し。だから保嫌所に寄る余裕も当然あった。何より出血箇所を塞げばどうにかなる切り傷擦り傷以外、回復魔法の効果は薄い。故に保嫌所で適切な処置を受けるのは、最も無難な判断となる。
 だと言うのに、黒い外套を身に着けた黒髪痩躯の吸血鬼、魔界で最も著名な気高きプリニー教育係であり魔界を支配する『新党・地獄』党首でもある青年悪魔は、奇妙な後ろ暗さを伴って保嫌所に到着してしまった。更に従業員在中の看板を確認した際、仲間たちの冷ややかなりからかい混じりの眼差しを脳裏に蘇らせてしまうが、頭を振ってそれを振り払う。
 そうとも何も問題はない。ここに来たのはただの怪我の治療を受けるためだと、浮き足立った道中の記憶を封じて扉をノック。本人としてはさりげなく、ゆっくりノブを回した。
 しかし喜びたまえ吸血鬼。杭穿つ胸に秘められていた期待は叶えられ、慎重に開けた扉の向こうには四百年前から彼の心を捕らえて離さない可憐な小鳥。天使と称するに相応しき気高く慈悲深き魂の持ち主にして、天使と形容するに相応しい清楚で可憐な容姿の、現に人間から天使へと転生した娘が在室していたのだから。
 だが素っ気ない事務机の向かいには地獄保嫌所所長兼最古参従業員である僧侶もいて、ここでは一番下っ端である天使になにやらさせていた模様。召使いのように軽く俯いてた三つ編みの娘がなんらかの動作を終えると、金髪麗しい女悪魔は己の指の付け根から爪先までゆっくり触れ、有閑マダムの貫禄を滲ませ頷いた。
「……ふむ、なかなか良かったわ」
「あら、本当ですか?」
「こんなところで嘘はつきません。パッフィングも粗が目立たないし見事なものね。これで甘皮の処理が出来ないなんて、ちょっと残念なくらい」
「さすがにあれは趣味で買えるものではありませんし……」
「ん~、けど投資の価値はありそうよねえ。なんなら次のお給料はマシンの現物支給で……」
「マチルダさんったら。さすがにそれはあんまりです」
「おい、患者だぞ」
 いつまで経ってもこちらに気付きもしない従業員たちに、ついぞ痺れを切らして一声かける。直後、あらと声を漏らした二人のうち、天使がはにかみながら立ち上がった。
「申し訳ありません……。その、今日はどうされましたの?」
「三十分は経っていないと思うのだが、いつの間にか手が腫れてな……」
 白手袋に包まれてもわかる膨れ上がった手の甲をかざすと、悪魔には滅多にない薄青い目が見開かれる。
 痛ましげな表情でこちらに駆け寄ってくる天使の献身ぶりに男の胸が切なく高鳴るも、その向こうの所長ときたら暢気なもので、己の指を撫でたままぴくりとも動こうとしない。天使が先んじて患者を診るなら彼女は何もやることがないのは事実だが、それにしたってこのくつろぎようは見ていて少々不愉快なほど。
「どなたかと思えば党首殿? わざわざいらっしゃるだなんて、そちら案外お暇なようね」
「お前ほどではないがな。……一体、こいつに何をさせていた」
 誘導されて患者用の椅子に腰を預ければ、従業員用の椅子からぴくりとも動こうとしない僧侶は、やけに艶を放つ手を彼のほうへ振った。
「大したことではありません。あんまりにも暇だから、彼女に爪のお手入れをしてもらっただけ」
「爪……?」
 鸚鵡返しに訊ねれば、娘の遠慮がちな視線と声のワンクッションで白手袋が脱がされる。予想通り青白いはずの手の甲が不自然なくらい赤く腫れ上がっていた。どこかで強く打ちつけたのか。
「少し触りますから……痛いときは仰ってくださいね」
 一声かけてからためつすがめつ視診して、軽く触診も済ませた天使は、治療道具一式が乗ったワゴンを手前へと引き寄せる。
「打ち身ですわね。捻挫の可能性もありますので念のためそちらの処理も施します」
「アルティナさん、促進剤なくなったらそっちの二番目の引き出しね」
「はい。……湿布は一番下でよろしかったですか?」
「あら、そっちも少なくなってた?」
「いえ。けれど半端な量ですので、もういっそこちらも補充すべきだと思いまして……」
 淡々と眼前で交わされるやり取りはなかなか真っ当な連帯感を漂わせ、青年は密かに胸をなで下ろす。
 いくら党に馴染んでいようとも、この天使が悪魔の職場で単身働くと告げられたときは孤立しないかと随分気を揉んだものだ。働く先が顔を出しやすい保嫌所であるため結果的にこちらが折れたが、実際にこうやってほかの従業員とのやり取りを目にすると安心の度合いが違う。
 しかしそれにしたってあの光景はなんなのか。さっきは安心してしまったが、もしこの二人の間の親しさが女主人と信頼の厚い侍女のそれならば、先輩後輩や師弟関係の域から大幅に逸している。この天使の身柄を預かる組織の責任者として、さすがにそんな過ちは放置しておけない。
「……手入れとは」
 早速遠巻きに探りを入れるべくぽつりと呟けば、薬を患部に塗っていた天使が小さく肩を竦ませた。
「そのままです。爪をやすりで削って、表面を磨いて、ささくれの処理やマッサージをしますの」
「丁度暇だったから道具を一式持ってきてもらってね」
「……そうか」
 双方からの説明ではどちらが率先したのかまではわからないが、率直に訊ねるのは呆れられる可能性がある。
 もしかすると女同士ならあれは真っ当な付き合いの範疇かもしれないし、もう一度チャンスが巡ってくるまで深追いすまいと己を制した青年は、不安を堪えて外界の光景に意識を切り替えた。
 けれどやはり。娘のなよやかな手が動く様子を眺めても、その都度手に淡い刺激を受けても、今の彼は嬉しいともくすぐったいとも思えなかった。普段なら、たかが治療のためとは言え緩みそうになる頬を精一杯引き締めるくらいなのに。
 そんな患者の胸中を察したのか。はては単純にこの地獄の最高権力者に媚び入るつもりか。盲目のはずの僧侶が、無言の吸血鬼に笑みを含んで誘惑する。
「腕前については私が保証しますし……お代は安くしておきますから、一度党首殿もやっていただいては?」
「な……っ」
 不意を打たれた青年は少々動揺するも、相手の笑顔に嘲りめいたものを感じ取り、けんもほろろに一蹴した。
「……俺はここに治療をしてもらいに訪れた。従業員の善意にかこつけてサービス料を上乗せしようとする悪徳保嫌所の手口には乗らん」
「あら心外」
 わざとらしく眉根を寄せた悪徳保嫌所所長殿は、なのに不当な評価に反論する気は湧かないのか。時計の文字盤を触れてからよっこいしょと立ち上がると、軽く背伸びをしつつ二人の側を横切っていく。何か取りに向かうのか、それとも不浄に行くのか。いやしかしそちらは――
「じゃあもうそろそろ行ってくるから、お留守番お願いね」
「はい。お気をつけて」
 見送りの言葉を聞き取ったか曖昧なところで扉が閉まる。そう。手持ち無沙汰だったとは言え、患者を残して従業員が勤務時間中に職場を離れたのだ。
 残された患者は唖然と口を開けたまま、テーピング中の見習い従業員へあれはいいのかと視線で問う。天使は慣れたもので、にっこり笑う余裕さえ持って説明してくれた。
「今日は別の地区の保嫌所の方々と勉強会があるんです。長く経っても二時間ほどですので、わたくし一人でも問題ありませんの」
「勉強会……?」
 本来なら殺風景な会議室でノートと鉛筆を持って講師の話を聞く各地区保嫌所の面々が連想されるはずなのに、今の青年の脳裏にはあの僧侶がほかの女悪魔たちと優雅に茶話会に興じている光景しか思い浮かばなかった。いやしかしこちらの勝手な想像で株を下げるなどさすがに失礼だろうと辛うじて良識ある判断を取り戻した彼は、それでも一応訊ねてみる。
「……アルティナ。前回その勉強会とやらが終わったあと、あの女が茶や菓子の匂いをさせていたりは」
「ありませんわよ? どちらかと言うと胡麻油や葱油の香ばしい……」
「似たようなものだろうが!!」
 つまり実質茶話会だと天使も理解しているようだ。その上で留守番を任されて平気な顔をしているのだから、彼女のお人好しっぷりには心底参る。ついで青年は彼女がこれ以上いいように使いわれていないか猛烈な不安に駆られてしまい、苦い顔でぼやいた。
「自分が働いている最中に堂々とさぼる上司に不満はないのか。あるなら、人事異動も考えるが……」
 考えるどころか、彼女が言葉を濁す程度でも即座に事務所に舞い戻り、そのための議会を開催させるつもりだ。だが現実の娘は微笑んだままおっとり首を横に振る。
「わたくしは今の環境に不満はありませんから、そんなことしていただかなくても結構ですわ。……さて」
 湿布を貼り終え、片付けも済んだ。あとはこのまま十分待機となったところで天使が棚の一角へ歩きだす。請求書でも取り出すのかと思いきや、彼女が開いた棚には茶器が覗いた。
 どう言うことかと目を点にする吸血鬼に、娘はなんともなさそうに彼のほうへと振り返り。
「わたくしたちもお茶にしましょうか」
 も、ときっぱり言い放たれ、青年、大いに脱力させられる。
 確かに上司がさぼっているなら部下もさぼっても咎められる謂われはなかろうが、それにしたってこの態度はいかがなものか。
「……おい。留守番はいいのか」
「看板は変えていませんし、ほかの患者さんが来たら即座に対応しますからご心配なく。……ジャスミン茶になりますがよろしいですか? 前の勉強会でマチルダさんからいただいたお土産ですけど」
 しかも土産物とは。餌付けされているぞと指摘したくなったが、ここまで堂々とされるとこちらが気にしているのも馬鹿馬鹿しくて、吸血鬼は投げやりに頷いた。
「構わんが……いいのかそれで」
「ええ、マチルダさんもわたくしの性格を理解しておられますから……きっとわたくしたちが遠慮なく休憩できるように気を遣ってくださったのでしょう」
「そうなのか……?」
 備えつけの小さなシンクで、馴染みのない茶を淹れる娘の手際はいつもの通り。高所から湯を注いだ独特の、こぽこぽと転がるような水音が響くと同時にむせるような花の香りがこちらまで漂ってきて、彼は軽く眉をしかめた。あの僧侶が本当に彼女を気遣ったのかどうか訝っている部分もあるが。
 結局、吸血鬼は天使の娘に傷の手当を受けるだけでなく、ショートブレッドを茶請けにした支那茶の小休憩にも相伴することとなったのだが、単純に喜べないのは何故なのか。
 しかし予想外にも脂気の強いショートブレッド――実際にはタオスーだかトオスーだか言う支那のナッツ入りクッキーらしい――は、重厚感たっぷりな香りの割にほろ苦くさっぱりとした後味の茶と相性抜群。菓子のお陰か空気は理想的な具合に和み、何より彼女とふたりきりで、ささやかな安らぎの時間を共有できる悦びに、青年の機嫌はすぐさま上昇した。
 そうして飲み残し以外の茶器が下げられ、湿布を剥がす頃が来たかと少々未練がましいながらも帰る気になったのに。戻ってきた天使がその手に小振りな道具箱を携えていたものだから、薄ら寒い予感を覚えさせられた。
「……なんだ。もしや、さっきの怪我に何か問題でもあったのか?」
「いいえ。この際ついでですから、あなたにもこちらはどうかと」
 ぱちん、と音を立て道具箱の留め金が開かれる。その中には手術用の針だの鉗子だの――ではなく何本もの爪やすりや爪鋏や刷毛、女性的な線を持つ細長い蓋の瓶がいくつも立ち並んでおり、救急箱には決して見えない。どころかこの用途の偏り具合は、つまり。
「……お前までそれを勧める気か」
「あら、いけませんの?」
 子猫のような愛嬌たっぷりの上目遣いで覗き込まれ、青年はぐむと息を呑む。そんなふうに視線を送られて毅然と断れるほど彼は彼女に厳しくなれない。
「普段手袋をなさっているからあまり気になさらないのでしょうけど、甘皮や縦筋が目立っていますもの。それに随分爪が伸びていますし……これでは書き物中も爪が食い込みません?」
「そう思ったら切るようにしている。……まあ最近切っていないことは事実だが」
 湿布を剥がす流れで爪先や付け根をさりげなくも絶妙な感覚で触れられて、吸血鬼は今度こそ緩みそうになる口元を必死で引き締める。そんな愛撫はできればふたりしっぽり濡れた褥の翌朝、微睡みながらの挨拶代わりにやってほしいがそんな仲になってもいない現状ならば生殺し。どころか現状の、人気のない保嫌所の中では拷問と表しても差し支えない。
 娘は男の異変に気付かぬまま、では、と小さく顎を引く。と同時に筋張った手に彼女の指がきゅっと絡まって、いやな予感が項を撫でた。
「わたくしがお手入れさせていただきますわ。お代は……そうですわね、ご不満があるようでしたらいただきませんから、安心なさってください」
「い、いや、しかしだなアルティナ……」
「なるべく手早く、丁寧に済ませます。……いえ、もうこれではわたくしの無理強いですから、あなたは練習に付き合っていただいたと言うことでお金は取りませんわ。……それでも、やはりいけませんの?」
「………………」
 それまでのやや強引なマイペースを貫いておればまだ小憎たらしい程度で済んだのに、彼の態度をどう捉えたか娘はこちらの機嫌を伺うよう、眉を歪めて弱気の虫をちらつかせる。おまけにとどめとばかりに小首を傾げられ、吸血鬼は深く重い息を吐き出した。
「……降参だ。お前の好きにしろ」
「降参って……。もう、大袈裟なこと仰らないで」
 失笑を聞き流し、湿布を張っていなかったほうの手をずいと突き出す。勿論、右手は腫れも痛みも消えている。それどころか、触れてくる彼女の指を意識して左手のほうがぎこちないくらい。
 預けられた天使はグローブを脱ぎ、血圧測定用の台の上に彼の手首を一旦置くとてきぱきと準備を始める。アルコールで湿らせた脱脂綿で患者の手をざっと清めてから、目の粗い爪やすりを青白い小指の爪にぴたり当て。
「そうそう、長さや爪先のかたちのご注文はあります?」
「具体的にはないが、まあ、なるたけ短く。……と言うか、かたちとは何だ」
「丸くするか四角くするかですわね。それとも、このまま尖らせます?」
 別にそんなもの好きにすればいいと答えるつもりが、ふと女の爪が視界に入ってしまう。それは実にこざっぱりとして彼の琴線に触れたものだから、つい。
「……丸く」
「はい」
 注文が受理されやすりが動き出した瞬間、我に返る。それではまるで自分が娘の爪のかたちを真似たようではないかと。
 しかし四角くする利点はよくわからないし、尖らせるのはいくら随時手袋をしていても爪先が手の甲に食い込みかねない。だから自然な丸みを帯びているのが最も無難。そう、丁度今の娘の爪のかたちくらいが適切なのだと己に言い聞かせる。爪でさえ綺麗なものだと感心した訳ではない。いや、だからと言って彼女の爪が不細工だなんて決して思わないけれど。
 ともかく予想外に勢いよく動くやすりから伝わる振動と、誰かに生まれて初めて爪を削ってもらうことに新鮮味を感じながら、青年は眼下の光景を暫し見届けることにした。つもりだったのだが。
「……アルティナ」
「はい?」
 爪やすりが角度を変える様子を視界の隅で受け入れつつ、彼は少々複雑な気持ちを抱く。天使ときたら、彼の予想を遥かに越えてこの作業に熱心だったのだ。
「……他人の爪を磨くときはいつもそんな体勢なのか」
「は?」
 僧侶の爪の手入れをしていたときそのままの深度で、彼もまた彼女に頭を下げられてしまう。お陰であれが邪推だと間接的に知らされたのはいいのだが、ここまで集中させてしまうのは悪い気がして、吸血鬼は安心したそばからまた新たな不安を抱いてしまった。
「もっとこう、爪から距離を取って磨けんのか? それでは腰だの目だのを悪くするだろうが」
「三十分程度で終わりますもの、ご心配には及びませんわ。けれど、わたくしの髪が鬱陶しいようでしたら遠慮なく仰ってくださいね」
「それは問題ないが……だとするとだな、今日は通算一時間はそんな姿勢でいた訳だろうが。手をもっと掲げてほしいなら……」
「結構です」
 軽く左手を彼女の顔に近付けようとすると、支えていた側の手で逆に止められる。俯いているため顔は見えないが、声は少々厳しい。
「わたくしはこちらのほうが慣れていますから、あなたはそのままでいてください」
「…………わかった」
 ずばり命ぜられ一旦引き下がったものの、やはりこの娘に頭を下げられるのはどうにも落ち着かず、深いため息が自然と漏れる。
 それをどう受け取めたものやら。中指の爪を削っていたやすりが止まり、天使がそっと頭を上げた。その眉は、いつもと違って申し訳なさそうに歪んでいる。
「……やっぱり、おいやでした?」
「は?」
「爪のお手入れ、今からでも止めます?」
「なっっ……! だ、誰もそんなこと、望んでいなかろうがっ」
 唐突な問いかけは衝撃的ではあったが、呆然とする余裕を吹き飛ばすほどだったのは不幸中の幸い。必死に首を横に降ると、ですけれど、とますます表情の陰りを濃くされてしまう。
「最初から乗り気ではなかったようですし……。あなたはご自分で気付いていらっしゃるかわかりませんけれど、潔癖なところがおありですから。爪の手入れに関しては、なるべく他人に任せたくないと仰るのでしたら……」
「い、いや、別にそう言う訳では……」
 僧侶に誘われたときは勝手に誤解していたからで、彼女に誘われたときだってそれを引きずっていたからで。しかし一方的な誤解が解けた今、それをわざわざ説明するのはいくらなんでも恥ずかしい。故に渋った理由を急遽作り上げる羽目になった吸血鬼は、しどろもどろ舌を動かす。
「ただ、爪の手入れと言ってもな……俺は男で、しかも常に手袋をはめている故、他者に素手を見せることもそう滅多にない。手入れなどわざわざ他者にさせる必要はなかろうと思い、気が乗らなかったまで」
 思ったより難なく建前を口に出せたのは、彼自身、最初に爪の手入れの話を聞いたときから薄々そんなことを考えていたのだろう。
 発言の裏に稚拙な見栄と杞憂があったと知らない天使の娘は、そうだったのですかと微かに肩の強張りを和らげた。自然に爪やすりも彼の人差し指に寄りかかり、それぞれの手が再開の姿勢を取る。その際、ぽつりと到って気軽な反論が。
「……けれど、わたくしは好きですわよ。指先のきれいな殿方」
「はっ?」
 反射的に顔を上げた吸血鬼に、いかな娘も恥ずかしくなったのか。なめらかな線を描く頬が、ほんのりと赤く色づいた。
「ふ、不潔よりはいいでしょう? ほかはこざっぱりしていても、爪に汚れがたまっていたり、ささくれを放置しておられるような方は……あまり……」
「あ、ああ……成る程な……」
 そう説明されれば納得できるが、しかしあんな物言いは心臓に悪い。内心そんなことをぼやいた彼は、彼女の先の発言に引っ張られるようにしてふとした疑問を抱いてしまう。
「なら、お前はどうなのだ?」
「はい?」
「何故お前はああも俺の爪に執着した? 俺が一応執務中なのはお前もわかっているだろう。今日はそう忙しくもないからお前の誘いを受けたが……」
 言いかけて、吸血鬼の舌の動きが唐突に鈍る。眼前の娘のかんばせが、急に彼女の髪と大差ないくらい真っ赤に染まっていく様子を目にしてしまって。
「い、いえ、いえいえいえ違うんですっ! わたくしがさっき申し上げたのは、ですから、そう言う意味の好きではなくてっ!! そのっ……さっきの説明以外に全く他意はなくてですねっ!」
 つまり、よもや。そう言うこと、なのか。
 手入れを怠っている彼の爪を目にして、彼女にとってより好ましい異性に仕立て上げようと考えたのか。いや、爪以外も清潔がいいし、更に言うならこざっぱりとした印象を持つ程度の男にすぐに惹かれるほど彼女は気が多くなかろうが。そうとも、決してそんな――そんな。
「た……確かにあれだな! いくら普段他者の目につかぬとは言え、伸ばしっぱなしはいかんな!!」
「は、ははははいっ、そ、そうですわよね……っ!!」
 自分が好きだなんて。もっと好きになりたいだなんて。
 いくら誰にでも優しい娘が相手であろうと、そこまでの自惚れは見苦しい。そう己に強く言い聞かせ空笑いで場の空気を入れ替えようとするも、居心地は変わらず悪い。相手の顔もろくに見れやしない。
 乾いた男の笑いが響き渡る保嫌所は、普段ならこぢんまりした、地獄特有の貧乏臭い建物のはずなのに、今のふたりにとってはふたり以外の無人を強調するくらい広いような、それでいてふたりがどうしていようと相手の存在を無視できないくらい狭いような。
 ともかくふたりきりなのだと自覚させられ居心地が悪くなった青年は、対面する天使が道具箱に手を突っ込む音でついぞ笑いを途切れさせた。また別の種類のやすりで爪を磨くようだ。ちなみに娘は俯いたまま顔をこちらに上げようともしない。丸い耳は赤いままだし、そのくらい見過ごしてやるべきだろう。
 こちらも顔が赤い自覚があるし、ほとぼりが冷めるまで気分転換を試みようと、青年はざっと周囲を見回す。
 しかし別段目新しいものはない。目に入るものはどれもこれも時代の変化についていく必要のない簡素な代物ばかり。よく言えば無駄がなく、悪く言えば質素なこの施設は、彼が一介のプリニー教育係として利用していた頃からさして変わっていなかった。
 少なくとも今、彼の目に入る範囲内での新参ものがあるとするならば――それはきっと眼前の娘。初めて彼女とまみえたのは四百年前だから、同時にこの中では最も馴染み深い存在とも表現できる。
 矛盾している自覚はある。けれど心は二つの理屈に忠実で、この桃色の豊かな髪と薄青い瞳を持つ娘の姿を目にすれば、吸血鬼の胸は奇妙な感慨に満ち満ちる。
 いつ見ても新鮮で、いつ見ても確かめるような心地になれた。発見があるのにやはりと納得できる部分もあって、落ち着かないのに安らげて。もっと目にしていたい、もっと知りたい、もっと求めたいと思うのに、見つめるのが恥ずかしくて知るのが恐ろしくて欲望を示すことに躊躇する。
 今まで生きてきた中で、初めて抱いた他者への感覚。一言で言い表せない切なる狂気に、彼は常に翻弄させられる。
 そうとも、これは狂気。頭の中が彼女の姿で埋め尽くされ、できうる限りこうしていたいとも思うのはきっと狂っているからだ。彼女に見つめられて、名を呼ばれて、触れられて。その悦びに勝るものなど何もないと思うことも、きっと自分が彼女に出会ったことで少々狂ってしまったからこそ。
 だからこれは本来自制すべきことだろうが、けれどごく偶にしかこうならないのだから少しくらいいい気もする。そうとも、できれば娘に見つめてほしい。自分が言えた義理ではないが、そんなにおずおずと、こちらを伺わないでほしい。真っ直ぐに、いつか約束を交わしたときのように笑顔さえ浮かべてほしい。そうして名を呼んでほしい。あの優しく弾む鈴の音めいた、初夏の夜風のように甘い声で。
「……あの。ヴァルバトーゼさん」
「ど、どうした?」
 願いが叶ったはずなのに悪戯を見咎められた小僧の気分で応じれば、控えめながらもあの薄青い瞳に見上げられる。もともとつり目がちではあるが、眉までもが少しつり上がり気味なのはどうしてか。
「そんな、……ひとの顔ばかり見ようとしないでください。気になって集中できません」
「……それは、すまん」
 納得できる頼まれごとに青年は浅く俯きつつも、できればもっと眺めていたいとまた新たなやすりを取り出した相手に視線で請う。理由が理由だけにはっきり断るのも難しいが。
 と、やすりで爪の表面を磨かれて、その感触のなめらかさに思わずそちらに意識が走った。
「……今までと比べると随分柔らかいな」
 ぎこちない空気をなんとか入れ替える狙いも含めてやすりの感触を口にすると、天使はぺろんと波打つそいつをかざす。
「ええ。仕上げ用ですから、一番目が細かいものになりますわね」
「ほう」
 そもそも爪やすりに種類があることさえ知らなかったため、感嘆の声は本気で感心していながら、酷く投げやりでもある。もとより彼にとって爪など興味の範疇外。必要最低限の手入れ以外は見向きもしないものだったが、今ではゆるゆるとその価値観が変化しつつある。眼前の、天使の娘の丁寧な仕事のお陰で。
「いつからこんなことを気にするようになった? やはり天使になって以降か?」
「ええ、ピッキングや銃器の使用の際には、長い爪だと感覚がおかしくなってしまいますの。大きな失敗はありませんけれど、一度ひやりとさせられたことがありましたし、点検や清掃にしたって爪が長すぎると……」
「ああ、わかったわかった。お前にとって爪の手入れが大切なのはよくわかったからもういい」
「…………申し訳ありませんでしたわね。可愛げのない女で」
「別にそんな話はしていなかろうが」
 親指まで研磨し終えたようだ。天使はやすりを事務机に置くと、今度は刷毛を取り出して手に残る粉を払った。幸い、先の会話を引きずった素振りはない。本気で拗ねていなかったらしい。
「長さはこんなもので構いませんの?」
「ああ」
 一瞥してから頷くと、それは良かったですわと微笑まれる。
 節々の微調整を済ませ、更にささくれを専用の小さな鋏で切られてから手を離され、次は右手かと相好を変えようとしたところで不意に、白い液体を左手に塗られた。
「……ん?」
「気になさらないで。ただの乳液ですから」
 言いつつ娘は彼の左手を手首まで両手で囲って、手のひらや甲、指の根本にまで乳液をしっかりと、丹念に、心を込める意気込みで刷り込んでいく。その動きは無闇に優しく、酷く悩ましい。
「そ、……そうか」
 女の温かくなめらかな十指が自分の手をねっとりと這う、予想外で場違いなほどの感覚に、青年の膝が軋みかける。肌に染み込ませるのが狙いだとわかっているが、それにしたって熱を入れすぎてはいないか。
「……はい。では今度は右手を出してください」
「あ……ああ」
 しかし幸いにして天使はあっさり手を離し、再び目の粗い爪やすりを取り出した。己の異変を悟られなかった青年は、大いに安堵しながら右手を渡す。
 左手と違い、右は手首も五指も余計な力は抜けており、こちら最初から世話を受ける姿勢を取ったからか。早速爪を削られたので、こちら気になっていた左手の出来を確かめる。
 爪がそれぞれ均一に短く揃えられているのは感心しつつも当然として、縦筋でさえきれいに研磨された彼の指先は、黒真珠に似た光沢を静かに放っていた。つるりと輝く親指の爪を人差し指で撫でてみれば、予想通り磨かれた玉のような肌触りが気持ちいい――のが逆に気持ち悪い。男の爪が女の爪のように艶やかだなんて、彼にとっては違和感が強い。
「……やっぱり、お気に召しませんでした?」
 こちらの表情を覗き見ていたらしく、天使に控えめな苦笑を浮かべられる。本人としては覚悟の上かもしれないが、あっさり肯定する気にはなれず慎重に言葉を選ぶ。
「そこまでは思っていない。だがその……、こんな手入れは女がすることだと実感しただけだ」
「あら。残念」
 何が残念なものか。舌を動かさぬまま呟いて、筋張った男の手をそっと支える白い手を見やる。
 美しい手だ。柔らかくて繊細で、肌触りは玉のように絹のように滑らかで、けれどほのかに温かく。細いなりに張りを宿し、すらりと伸びた五指の動くさまは蝶のつがいの舞いを連想させる。
 手の動きを見ているだけなのに、まなじりや首筋辺りの力が抜けていく。この時間に染み入るような、とろり濁った微睡みを覚えかねない。
 意識を少し上にやれば、爪磨きに取りかかる娘の頭とご対面。顔が見えないのは残念だが、両手それぞれの細やかな動きに彼女の気遣いが伝わってくる。ああそれに何より、彼女と自然に触れ合えている現状が心地良くて、自然体でありながら嬉しくて。胸に迫る感慨に、目つきどころか口元までだらしなく緩んでしまいそう。
 このままの勢いを越え、その手を取って口づけて時間も人目もはばかることなく甘えたい。深紅の杭のうちから沸き上がる欲求に、しかし彼は沈黙をもって堪え忍ぶ。
 何も自分から一波乱起こさずとも、大人しくしておればこの甘いひとときをたっぷり堪能できる。そんなふうに冷静よろしく臆病な判断を下すも、すぐ視界の隅に天使の娘が仕上げ用のやすりを取り出したのが映り込み、男の唇から小さなため息が漏れた。慣れたと思ったらこうだなんて、時間の流れとはかくも不条理で不公平だ。
「どうかされました?」
「いいや、何もない」
 もうすぐ終わるのかと思うと寂しくなった、なんて正直に告白する勇気はないし、告白された相手もどう反応すべきか困るだろうからぶっきらぼうに告げると、天使はやすりの動きを止める。
「……あのですね、ヴァルバトーゼさん」
「ん?」
「もう少し、お時間はおありですか?」
 それは、一体どう言う意味なのか。
 顔じゅうの筋肉を引き締めて時計を確認する。自覚はなかったが保嫌所を訪れておおよそ一時間は経過したらしい。だがそれがどうした。ここは閑古鳥が鳴いているし、わざわざ誰かが自分を連れ戻しに来る気配もないなら恐らくあちらも同じだろう。きっとそうに違いない。
「ああ。また新しく茶を淹れるのか?」
 全神経を導引し自然体を装いつつ、手元にまだ残していた茶で乾いた喉を潤す。予想外に渋くてむせかけた。
 視点を上げればそうではありません、と控えめな笑みを浮かべられ、なら何が、と疑問系の眼差しを送ると天使は少し言いづらそうに鋏を手に取った。
「その、……さっきからやりたいことがありましてね。こちらもお金は取りませんわ。ちょっとしたサービスと思っていただければ結構です」
「……まあよかろう。お前の好きにするといい」
「ありがとうございます。それではもう少しあとで致しますわね」
 穏やかに頷いた天使はいつの間にかささくれを除去し終わったらしい。あの乳液を手の甲に数滴落とされ、吸血鬼は慌てて身構える。途端、右手を飴でも捏ねるよう揉まれ、以後彼は悲鳴を噛み殺すことに専念した。
 手で入念に揉まれるだけで声を漏らしそうになるなんてと、ひっそりと己の異常事態に目を回す青年の異変に天使は気付かぬままで、それはいいのか悪いのか。実は彼女だって余裕がなかったのだ。この簡単なマッサージが終わったあと、客観的に手順を考えればそうするしかないと悟り、たかが僅かな時間にわざわざ手間をかけさせるのは申し訳ないと恐縮して。
 だから彼女は乳液を男の右手に刷り込んだあと、実は面倒な手順を踏まえなければならなくなりましたので撤回しますと言うこともできず、しかしあっさり頼むのも厚かましいしと暫く逡巡していたが、その態度は彼にはどう見えたか。
 正直なところ意識していた。誰もいない保嫌所。あと一時間はしないと帰ってこないもう一人の従業員。まさしく手が届く距離にいる約束の娘がもじもじと躊躇っていて、カーテンで仕切られた清潔な寝台がすぐそこで――なんとなく、そう言うことが許されそうにふやけた空気が漂っている今現在。
「……あ、アルティナ?」
 呼びかけた声は裏返り気味。自分の鼓動が耳に痛いほどの期待といやまさかそんなはずはないと必死に己へ言い含める吸血鬼に、天使は覚悟を決めた面立ちで嘆息一つ、頬を引き締め単刀直入に告げた。
「お手数おかけして申し訳ありません、ヴァルバトーゼさん。あの……上着を脱いでいただけますか?」
「…………」
 脱いでほしい。
 そのたったの一言に、爆発的な勢いでもって彼の脳裏にありとあらゆる未来が構築される。その内容は少々偏りがあるもののバリエーションは異様に豊富で、多分に今の彼の脳内を読める夜魔がおれば、三ヶ月分ほどは参考にできただろう。
 しかし彼は誇り高き悪魔であり、対する彼女も魂から汚れなき天使である以上、その言葉はあまりにもあんまりすぎる。そう、瀬戸際で思ってしまったのがいけなかった。
「な、何故俺が、脱がなければ、ならんのだっ!?」
 男の体なんぞ脱がしたところで目を楽しませるものもなし。それともあれか、聴診器を胸に押し当てて少しずつ下って行って臍の下辺りであらここは異常があるようですわねなんて展開が始まったり、少し早いくらいで異常はありませんわねではわたくしもお願いますわと聴診器を渡され前帯を脱がれたりとかそう言うことかと頭の中で目まぐるしくいかがわしい考えを駆け巡らせる青年に、お気持ちはご尤もですけれど、と天使は一言前置きし。
「腕を露出してもらわないとマッサージしづらくて……。服の上からでもできないことはないのですが、あなたの場合は上着の袖が大きいものですから……」
「…………は?」
「聞こえませんでした? 手のマッサージです」
 マッサージ。手の、マッサージ。
 万華鏡のごとく繰り広げられていた桃色の未来に、大きな亀裂が一つ。勢いのままその光景は細かくひび割れ、砕け散り、呆気なくも粉々に消えていく。
 儚く脆く消え去った可能性の世界に、別れを告げる余裕も与えられなかった吸血鬼は、正気に戻らされるとがくりと背を丸める。下手に飛びかからなかっただけまだまともだが、長らく期待していただけにしっかり傷付いていたのだ。
「……あの。何かありまして?」
「何も…………いや。何もない」
 勝手に期待しておいて勝手に落ち込んだ己をどうにか頭の中で叱咤し、いつもの態度に戻ろうとした青年は、しかし実際は未練たらたら、学校に行きたくないが仮病も使えない子どもの着替えのように外套に手をかける。続いて上着も脱いで、それらを大雑把にまとめると血圧測定台の向こうから苦笑を浮かべられた。
「そんなに乱暴に脱がれなくても……。杭が引っかかったりなさらないの?」
「ない」
 ぶっきらぼうに告げて両方の袖口のボタンを外し、肘までむき出して再び台に左手を預ければ、そっと肘まで預けるよう誘導される。
 本来の使い方にかなり近いが、自然と定期検診で『かなりの低血圧』だの『魔力が少なすぎる』だの毎回苦言を呈されることを思い出して更に気が塞いできた吸血鬼はだが、こってりと乳液を塗った女の手のひらが腕の内側に吸い寄せられる光景を目にし。
「では」
 ぐ、と。親指で、痛みはないが力強くゆっくり、腕に圧力を込められる。
 何故だろう。その光景を目にし、ぞわり背筋が粟立った。だが天使は彼の反応を気に留めず、手首側へと少し距離を開けて、ぐ、ぐ、と絶妙な具合で圧力をかけて揉んでいく。その様子に恥じらいはないし、いやらしい要素なんて欠片もないと彼だってわかっている。なのに。
「…………っ」
 肌に受けた圧力が刺激に変じ、刺激が快感として伝わってくるのが克明になる。その不可思議に心の隙を突かれたのか、非常に厄介なことに彼は『感じて』しまった。
 なんの問題もないはずなのに、この天使に触れられている事実がどうしようもなく彼のうちを煽り立てる。そう、ほかの誰でもなくこの娘に気持ちいいことをされているのだと自覚すれば、いくら冷静になれと言い聞かせても思考が混乱と羞恥と快感に埋め尽くされる。
 男の手首に到達した女の手は、手の甲を表に向けるよう優しく両手で誘導すると、骨が浮き出ている部分を両親指をローラーでやるように何度もなぞり上げる。彼の膝裏がまたしてもぞくりと震え、外套と上着で隠した部分に違和感が生じた。なんてはしたなく浅ましい。こんなときに、たかがこれしきのことで。
 それも終えると今度は指の一本ずつを人差し指と中指で挟んで、乳液で一層なめらかに温まった女の指の感触を丁寧に側面から感じさせられて彼は。
「……ぐ」
 思わず声が漏れかける。なにも女性らしく発達したところだけではない。どこもかしこも、こんな末端部分でさえ蕩けてかたちを崩さないのが不思議なくらい柔らかいと思い知らされて、その感触と性感に否応なしに盛り上がってしまう。これではまるで、女の手に誘導を受けて彼女の身体をまさぐっているようだとさえ。いいや、事実そうではないか。こんなに気持ちのいい場所を、揉まれることで触れている。なんてことを、考えている最中に。
「ふふ、お気に召されました?」
「なっ……!」
 不埒な妄想を見透かされるよりたちが悪い。娘にとっては混じりけなしの善意による質問かもしれないが、今の彼にとってははしたなく猛ったのかと訊かれたも同然だった。
「……ぃ、いや、アルティナ。こ、これは、そのっ……」
「別に恥ずかしがらなくてもいいじゃありませんか。指や手も凝りますのよ? こうやって解していけば気持ちよくなるのは当たり前です」
「っ……」
 そうなのか、と納得できる要素はある。がそれ以上に、またしても絶妙な感覚で指と指の間を揉み解されていくのがたまらなくて声が出せない。
 奥歯を噛みしめる青年の態度をどう受け止めたものやら。不吉な輝きを一瞬だけ瞳に宿した天使は、人差し指と親指の間を憎たらしいほど丹念に揉み解す。強烈な愉楽の波は容赦なく、鈍い痛みさえ堪らないスパイスとして理性と本能の境を曖昧にせんばかりの快感が手から全身に伝わり。
「ほら。さっき少し揉んだだけでもわかるくらい、ここなんてがちがちですもの。こうやって丁寧に解すと……ね?」
「……ッ、……むっ、ぐぅぅっ……!」
 何が、ね、なものか。
 痙攣めいた引きつけを起こしてしまいながら吸血鬼は思う。絶対にこいつは面白がっていると。自分に声を出させる気なのだと。ならば声など出してやるまい。女のような呻きなど絶対に。
「……もう、頑固なひと」
 青年の反応をどう受け止めたものやら。ため息を放った天使は手のひらを上に向けて、またさっきと同じように指のローラーで揉み解す。その、気持ちよさと来たら。
「ぎ……っ」
 今度は側面ではなく、正面と背面をあの女の柔らかい指に挟まれて、それはもう丁寧過ぎるくらい柔らかさを伝えられ、歯の根が震える。
「……ぐッ」
 それが終わればまたしても指と指の間を解していく。手の甲から感じた心地良さとは同じようでまた違う。耐性を持っているから安心できると思いきや、新鮮な快感に油断を突かれかけ。
「ぉ……、が……っ!」
 ああだからどうしてまたそこを。親指の下の手首に近い位置をさっきとはまた違った手つきでしっとりしっかり圧されて揉まれて解されてどんよりと鈍い痛みが絶妙な痛甘さへと変じこれはまずいまずいまずいと言うのに。
「……はい。肘を立ててください」
 手が離される。唐突な消失感にほっとして指示に従えば、自分の指の隙間を埋めるように天使の五指が重なり、手首を丁寧にぐるり捻られた。
 これは声が漏れてしまいそうなほどの威力はなく、ストレッチの類だとはっきり理解できる代物で気を緩めた吸血鬼。はあと大きな息を吐き出して、天使から呆れ気味の苦言を引き出してしまう。
「別に声くらい構わないと思うのですけど……。湯船に浸かったり、背筋を解してもらったりで声が出るのは自然なことでしょう?」
「……知らん」
 味わったのは確かに筋肉の凝りを解される快感で、離された手は心なしかすっきりとした気はする。だがあれをそのまま単純なマッサージとして受け入れられるほど、彼の心は単純ではない。
 そうとも。この即席按摩師が単なる一知人であれば、もしくは按摩師でしかなければああも強烈な快感で彼がのたうつことはなかった。だから原因は彼女にあるのだが、その辺り本人は全く自覚がない模様。
「どうしてそんな意地を張られるのかしら……。それで、右手もしてよろしいの?」
「自分からやると申し立てておいてその言いぐさはどうかと思うぞ」
「……では致しますわ。さ、お出しになって」
 一通り与えられる刺激については左手で学んだし、次はまだ大丈夫だろう。そう自らに言い聞かせたた青年は肘までシャツの袖を捲り上げてから、命ぜられるままもう片腕も差し出す。
 今度は左腕と違い最初から覚悟を決めていたはずなのに、たっぷりと白い乳液を塗りたくった女の両手が腕に触れると。
「……むっ」
 やはり反応してしまう。むしろ前よりも過敏になってしまっていやしないかと自分を疑いたくなるくらい、それは鈍く痛くも柔く酷く気持ち良くて。
 しかし二度目もこんな調子では頂けない。彼が過敏になってしまう最大の原因はわかりきっているからこれは一旦置いておくとして、また別にこんな反応をしてしまう理由があるのならそれを理解すべきだろうと、吸血鬼は己を奮い立たせて娘の手の動きを分析、いやいやねめつけることにした。
「ぐ……っ」
 だが本当に分析などできるはずもない。大体分析したとして耐性などつくものか。すらりと細い、磁器の白さとなめらかさに絹のやわさと人の温かみを備えた手が動くさまを見つめても、己の昂ぶりをより認識させられるだけ。
「……んぐっ!」
 慌てて這い上がってくる甘美感を食いしばり耐え抜くと、彼の反応を眺めていたらしい薄青い瞳と目が合う。最早呆れを通り越したか、いささか申し訳なさそうだった。
「あの、もしかして……くすぐったいですか?」
「……い、いやっ」
 確かに感覚的には非常に似ているが、確固たる差違もある。どちらにせよ彼の身を襲う快感を彼女がそのまま味わえば、きっと息も絶え絶え、涙さえ流して哀訴してくるだろうとの自信はあった。ごめんなさい。わたくしが悪かったです。ですからもう止めて。なんでもしますから。なんでも――
「っっち、が……!」
 髪をやや乱れさせ、潤んだ湖面色の瞳で見上げてくる天使の姿をうっかり想像してしまい頭を激しく横に振る。今のは確実に自爆だった。だがそんなことを想像してしまうのも全てこの天使のせいだ。そうだそうだ何もかもこの娘が悪いのだ。この娘が憎たらしいくらい可憐で清らかで人懐こくて優しくて気高くて気が利いて美しくて茶目っ気があって丁寧な仕事をするせいで。ああ憎い憎いたかがこんなことでこんなに自分を必死にさせる天使が、ここまで自分を変えてしまった娘が、彼女が憎くて仕方ない。
 強く、それはもう眼前の天使を親の仇のように睨みつける青年の面構えは苛烈で憎悪に満ち溢れ、いまだ未熟な死神の少年が目にすれば失禁してしまう可能性もあるくらい。更には人狼が喜悦の笑みを浮かべかねないほど凄みも含んでおり、そんな鬼気迫る表情を間近で作られ涙を流して怯えてもいいはずの天使の娘は、なのに軽く目を見開くだけ。いや、彼の顔から血の気が引くより先に、悲しげに瞼を伏せ手の動きを止めた。
「そんなにおいやでしたら、素直にそう仰ってくれれば……」
「い、いやいやいやそう言う訳ではなくてだな!!」
 自分の片手に濃密に絡まっていた女の両手がおずおず離れかける光景に、我に返った吸血鬼は、狂おしいほどの憎しみ――あくまで本人の中ではそう言うことになっている――を霧散させ、慌てて片手だけでも掴んで引き止めた。それでも本音は話せない辺り、この男、あらゆる意味で頑固である。
「ただお前があれほどその、……執拗に揉み解してくるのは、少々、精神面で悪影響を及ぼすと言うか……」
「……つまり、執拗に揉み解してくるのは気分が悪い、腹立たしいと?」
「違うわッ! 刺激に問題はないのだが、お前のその態度がなんと言うか……」
「気に食わない、と仰りたいのね」
 違うのだと音が鳴るほど頭を振る。あのときどんな形相でいたのか、本人の自覚がないのがこの場の不幸だが、あいにくどれほど悔いようが過去の事実は覆せぬ――しかしこの誤解はまだ修復できる。そのはずだ。
 そう改めた彼女の横顔は予想よりも落ち込んでいなかったものの、眉間に刻まれた皺は深く、唇は真一文字に引き結ばれて、ご機嫌斜めには違いなかった。多分、小娘どものように甘味なぞでは釣れそうにない。
「……アルティナ」
「…………」
 返事はない。彼の手に掴まれた五指さえ無反応で、それほど深刻に落ち込み、ついでに怒っているらしい。自業自得だが厄介なことだ。
「お前の気遣いは嬉しく思う。技能についても問題はない。声を出す出さないの姿勢についても、お前の発言が世間一般の見解だろう。だがその……男と言う生き物は、どうしても意地を張ってしまうものでな……。特にそんな声は情けなかろうと思うと、そんな声を出しかねない自分が自分で許せなくなる」
「身体の素直の反応として出てしまう声なんですから、情けないも何もないと思いますけれど?」
 下手な言い訳を聞かされた娘は、いかにも納得いかなさそうな表情で口を開く。重なる指に力が宿り、吸血鬼は確固たる反応を得られたことに密かに喜びながらも己の主張を貫こうとする。
「それは重々承知している……! だがそれでも意地を張ろうとするのが男であって!」
「殿方全般ではなく、あなただけのような気がしますわ……」
 ばれた。
 躊躇いながらも隠そうとしたことをずばり指摘され不意に舌でも噛んだ面になる青年に、天使はそっと上目遣い。幸いもう怒りは薄くなったようだが、かと言って機嫌が完全に治った訳でもなさそうに、軽く身を乗り出してくる。
「……でしたら、ヴァルバトーゼさん。あなたは別に、マッサージやわたくしの態度が不快と言う訳ではなかったのね?」
 頷く。当然だと己の意気込みを伝えるべくしっかりと。
「なら、続けてしまっても構いませんの?」
 また頷く。性分的に中途半端に終わらせること事態好まないが、何より彼女にもう触れてもらえないなんて勿体無いことこの上ないから。
「けれど、またあんなお顔をなさるおつもり?」
「しないように努力はする。その、かと言ってやはり声を出すのは……」
 恥ずかしいから身悶えしてしまうだろう。間接的にそう告げると、気が重そうに嘆息されてこちらもまた居心地が悪くなる。
「わかりました。あと、一応確認したいのですが」
「ん?」
「本当は痛みしか感じなくて堪えていたりは……」
「いやそれはない」
 それならもう少し悶絶しなかったはずなので即答するが、これだけでは完全に誤解が払拭できないかもしれない。となるとやはりあれも自分の口から言ったほうがいいのだろうと判断した青年は、少し顔が赤くなっていく実感を持ちながらもどうにか。
「……と言うかだな、…………良かった」
「はい?」
「き、気持ちが、良かった」
 告白に成功すると、その言葉をどう受け止めたものやら。今度は天使のほうが頬を紅潮させてしまい、ついで穴があったら入りたそうに首を竦ませた。
「そ、それは、……ありがとう、ございます……」
 掻き消えそうな返事に、ゆるゆるとした温かみが胸の奥に充ちてくる。
 感想を述べてようやく吹っ切れたのか。突如として今度はマッサージに耐えられそうな自信が生まれ、さりげなく右腕を差し出せば慌てて受け取られた。更に視線で促してようやくマッサージを再開され、なんだかさっきまでのお互いの心境がそっくりそのまま入れ替わったような。
 けれど彼女は揉む側だから、先の彼のように過敏に反応してしまったり、それを堪えようとはしない。そのはずなのに、軽く唇を噛んでいるのは何故か。指の動きが以前に比べてぎこちないのはどうしてなのか。
「……ん、……んっ」
 その上、今まで全く耳に入ってこなかった力む声まで聞こえてきて、青年の胸が驚きとともに甘酸っぱく締め付けられる。もしかして今まで自分はこの声さえも聞き逃していたのか。だとしたらなんて勿体無い。
 相変わらず華奢な五指から与えられる刺激はほのかに痛いが絶妙に快く、病みつきになってしまいそう。しかして彼は以前のように悶絶することもなく、肩から余計な力を抜いて深呼吸する余裕さえ生まれていた。
 その上で瞬きも少なく天使の指の動きを眺める。丁度手の甲から手のひらへと裏返したところで、次の動きを思い出し、またその通り動いて自分の手を揉む五指の感触を改めて味わう。
 落ち着いてみれば、彼女の指に自分の指を一本ずつ挟まれるマッサージは悶絶するほどではなかった。ただ細指の柔らかさを堪能できるのはやはり素晴らしく、別種の欲がむくむくと頭をもたげそうになる。
 欲求だろうが妄想だろうがそれは止めておこうと手入れが完全に済んだ片手を口元に持っていけば、やけに香しい。眉をしかめた吸血鬼に、天使が高い声を上げた。
「カモミールはお気に召しませんでした?」
「いや……そう言う訳ではないのだが」
 恐らくはこんな芳香を放つであろう花の名前を知り、一つ賢くなった青年はもう一度嗅いで忌憚ない感想を述べる。
「やたらと華やかで俺には合わん。無香料はなかったのか?」
「あとで拭えば、匂いも薄くなると思います。もう少しお待ちくださいね」
 こっくり首肯した男の指と指の間に、女の親指が滑り込む。今度こそ終わってしまうのかとうら寂しくなった青年は、ふと最後の段階を思い返してとある欲求を胸に生みだした。
 最後の手首をゆっくり回すストレッチは、確か手と手を重ねあい、あと少しでも手のひらの角度をつければ相手のそれに密着できそうだったはず。
 そう言えば触れてくるのは指ばかりで、手のひらの感触はいまだ知らない、わからない。ならばあそこも指と同じくらい柔らかく温かいのだろうか。見た限りではパン生地めいて柔らかそうだが、それだけでは確証なんてつかめない。
 ならば確かめよう。彼女の指だけではなく、手のひらまでも堪能しよう。できれば手首の細さも腕の華奢さも二の腕の肌触りも肩のなめらかさも総て実際に触れて知り尽くしたいけれど、今はただそこの感触だけを。
「……ん」
 強く願っていたせいで油断していたのだろう。親指の付け根より下の筋肉を揉まれて、やわい痛みと快感に声が漏れた。
「あ……あの」
 声を出させてしまったことに罪悪感でも生じたか。娘が悪戯が見つかった子どものように小さく飛び上がるも、彼は気にせず首を横に振る。今はそれよりも、もっと大切なことがあるから。
「いい。続けようが続けまいがお前の好きにしろ」
「は、はあ……では……」
 一応続けることにしたようだ。ゆっくりと親指に力を籠め、丁寧に筋肉の凝りを解していく。しかしさっきと比べれば籠められる力は少し軽くなっているようで、声を出させまいと向こうのほうが気を配っているのだろうかと思った青年は頭を上げて話しかけた。
「遠慮なく、やっても、構わん、ぞ?」
「……え、遠慮などしていませんわ。あなたの気のせいではなくて?」
「そう、だったか?」
 思い切り視線をそらされながら答えられても説得力はあまりない。
 しかし今の彼にとってはそんなことどうでもいい。早くはやくあの手のひらに触れたい。柔らかさを確かめて、温かさを確かめて、そこさえも気持ちいいのだと疼く心に示してほしい。
 はやる男の胸のうちを、天使が知れようはずもない。ただ彼女は彼女なりのペースで親指の付け根を解し終わり、最後の仕上げとして手首のストレッチに移行させようとする。
「こうか」
「あ、はい」
 誘導するより先に肘を台に乗せられて、そんなに早く終わりたかったのだろうかと少々落ち込みながら彼の指の隙間に自分の五指を埋め、相手の手首を固定しながらそのまま何度かゆっくり旋回。
 それも難なく終え、さてこれで彼の手に触れられるのも最後だとほんの少しだけ寂しくなりながらも手を離すつもりでいたのに。
「……え?」
 男の指が女の手の甲に食い込む。そのままがっちりと手首を固定され、引きはがそうとしても離れない。離してくれない。
「なっ……何を、急に……」
 見上げても、彼はこちらに視線を合わせてくれなかった。ただ捕らえられた彼女の手に瞬き少なく視線を注いで、彼の手のひらに彼女のそれをすりつけるよう深く手を食い込ませる。まるで、そう。睦む男女の手の相好を連想させるように、深く。
「……ぁ……!」
 なんてはしたないことを連想してしまったのかと。自分で自分の思考が信じられず慌てて俯いた彼女に、静かな男の声が降り注ぐ。
「……アルティナ」
 優しく話しかけないでほしい。今も手をしっかりと掴んだまま離さないくらい強情なくせに、どうして声だけはそんなに落ち着いているのか。
「アルティナ」
 もう一度、泣く子を宥めるような声で。彼女の好きな、少し困ったふうな低い音程。何度も聞いていると、どうしようもなく甘えたくなってしまう声音で。
「……驚かせて悪かった」
「…………っ」
 息が掠れるくらいの耳元で囁かれてしまい、反射の勢いで頭を上げる。同時に音もなく彼が距離を取り、その手も彼女の手からするりと離れ、残された女にこみ上げるのは、ほんのわずかな寂寥感。しかしそれは素早く包み隠される。
「……いえ。わたくしもこんなことで……その、ごめんなさい」
「謝らずともいい、そのつもりで掴んだからな。……いや、ある程度の予想はしていたが、ああして縮こまるお前の姿はなかなかに新鮮だった」
 顎に手を添え悠々と笑う男の姿は普段通りで、そう言うことだったかとつられるように彼女も肩の緊張を緩めていく。変なことを想像しかけた自分を誤魔化すつもりですぐさま立ち上がると、小さなタオルをぬるま湯ですすいでお絞りを作った。
「……あまり褒められた趣味ではありませんわよ」
「悪魔が悪趣味なのは世の道理。それにやられっぱなしは気に食わんのでな」
 ひっそり納得しつつ対面にお絞りを渡せば、男は丁寧に自分の手を拭っていく。本来ならそこまで彼女がやるべきだったのに本人に任せてしまたのは、さっきのあれを引きずっているからで。
「……まだ匂いが完全に消えた気はせんが。まあ、よかろう」
 お絞りがひょいと返される。両手で天使がそれを受け止めた直後、衣擦れの音が保嫌所に大きく響いた。上着を羽織り、外套を身につけて、たかが腕のマッサージ程度で随分と手間をかけさせてしまったと再びの申し訳なさが喉奥からせり上がってきた彼女は、丁寧に頭を下げる。
「けれど……本当に申し訳ありませんでした。色々と、お手間と時間を取らせてしまって……」
「だから謝らずともいいと言っている。俺のほうが世話になったのだ、お前はそのまま堂々としていろ」
 素っ気なくも励まされ、少しは気分も上昇する。そう控えめに微笑み請求書を取り出した娘に、彼も口元だけ薄い笑みを作って一対の手袋を手にした。
「……それとな、アルティナ」
「はい?」
 最初に左手にはめて、皺がないよう極限まで引っ張る。状態をまじまじと確認したまま、彼女のほうを振り向きもせず吸血鬼は続けた。
「爪の世話をされるのは思ったより悪くなかった。礼を言う」
「そう言っていただけると、押し売りをした甲斐がありましたわ」
 続いて右手。戦闘に耐えられる厚みと書き物をしても邪魔にならない薄さを持つ不可思議な布に包まれた指が、確かめるように虚空を掴み。その握り拳を眺めたまま、男の口が薄く開く。
「……次」
「は?」
「次も伸びたら……また、お前に……」
 ぶっきらぼうな、少々裏返り気味の、語尾すら途切れた情けないものだがそれでも彼女にとっては十二分に嬉しい言葉が、幻聴でもなく耳に届いて。
 全くそんなこと期待してもいなかった天使は、まさに喜色満面の笑みで頷いた。
「はいっ。そのときは、遠慮なく仰ってくださいねっ」
 輝かんばかりの笑顔をちらと目にした青年は、頬をほのかに血色良くさせて再び手袋のほうに目線を戻す。集中する必要のない状況にも関わらずそちらに首を固定したままなのは、つまりそう言うことなのだろう。
「い、いや遠慮はさせろ……。あとマッサージは軽くでいい」
「あら、慣れたのでしょう? 折角ですからたっぷり味わってくださればよろしいのに」
「いらんわそんな気遣い。……全く、調子に乗りおって」
 苦々しげだが頬が赤いままの横顔に、どうしようもなく女の胸の奥が疼く。浮かれていると自覚しながら、天使は請求書に金額を書き込みつつわざとらしく声を上げた。
「なんのことかしら? わたくしは純然たる善意によって奉仕させていただいただけですのに」
「自分で善意を強調する女の善意が信じられるものか」
「もう。酷い仰いようですこと」
 白手袋が請求書を受け取ると、そのまま紙はズボンのポケットに収納された。流れでドアノブに手をかけると、彼は背後で微笑む天使のほうに軽く振り返る。
「……ではその。またいつか、頼む」
 短く告げると、女は改めて花が咲いたような笑顔で頷いて。
「はい、お待ちしています。お大事になさってくださいね」
 ドアが開く。ふたりの名残惜しさを押し隠し、外と内とを繋いでいた木の扉が完全に閉まったそのときには、お互いの姿はすっかり見えなくなってしまったけれど。
 お互いたっぷりそばにいて、眺めて話せて触れ合えたのだからすぐに不満は出すまいと、それぞれの業務へ取りかかろうとしっかり思考を切り替えた。
 そうともそれにまた今度、彼の爪が伸びたそのときに、ああして向かい合い触れ合えると約束したのだから。
 その日を今から心待ちにしつつ、その日が来るまでになんらかの進展があればいいと思う。反面、今回と全く変わらないのであればそれはそれでいいとも思ってしまうのは、さて男女の一体どちらであろう。






後書き
 ネイルケアマッサージでらめえしたので閣下もらめえしてもらおうと思いましたまる これが噂のステマってやつね!
 手のイチャイチャが好きなのでたっぷりそれについて書こうと意気込んだのに丁度スランプもどき入って単調でテンポ悪くてぐんにゃり。

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