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フーカすんとアルティナちゃん救出シーンのイラスト化マダー?

2012/02/03

 エロ同人みたいな状況なのに……(片方のちに自力脱出するもスライム責め、片方特殊技使えなくされた上に触手持ちの鶏に四方を囲まれ)。
 超肉ちゃんに頑張ってもらえるかなーと連載開始当初は思ってましたがあの牛歩の歩みじゃそもそもブルカノちゃんと遭遇できるまで連載続くかどうかも不明なんですけお(フーカすん相手にラッキースケベする閣下に曇りながら)。

 とりあえず3R設定資料集でフーカすんの下着姿が出たらしいから4の設定資料集が出たらアルティナちゃんのアレがブルマで中にきちんとぱんつ穿いてるのかそれともノーパンなのかが明らかにされることを祈っております。攻略本表紙で平気でブルチラしてたってことは中に穿いてると思いたいんだ……あれが実質的なパンチラだと僕はらはらして仕方ないんですけども。
 できれば設定資料集では過去ティナちゃんの下着姿とかOPアニメのドレスの詳細も拝みたいんだがきっと無理だよなあ……色気のないドロワーズでも全然いいですご褒美です。あの時代はゴムとかなかったから中国の赤ちゃん用のズボンみたくお尻の部分切れ目入りなんですよね。いいよね予想外の無防備スタイル!
 そういや最近下着屋さんで前から見たら単なるショーツなのに後ろから見たらケツ丸出しのエロ下着を着てるマネキンを見て、その存在を知ってたけど実物は初めてな私としましてはきっちり衝撃に吹き出しかけたので閣下も同じ気持ちを味わえばいいと思いましたまる
 窓開いてお着替え中の過去ティナちゃんをぼへーっと眺めてたらドロワーズの切れ目がちらっと開いたりなんかしてな! その奥の複雑なところまでとは行かないけどとりあえず白くてやわっこい生尻はがっつり目に焼き付けちゃったりしてな!
 人間の娘の肌なんか見たってどうとも思わんわーそれ以上のもん見たことあるし具合も知ってるわーとか思ってた暴君は、けども実際にケツ見ちゃったら思春期の少年さながら動揺しちゃってうわあああって悶絶したい気持ちに駆られながら這う這うの体で逃げればいい。
 ……なんか最近私の中では暴君童貞レベル上がってるな。ああ閣下は最近むっつりレベルが上がってまいりました。複数人投げでアルティナちゃんを肩車した際に感じられる後頭部の温かさに毎回悶々としてるよきっとあのひと。つか両頬を太股に挟まれるってよく考えたら堪らんよね。

 さて下ネタで固めたところで以下お返事です。

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渇欲の夜

2012/02/10

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Restraint Day

2012/02/14

 息が上がる。膝の間接が熱い。喉の奥が痺れて掠れて、空気が肺に送り込まれる動作は本来は全身の調子を整えるはずなのにそれさえ妙に苦しい。唾液が咥内のどこかに溜まるのが呼吸の妨害に思えてそれを呑み込むも、そんな動作もまた息苦しくて彼女ははあ、と大きく肩から脱力した。
 指先は微かに震えている。胸の奥はどくどくと早鐘を打ち鳴らし、頭痛さえ感じるほど。唇の内側が冷たく乾いているのは、長らく口を開いたままでいたからか。
 あのままもうあと数分、どころかもう数十秒ほど長らく走っていれば糸が切れるように意識を失ったかもしれない。そうであれば現状これほど辛い思いをしていなかったのは良かったような、悪かったような。
 だが意識を失ったところで、次起きたときに自分の身体が無事かどうかは不明だ。となけば今こうして意識朦朧としながらも呼吸を整えていられるのは、まだ比較的ましな状況と言えるのだろう。
 今も吸って吐いてを繰り返す唇の端が小さく吊り上がる。こんな状況なのに笑ってしまったのは多分頭が酸欠で熱せられ、まともな思考でいられなくなっているから。スリリングな体験に魅入られるほど自分は日常に飽いていない。
 蒸れた思考は投げやり気味だったが、目のほうはそれなり冷静に動いて周囲を見渡す。現段階では幸い、追っ手らしいものはいない。
 ならここで少しは休んでしまおうかと、壁に背を預けたそばから膝がかくりと下がった。こんな調子ではまた立ち上がろうとしたとき随分難儀しそうだが、まあそれも仕方ないと諦めて彼女はようやく地面に腰を下ろす。
 全身の火照りを静めてくれる地獄の空気は、立ち止まった瞬間ならそれなり涼しかったのだが慣れてくるとそうでもない。溶岩が近くにあるためか、相変わらず人肌には不快な程度に生温い。
 しかしそう感じることでようやく自分の体調がもとに戻りつつあると認識した彼女は、ついでに頭も冷えただろうから自分がこうも必死に逃げなければならなくなった現状について回想しよう試みる。
 そうやって顎を引いただけで、銀色の鎖が自分の首から伸びているのが目に入った。燻したような渋い色味のそれは見た目より軽いのだが、魔法でもかかっているのか得体の知れぬ金属により造られているのか、着用者たる彼女にはどうやっても触れられず、しかも頑丈らしくてあれ以来あちこちにぶつけた可能性があるのに傷一つないのが忌々しい。
「はあ……。一体どうしてこんなことに……」
 使命から魔界に単独で侵入し、更に悪魔相手に『徴収』と言う名目で現金を盗み続けてきた『業欲の天使』なる二つ名まで冠したこの天使の娘にしては珍しく後悔たっぷりの情けなさで呟いて。数時間前、今日が年明けて一月と二週間が経過した日だと仲間の姉妹に教えられたときのことを振り返る。
 その日は人間界で以降恋人たちの守護者として広く知られるようになる聖人が天に召し上げられた日で、彼女が人間だった頃でもそれを由来に恋人たちが愛を誓い合う日としての風習があった。それが国柄によるものか時代の変化によるものか、姉妹が暮らしていたところでは恋人たちの日に違いないものの、女性から男性にチョコレートを贈る風習が広く知られていたらしい。そのため、今日はバレンタインだしチョコレート作って、なんて飛躍に過ぎる会話の流れになったのかと納得した彼女は、断る理由もないためあっさりそのリクエストに応じた。
 姉妹曰くチョコレートを贈る風習は本命と称されるいわゆる意中の男性から、普段世話になっている男性にお義理で贈ったり同性の友人に贈ったりするほどバリエーションも豊富で、まあ何はともあれ親しい人物にチョコレートを渡せばいいと言う、非常に大雑把な感覚であったらしい。
 それならばと彼女は心当たりのある人々にお裾分けしても構わない程度にガナッシュを作ることにして、折りよく固まったところで丁度お茶の時間になったのでそれを姉妹に味見してもらい、賞賛の声をくすぐったく受け取ったところであの二人がやって来た。
 彼女にとって大恩ある天使長と、その知己である赤毛の魔神もまたお茶をするつもりだったらしい。チョコレートを目敏く発見させ、まあそれなりに作っているからとつまみ食いを許した。歯車が狂いだしたのは、多分そこから。
 天使長は天界にいた時分に何度かそのリクエストにも応じているから、過去は人間だったこの天使の娘の腕前もある程度は知っていて、その上で美味しいとお墨付きを得たのはいい。
 体型の問題からか正直なところ彼女をあまり快く思っていない魔神のほうは、手作りのチョコレートなんぞ興味がなかったもののついでとばかりそれを口に運んでから軽く目を見開き。素人のくせにやるもんねえ、と台所に集ったでは最も悪魔らしいお褒めの言葉をいただいたのもまだいい。
 問題はそのあと。魔神が自分たちもお茶をするから丁度良かった、これ頂戴と言ってきて、彼女は考えもなしにこう答えてしまったのだ。
「プリニーさんたちに差し上げる分もありますから、それのお裾分けでよろしければ……」
 魔神は悪魔として生まれ悪魔として育った、ごく真っ当にして正当な意味でも悪魔である。当然プリニーへの対応も悪魔らしく、自分の命令に絶対服従の消耗品程度の認識でしかない。そんな彼らに一粒でもチョコレートをやるなど考えられないことらしく、大いに目を剥かれてしまって彼女は困った。
 実際のところガナッシュを多めに作ろうとしたのは確かだが予想外に多くなったと気付いたとき、彼女は軽く唸った。世話になっている人たちにお裾分けと言うにも、チョコレートを受け付けてくれそうな知人は片手でさえ余るほどだったのだ。
 ならば大量の代名詞、屋敷で働くプリニーたちにお茶菓子の残りを振舞ってしまおうと思い立ったのは割合すぐだったのだが、このアイデアは魔神にとってチョコレートをどぶ川に捨てるに等しいらしい。姉妹もそれなり不服そうな顔をしていたのだが、それ以上に魔神は信じらんない、別にいいじゃない、あいつらにやるよりアタシにくれたほうがよっぽど有意義よ、と散々なお言葉を彼女に投げかけてきて、曖昧に笑ったのがいけなかったのか。
 思考を切り替えたらしくじゃあこれあげる、と笑顔の魔神から渡されたのは黒皮の、鈍い銀色の鎖が付いた頑丈そうな首輪。なんでこんなものをとそのとき彼女は疑問を抱いたのだが、反射的に受け取ってしまったのが致命的だった。
 まるでそのシーンのフィルムだけざっくり切り取ったような感覚で、いつの間にか彼女は首輪を自分の首に装着してしまって、そのとき何やら浮遊感に似た眩暈を感じたのは辛うじて記憶に残っている。続いて首を元の位置に戻せばなんとなく、いいや確実に眼前の魔神の存在感が増していた。
「ねえ、いいでしょ。プリニーなんかにチョコレートやる必要ないって。全部あたしに頂戴」
 さすがにそれはと当初断ったはずの言葉に、けれどこのとき彼女はするりと、何の抵抗もなくその通りだなと納得してしまったのだ。
 だからあっさり頷いて、そのまま何の躊躇いもなく冷蔵庫に近寄りバット二つ分のガナッシュを渡そうとした。背後では魔神以外の面々の驚きと戸惑いの声が聞こえてきたが、それさえも彼女は遠い出来事のように受け止めて。しかし妙に、意識だけははっきりしていたのは間違いない。
「えええエトナさん!? アルティナちゃんに一体何をしちゃったんですかぁあっ!!」
「……天使長さん。鈍いって、よく言われませんデスか?」
「どう見たってあの首輪のせいでしょ? ちょっと、あの首輪なんなのよ!?」
「あんたらも大体さっきので予想つくはでしょ。首輪を着けた奴がその鎖の持ち主に服従するって言う、見ての通りな代物よ」
 走るざわめきに、どうしたことか彼女の胸の奥から微かな優越感が湧き出でる。三者三様の動揺を示す面々の顔も視界に入れないまま自慢げな笑みを宿して、首輪を着けた天使は殊更ゆっくりとガナッシュにナイフを入れた。恐らく魔神も、同じような表情を浮かべているはずだ。
「あたしがここに来る前ちょっと揉んでやった連中の中に、色々面白そうなもん集めてる奴がいてね。特にこれをいかにも大事そうにしてたから、借りることにしたのよ」
「借りるって……それ、永遠に、とか付いたりします?」
「うん、そうだけど」
「あっさり言い過ぎデス! 薄々そんな予感はしてたけど、この人、おねえさま級のジャイアニズムの持ち主デスね……」
「アタシここまで酷くないわよ!」
 以降やいのやいのと続く妹劣勢のやり取りに、本来ならばまあまあと宥めて入るはずの天使はやはりそちらを気にしないままガナッシュを切り取り続ける。そんなもの知らないはずなのに、今や当然のような心持ちで解している魔神の口に丁度ぴったりな大きさに。また彼女が望む通りの量を。
「けど、そう言うモンだって説明されたって実際の効果なんて使ってみなきゃわかりっこないし? 調べようにもプリニーには首ないし、こんなもん使わなくてもあたしに絶対服従だし。ほかの知り合いだって首輪なんか見せても警戒するからそもそも試せないじゃない。だから長いこと存在忘れてたのよ~」
 つまりこれは丁度いい機会だったと魔神は笑う。そのついでに切ったガナッシュを丁寧に硝子皿に盛る娘に、鎖を弄びながらいかにも慣れた様子で命じた。
「あ、あたし、チョコには紅茶じゃなくて……」
「申し訳ありません。カプチーノはこちらマシンが……」
「そうなの? じゃあ普通にカフェラテでいいわ」
「畏まりました。アマレットはございますので、香り付け程度に含ませていただきますね」
「はいはい、んじゃお願いね~」
 淡々とした会話にほかの三人が唖然としていた気がするが、それさえ彼女にはどうでもよかった。魔神の言葉、いやそれをも越えて鎖から伝わってくる意思に従うのが当然で、今までそのためだけに生きていたような充実感に全身が満ちていたからだ。
 だからこれはまずいと危機感を覚えるのは外野による意思。暫し惚けていたもののやっとこの事態の異常性を察知したのは、現実逃避がお得意の現代っ子か自称修羅場を幾つも潜ったらしい天使長か。
「え、え、ええエトナさんっ!! 服従って、嫌々どころか思考まで同調してるレベルじゃないですか! うちのアルティナちゃんにそんな危険なもの着けないでくださいっっ!」
「そうよ、とっととそんなキモいもん外しなさい! アルティナちゃん可哀想じゃないのよ!」
 庇ってくれる二人に対して、本来なら感謝すべき天使は当然そのとき意味がわからない心地でいた。むしろ何故止めようとするのかが全くもって理解不能。間接的に自分は魔神の奴隷として相応しくないと評された気になったからか、少し腹立たしかったくらいで。今思い返せば、それこそ背筋が寒くなる思考だが。
 対する魔神は、それなり親しい知己の二人から大いなる反発を受けたところで調子を崩す素振りさえない。他人を操る立場を悪巧みによって得ても一切悪びれない辺り、実に模範的な悪魔と言えよう。
「ええ~。大体チョコをプリニーなんかにやるこいつが悪いんだしさあ。いいじゃない、お茶の用意させるくらいだし……あ、けどこいつ料理上手いっぽいからもうあと幾つか作らせてから……」
「とかなんとか言ってこのまま専属プリニーにするつもりなんでしょ!? そんなのぜっっったいに駄目だからね! アタシらにお菓子作ってくれなくてラブ話提供してくれないアルティナちゃんとか何の意味があるのよ!!」
「わわっ、わたしだって、アルティナちゃんにはまだまだこれからも『徴収』してもらわないとアレとかコレとか作れないんですよっ!?」
 ――友情や部下への情から危機感を抱くのではなく、あくまで利己目的を口にされた辺り、首輪がない状態の彼女ならそれなり傷付いていたに違いない。現時点で思い出しひっそり泣きたくなった天使はしかし、このとき確か魔神から伝わる闘志に戦慄するばかりだった。
「ほほーう?」
 そう、魔神はしっかり戦う気でいたのだ。
 我を通したいなら力ずくが悪魔のやり方で、ここはそれが通用する魔界だから、片手で鎖を握ったままもう片手では愛用の槍を取り出すつもりでエナメル質の手袋をわきわきと蠢かせたのに。
「じゃいいわよ、そんなに言うなら……」
「デスコ、ゴー!」
「アイマムデス、おねえさま!」
「って!?」
 話の途中にも関わらず襲いかかってきた人工悪魔の容赦ない触手に、抜き身の刃のような妖艶さで挑発するつもりだった魔神は不意を打たれてぎゃあと悲鳴を上げる。
 当然鎖も手放して、そのときようやく正気に戻った彼女は今までの体験に暫し放心していたものの、次の主がすぐさま鎖を握って彼女に強く、心の底から強く命じてくれた。
「アルティナさん、逃げてくださいデスっ!」
「……は、はいっっ!」
 説明や理解はどうでもいい。とにかくここから逃げなくてはと彼女も危機感から身体を動かして、牛乳もカップも放り投げ台所の向こうへと逃げようとするも体は混乱しているのか焦っているのか。両手両足が左右同時に動いて俊敏には逃げ出せない。
 その様子に舌を打ちつつ安堵もした魔神、鎖を握ったまま間抜けにも祈りの体勢を取る童女の手から鎖を奪い返そうとしたのに、その手は木製バットによって弾かれる。一部を打ちつけ過ぎたか十字の絆創膏だかテーピングだかがワンポイントと化しているそれを武器にしているのは、当然ながらプリニー帽子とジャージの少女で。
「ちょっと、あんたら不意打ちとか卑怯じゃないのよ!」
「あんな首輪着けさせたあんたが言うなっての!!」
 両者ご尤もな文句を叫びつつ、プリニー帽子の少女は背後をちらり一瞥。逃げようとしながらも首輪に繋がる鎖の長さが仇になって首を絞められ、それでも足が前に動こうとするものだから結局のところ台所から出れもしない、阿呆な飼い犬のようになっている天使と、ご丁寧に鎖を握り締めたまま必死に願い続ける妹と、こちらを止めようか部下を心配しようかで右往左往の天使長の様子を見受け、ほぼ反射的に叫んだ。
「デスコ、手離す!」
「あ、は、はいデスっ!」
 鎖から手を離された、その勢いでつんのめりかけた上に眩暈さえしたがそれも無視して天使の娘は台所からようやく脱出する。そのまま立ち止まったり背後を振り返らなかったのは、鎖を離されても命令が強く利いていたのかもうそのままの勢いを保持してともかく逃げるべきだと命令抜きで思ったからかは今の当人だってわからない。
 しかしあのとき背後で派手な崩壊音らしきものを耳にしたような気がするし、結局のところ逃走の速度を緩めてなくて良かったと思っていたのだ。あのときまでは。
「いたッスか?」
「……っ!」
 現実にプリニーの声を間近にして、漏れかけた悲鳴をどうにか呑み込む。すぐさま息を殺して身を縮こませつつ、見つかったときのためここから一気に走れるよう足下にも意識を巡らせる。複雑な状況ではあるが、単身『徴収』行為に励んでいたときにはよく強いられた。
「こっちは今んとこ見てないッス……」
 プリニーたちはすぐそばにいる獲物に気付いていないようだ。相方の芳しくない返事に、先の雑魚悪魔が落胆の吐息を漏らしてぼやく。そろりと膝を動かせば、もう細やかな震えはない。休息はそれなりに取れたと見るのがよかろう。
「はあ……。オレ、閣下から承ったご命令があったッスけど、ほっぽり出しちゃっていいんスかねえ……」
 後悔と落ち着きのなさを色濃く残してぼやくプリニーの言葉に、息を殺してやり過ごすか逃げるか迷っていた天使が小さく動きを止める。
 魔界で最も有名になったプリニー教育係に対し、この元罪人の小悪魔たちはそれこそあんな首輪がなくても絶対服従の姿勢でいる。その吸血鬼の用命を放置するなど本来ではあり得ないのに、どうして今そうしているのか。否、そうしなければならないのか。
 言葉にせずとも嫌な予感がして次の発言を待てば、予想通りの人物の名を耳に入れ、娘は軽く心の中で呻いた。
「フェンリッヒ様曰く、魔界全土を揺るがしかねない超最優先事項ッスから。そのことを閣下に説明すれば、どうにかなるんじゃないッスか?」
「忘れたッスか? フェンリッヒ様のご命令には、閣下にはこのことを喋るなってのも含まれてるッスよ?」
 連続して知らされる頭痛を催しかねないほどの命令の数々に、娘はあの人らしいと深く激しく納得する。ついでに泣きたくなったが同じくらい笑いたくなったのは、自分でももうわからない。
「つまり板挟みじゃないッスか! ……どう転んでもまずい予感しかしないッス……」
「そうッスよねえ! ……お二人からダブルでお叱りを受けたら……アルティナさん、マジで恨むッス!」
「それは八つ当たりと言うものです……!」
 そんなところで恨みを買うつもりはないと抗議のぼやきを口に出してしまって、天使ははたと自らが失態を犯したことを理解する。
 幸い、声がしたほうへ目をまん丸に見開いていたプリニーたちは彼女ほどすぐに状況を飲み込めなかった模様。すぐさま立ち上がり、脱兎の勢いで走り出すと暫くの間を持って背後から騒がしい驚きの声、どころか警報まで鳴り響く。
「い、いたッス~~! ホシ発見! これより確保に移るッス!」
「応答せよ、応答せよ! こちらV-21隊、現在I-O-4ブロックッス! ホシを発見しましたんで、応援よろしくッス!」
「な、なんでそんなにしてまでぇええっ!?」
 一体どれほどのプリニーをこの大捕物に動員しているのか。無線まで飛ばす気合いの入れように、歯の隙間から悲鳴さえ漏らして娘は逃げる。このままでは地獄にいることさえ危険な予感がするが、生憎ゲートなんぞ真っ先に先回りされているだろうと思えばそちらに逃げることさえできない。
 結局のところ彼女は背後から追ってくるプリニーたちや悪魔を気にしつつ、やたらめったら走り回って隠れて息を潜めて戻ってまた走ってと、ご丁寧かつ地道に追っ手を撒くしかできなかった。変装道具や逃走用の目くらましを携帯しておくんだったと後悔しても今更である。
 そんな調子でようやくまた休めそうなところを見つけたのは、先の追求から逃れて二十分ほどあとのこと。古めかしい建物の外れにある、もとは小さな倉庫だったのだろうか。天井と壁の一部が崩壊して以降暫く修復もされず、廃墟と瓦礫の丁度中間の状態で放置されているのを発見して、これぞとばかりに鉄柵を乗り越えそちらに走り寄った。誰の宅かは知らないが、不法侵入を気にする暇などない。
 具体的な時間の経過は当然彼女には不明で、大体今自分がどこにいるのかさえわからないが、もうそろそろ関節も悲鳴を上げているので再び赤茶けた瓦礫の陰にへたり込む。歩き回って呼吸を整えてから立ち止まったほうが身体への負担が少ないと知っていても、今そんなことをしていれば人気のない場所でも見つかる気がしてならなかったから。
 疲労の度合いは先よりも深刻だが、頭は案外冴えているようですぐさまあのあとの続きを思い返せた。恐らく、現状があのときと繋がっているせいだろう。
 ――そう、台所からひたすら走って走って走り続けた天使の娘は、よせばいいのに屋敷の外にまで逃げた。すぐに見つかりやすい自室に籠城するのは危険との判断からだが、それ以前の問題として鎖を着けたまま外に出てしまえばそれだけ他人を巻き込むことになるし、自分も危険な目に遭う確率も上がるのだ。そこまで頭が回っていなかったのは首輪のせいか単に思考に余裕がなかったせいか。
 事実、屋敷を背にもう追って来ないだろうと思うところでようやく立ち止まり、首輪の息苦しさと全力疾走にぜえぜえ喘ぐ彼女の姿はそれなり目を引いたらしい。呼吸が落ち着くのを見守っていたようなタイミングで、恐る恐る声をかけてきたのは大きな髑髏模様を張りつけた緑色の布靴。
「……あ、アルティナ? 屋敷のほうで、なんかあったのか?」
 悪魔にもかかわらず常識的な性格の死神の少年に、天使は軽く手をかざす。むせる予感が喉奥に込み上げその通り何度か酷い咳をして、口元を拭ってからようやく顔を上げた。その際、首輪の鎖が鳴ったのは空耳でもなかろう。
 何故なら少年もまた聞こえた音から反射的に鎖をひょいと掴んでしまい、それが天使の首にまで繋がっていると見て取って大いに動揺したのだから。
「な、なんだそれっ!?」
「駄目ですエミーゼルさんっ! ……鎖を放されるとちょっと色々面倒ですので、そのまま持っていてください……!」
 何かを命ぜられる前に天使の側からそう願い出ると、少年は気圧されたらしく結局鎖を手放さないままでいてくれた。しかしいつ知り合いに見られるかもしれないとの危惧からかしっかり持ちたくはないらしく、手つきが着用済み紳士用下着を摘み上げる思春期の少女のそれと大差なくなってしまったが無理もない。
 しかし我ながらどうして主がこんなに嫌がっているのに鎖を手放さないようお願いしたのだろうと、天使の思考がまたしても首輪によって狂い始めつつある中。こいつはどうしてこんなことになっているんだろうと、少年が素朴な疑問を思い浮かべてくれて彼女は再びまともな思考に舞い戻った。
「……あの、こうなってしまったのにはちょっと事情がありましてね……」
「ん……? そう、なの?」
 鎖の持ち主からの願いどころか疑問のレベルであってもやはり優先されてしまうらしい。すぐさま天使は彼を相手に簡潔にわかりやすくを心がけて、自分がこうなっている理由について説明した。
 少年がまだ何も問いかけてもいないうちにそんな真似をしたせいで、当初パーカーの奥の眉は怪訝に歪んだが、それも数分もしないうちに和らぐ――とは相成らず。眉間の皺は彼女への憐憫半分、そんなことを懇切丁寧に教えられて鎖を持たされている己への嘆き半分と言った風情に変化し、天使の娘は仮初めの主にますます申し訳なさを抱いた。
「……はあ。そんなもん着けられるなんて、お前もとんだ災難だな」
「全くです……」
「ま、フェンリッヒに見つかるよりはマシだけど。あいつにこのこと知られたりなんかしたら、とんでもなくえぐい命令下されるだろうし」
「そうですわね。あの方に鎖を握られれば、躊躇いもなく自殺を命ぜられるくらいは考えられますもの……」
 少年の思考と繋がっているためか、天使にしては酷いことをあっさりと口にした娘は神妙な笑みで同調したのだ。視界の隅で見慣れた銀髪がちらついたのにも気付かずに。
「いいや? さすがにオレもそこまで直接的な手は打たんさ。大体こんな絶好の機会を利用し尽くすことなく初手で駒を手放すなぞ、愚行にもほどがある」
 と、絶妙なタイミングで今二人が最も会いたくなかった人物に会話に滑り込まれて走った衝撃たるや。
 箪笥の角に足の小指を強かに打ちつけたときかそれ以上だと天使の娘は連想したが、そんな表現は当然鎖の向こうから伝わってきたものであって彼女自身は鎖さえなければかような発想はしないはずだ。多分にそんなことを人狼が知れば、その瞬間から自害を命ぜられる可能性は格段に高い。
「狼男さん!?」
「ひぃぃっ!! い、いつの間に!?」
 ともかく唐突に絶体絶命の危機に瀕した天使は、主の動揺と恐怖にしっかり感染しつつどうにか鎖に視線を向けた。
 二人が軽く飛び上がったせいだろう。最初は摘むよう持たれていた鎖はそのとき少年の片手にしっかりと握られており、逃走の邪魔になるかどうかは曖昧模糊。大人しく引き渡される可能性は低いものの、またしても台所のときのように鎖をひったくられるかもしれないと思えば不安で仕方なかった。
 対する人狼の表情ときたら。彼の主たる吸血鬼がついに人間の血を飲むときだってこうも嬉しそうな顔をするか怪しいばかりの朗らかで清々しく、それだけに世界の終末を連想させる破顔一笑を見せ、小動物めいて怯える二人にますます悪寒を呼び起こしたのである。
「安心しろアルティナ。オレはたとえ相手がお前であれ、恩を忘れるほどの恥知らずでもない。お前の命に関わるような命令はせんでおいてやる」
 いっそ潔く死ぬよう命ぜられたほうが幾分かましな心地を味わいそうだが、そんな思考を口に出さなかったのは僥倖だろう。実際にはそんなこと言えないくらいに仮初めの主従は共々歯の根から震えていたからだが。
「……さて、いつまでもこうしている訳にもいかんしな。大人しくそいつを渡してもらおうか、小僧?」
 しかし青年にゆっくり手を差し出され、二人は滑稽なほど反応して。激しく視線を彷徨わせ、躊躇の時間をたっぷり置いて、一つ丁寧に深呼吸。
 完全に鎖の持ち主に同調して同じ仕草を取った天使の娘は、続いて少年の意思をも確かに感じ取った。こちらに対して申し訳なさそうに、それでもこの選択はやむを得ないから恨んでくれるなとの願いをだ。
 恨むなどあり得ない。この少年が臆病な自分を励ましながら次代大統領を目指してることは知っているし、最近では管理職らしく魔界の各重要施設の監査などを行っているとも噂に聞いた。運だけで魔界大統領の座を掴み取ったあの悪魔より、余程しっかりと魔界の現状を見据えその将来を考えているではないか。だから恨みなどしない――むしろその行動は立派だと、彼女は首輪の影響をしっかり受け場違いにも感涙で瞳を潤ませた。そうして。
「エミーゼルさん……」
「……ごめんな、アルティナ」
 少年は笑う。目に見えてぎこちないのは心にも表情筋にも無理を強いている証拠か。しかしいいえと娘は首を横に振る。
 醒めた金色の瞳が二人を眺めていたが、それさえも今の二人にはどうでもいい。だから厳かな、静謐とさえ表現できる心持ちで。
「ボク…………余計なことには巻き込まれたくない!!!」
「ですよね!!」
 少年がめいっぱい鎖を背後へと投げる、と同時に天使も背後に走った。
 そんな予感はあったはずだろうに、人狼の鋭い舌打ちが聞こえてきたがそれさえ彼女は気に留めず逃げた。本気で逃げた。真剣に逃げた。それなり危険な目に遭ってきた単独の『徴収』行為の中でもここまで必死で逃げたことはないだろうと思うくらいの勢いで逃げた。
 死ぬ気で逃げるほどだったのは、鎖が放り投げられるその瞬間まで強く少年から命じられていた影響か、あの青年に捕まればその場で終わりだと本心から思ったからかは今になってもわからない。
 ともかくそんな調子で逃げ回っていたのに、人狼の怒号も追ってくる気配も一向になくておかしいと勘付いたのはいつだったか。
 自ら直接追うのではなく、速やかにプリニーを使った人海戦術を実行する辺りは実に彼らしく、ついでに効果的な手段だと感心すべきなのだろうが追われる側としては全くありがたくない。おまけに逃げる途中で噂が広まったか、隠れている最中に無関係なはずの悪魔が嫌な予感を誘う粘つく笑みを張りつけて鎖を拾おうとする機会や、また魔神直下の手下らしいやる気のないプリニーたちの巡回にも出会して大いに肝を冷やした。
 今は幸い人気のないところに隠れ潜んでいられるものの、ここもまたいつ誰かに見つかるかわかったものではない。かと言って籠城は振り幅の大きな時間稼ぎでしかないし、こちらに同情してくれそうな人を再び探して首輪を外してもらうしかないのだが、ざっと遠巻きに眺めたところ現時点で屋敷らしい建物は見つからない。そもここがどこなのかもわからない。そんな状況ではあの姉妹や上司、果ては死神の少年と再会することさえできるかどうか。
 深く嘆息した彼女に耳に、ちゃりと小さいながらに鎖が奏でる金属音が飛び込んだ。その際猛烈に感じた嫌な予感を、なんと例えるべきだろう。
 最早この終わりなき逃亡劇の中で、鎖が鳴るのは即ちそれを拾い上げ人物が間近にいる証拠として刷り込まれつつある天使だ。これでまたしてもその人物が自分の頼みを聞き入れてくれなさそうな悪魔だの、恐ろしい誰かからの命令を受けたプリニーだのであれば三度目の逃走を開始せねばならず、事態解決の糸口からはますます遠のくばかり。
 それでも相手が誰でどこにいるのかくらいは把握しなければならないため、彼女は覚悟を決めて周囲を見渡す。とそのかんばせは一瞬だけ引きつったものの、すぐにこぼれんばかりの笑みに変じた。
 なんとなれば薄青い瞳に映ったその悪魔は、つるりと縦に長い楕円形のシルエットに蝙蝠羽は極めて小さく。魔界では十把一絡げ以下の存在として扱われる雑魚悪魔プリニーの容姿でありながら、目つきは鋭く瞳には毅然とした意思が宿り、また皮も鮮やかな緑柱石色の。生前は別地球の勇者だった経歴を持つ、プリニーたちにとっては憧れのヒーロー。
「カーチスさん……!」
「ん? ……あ、ああ、あんた確か……」
 このプリニーもまた何かを探していたのか。瓦礫越しに名を呼ばれた際、全身を僅かに軋ませたが、彼女はそんな微細な仕草さえ気にする余裕がなかった。
 彼は孤高を好んだクールでダンディな一匹狼で、悲しい過去があって悪墜ちしていたんですけど、ライバルとの死闘とか協力とかがあって人間として死ぬ間際に勇者に何より大切な正義の心を取り戻したんですよとヒーロー好きの天使長からご高説をいただいたことがある。つまり彼女の望む通り、常識的な考えを持ち、理由さえ説明すれば首輪を外してくれそうな人物であるため四つん這いに近い体勢ながらに駆け寄ったのだが。
「……首輪、なんてしていたかあんた。確か天使だろう? 天使が、首輪?」
 訝しげを通り越し、見てはならないものを見てしまったような顔をされて天使の娘は焦った。
 鏡がないので本人は気付かなかったが、今の彼女は以下のような姿となる。髪はところどころ解れ乱れ、いまだ細やかに震えを残した四肢は生まれたての小鹿のように頼りなく、汗ばむ肌は不自然なつやを放って艶かしい。真っ白な頬を鮮やかに赤く染めた上に、目元は潤んでいかにも嬉しげ。おまけに普段より着乱れているくせにいつも通り高露出の天使の装束で、純白の羽もまた目立つのに無骨な鎖付きの首輪を装着しているとくれば、彼女が求めていた常識的な感性を持つ人物なら目を逸らすのも当たり前だった。
「ち、違うんです……! わたくし普段は首輪なんか着けていません! これには深い事情があって……!」
「……普段?」
 それはつまり特殊な状況なら首輪を着けることもあるのかと暗に訊ねたつもりだったのだろう。その意図を読み取れず、娘は目を瞬いてこっくり頷く。否、頷いてしまう。
「はあ、そうですけど……。それよりあの、お時間はあまり取らせませんので少しお願いを聞いていただきたいのです!」
「……ん。あ、え、ええと。何だ?」
 当然、もとは地球勇者であったプリニーは、この天使の娘の特殊としか言いようのない性癖の肯定にひっそり退いた。しかし相手は妙に切羽詰っているようだし、時間を取らせないなら付き合ってやろうと勇者らしく寛容な心構えで先を促せば。
「……そうですわね。とりあえず、まずは安全の確保のためにこの鎖を持っていただけません?」
「断る」
 どんな安全の確保なのか皆目見当もつかないため、翠のプリニーは頑として断った。この瞬間から彼の中で、天使とはヒーローマニアだのマゾヒストだの広い意味で特殊性癖の持ち主だとの偏見が下されたがそれは誤解と言うもので。
 何も悪いことをしていないのに唐突に断られた天使のほうは、ようやく解決の糸口を見つけたと思った途端に相手から拒絶されて泣きそうになりながら、どうにか必死にこの機会を逃すまいとする。
「ど、どうして断られるのですかっ!? 一旦鎖を持つだけ結構ですのにっ!」
「いや、あんたにとってはおかしなことじゃないかもしれないが、鎖だろ!? その首輪に繋がってる鎖だろう!?」
「はいそうですその通りです! ですから鎖を持ってください! そうしたらようやく次の段階に移れるんです!!」
「つ、次の段階って……なあ、あんた。オレは他人の趣味にとやかく言う性格じゃないんだが、その何だ……一般人を巻き込むような真似は止めておいたほうが……」
「もうあなただけが頼りなんです……! ほかの方にはこんなことお願いできそうにないんです……! ですから、どうかお願いします……!」
 立ち上がれてもいないためだろう。可憐な娘が両手を地面に軽くつけ、軽い土下座の姿勢までして涙を流さんばかりに頼んでくる。そんな、実に不本意なことを頼まれたプリニーの心情は筆舌に尽くしがたい。それでも彼は人間だった頃の意地を奮い立たせ、最後の抵抗を試みたのだが。
「……あのな。お嬢さん」
「はい」
「オレは一応妻子持ちだ。勿論こんなナリじゃなく、人間の頃の話だが。ついでに両方もう死んじまって、天国行きだ」
「はあ。それはご愁傷様でした」
「……それでも持てと言うんだな、あんたは」
「はい、お願いします」
「…………」
 プリニーは思わず天を仰ぐ。天国にいるであろう妻子へと、これから女の涙に負けて愛すべき二人を裏切ってしまう自分をどうか許してほしいとの哀願を込めて。
 その心境をいまいち理解できないまま、ともかく早く鎖を持ってほしいと視線で訴え続けていた娘は他者を慮る心がないのだろうか。いやいやそんなはずはない。ただ余裕がなかっただけだし、少しばかり想像力も欠いていただけだ。そうとも、これは発端からしてそれゆえに起きた不幸な事故である――それは即ち他者を慮る心がないことになるなどと、思ってはいけない。
「……ま、わかった」
 渋々娘の首から伸びる鎖を拾い上げようとしたプリニーは、屈んだ際にふと自分の影の大きさに違和感を抱く。
 過ぎった違和感が勘違いではなく、つまり自分の背後から差す影が、今最も会いたくない人物のものだと確信したのは鎖が一足先に白手袋に掬い上げられたのを目撃したその瞬間。短いプリニーの呻きは、その人物の怒気を孕んだ声によって掻き消された。
「これでいいのか、アルティナ?」
 娘の首から伸びる鎖をちゃりと音を立て掴んだのは、黒髪痩身のプリニー教育係その人。今日こそは徹底的にプリニーの掟を刻み込んでやると、他のプリニーにあれこれ命じて今の今まで元地球勇者のプリニーを追い回していた極悪非道な吸血鬼である。
「ヴァルバ……吸血鬼さん!」
 何故だか青年は猛烈に不機嫌そうな顔をしていたにも関わらず、娘は大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべて駆け寄っていく。プリニーの近くに移動するだけでも四つん這いに近い体勢だったのに、それ以上の距離を走ろうとすれば自然無理が生じるもの。
「きゃ」
「……無理をするな」
 数歩もしないうちにやはり膝が抜けて崩れ落ちそうになったが、鎖を片手に持ったままの青年の腕が娘を支える。それに軽く膝を折り感謝の意を示した天使は、どうしたことかそのまま男の腕の中から離れようとしなかった。
「……すみません、お手数をおかけして」
「別に構わん。……で、お前……ではなくお前たちはその……」
 下からの視線をようやく意識したのか。そろり娘を放すついでに娘の身体も離れていくことで、吸血鬼はプリニーと天使に交互に厳しい視線を送る。どうして自分までそんな責めるような目を向けられねばならないのかと、元地球勇者は大いに不満を覚えたことだろう。
「何をしていたのだ、あれは」
「オレは何もしていないぜ。ここにはたまたま通りがかっただけで、そのお嬢さんにその鎖を持つよう頼まれた。それだけだ」
「あの、色々と話せば長くなるのですが……それでもよろしいですか?」
 構わないと男がはっきり顎を引くと、再び娘は語り始めた。しかし今度は最初から。
 手作りガナッシュを仲間の姉妹に振舞うため切り分けている最中、それを気に入った魔神に首輪をかけられ以降あれこれと命ぜられたこと。姉妹の協力によって台所からの脱出に成功したが、勢い余って屋敷の外に出たこと。そうして死神の少年と人狼の執事に遭遇し、必死に逃げたこと。今も魔神と人狼の放ったプリニーに追われていること。首輪を外してくれそうな人物を探そうとしている最中にこの元地球勇者に出会い、首輪を外してもらうつもりで鎖を持つよう頼み込んだこと。勿論、首輪の効果も忘れずに。
 死神の少年に教えた情報と大きな違いがあるのは、彼は手短な内容を知りたがったのに対して、今の鎖の持ち主は一から十までしっかりと把握したい姿勢の差にあるだろう。ちなみに説明の際、娘は青年の問いかけには平気で応じるのにプリニーの質問には応じないどころか完全に無視して、鎖の持ち主の独占欲を無意識下でしっかり示す場面もあったがそれはさすがに恥ずかしかったらしい。吸血鬼が呆れの色濃い鋭い視線を浴びた次の瞬間、彼女はプリニーを認識、並べて会話できるようになったとか。
 かくして彼女が置かれている状況を正確に把握したプリニーとプリニー教育係は、あのときの天使の娘が涙ながらに手前の首輪に繋がっている鎖を持ってほしいと懇願していた理由がようやくわかってそれぞれ安堵の息を吐き出した。
「……成る程な。じゃあ、あんたが外してやってくれよ。体格もオレに比べれば外し易いはずだろう」
「言われずともそうするつも……」
「え~。天使~、ごーよくの天使はおらんかえ~」
 それを言うなら『要らんかえ』のような気もするが、そんな指摘しようものならプリニーを投げ飛ばされそうな予感がして三人は瞬時に瓦礫の陰に隠れる。何故ならその声の主は、彼女を利用する気満々の一翼。穢れを知らぬ天使の娘を、プリニー相手に這いつくばらせて首輪の鎖を持ってほしいなどと涙ながらに頼み込む状況に追い込んだ元凶の魔神であるため。
 鉄柵の向こうとは言え、神輿でも組ませているのか高さのあるところからこちらを覗かれるの危険だし、おまけにあの魔神は他人の屋敷を壊すことなど躊躇はすまい。そう判断し瓦礫の陰で息を殺し続ける三人を尻目に、プリニーどものえっほえっほとの掛け声を背にした魔神の声は懇々と続く。
「んもー、とっとと出てきなさいよ~チチ天使~。あんたにゃ作らせたいスウィーツが山のようにあるんだからさあ~」
 酷い名称だと三人はひっそり頭の中で突っ込みを入れる。なのに三人共々膝を抱えて座り込む天使の娘の、膝と同じような丸さなのにそれ以上にきめ細やかで柔らかく押し潰されている胸部に目が行ったのは、まあ男性二人は仕方ない流れのはずだ。娘は首輪の効果によって同じ動作を取らされただけである。
「美味くできたら名誉あるアタシ専属パティシエコース。不味く作ったらあんなことやこんなことの罰ゲームコース! 馬鹿でもないんだし、どっちがいいかわかんないはずはないわよねえ~?」
 それ以前の問題として、馬鹿でもない常人なら両者共々お断り。首輪なぞとっとと外すに限ると翠のプリニーは思ったのだが、娘を挟んで隣にいる吸血鬼はそれらの言葉に取っ掛かりを覚えてしまった。
 何も、この娘があの魔神のパティシエになることを望んでいる訳ではない。むしろ彼としてはそんなことをさせてなるものかと強く願っているほどで、その意思も当然彼女に伝わり天使はますます息を殺す。しかしその頬が妙に鮮やかなのはどうしてだろうか。息を荒げ、膝をすり合わせ、背を蠢かせ、三角座りの体勢のまま何やら堪え難い様子でいるのは何故なのだろうか。答えは簡単――ついでに不謹慎でもある。
 だがあくまで、この天使に罪はない。鎖に繋がれたままの彼女は、鎖の持ち主の願いを過敏に、思考レベルで読み取り自然そうしてしまうだけ。主となった人物のふとした願いさえ忠実に実行し、全肯定する奴隷となっているのだから。
 つまるところ、そう願ってしまった訳だ。娘の首輪から繋がる鎖を今もしっかと持ったままの吸血鬼が、この状況に相応しからぬことを。
「けどあたしも血も涙もない鬼畜ってほどでもないから、罰ゲームっつっても選択肢制にしたげるから安心なさ~い。ま、あんた素人だしフロンちゃんの部下だし、簀巻きで一晩軒先に吊るすコースとか、磔台でがっつり固定して失神するまでくすぐりコースとか、山芋プールでバタフライ50メートルコースとかそんな軽度から始めるからさ~」
 十分な拷問だろうがと、プリニーはその皮に薄らと青みを滲ませるほど恐怖する。隣の二人も同じような心情だろう。これはもうてこでも動いてはならないと心に決めた彼は、ついでに目も瞑ったためか。直後がちゃりと引鉄が動く音まで耳にして、人ならば全身の毛穴が一気に開いてもおかしくないほど戦慄した。
 予感は的中。銃どころか大砲でも撃ったような轟音が空高く響いて、次にあちらだこちらだなんぞ、どこがどう撃たれたのかさえもうわからないほどやたらめったら轟音破壊音衝撃音ついでにプリニーの悲鳴が聞こえてくるも、それでもやはり元地球勇者の名は伊達ではない。魔神のストレス解消を兼ねているのだろう威嚇射撃が終わるまで、結局のところ彼は呻き声一つ漏らさなかった。
「……あ。やば、あそこ窓硝子割ったっぽい?」
 今更だろうがそんなこと。そう指摘したくなるも、魔神は当然この男の存在に気付かないし配下のプリニーも口答えしないので返ってくるのは沈黙ばかり。
 ここは手応えなしと判断したか、つまらなさそうな吐息を一つ漏らすと、魔神は神輿のプリニーの頭を蹴ったらしい。鈍い音が聞こえてきた。
「ほらほら、今度あっち! あたしの勘がそう言ってるんだからとっとと行きな!」
「アイアイサーッス!」
 えっほえっほと掛け声響き、ようやく危機が去ったところで深く息を吐き出した翠のプリニーは、冷や汗を拭ったところで隣を圧迫するはずの娘がいないことに気付く。
「……あ、あれ?」
 まさか首輪の効果によって瞬間移動も可能なのか。そんな突飛な発想をしたプリニーは、続いてそのまた隣にいたはずの吸血鬼の姿もそっくり消えていると知らされる。当然、ふたりを繋いでいた鎖も首輪もない。
「…………」
 あのふたりの関係について、彼は詳しく知らないし知りたいとも思わない。少なくともあの吸血鬼はあの天使が膝から崩れ落ちそうになった際、当然のように助けるくらいに悪く思っていないようだし、娘のほうはその状況下で申し訳ないとすぐさま身体を離すほどでもなかったのは確かだと知ってはいるが。
 ついでに首輪の効力について説明を受けるまで、プリニーは天使の娘に鮮やかなくらい無視された。さっきまで鎖を持ってほしいと懇願してきた奴の態度かと憤ったが、それは実はあの悪魔の青年が自分以外のほかの男と喋るな見るなと無意識下で願っていたからだと知って。
 娘のほうはともかく男のほうがそんな調子で、しかもあの鎖によって自分の願いを全て受け入れてくれるとなればどうなるか。――堅物な彼をしてもこの唐突な男女の消失に桃色めく予感を誘ったが、生憎と出歯亀の趣味はないので探す気も湧いてこなかった。
 何よりあのプリニー教育係のしつこい魔の手から逃れられた以上、こちらが首を突っ込むのは自殺行為に等しかろうと判断すると、翠のプリニーはとっととこの場から退散することにした。当初あの娘に話しかけられたときはとんだ不幸に巻き込まれたと我が身を哀れんだが、それが誤解であの吸血鬼をこうして撒けたのは幸運と言える。元地球勇者の運気は伊達ではないのだろう。

 ◇◆◇

 プリニー独特の間抜けな足音までもが遠ざかり、周囲に完全な沈黙が訪れたとを確認してから吸血鬼はゆっくり鼻から呼気を抜く。魔神の威嚇射撃に合わせて窓に突っ込んだせいか外套に硝子の破片が幾つか刺さっていたが、これからのことを思えば焼け石に水にもならない。
 素早く手で目立つ破片を叩き落としていると、男の首にしがみついていた娘もまた倣おうとするので慌てて細い手首を掴む。手袋も何もしていない彼女がそんなことをすれば怪我をしかねない。たとえ小さな傷だろうと、彼はそれを望まなかった。
「……申し訳、ありません。でもあの……」
 鎖から意図を読み取ったか、大人しく指を引っ込めた娘の瞳は情火に煽られ潤んだまま。蕩けるほどに熱い息も吐き出して、硝子片を叩き落とす男に早く次の段階へ移ってと視線と体をすり寄せ急かす。
「いい。……言われずともそのつもりだ」
 乱雑に先の言葉を防ぐと、女はほうと肩の力を和らげる。
 そんな彼女を横目で見るのは嬉しいのに、あまりにも従順な姿勢はやはり違和感を覚えてしまう。ついでに何故か赤の他人に自分の首輪まで繋がる鎖を持ってほしいと涙ながらに強請る娘を見たときのことを思い出してしまい、胸の奥に黒い霧が漂った。
 生意気なプリニーを追いかけた末にあの光景に出くわしたとき、彼は真っ先にこれは夢かと疑った。だから鎖を無言で掻っ払ったのは、四百年を超えて高潔だったのに急にふしだらになってしまった女の願いを微塵に砕いてやろうとの自棄っぱちな意思半分、別の思惑半分。結果として鎖を持ってほしいと頼み込んでいたのにはまともな理由があったと知らされたが、いまだ胸のむかつきは消えていない。
 もう一足早くあそこに行きさえすればああも必死に頼まれていたのは自分で、ついでに自分ならこの娘の願いをあっさり汲み取り悦――ではなく、喜ばれたと思えばますますあのプリニーへの悋気は高まっていく。彼が出歯亀を企てようものなら、一体今頃どうなっていたことやら。
 しかしどれだけ過去を憂いても仕方ない。必要なのはこれからどんな選択をするか、未来に繋げるべき意思である。偉そうな表現ではあるが、つまるところ。
「ヴァルバトーゼさぁん……。お願い、早くぅ……」
「ん……ああ」
 切なげな声を耳にして、男はうっかり声を裏返らせてしまいながらこくこくと頷く。
 それでも破片が散らばるところでなど、自分はともかくこの娘にとっていい思い出にはなるまい。いまだ自分の首に手を絡めたままの相手を姫抱きの姿勢で持ち上げて、青年は窓から離れ室内の奥へと向かう。
 ここが物置部屋で良かった。一階とは言え誰かが使用している部屋であれば、掃除も難儀することだろう。反して埃避けの布なら、どんなに汚そうとそれを交換してしまえばばれることもない。
 幸い、布の上からでもわかる手頃な大きさの長椅子を見つけたので、まずは娘をそこに座らせる。本人としてはそのつもりだが、彼女はそうではないのか。
「は……んんっ、う……」
 あんなことやこんなことなんて魔神の発言から連想された、淫らに濡れそぼるこの娘を見たいとの欲求は鎖の持ち主の自覚以上に強かったらしい。くたりと長椅子に身を預けるどころか横たえて、天使は先よりも更に熱っぽい視線を男に送ってくる。軽く膝を立てているためか、その奥の紺の下履きから小さく蜜音が立ち、どんな言葉よりも雄弁にこの青年の獣欲を掻き立てた。
「アル、ティナ……」
「ん……なんです……?」
「いや……その。少し迷ってな」
 何を、と大きな瞳が瞬き訊ねる。それに少し怯んでしまうのはこれから口に出す問いかけに品性が欠如しているからだが、これからの行為に比べれば何を今更と我ながら呆れるほどの些細なこと。
 だから渋々それを口に出そうとしたところで、娘が軽く起き上がり、そっと青年の唇に人差し指を当てて。
「……何も仰らなくて構いませんわ。あなたのお好きなようになさればよろしいんですもの」
「……っっ!」
 優しい仕草と慈愛の眼差し、何より蠱惑的な囁きに、男の背面の肌がぞっと粟立つ。だから前帯のリボンを解いてたっぷりその肢体を視界や指や舌で堪能してからいよいよ及ぶか、それとも下履きだけをはぎ取って獣のように耽るかの迷いさえもどうでもよくなって。
「アルティナっ、アルティナ……!」
「ぁああ……! ん、ぁ、ふふ……っ」
 衝動に駆られ抱き締める。
 その肩に顔を埋め、いまだに外で走り回った名残りかそれとも発情の証としてか、ほんのり汗ばむ肌を啄み舌を這わせた。僅かな塩っぱさに、理性を熔かす甘い香りが傷一つない触感と相俟って堪らない。このまま何も考えずぐずぐずに解けてぴたり繋がってしまおうと思った彼の思考を、しかし邪魔するものが一つだけ。
 ちゃりと音を立てる、娘の肌に似つかわしくない鉄の臭いと皮の感触。あの魅惑の白首を彼から完全に守りきる、無骨で無様な装飾品。
「………………」
 しかしお陰で、自分でも驚くほどに熱が冷めた。代わりに沸き上がるのは忌々しさ。
 これのお陰で至高の果実に手が届いたものの、この気高き娘にあんな真似をさせたのも、そもそも彼女がそれまで酷い目に遭ったのだってこれのせい。たかが数人とは言えそれでも不特定の悪魔にこの自由にして清らなる天使が隷属するなど、本来はあってならぬだろうに。
 そう考えれば現状さえも忌々しい。まるで首輪が憤る自分に対し、この娘の破瓜をやるからまあ落ち着けと見下し顔で交渉を持ちかけてくるような錯覚さえ覚えるほど。当然、彼はそれで怒りを和らげる気はない。追々自分の手で手に入れるべきかけがえのないものを、どうして誰かと交渉して手に入れなければならないのか。
 だから娘が茫洋とした眼差しをこちらに向け、情熱的な愛撫を待ち焦がれていると理解していても彼は首輪に両手をかけた。処女のくせに夜魔さながらの淫らな瞳の娘は、不満げに身体を擦り寄せてくる。
「ヴァルバトーゼさぁん……はやくぅ……そんなのどうでもいいから、早くわたくしを……」
「待て、アルティナ……」
 冷めたのは本心からではなかったのか。それとも娘に淫らになってほしいと強く願い過ぎたのか。
 腹の底を憤りによって冷やす男とは対照的に、娘はいまだ蜂蜜めいて融けたまま。柔肌を薔薇色に染め上げて、甘酸っぱい匂いさえ漂わせ彼の下でしなを作る。
「いやです……。今だってすごく辛くて……あなたに慰めていただかなくちゃ、無理なんですからぁ……」
「……と、とにかく待て!」
 しかしそれだって自分のせいなのだから軽蔑はすまいと彼は言い聞かせる。実際のところ、軽蔑はしなかった。むしろ強く惹かれていたほどで、バックルを外すだけの指がもたついてしまう。視線が針穴ではなく谷間だの耳だの汗ばむ頬にだのに吸い寄せられて顔もそちらに行きかけて甘い匂いで柔らかそうで柔らなくて違う違うそうではなくて!
「……待ちま、せんっ」
 男のぐらつく心を本人より解しているのか。しとどに濡れた内股を杭のベルトよりやや下の辺りに押しつけようとする娘の身悶えが、彼のそこに強烈な熱と甘美感を引き起こす。萎びた老人だって回春せんばかりの刺激を、魔力は少々足りていないが健全な肉体を持つ青年が味わえばどうなるか。
「……なっ、お、お前!?」
「早く……はやくして……」
 うなされるように呟き懇願し続ける娘の様子は大変いじらしいのだが。おまけに淫蕩で妖艶でこんな具合で求められればいつだって腰が抜けんばかりに全力を出し切る所存ではあるが、彼はそれより以前の問題として。
「ええいいい加減にしろ! 俺は、そんなものを着けたお前を抱きたい訳ではない!!」
 余裕なぞまさしく皮膜より薄く削り取られていたためか。口からついて出たのは何ともはや呆れかねないほど馬鹿正直な上にこっ恥ずかしい拒絶の、転じて悪魔が口にするにはあれな意味合いの言葉で、吸血鬼は我に帰ってすぐさま自分の発言に頭を抱えかけたのだが。
「え?」
「ん?」
 ぱすん、とごく近くで小さいなりに破裂音が聞こえてしまい、反射的にそちらに目をやれば、娘が唖然とばかりに口を開いて自らの首の辺りを見ていた。その視線の先を追えば当然あの黒皮の首輪になるはずだか、どうしたことか違う色が覗く。茶色い悪魔文字がびっしりと書かれた厚紙は、首輪の内側に詰められていたらしく、つまり綿替わりだったのか。
「……つまり……?」
 唐突な展開についていけず首を傾げる男に、天使の娘は明確な答えを提示する。
 自ら説明した際には鎖に触れることさえできなかったと言っていたはずの首輪をあっさり掴んで数秒後。見事、ようやく、あの忌まわしき首輪は外された。
「と……とりあえず、ご協力ありがとうごさいました……」
 今度こそ長椅子にくたりと横たえる娘の表情は、情欲に身を焦がす名残りなど綺麗に拭われ、とにかく疲労の色が濃い。
 つまりあの首輪の束縛から身も心も解放されたらしいと知り、彼もようやく安心するがついでに冷や汗が汗腺と言う汗腺から吹き出してしまうのはどうしてだろうか。
 壊れてしまったのなら都合良く首輪に束縛されている間の記憶も消えたりはしないのか。いいや是非ともそうなるべきだそうあれと言うか今からでも頼むから消えてほしいと、自他ともに認める誇り高き悪魔は神に祈らんばかりにいまだ手に残る鎖に願っていたのだが現実は冷酷だ。
 鎖を握りしめたまま硬直する青年を一旦無視し、娘は再び吐息をついてよっこいしょと上体を持ち上げ、長椅子にきちんと座る。色々あってほつれた髪を手櫛で梳いてから髪留めの位置を戻し、ほかにも装束の小さな皺やら着乱れを直す。最後にハンカチで顔周りの汗を拭い、それを仕舞ったところでぽつり。
「ねえ、吸血鬼さん」
「な、何だ」
「あなた、あの状況でどうしてああも昂奮なさっていたの? 不謹慎とは思いませんでしたの?」
「……ぐっ!」
 無防備な状態で胸の杭を引っこ抜かれたって、こうも強烈な痛みを受けるかどうか。
 それぐらい精神的な急所を突かれた、どころか抉られた吸血鬼は、衝撃が過ぎて硬直していたのだがそんな程度で天使が見逃してやるはずがない。冷ややかな言葉は淡々と続く。
「ついでに、あそこまで首輪を着けたわたくしに盛り上がっていらした理由についても伺ってよろしくて? 鎖をずうっと持っていらしたし、命令も随分と手慣れていらっしゃったし、もしかしてああ言う趣味がおありだったりするのかしら、変態さん」
「…………」
 死体蹴りだってこうも残酷なものか。
 魔力を失いながら、自らの意志を貫き通すため神のシステムにでさえ抗った英雄として称されていた吸血鬼は、今や天使の娘の言葉に無惨なほどに弄られる。大体、変態さんとは何事か。決定されているのかもうその名で一生呼ばれるのか仲間の前でさえ平気な顔で変態さんと呼んできて自分に針の筵を味わえと言うのかと言いたいけれど言えるはずがない。傷が大きく深すぎて、まず舌がまともな言語を操れそうにない。
「それに随分と下品なことを言ったりしたりさせてくれましたし……。ああ言う舌足らずな喋り方がお好きなの? やっぱりあなた、そう言う公言できないような特殊な趣味をお持ちでいらっしゃるの?」
「………………」
 自分が何らかの反応を寄越すまでずっとそんな調子でいるつもりか。立て板に水とばかりの質問責めに、青年の心の器に修復不可能なひびが入りかけたそのとき。引きつるばかりの目尻からやや下の辺りに、温かくて柔らかいものが軽く触れた。ついでになんだか、いい匂いもして。
 そちらにのろりと首をやれば、娘は膨れ面を作るも半ばはにかんでいるようでもあり。予想よりも怒っていないと知らされて、全く想像していなかった事態に青年はぽかんと口を開いた。
「……けれど、首輪を外そうとしてくださったことは、感謝しますわ。……ついでにさっきのあれも」
「う」
 頬を染めつつ微笑まれ、青年は先の自分の発言をしっかり記憶されている事実に呻く。それだけ回復してきた証と受け止めるべきなのだろうが、羞恥心で全身茹で上がりそうになるのもまた別の意味でいただけない。
「あなたがああ言ってくださったから、首輪が壊れたのでしょうし。あれが本心であろうが口だけの出任せであろうが、この場は気にしないことにして差し上げますわ」
「……それ、は」
「忘れてほしいと仰るのなら、そうしますわよ?」
 いつも通り、いたずらっぽくもやはり天使らしく、清い慈しみの笑みを宿して尋ねられたのは、確かに吸血鬼がそれまで求めていたことには違いない。
 しかし結局、青年は首を横に振った。忘れたことにしてもらうならもっと以前、言葉で弄られるより前が良かったし、今そんな温情を受けたところで自分の情けなさが増す一方に思えたから。
「……いらん」
「そうですか。その割には、不機嫌そうなお顔ですわね?」
「まあ、それはあれだ……。お前からの礼が足りんのでな」
「あらあら、ひとの肌に痕まで付けようとなさった方がこれ以上何をお望みなのかしら」
 娘の言葉は相変わらず攻撃的なことこの上なく、油断していた彼はまたしても律儀に傷付いたがそれもどうにか堪える。堪えたはずなのに相手の小さな顎を掬い取ってしまったのは自棄だが。
「……あの?」
「まだ痕は付いていなかろうが! ……大体、俺はこちらにさえ触れていないと言うのにお前ときたらねちねちと!」
 親指でふっくらと潤う、花弁の感触を持つ唇に触れつつ睨めば、娘は軽く目を見開いてからそっと瞼を伏せて。たったそれだけの仕草に、ぞわりと背に何かが這い上がる。
「……あら、そうでしたかしら」
「そうだ」
「でしたらどうぞ……この際ですもの。お礼も兼ねて、奪ってくださいな」
 言われずともそうしてやる気で、自分もまた瞼を伏せつつ顔を近付ける。相手の微かな息さえ肌を撫でてくる感覚に、潮が満ちていくように自分の中に彼女への感情が高まって、いよいよそれに、そこに触れ――。
「あっ、ヴァルっちさん、こんなところにいたデスか!? 今アルティナさん大変なんデス、探すお手伝いしてくださいデス!」






後書き
 諸君、シチュエーションエロコメは好きですか私は好きです。と言う訳でシチュエロコメ第二段がバレンタインになるとは思ってもみなかったよ私だって!
 一番ノリノリだったのはカーチスとのやり取りとか本当わかりやすくてごめんなさい……。

[↑]

門出

2012/02/24



 柔らかな紫掛かった黄金の空は、色味の通り優しい光を注いで暖かい。下方で金に煌めく雲は果てまで続いてこの世界の広大さを教えてくれるが、そこに覚えるのは孤独ではなく母なる自然に包まれる安心感。あちらこちらに漂う浮島はそのどれもが緑に満ち、花を咲かせて瑞々しい。夏の涼しさと春の暖かさを矛盾なく含んで吹く風は、心地良いだけではなくすっきりと薫り高い。
 どこかで聖歌の合唱が行われているようだ。水晶の鈴めく澄んだ歌声と、それに合わせて奏でられる鐘の音は随分と遠くから耳に滑り込んだ。近くで聴き入ってもそれはそれで趣が異なって美しいが今はこれで構わない。
「……朝の斉唱に、加わったことはあったかな。君は」
 軽く瞼を閉じ遠方の歌声に聴き入りながら、背後の、恐らく緊張で過度に縮こまっているであろう娘に声をかける。
 するとやはり不意を打たれたのか。え、と可憐だが軋みがちな小さな声ののち、ええと、と裏返り気味の呻きが聞こえてきて知らず苦笑してしまう。そんなに緊張されるほど威圧感はないはずなのだが、そこまで恐縮されるとこちらも居心地が悪くなる。
「あ……ありません。あの任務は中級以上の天使さまの受け持ちであって、わたくしのような見習いにはとても……」
「そうだったかな? 階級差で持ち回りを決めているなんて、初めて耳にしたよ」
「そ、そうでしたか……」
 落ち込み気味の相槌は、興味を持っても階級を理由にやんわり断られた経験があるからだろうか。それとも自分の預かり知らぬところでそんなふうに勝手に決めた天使たちへの申し訳なさによるものか。まあ他の天使たちも悪気はあった訳ではなかろうと楽観的に判断し、軽く背後へと振り返る。
 それだけなのに、下の段差で跪く華奢な娘はしっかりと身構えた。
 細い背を覆い隠すほど豊かな長髪は、健やかな春に最も馴染み深い桃色。澄んだ空の色でいながら湖面の煌めきを宿す瞳は鮮やかで、それらの土台となる肌は乳色に陶器の艶をまとって麗しい。目鼻立ちもまた丁寧に整えられておりながら、今は全体的に硬直気味なのが男には少し申し訳なかった。
「……君の面倒はフロンに任せていたからかな。こう言うときのために、私からも少しくらいは君に話しかけるようにすべきだったね」
「い、いえそんなっ! わたくしのような若輩者にお気遣いをなさる必要など……!」
「生まれたばかりの若い芽ならば尚のこと、気にかけようと思うものだよ。それが我々古木の背負う義務だからね」
「……そんな。畏れ多いことです」
 畏れ多いと言われても、実際にそうなのだから訂正する気はない。それにしても、この娘はたいへんな甘え下手だといつだったか部下に愚痴を聞かされたものだが、成る程。よもやここまでとはと男は肩を落とす。
「……フロンもなかなか粘り強い。ここまで頑なな子を相手に、深刻な悩みを打ち明けさせるほどの信頼を得るとは大したものだ。尤も、雛の刷り込みのようものかもしれないけれど」
「…………」
 深刻な悩みと口にした途端、娘の体が再び強張る。しかし先の無駄なほどにほとばしる緊張感とはまた違う種類の反応に、臆病風は感じない。むしろ何を言われても構わないと覚悟を決めた末のそれは、嵐の中を突っ切る船舶を連想させる――勇猛果敢にして無理無茶無謀。その胸に秘めた願いを聞けば、とても正気の沙汰とは思えないと常人ならば揃って口にするはずだ。
 しかし彼は、娘の前で悠然と佇む涼やかな銀髪の男は常人ではない。悲劇も喜劇もそうあれかしと受け入れる、青年の容姿に老人、いやそれをも超えて仙人の気配を漂わせる端正な男は、天界広しとは言え片翼ずつに三重の羽を持つただ一人の存在。天界に住まう神の使途たちの長にして代表者、天界の住人たちは畏敬の念を籠めて彼をこう呼ぶ。
「……大天使様」
「何かな、アルティナ」
 対する娘の羽はなんとも小さい。緩く波打つ豊かな髪に埋もれて、羽ばたく程度でようやく存在が見て取れるほど。それでも彼女がここ天界で暮らした歳月を考えれば、これからの出来事は誰しも快挙と褒め称えるだろう。まあそれは、『生前』の彼女の努力も加わってはいるが。
 そんなことをつらと考える男の心情など読み取る余裕もなく、娘は一つ息を呑み込む間を置いて真剣な面持ちで語り始める。
「大天使様にとって、わたくしはまだ産毛に覆われたままの雛でしかないのは百も承知です。ですから、この件についてあまりいい方向に捉えていらっしゃらないのも、なんとなくはわかります」
「……そんなことはない。ただ最近は、人間から天使となるケースは少ないからね。それにスカウトしたのはフロンだ。君にもしものことが起きてあの子が嘆き悲しむ顔は見たくないし、私も君にはなるべく危険な場所に赴いてほしくはない」
「……お気持ちは、大変嬉しく思います」
 軽く俯き、唇を噛む娘の顔は一見すれば項垂れているようでも、水色の瞳は煮えたぎる溶岩の熱さを孕んでいる。その下の、堅く握られた両の拳が彼女の胸の奥に宿る激情を更にはっきりと示しており、男は小さく嘆息させられた。
 この調子なら、止めたところで勝手にここを飛び出していく可能性は大いに高い。本当にこの娘のためを思うなら、厳重な違法者として取り締まろうとする過激派が現れる前に、こちらが娘の背を押してやらねばならないのだろう。いつかの焼き直しのようになってくれればいいものだが、あの滅び行く地にはそんな余裕はないことくらい知っている。
 そう考えたからこそ普段は楽観的な男も暫く渋ったが、結局自分がこの娘の障害になろうとする気も湧いてこないため、選ぶ道は自ずと知れていて。
「しかし。君の決意を我々が害する権利はない」
「大天使様……!」
 簡素な一言にぱっと顔を明るくする娘に、大天使はほのかな苦みを覚えながらも、しかし心は穏やかなまま浮かべる笑みの種類を変える。ただそれだけで、周囲の空気も芝居の幕が下りるように一変した。
 朝焼けの光が降り注ぐ空間に、夜に近しき静寂が広がる。ともに高まる霊力に儀式が始まったと知らされ、娘は慌てて跪き直し、男が軽くかざした手の位置に自分の頭を固定する。その様子は人間界では洗礼と称される教会での儀式と酷く似ていたが、もとより天使は生まれたときから光の加護を手厚く受けたもの。ではこれは何かと問われれば。
「……天使見習いアルティナ。これより君に下級天使兵の位を授ける。以降は髪を結い、己の心身を鍛え、光の使者として世の平和に尽力せよ」
「はい。謹んでその任、承ります」
 昇格の報告に打てば響く、どころか弾むような返事を寄越した娘にくすり笑って、男は一度、桃色の頭に軽く触れる。
 それだけの行為なのに華奢な娘の霊格が増し、じわりと力がみなぎっていく感覚が全身を駆け巡ったのだろう。恍惚に似た熱い吐息をほうと漏らすと、元天使見習いはゆっくりと面を上げた。しかしその瞳は、努力の成果を実らせた歓喜に酔いもせず、何やら居心地悪そうな。
「……本当に、この度は申し訳ありませんでした。わたくしのわがままで、期間外だと言うのに昇格試験を受けたいなどと……」
「君の評判は他の天使からもよく聞いている。何より別の使命を帯びている君の努力を、ただの決まりで縛るのは私も気分が良くない」
 のんびりとした物言いに、娘は何が引っかかったものやら。目を見開いた途端に眉をしかめて、背後の門をおっかなびっくり見返した。人払いはもう済ませているから、それを気にする必要はないとついさっき伝えたはずなのだが。
「あ、あの。き……気持ちの問題、なのでしょうか?」
 天界の頂点に立つ、即ち天使たちの模範ともなるべき大天使が口に出すべきではなかろうと言外に含んで尋ねる娘に、男は全く微動だにしない微笑で頷く。
「法は確かに必要だが、何事にも例外はある。君もそのうち、気持ちの問題で法を破る経験もするだろう」
「……そう、なのですか?」
 その辺りはいまだ未熟な天使らしく、戸惑い気味の顔にはそんなことはないと思いますと控えめに書いてある。しかし真正面から大天使相手に口答えする勇気はさすがになく、視点が蛇のようにうねって下方に降りていった。容姿は一人前だがこの色々足りない中身の組み合わせとは、なかなか愛らしいものだ。
「……さて。お喋りはここまでにしておこうか。君は一刻を争うからね」
「はい」
 居心地悪くさせたままなのも可哀想だから話を本筋に戻してやると、娘もすぐに姿勢を正す。表情もまた先の話題を自分から引っ張る気配は皆無で、良かれ悪かれ真面目な子だと受け止めていたが、それなりに柔軟性もあると見える。――それは彼女の今後を思えば実に結構。かの地では天界の善意の常識を過信してはならぬのだから。
「では下級天使アルティナ、君に最初の仕事だ。天使長フロンの与える任務を遂行せよ。詳細は追って彼女が君に伝えよう」
「畏まりました。……ありがとうございます、大天使様」
 肯定だけでいいのに、わざわざ礼までしてから退出する娘に大天使は苦笑を滲ませる。
 続いて急ぎ遠のいていく桃色の背中と小さな純白の羽に、まさしく雛が必死に羽ばたいて巣立つ光景を連想したからだろうか。ありとあらゆる祝福が彼女を守る楯にならんことを、その背が見えなくなるまで男は粛々と祈ることにした。



 手持ち無沙汰の待ちぼうけを喰らうなんてこと、天使長の身の上ではそう滅多にない。
 特に天使長でも新米の彼女は先輩天使長たちから色々とご指導をいただくことも多々あり、また直下の天使たちの面倒も見なければならないし、しかもそれなりの数の魔界と親交もある上に人間界の監視や文化の吸収も絶対に外せないので、のんびりしているように見えて案外忙しいのが自慢でもあり欠点でもある。
 それでも彼女、天使長フロンは今日このときだけは何もせずに、言い換えればひたすら待つことだけに勤しんだ。多忙なら時間を有効に使って仕事をしろと他者から指摘を受けるかもしれないし、本人も当初はそのつもりだったが何せ落ち着かない仕事が手につかない何かをする気になれやしない。
 しかしすぐ目当ての場所へ飛び出していくのは天使長の威厳に関わる。相手の気持ちも考えれば、部下とは言え過保護に扱われるなんて恐縮させてしまうこと間違いないだろうし、何より自分の力を信じていないと思われるのはいやだ。
 だからこちらから祭壇に赴くことだけは止めようと心に決めて、フロンはひとり部屋で手を組み、つまり祈りながらうろうろと歩き回っていた。
 もう既に吉報を受けたときのための餞別は机の上に広げているし、それに伴う必要なものだって用意した。ほかに今の彼女がやれるべきことはない。いや机の横に置かれた特撮とアニメのディスクは小山のように積まれているし、羊毛紙だって負けていないがそんなこと気にしていられるほどの余裕はなかった。
 多分あとたったの数分。もしくは十数分、半時間ほどで四百年の成果が決まる。そう思えば、いくら他人とは言え緊張してしまうのは当然ではなかろうか。
「……四百年かあ」
 天使にとっては長いような短いような、曖昧な期間だ。きっと、今は昇格試験の真っ最中のはずの過去は人間だった娘からすれば果てが見えないほどの長い上、苦痛と己の無力さをひたすらに感じた時間だったのだろう。
 けれど本当にこの四百年が無駄になるかどうかは、恐らくもうあと少し経てば決まること。いいや、それで決まるのではなくそれを足がかりとして始まるのだ。現段階は辛辣に表現すれば、あの娘の努力が実るための土作りのようなもの。
 だからここで躓いてはならないし、躓かないようあの娘は必死に修行した。フロンもできうる限り協力したし、自信がついたとの報告を受けてすぐに大天使に昇格試験を行ってほしいと頼み込んだ。それを知らされた娘は随分と恐縮していたが、あと数百年も待っていられないだろうと訊ねれば納得してくれたので、この判断は間違っていないはず。
 なのにどうしても不安が消えないのは、こちらの無理強いに今更後悔しているから。
 娘の努力を大天使も汲んでくれるとは思うのだが、いかんせんこちらから強引に願い出た臨時試験となれば多少評価が厳しくなったり、他の天使長の評判を気にしてわざと落とされたりするかもしれない。
 だとすれば娘は一切悪くないのに、自分のせいで躓かせてしまうことになる。そうなればもういっそ自分が全ての責任を被って彼女の願いを叶えてやるしかないが、それはそれで娘にまた迷惑をかける羽目になるだろうと考えれば唸るしかない。
 だからフロンは事が穏便に運べるよう、必死に頭の中で祈り続けた。あの子が正統な評価を下されますように、あの子の心根が理解してもらえますようにと。
 合格しますように、なんて祈りはさすがに即物的な気がして避けたのが結果的に功を奏したのか。二十三回目の往復が始まった辺りで、廊下からヒールで走ってくる誰かの足音を耳にしてふと顔を上げると、丁度短く力強いノックの音も耳にして、どうぞと応じれば今朝昇格試験へ送り出した張本人が肩を激しく上下させながら現れたではないか。
 唐突な出来事に鼓動が跳ね上がり、緊張が極限にまで達する。相手の息苦しそうな顔はどちらの結果が待ち受けているのか全く予想できなくて、訊ねる瞬間はどうしようもなく勇気を要した。
「あ、アルティナちゃん! その、結果は……」
「ご……合格、しました、……っ、フロンさま!」
「…………き」
「き?」
 目を瞬いた次の瞬間、フロンの足が宙に浮く。
 そう、文字通り羽ばたき軽く飛び上がってて歓声を発しながら、彼女は自分より少し背の高い娘をめいっぱい抱きしめてしまっていた。
「きゃあああああああああ!!! すごい! さすがよ! アルティナちゃん!!」
「ふ、フロンさま!?」
「おめでとうアルティナちゃん!! あなたなら絶対受かるって、わたしわかってましたよ!」
「……あ、ありがとうございます、フロンさま」
 抱擁まで付いた満面の笑みの祝言に、下級天使兵となった娘ははにかむような笑顔で返して、フロンの気持ちを少しは落ち着かせてくれた。とは言え、たったの四百年で天使見習いからの昇格は快挙である。天使になる以前は人間だったアドバンテージを持っているとしても、ここまでの逸材はなかなか。
「……そうかあ。四百年で……」
 自然、この娘と初めて会ったときのことを思い出す。
 魂だけの存在と成り果て長らく人間界に留まっていれば、それだけで良くないものに染まり悪霊になりがちなのに、この娘は生前の意識と清さを保つ強靱な精神力を保持していたのがまず何よりも驚いた。その上、あれだけの怨嗟を放つ人物の近くにいても、それらの感情には染まるまいとし、それどころか相手を救おうとするその気高き精神は砂漠の中の金剛石のように輝いていたものだから、フロンは迷いもなく彼女を救おうと心に決めたのだ。
 直ちに天界まで引き上げて、用件を率直に告げたあのとき。大泣きされて、今までのあらゆる苦労や懺悔を心赴くままに吐き出されて、確かに他の天使には聞かせられない話も聞いた記憶はある。けれどその上でも、彼女の決意は揺らがなかった。
「……これでようやく、わたくしはあの人を救うための足がかりを得たのですね」
「ええ」
「行けるのですね……魔界に」
 緊張に張り詰めた真剣な声に、感慨に浸るフロンの目が現実感を取り戻す。
 そうだ。先も自分に言い聞かせた通り、これはスタートであってゴールではない。無邪気に浮かれていられるほど、事態は小さく軽くない。
 娘を抱き締めていた両腕を離すと、彼女は机の上に置いていた金の髪留めを渡す。念のためいつかの昔、下級天使でさえなかった見習いの自分がとある魔界に降り立ったときと同じ守護の術を施したものだが、下級天使兵となることで魔界の瘴気に耐えうる霊力を持った今の娘には不要なものだ。
 それでも彼女は、娘に髪留めを差し出した。多分、長い旅に出る娘にお守りの渡す母の気持ちで。
「髪、結いましょうか。アルティナちゃん」
「はい」
 戦地となりうる地に赴くことの多い天使兵は、天界法で定められている訳でもないのだが、自然と髪型を三つ編みにするのが一般的になりつつある。言い換えれば三つ編みの天使は武装を許される立場にあると天界では広く認識されているくらいなので、この娘にとってそれは長らくの目標だった。だから笑顔を浮かべるのも当然のこと。
 姿見と折り畳みの椅子を取り出し座るように指示すると、娘は軽く会釈してからフロンに背を向け腰かける。久し振りに近い距離で目にした彼女の背中の羽は、昇格の証に細やかな光を放って眩しい。
「……あ、あの、フロンさま?」
「なんです?」
 櫛を手にし、丁寧に髪を梳きながら訊ねるフロンに、娘はおずおずと渡された髪留めをかざしてこちらに軽く振り返る。
「髪留めは一つか二つで構わないと思うのですが……。どうして四つもあるのですか?」
「アルティナちゃん髪多いし、沢山用意したほうがいいかなーと思って」
 本当は髪留めにかけた守護の術によりこの娘を念入りに災いから守るためだが、それにしたって多いのは、過保護がひょっこり顔を出したと指摘されれば否定できない。しかしそれでもフロンは悪びれず、黄金の髪留めを受け取りながら続けた。
「それにアルティナちゃん、あんまり飾り気ないんだもの。清潔感も大切だけど行き過ぎると質素になっちゃうし、こう言うところから少しずつお洒落に気を配るべきよ?」
「い、いえあのフロンさま……。わたくしは今から魔界に向かうのであって、お洒落に気を配る暇など……」
「だからこそですっ!」
 髪留めで襟足をきつく縛ると、小さく前から悲鳴が漏れる。つい髪を強く引っ張ってしまったかもしれないが、謝る余裕もなくフロンは櫛を片手にまくし立てた。
「これからあなたは、過酷な環境に身を置いて辛い思いを沢山することになるでしょう。けどだからって、女を捨てていいとは限らないのよ? むしろそんなときだからこそ、常に女の子らしさを意識していてほしいの。それが冷静ってことでしょう?」
 それにあなたは可愛いんだからと付け足すと、照れくさそうな、くすぐったげな否定の呻きが聞こえてきたが、つるっと反論を無視して一つに束ねた髪を三つに分ける作業に専念する。
 娘のたっぷりとした桃色の髪は柔らかく芳しく、均一な細さとほんのり宿った光沢が、今までかけてきた手間を自ずと教えてくれる。本人はそうしないとすぐに絡まってしまうからなんて可愛げのない理由を口にしていたが、髪は女の命だと主張しているフロンとしては、その努力は好ましい。
 更に言うならこの娘は髪を垂れ流していたほうが可愛いと思うのだが、それでもうんと可愛く見える三つ編みにしてあげようと気合いを入れて彼女は髪を編み始めた。
「……わたしが以前、大天使様の密命を受けたときの話はしたわよね?」
「はい。見習いにも関わらず魔界に降り立たれたと……。わたくしにとっては、少し羨ましいお話です」
 苦笑気味に呟かれ、まあそうですよねえとフロンは頷く。
 その逸話を語った際、自分も魔界へ行けないものかとこの娘に訊ねられたことがあったが、彼女は駄目だとはっきり首を振った。楽天的なこの天使長をして、そんな判断を下すほどかの魔界は殺伐としているのだ。守護の術を施した装飾品で身を固めても、無事に生きられる可能性は低い。
「あそこは、悪魔の皆さんも結構脳天気でしてね。アルティナちゃんがこれから向かう魔界とは、色々と違うところなんです」
「そうなのですか?」
「ええ。……勇者さんはいましたけど、わざわざ悪魔が人間界に赴くことはなかったんじゃないかしら? むしろ、人間も地球もどうでもいい、と思うくらいに悪魔の皆さんは彼らに無関心で」
「……そんなところがあるんですのね。でしたら悪魔は人間を『畏れ』によって戒める役割を持つと言う常識も、フロンさまが向かわれた魔界では通用しなかったのですか」
「んん~……」
 心底意外そうな感想に、一概には返事をくれてやれないため少々思考に没頭する。勇者は魔王を退治すべく魔界にやって来ていたし、勇者と戦うのは魔王の使命だそうだが、少なくともフロンは悪魔が人間たちを積極的に害し戒める場面は見ていない。逆に魔界侵略を目論んでいた人間もいたくらいで、悪魔と人間の温度差はかなりのものだった。
「正確には、形骸化……かしら。悪魔の使命は人間を戒めることなのは事実ですけど、あちらは『畏れ』エネルギーがないので悪魔が積極的に人間を脅かさねばいけない理由もないの」
「そうなのですか……。悪魔は基本的に怠惰な生き物と伺いましたし、自分たちの魔力がかかっていないのなら、そうなってしまうのも仕方ないのかもしれませんわね」
 その通り、とこっくり頷く。逆に言えば、これからこの下級天使兵が向かう魔界は『畏れ』エネルギーと表される魔力の源が関わってくるだけに人間界との関わりは密接だった。いいや、密接であったはずなのだ。少なくとも四百年前は。
「人間相手でもそうなんだから、多分、あなたが向かう魔界ではきっと天使に対する警戒心もあそこ以上に強いでしょう。しかも目的が資金集めとなれば……」
「それは言わないでください、フロンさま。……使命とは言え罪もない悪魔の方々からお金を巻き上げるなんて、考えるだけで気が重いんですから」
 娘は本気でうんざりした調子でぼやく。だがそんな彼女はこの約百年ほどで盗みの技術から変装術、その他危険を乗り越えるためのありとあらゆる奥義を身に付け、今やどんな魔界に出しても恥ずかしくない一流の怪盗としてやっていけるはずだった。まだ実際に盗みを働いた経験はないが、プロデュースしたフロンがそう思うのだから間違いない。
「ま、その辺りは悪魔さんたちの連帯責任と言うことで。自分たちの存在意義に関わるはずなのに人間を戒める使命をさぼったツケが来たんだと思えば、彼らも心を入れ替えて人間界に顔を出したりするんじゃないですか?」
「……そうですわね」
 深く暗く沈んだ声は、いつか娘が教えてくれた、闇の使者としての使命に忠実な、なのに人間だった頃の娘を看取ってくれた悪魔のことを思い返しているようで。
 もしかして話に聞いた吸血鬼とやらはこの娘の初恋の相手じゃなかろうかと今も勘繰っている彼女としては、思い出のひとがいるかもしれない魔界で盗みをさせるなんて、世界救済のためとは言え心苦しい。
「アルティナちゃん」
「はい?」
「……あの、例の『吸血鬼さん』のことなら」
「ああ。……お気になさらないでください、フロンさま」
 鏡からちらと覗いた娘の顔は穏やかで、強がっているようには決して見えない。まあ四百年前の初恋を今も引きずるほどこの娘はロマンチストではないし暢気でもないから、そんな態度は納得できる。できるがやはり、女としては納得できないし、初恋なら尚のこと大切にすべきだろうと力説したい。
 と櫛を握りしめながら葛藤するフロンの心を皆目知らず、娘は軽く俯きながら呟く。
「……たった三日ですもの。フロンさまくらいは生きているはずのあのひとが、わたくしのことを覚えているなんてあり得ません。それにあのひとには盗人の自分なんか見られたくもありませんから、もしあのひとと遭ったとしても、きちんと逃げおおせますわ」
 まるで芝居の台詞をそらんじるような発言の数々に、フロンの櫛を握る手が青白く強張る。それでいいはずないでしょう、と言いたいところだが娘は筋金入りの頑固者だ。ようやく自分を頼ってくるまで二百年近くかかったほど、自立心が強くて責任感も強い。自らの死によって狂ってしまったあの人間の野望を阻止するためならば、淡い初恋の思い出さえ切り捨てる。そう言う子だ、面倒なことに。
「けれど、……フロンさま、一つお願いしてもいいですか?」
「な、何を?」
 今すぐにでも眼前の両肩を鷲掴みにして、相手の身体を揺さぶりながら女の子にとっての初恋がいかに大切なのかを懇々と語ろうとしたフロンだが、先手を打たれて軽く声を裏返らせる。対する娘は、穏やかな、少しだけ寂しそうな目を鏡越しの天使長に向けて。
「お祈りしていただきたいのです。……任務中のわたくしが、どうかあのひとと遭いませんようにって」
「………………」
 息を呑んだ。
 まだ覚えている、つまり未練を引きずっているであろう初恋のひとと会いたくないなんて。会えないほうがいいなんて。そんなの嘘に決まっている。強がりに決まっている。
 けれどその願いを口に出したと言うことは、娘は覚悟を決めたのだ。正面から自分の思ったような指摘を受けてもそんなことはないと、笑って受け流すほどの愚かしい、しかし悲壮なほどの意気込みで。
 生憎と、フロンはそんな娘の思いを手折れるほど独りよがりを好まない。相手の意思はどんなものであれ、重んじるべきだと考えている。だから一応、頷いて。
「ええ。任せて」
 心の中では反対に、逆のことを祈ってやろうと彼女は己の胸に誓ってから手を差し伸べた。すぐに大きな髪飾りを手渡してもらい、三つ編みの尻尾の部分にそれをぱちんと嵌めて終了となる。何度か密かにほかの天使で練習しただけのことはあり、なかなかいい出来栄えだった。
「むふふ~、いい感じいい感じ。アルティナちゃん、改めて見てもらえます?」
「は、はい……」
 角度を変えて今の髪型を改めて見せてやると、少々戸惑った顔をされた。そうして三つ編みに触れてじっくり眺めると、ああと小さく頷かれる。
「……妙に時間をかけていらしたと思ったら、こう言うことでしたのね」
「ええ。単純な三つ編みより、ハートマークのほうが可愛いでしょー? アルティナちゃんの髪も丁度ピンクだし、こっちのほうが絶対いいと思うの!」
「はあ……フロンさまがそう思われるのでしたら……」
 控えめながら同意を示してくれたのを幸いに、その両手をしっかり握ったフロンはついでとばかりに主張する。
「じゃあじゃあ、魔界に侵入してからは三つ編みはずっとこれでね! やり方、きちんと鏡で見てたでしょう?」
「み、見てはいましたけど……そんな急に言われましても。と言いますか、練習しないと……」
「ええ! 潜入中に練習してください!」
 有無を言わせぬ笑顔を添えて命じれば、軽く頭を抱えられるがそれがどうした。折角件の『吸血鬼さん』がいる魔界へ潜入するのだ。もし会えたときのために彼女ができうる限り魅力的に見えるようめかし込ませねば、と鼻から息を吐き出したフロンは、もう一つ、この日のために用意していたものを思い出す。
「あとは服ね。その格好だと侵入は難しそうだし、専用に動きやすく改造したのも用意したんですよ~。ほらほら、こっちで着替えて~?」
「そんな……! 何から何までしていただかなくても……」
 改造用の装束が入った籠を渡してから、衝立のほうへと追い立てるフロンに新米天使は恐縮しきり。まあ彼女とて装束を用意してもらうくらいならまだ普通に受け入れただろうが、天使長の執務室に急遽設置された衝立の正体が、自分の更衣室だと知ればそうなるのも仕方ない。
 だが真に桃色髪の天使が呻いたのは、それから暫くあとのこと。着替え特有の衣擦れの音が衝立の向こうから漏れてきて、むふうとフロンは満足げに頷いたのだが、直ちにまた別種の声が。
「……えっと、その。ふ、フロンさま?」
「なんです?」
「これ……い、色々と、足りていない気がするのですけど……」
「……ううん、そんなはずはないんだけど。とりあえず着替えてみて? 足りないなら、またそのとき探すし」
「は、はあ……」
 納得していなさそうな声だが、とりあえず着替えることは着替えてくれたらしい。結論として、三つ編みよりも余程短い時間で衝立が動いた。
「あ、あの……」
 そうして隙間からひょっこり顔を覗かせた新米下級天使は、何故か猛烈に居心地悪そうに、衝立の隙間からその姿を現してくれたのだが。
 思わずフロンは遠い目をして唸ってしまった。
「……んーむ」
「や、やっぱりその、色々と足りていないのでは……?」
 恥ずかしそうに肩を竦め、胸の辺りを軽く隠そうとする仕草に釣られ、長い素脚がくねるのがやたらと悩ましい。
 だが天使兵の証たる前帯はきちんと垂れ下がっているし、腰の辺りで二枚重ねて波打たせた白いインナーウェアは、天使見習いの装束に似た可愛らしさがあるはず。けれどかぼちゃパンツや長い付け袖は大人びたこの娘に似合わないし、怪盗の装いではない気がしたから、専用に短くもボリュームを持つグローブと、紺色のぴったりしたズボンに変更して、あげたつもり、なのだが。
「あれぇ~? おっかしいですねえ……」
 着用者の問題だろうか。自分の頭に描いたイメージと眼前の光景の乖離の激しさに、フロンは大いに頭をひねった。
 桃色の髪をハート型の三つ編みにした年若い天使が身に着ける装束は、天使らしい清潔感と可愛らしさを持ちながらも活動的で明るい印象のはずなのに。現実には着用者の白き珠の肌が目立ち、ついで華奢な肩やら豊満な胸元、小振りに引き締まった臀部や太股に目が引かれてしまい、天使なのにちょっといかがわしい雰囲気になりかねない。
「や、やはり、色々と足りていなかったのですか? でしたら、今からでも何か……」
「いえいえ、これで大丈夫なんですけど……」
 上司の態度に救いの道を見いだした新米天使兵に、フロンは首を横に振って相手の希望をあっさり潰す。
 それを受け娘が肩を落とす仕草さえ、殿方の下心を含んだ保護欲をそそりかねない儚い妖しさを漂わせていたのだが、もうフロンはその辺りの空気をまるっと無視することにした。
 この娘は魂同様、容姿も至って清く可憐で、用意したお仕着せもまた単体で見る分には普通に清潔感がありつつ可愛らしい。可愛いものに更に可愛いものを付け足しただけなのだから、唐突に色っぽく見えたりしたのは気のせい。もしくは露出が増えたから見慣れないだけ。きっと。多分。そうに決まった。
「……うんうん。可愛いですよ! 思ったより大胆な感じになったからちょっと驚いただけで!」
 誰にともなく言い聞かせるように宣言し、部下に居心地の悪さを与えたフロンは、続いてにっこり微笑んで完全に二の句を封じる。ちなみに本人にそんな意図は勿論ない。
「それじゃあ、アルティナちゃん。……これが、最後のわたしからの餞別です」
 引き出しから静かに取り出したのは、無骨な鉄の塊。その手入れの複雑さや優美からかけ離れてしまうフォルム、そして手加減が難しい破壊力のせいで天界では使われないし、正直なところ彼女もあまり使った記憶は薄いけれど、それでもきっと彼女の身を守る力になってくれるはずのもの。
「……銃、ですか」
「ええ。あなたの生まれ故郷で発明された武器になりますね」
 銃身を撫でる娘に告げれば、くすりと笑われる。何かおかしなことを言っただろうかと目を瞬くと、静かな声で指摘を受けた。
「その定義は少し広すぎます、フロンさま。……わたくしはこちらで一通りの訓練は受けましたけれど、これを使う側になるとは思っていませんでしたわ」
「そうかもしれませんけど、これが一番、非力なあなたに生き残る力を与えてくれる武器ですから。……いいですか。悪魔と言う種を敵に回せば、近距離で戦えるなんて思ってはいけません」
 薄青い視線がこちらに上がる。堕天使になった経験さえあるフロンは、悪魔であれ人間であれ誰かを傷つける想定をなるべく控えることくらい、この娘も知っているだろう。それでもこの稀有なほど清い元人間の魂が、悪魔の爪で刈り取られる未来なぞ想定したくないから、彼女はあえて厳しい表情でもう一度念を押した。
「だから有事の際は、まず相手と距離を取りなさい。……そして逃げて。生き延びて。あなたも、あなたに立ちはだかる誰かも傷つけないために」
 本来、生きとし生けるものはすべからく、誰かを傷つける必要などない。けれどずっとそれで生きていくのは難しいからと念を押すと、はいと真剣な表情で頷かれた。この娘が人間の頃はどんなふうに生きたのか、そう多くは知らないけれど、自分と同じ考えでいるのならそれでいいとフロンは思った。
「……では。ありがたく頂戴します、フロンさま」
「ええ」
 銃とホルスターを手渡せば、娘は予想よりも余程手早く、けれどしっかりとそれらを身に着ける。きっと彼女にとってこれが覚悟を決めるための儀式なのだろうが、それが終わってしまえばどうなるのか。
 ――迫る別れと、この華奢な娘がたった一人で取りかからねばならない任務の過酷さを思えば、どうしようもない衝動が胸にこみ上げる。だからその衝動に身を任せたフロンは腕を伸ばして、その体を抱きしめた。
「……ふ、フロンさま!?」
「最後に一つ、忘れてました」
 この新米下級天使兵の身長はフロンよりほんの少し高いくらいで、なのに体つきは遙かに女性らしいから、彼女は結構複雑な心中になったりしたものだ。けれど今となってはそんな記憶さえ懐かしさを感じながら、彼女は重々しく口を開く。
「あなたへの正式な任務は門前で告げます。けれどその前に、前提として命令します」
 ぎゅうと腕に力を込めて、願いを込める心地で命じる。告げる、程度ではきっとこの責任感の強い彼女は、我慢してしまうだろうから。
「命の危険を感じたら、いつでも帰ってきなさい。そして天界には、五体満足で帰ってきなさい。これは命令です」
「……フロンさま」
 両手にそっと細い手が重なる。最初はおずおず、しかし次第に彼女の両手を握ってくれた手は力強く反応を返してくれたけれど、フロンは気付いた。
 返事は返ってこなかったことに。
 そのくらい、彼女が覚悟を決めてしまっていることに。


「では、下級天使兵アルティナ。天使長フロンの名の下に任務を与えます」
「はい」
「あなたはこれから向かう魔界で、その地に住まう悪魔たちから金銭を集めてきてください。理由は……まああなたが考えられる理屈でいいです。救世のためにお金が必要なのは、揺るぎない事実なんですから」
「はい。畏まりました」
「あ、そうそう。あと魔界では本名を隠してくださいね。なんたってあなたは怪盗なんですから!」
「は、はあ……」
 力説するフロンの気持ちがわからないまでも、意図を汲み取るくらいの心遣いはある下っ端天使はこくりと頷き、そうですわよねと何やら合点してくれたらしい。
 丁度そのとき、時空間を管理する天使兵がこちらを向いて準備が整ったと知らせてくれたから、二人は軽く姿勢を正す。その上で、めいいっぱいに心を込めて、けれど外見上はあくまでさりげなく微笑んだ。
「では、行って参ります、フロンさま」
「はい、行ってらっしゃい。アルティナちゃん」
 桃色髪の天使が踵を返す。随分高露出になってしまった彼女に天使兵はややも怪訝な顔をしたが、すぐに通して彼女をゲートへと導いてくれた。
 別れの瞬間は実に呆気ない。もう一度こちらに頭を下げた天使の娘は、振り返って光の渦へと飛び込むと、一分もしないうちにその姿が消える。これで終わり。彼女が天界からいなくなった次の瞬間、その翼を魔界で広げていることだろう
 だからあのとき言われた通りのことを部屋に帰ってから実行してあげてもよかったのだが、やはり乙女の初恋を安く見た生真面目なあの可愛い下級天使兵には精々しっぺ返しを喰らってほしいとフロンは思ったから。
「再会してラブラブになりますように! 再会してラブラブになりますように!! 再会してラブラブになりますようにッ!!」
 大声で、早口で、はっきりと。けれど心の底から真剣に、誰の目も憚ることなく強く強く祈ってやって。
「……て、天使長様?」
「えへへ~お騒がせしました~」
 いつも通りの日向の笑顔を周囲に振り撒いてから、フロンは程好い風が吹いてきたのを渡りに船とばかりに、うんと強く地面を蹴り上げ羽を羽ばたかせ空を舞う。
 その上でもう一度、はっきりと。
「アルティナちゃんが初恋のひとと再会してラブラブになりますようにッッ!!!」
 心の底からの願いは、少なくとも多少の浮き島に届く程度に木霊したようだが、はて神様にまできちんと届いたものか。
 わからないが、まあ良いかなとも思う。結果は神のみぞ知る、と言うのもきっと悪くない。




後書き
 1周年記念で以前から温めてたアルティナちゃん魔界に来るまでの前日譚にしちゃおう! と思ったはいいが時間が足りずちょほーな出来になったので今更ながらの追記。
 結果的には長すぎても意味はないな! と思い知る羽目になりましたとさ。

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